第55話:虎人族(こじんぞく)
「ゲンタクの坊主、彼女は……?」
帰り道、魔法使いのドワイトが私に尋ねてきた。
彼が言っている『彼女』とは、言うまでもなくサニアのことだ。
どういうわけか露店をたたんでからというもの、このお嬢さんはずっと私たちの後ろをついてきているのだ。
私は足を止め、サニアに向かって手でシーシーと追い払う仕草をしてみせた。
「もう日が暮れるぞ。お子様は早く家に帰りなさい! お母さんに心配されるぞ!」
「だから私は子どもじゃないって言ってるでしょ! それにね、私がどこに行こうと私の勝手でしょ! あんたに指図される筋合いはないわよ!」
サニアはぶんぶんと小さな拳を振り回して威嚇してきた。
私はそれに呆れ顔(白目)で返した。
「ハハッ! ゲンタクの坊主、相変わらずいい男(モテ男)だなぁ!」
盗賊のモンティがへへっと笑い、肘で私の腰を小突いてきた。
聖騎士のケインまでもが同調するように頷く。
「本当だな! 酒場の連中から聞いたぞ。お前、その後また何人も奥さんを迎えたそうじゃないか。しかも誰一人として揉め事を起こしてないってんだから、奇跡としか言いようがないな!」
私は後頭部を掻きながら、すっかり照れくさそうに笑った。
「いやぁ……何と言いますか、成り行きでこうなっちゃいましてね、ハハッ!」
私の言葉を聞いて、モンティはその場で深々と溜め息をついた。
「はぁ……うちの女房なんかちっとも大らかじゃなくてな。俺が他の女をチラッと見ただけで、その日の夜は床で一人寝かされるんだぞ……」
「あぁ、分かるぞ! うちの奴は流かしに床で寝かせるほど酷くはないがな、俺の嫌いな料理をわざと作って、子どもたちの前で『見てごらん、お父さんは好き嫌いしないんだから見習いなさい』なんて言うんだ……」
ケインも首を振り、耐えかねたような表情を浮かべた。
三人の中で唯一独身のドワイトも、羨ましそうに呟く。
「良いなぁ……俺も温かい家庭って奴が欲しいよ!」
「厳密に言えば、お前が俺たちの中で一番幸せ者かもしれんぞ!」
「同感だ!」
「ハハハッ!」
夕陽の残照が照らす中、私たち男たちは互いをからかい合った。
私はふと、ミッドナイトやグラフェンがまだ側にいた頃の日々を懐かしく思い出した。
「あと二年半……絶対に長くはないさ!」
---
私は『ライン・オブ・ライト』の三人について行き、『ピオニー・イン』の近くにある一軒の旅館へと辿り着いた。
両者の距離は非常に近く、歩いてわずか三分ほどの位置にある。
しかし、こちらの旅館の外観は明らかに年季が入って破れており、一階のレストランも決して清潔とは言えなかった。床の至る所にパンくずや溢れたビールのシミが散乱している。
サニアは少し恐怖を感じたのか、大勢の客がいる前で私の左腕にぎゅっと抱きつき、不安そうに周囲をキョロキョロと見回していた。
「帰りなよ。ここは君のようなお嬢様が来るような場所じゃない」
「ふ、ふん! 別に怖がってなんてないわよ!」
強がる彼女を見て、私は彼女の手を解き、代わりに彼女の腰をぐっと引き寄せて抱きかかえた。
少女の身体が一瞬ビクッと跳ね上がったが、振りほどこうとはしなかった。
「万が一何か起きたら、おとなしくじっとしてな。僕が守ってあげるから」
「……ん」
ケインたちは奥の丸テーブルへと向かい、座っていた人物の一人に声をかけた。
「こんばんは、白烈!」
「お前たちか。今夜も一杯やるかい?」
その大男は手に持った木杯を持ち上げ、私とサニアをサッと一瞥した。
残りの三人(仲間たち)も同様の視線を向けてくる。
私は興味津々にその四人を観察した。なぜなら彼らは明らかに『人間』ではなかったからだ。
彼らの身長は常人を遥かに凌駕しており、少なくとも180センチ以上はあり、全身が岩のような筋肉で覆われている。
更には頭の上にネコ科動物の耳が生えており、椅子の下からは虎柄の尾が左右にゆらゆらと揺れていた。
「あいつらは『虎人族』だ。めちゃくちゃ強いから、言葉遣いには気をつけろよ……」
モンティが私の耳元でコッソリと囁いてきた。
私は即座に頷いた。
「おい、そこの! この二人は誰だ……?」
虎人族の一人、首に金のネックレスを巻き付けた大男が、私とサニアを指差して尋ねてきた。
「私は雪花領の領主、ゲンタクと申します。現在は住民を募集しておりましてね。ケインさんたちからあなた方が非常に強いとお聞きし、ご挨拶に伺いました。どうぞよろしくお願いいたします」
私はその男の瞳を見つめ、右手を差し出した。
「人間の貴族か……?」
「まあ、似たようなものです」
四人の虎人族の男たちの瞳に、一瞬だけあからさまな嘲りの色が走った。だが、私は腹を立てなかった。
何せ、私たちの交渉はまだ始まったばかりなのだから。
ケインが私と虎人族の間に立ち、互いに熱心に紹介を始めた。
「よし、俺から紹介しよう! こちらの方々は虎人族の勇士たちだ。ちょうど次の定住先を探しているところでな」
「ゲンタクの坊主、彼らもお前と同じく東方大陸の出身なんだぞ!」
「ほう、本当ですか? それはお目にかかれて光栄です!」
私は一番近くにいた虎人族の男に向かって手を伸ばした。
四人はまず互いに顔を見合わせ、それから四人の中で最も細身(小柄)な男が立ち上がってきた。
彼が私に向かって手を伸ばしてきた。
「よろしく頼む」
私と彼の掌が固く交わされたその瞬間――即座に強烈な莫大な握力が私の手に加わった。
「!?」
――こいつ、私の手骨を握り潰すつもりか?
ならば……遠慮はいらないな!
メキメキッ――!
「があぁぁぁぁぁぁッ────!?」
その虎人族の男はたまらず床にひざまずき、館内に響き渡る悲痛な悲鳴を上げた。
理由は至極単純。彼の掌の骨が、私の握力によって木っ端微塵に砕け散ったからだ。
神官に頼んで治癒してもらわなければ、彼は一生この手を使えないだろう。普通のカップを持ち上げることすら不可能なほどに。
残りの三人が瞬間的に椅子から跳ね起き、今にも飛びかかってきそうな殺気を放った。
だが、私がそんな反撃を許すはずがない!
私はまず足蹴りを放ち、目の前で悶絶する男の胸を地面へと踏みつけに踏みつけた。
間髪入れず、ストレージリングから魔剣『テュポース』を抜き放ち、その鋭い刃先を男の首元へと突きつけたのだ。
「……ッ!」
三人の全身が激しく跳ね上がった。
彼らの表情を見る限り、「仲間の命を捨ててでも私に襲いかかるべきか」を必死に天秤にかけているようだった。
私は余裕たっぷりの笑みを浮かべ、言い放った。
「全員まとめてかかってきても構わないぞ? テーブルの後ろ、バーカウンターの陰、柱の裏に潜んでいるそっちの連中も含めてな……全員ここで全滅したいと言うのなら、だがね!」
言葉を落とした瞬間、潜んでいた者たちがゾロゾロと顔を覗かせた。
こればかりは仕方がない。彼らの放つ殺気があまりにも露骨すぎて、無視しろと言う方が無理なのだ。
私は横目でサッとあたりを見回した……。
十五人。
予想していたよりも多いな……。
この程度の人数なら、『キャプチャー』を発動すれば最低でも十人は一網打尽に捕獲できるだろうか?
彼らを「ポイント」に変換してやろうかと本気で思考し始めたその時、三人の真ん中に立っていた大男――金のネックレスを付けた白烈が口を開いた。
「……まずそいつを解放しろ。そうすれば降伏してやる」
「いいだろう!」
私はまず『聖なるミネラルウォーター』を取り出し、足元の男の潰れた手元へと振りかけた。
紫色の血腫に染まっていた不気味な手が、瞬く間に本来の肌色を取り戻していく。
「白牙……お前の手は!?」
「な、治った……だと!?」
「治ったなら全員でかかれ! 久しぶりに大殺戮と決め込もうじゃないか!」
私は剣をくるりと一閃させて見せ、故意に唇をペロリと舐め回すと、同時に全開の『竜の力』を解き放ってみせた。
まあ、ハッタリなのだが。
虎人族がどういう種族かは詳しく知らないが、彼らの言動から察するに「実力至上主義」の文化であることは間違いない。
ならば、最も直接的な暴力の威圧をもって屈服させるのが一番手っ取り早い。
もし交渉が決裂したところで、私としてはポイントが稼げるのだから痛くも痒くもないのだ。
「……待て! そこまでだ!」
「虎人族は誇り高き種族ゆえ、誰かの『奴隷』になるつもりはない。だが……単純な上下関係の『主従』であれば、決して拒みはせん!」
「強者に膝を屈することは、恥辱でもなんでもないのだからな!」
金のネックレスを付けた大男――白烈が、率先してその場に片膝をついた。
「我ら虎人族が白烈! ゲンタク様に忠誠を誓い、貴方様の鋭き『爪』となりて敵を裂くことを誓いましょう!」
「我ら虎人族が白牙……!」
「我ら虎人族が白荒……!」
「我ら虎人族が白魄……!」
どういう風の吹き回しか、店内にいた他の虎人族たちも次々と床にひざまずいていった。
「『我ら一同、忠誠を誓います! 貴方様の爪となりて、敵を切り裂かんことを!』」
「……!?!?!」
私は開いた口が塞がらないまま、目の前で下跪する面々を見つめた。
いやいやいや!
確かに頼もしい部下は欲しかったけれど、これじゃ手下っていうか「極道の舎弟」じゃないか!
なんでこんな展開になっちゃったの!?
さっきの私のセリフが中二病全開すぎたから!?
「コホン……! 良いだろう、お前たちを受け入れよう! 三日後、全員私について来い!」
私は顎を突き出し、どうにか上位者らしい威嚴を演じてみせた。
「今日よりお前たちは……そうだな……『スカディ騎士団』の一員だ!」
「栄誉に思うが良い、諸君!」
私は両腕を高く掲げて見せた。
この瞬間、自分が怪しい邪教の教祖にでもなったかのような錯覚に陥った。
すでに引き返せる道はない。ただ押し通すか、王として振る舞うかの二択なのだから。
その時、ふと周囲から熱烈な視線を感じた。
視線を向けると、そこにはサニアが胸の前で両手をギュッと握り締め、うっとりとした表情で私を見つめていた。
氷河のように美しいその大きな瞳が、まるで超大物スターでも目撃したかのようにキラキラと輝いている。
……私は自分の行いを本気で疑い始めた。十八歳になったばかりの少女に対して、今のは中二病が過ぎたのではないかと。
「あなた……その……めちゃくちゃカッコいいじゃない! これが劇場でよくやってる『極道』ってやつ!? 雪花領って、巨木の森に君臨する巨大な闇の勢力だったのね!」
「いや! 勘違いしないでくれ! 僕たちは……」
「私も……私にも仲間に入らせてよ!」
「はぁ!?」
「千軍を率いて天下に号令をかける……そんな大悪党の頂点に立つ存在……私、昔からずっと憧れてたのよ!」
サニアは興奮気味に小さな拳を振り回した。
「いや……あのさ! 本当に誤解だから! 僕は……」
私が露骨に拒絶するような態度を見せると、サニアは途端に焦りを隠せなくなった。
「ダメなの!? 私のレベルがLv5しかなくて、弱すぎるからダメなの!?」
「レベルの問題じゃない! そうじゃなくて……」
「じゃあ……『極道の女』でも良いわよ……! 顔とプロポーションの維持には……私、相当……自信があるんだから……っ!」
そこまで言い切ると、サニアは赤面し、顔が自分の胸に埋まりそうなほど深くうつむいてしまったのだった。
私の視界に入ってくるのは、赤く染まった彼女の耳筋だけだった。鮮やかなバラ色に染まっている。
「……」
突如として、私はこれが千載一遇のチャンスであることに気づいた。
そう――あの『天馬』を手に入れる絶好のチャンスだ!
私はすぐさまサニアの両手をぎゅっと握り締め、感情を込めた甘い声で囁きかけた。
「ニアちゃん……」
「……っ!? ニアちゃん……!?」
私の言葉を聞いた瞬間、サニアの全身が跳ね上がるように震え、顔の赤みが一層増していった。
「あなた……からかわないでよ! 明らかに私のこと子ども扱いしてたくせに……!」
「そんなわけないじゃないか! 僕はニアちゃんをひと目見た瞬間から好きだったんだよ? 思い出してみてよ、昨日のステージで、僕が君一人だけを見つめていて、君のお姉さん二人には目もくれなかったことをさ」
「えっ……? 言われてみれば、確かにそうだった気もするけど……」
「だろ? だからさ、ニアちゃん。僕のために一頭だけ天馬を盗……コホン! いや、『借りて』きてくれないかな? 明日にはちゃんと返すからさ、ね?」
少女を騙すような真似は少し気が引けるが、これは天馬を入手する千載一遇のチャンスなのだ!
「天馬なんか借りたいだなんて、一体何に使うのよ?」
「え……? いやぁ、どうしても行きたい場所があってね! 今行かないと一生後悔するんだ。……そう、海辺とかさ! ハハッ!」
かなり苦しい言い訳だったが、私は平然を装い、まるで本当にどこかへ行きたくてたまらないかのように演じてみせた。
「海辺……今行かないと後悔する……あ! もしかして『ノーランド王国』の『鯖港』で開催される『遠航祭』のこと!? 確かに明日が最終日だわ。今回を逃したら、来年まで待たないといけないものね!」
「あ! そうそうそう! それだよそれ! 通行人が『遠航祭』がどうのこうのって噂してるのを聞いてさ。でも距離が遠すぎて、普通の移動手段じゃ絶対に間に合わないんだ!」
――遠航祭?
一体全体なんだそれは!?
「だからさ、ニアちゃん! 僕には君の助けが必要なんだ! 天馬を私に一頭貸しておくれ!」
私はサニアの瞳を直視し、真剣な眼差しで訴えかけた。
もちろん、これらはすべて真っ赤な嘘だ。私は鯖港も遠航祭も何一つ知りやしない。
私の計画は至極単純。鯖港へ向かうフリをしてどこか安全な場所に一日潜伏し、天馬を『水産養殖槽』の中に格納してしまえば、翌日返却しても計画達成となるのだ。
しかし――事態はそう易々とは運ばなかった……。
サニアは至って真面目な顔で首を横に振った。
「ダメよ! 天馬はゼフィロス商会の最重要資産なの。一頭一頭が言葉にできないほど貴重なんだから。もし盗まれたり死んだりしたら、私、お父さんに殴り殺されちゃうわ!」
「それにね、あなたはうちの家族じゃないでしょ? たとえ一頭貸したとしても、天馬があなたの命令に従うことなんて絶対にあり得ないのよ!」
「そうか……なら仕方ないな……」
まあ、元よりそれほど過度な期待はしていなかった。ダメならダメで諦めるとしよう。
おとなしくここに留まって、タピオカミルクティーとレモンオーギョーチーでも売っている方がマシだ。
「だけど……」
サニアはチラリと私を見つめ、ぷいと横を向いてツンデレ全開で言った。
「わ、私が一緒について行ってあげるなら……私が天馬を宥めて(手懐けて)あげるわよ!」
「勘違いしないでよね! 別にあなたに気を遣ってるわけじゃないんだから! 私だって『遠航祭』なんて見たことないから、一目見てみたいだけなんだからね! ふんッ!」
「……」
これぞまさに「教科書に載せるべき完璧なツンデレ」というやつだろう。
私は再びサニアの細い腰を抱き寄せ、彼女の耳元で囁いた。
「ニアちゃん……僕との『デート』をそんなに楽しみにしてくれてたんだ?」
「だ、だから違うって言ってるでしょーッ!」
サニアが真っ赤になって怒鳴り散らす。
「そうなると、大人の男と女の『一泊二日の二人旅』になるね。ニアちゃん、楽しみかい? 格好いいお兄さんとのロマンチックな夜はさ?」
「だから違うって……!」
「僕はすご〜く楽しみだよ! ニアちゃん一緒に夕日を眺めて、茜色の砂浜を二人で歩いて……そして、二人の影が重なり合っていくんだ」
「ニアちゃん……こんなプランはどうかな?」
しばしの沈黙の後、少女はついに小さく頷き、蚊の泣くような蚊細い声で呟いたのだった。
「…………………………うん」
---
傍らにいた白烈たちは、私とサニアがいちゃつく一部始終をぼうぜんと見つめ、頭の上に大きな疑問符(?)を浮かべていた。
白烈が私とサニアを指差し、困惑気味に尋ねる。
「ケイン……アイツら一体ナニやってんだ……?」
「まあな! 慣れればどうってことないぞ!」
ケインは至って平然と言い放った。
「うんうん!」
ドワイトとモンティも同時に頷き、手に持った木杯のビールをゴクリと飲み干した。
「はぁ〜、若いってのは良いもんだなぁ〜」
「もし少しでも『面白い』『続きが気になる』と思ってくださったら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】から評価やブックマークをいただけると、執筆の励みになります!」




