第53話:我が娘を娶る気はないか?
私は二人の男に案内され、街の某所にある邸宅の前へと辿り着いた。
その建物を見た瞬間、私はその威容に呆然と立ち尽くしてしまった。
土磚(泥レンガ)で積み上げられた二階建ての建築物で、およそ家屋五軒分に相当する広大な敷地面積を誇っている。
中で最も目を引くのはその巨大な大門であり、一目見た瞬間に歴史の教科書に載っていたバビロンの古城を連想させた。
一面に張り巡らされた青い釉薬瓦(青色タイル)の上から、鮮やかな金黄色のタイルで壁面の輪郭が描かれ、様々な飛翔する鳥や走獣のレリーフが施されている。
一目見た者誰もが、その荘厳さに圧倒されるに違いない。
私の脳裏には、真っ先に一つの考えが浮かび上がった。
――この屋敷の主は、間違いなく超がつく大金持ちだ!
「ゲンタク様、どうぞこちらへ」
白い制服を着た男が、丁寧な手つきで進むべき方向を示した。
私は頷き、彼らの後について足を踏み入れた。
陶器や花瓶、重厚な油絵がずらりと飾られた回廊を通り抜けた後、私たちは一つの重厚な扉の前で足を止めた。
コンコン――。
制服の男が木製ドアをノックし、声をかける。
「旦那様、雪花領のゲンタク様がお見えになりました」
しばしの静寂の後、中から重厚な男の声が響いた。
「通しなさい」
制服の男が扉を押し開き、私を中へと招き入れた。
そこで私は、『ゼフィロス商会』の現代当主であり、サニアの実の父親でもある男――シャールークとまみえることとなった。
その男は白地に金糸と紅糸で民族調の刺繍が施された開襟の長袍を身に纏っていた。
肥満気味の体型で、口元には蓄えられた髭があり、髪色はサニアとよく似ているが、より蒼白さを増している。
薄紫色の瞳の奥には、常人には持ち得ない老獪な切れ者特有の光が宿っており、私は瞬時に気を引き締め直した。
シャールークは手を軽く振り、二人の部下を下がらせた。
彼らがドアを閉め、部屋の中に私たち二人だけが残されると、シャールークは温和な笑みを浮かべて口を開いた。
「ゲンタク様の男前なご容姿や、お若い身空で開拓領主となられ、更には『ピエニン商会』の高級パートナーを務められている噂はかねがね伺っておりましたが……本日お目にかかれて、正に名不虚伝(噂に違わぬ英傑)だと実感いたしましたよ。ハハハッ!」
私は彼と握手を交わしながら、謙遜してみせた。
「滅相もございません! 全ては運の良さと、幾人もの貴人様方のご愛顧のおかげです。彼らの引き立てがなければ、今日の私は到底あり得ませんでした」
互いに形式的な挨拶と社交辞令を交わした後、私たちは脇にあるソファへと腰を下ろした。
「当ゼフィロス商会は現在、大陸西岸の『エルフ王国』を中心に手広く商いを行っておりますが、我が一族の根は大陸中央の『ソグド商業同盟』にあり、東方諸国とは深い血縁と貿易関係を有しております」
「差し支えなければ、ゲンタク様のご郷里は東方諸国のどちらでしょうか? ひょっとすると、我々の間で更なる繋がりを深められるやもしれませんが?」
シャールークは私に温かいお茶を淹れて注ぎながら、温和な表情で尋ねてきた。
私はまず茶器を持ち上げ、鼻腔をくすぐる香りを静かに堪能した……。
む〜ん……香ばしいウーロン茶の香りだ!
ひとくち小さく啜ってから、私はゆっくりと口を開いた。
「僻地の貧しい小国に過ぎません。口にするほどの価値もございませんよ」
「私がこの地へやって来て事業を興したのは、実家の一族とは無関係であり、いわば私個人の我儘に過ぎないのです。敢えて言うならば……天の導きを受け、神様のお導きとご加護の下で、この地へと辿り着いたとでも申しましょうか」
私の口にした言葉は半真半偽であり、意図的に多くの『誘導』を仕込んでいた。
例えば、私の背後に存在する謎の一族や、信仰する女神の存在だ。
一見すると大した内容ではないように思えるが、シャールークのような見識の広い老商人ならば、彼ら自身の手で勝手に『自分が納得する真相』をパズルのように組み立ててくれるのだ。
シャールークは己の髭を撫で回し、しばし思考を巡らせた後、問いかけてきた。
「不躾ながら……貴殿が信仰される神祇とは……?」
私はうっすらと微笑んだ。
「女神――スカディ様です」
「女神……スカディ様……」
老商人は深遠な沈思に落ち入り、私は平静を装いながらカップの中の懐かしい味を楽しんだ。
およそ三十秒ほどが経過し、シャールークも合致する存在を思いつけなかったのか、話題を変えるように尋ねてきた。
「時にゲンタク様……すでに妻帯はお済みで?」
その問いを聞いた瞬間、私は片眉を跳ね上げて答えた。
「ええ! 私にはすでに七人の妻がおります。中で領地の実務を取り仕切ってくれているのは、ヨルゴス公爵のご令嬢であるアリア様です」
私の言葉を聞いた瞬間、シャールークの瞳がパッと輝きを放った。
「おお! アリア様といえば、『ロプロス王国』でも稀に見る絶世の美女と聞き及んでおります。ゲンタク様は誠に果報者でいらっしゃる!」
「ハハ、滅相もございません」
その時、シャールークは突如として顔を近づけてきて、意味深な色を帯びた表情で尋ねてきた。
「古来より『将軍には名刀、英雄には美女』と申します。ゲンタク様、時に『八人目』の妻を娶るおつもりはございませんか?」
「……とおっしゃいますと?」
私はお茶のカップを置き、眉をひそめて問い返した。
シャールークはヘッヘッヘと笑い、自信に満ちた眼差しで言った。
「私には三人の娘がおりましてな、どれも天仙のごとき美貌の持ち主でございます」
「長女のグルノザは今年で20歳。性格は温和で聡明」
「次女のアミナは19歳。歌舞に長け、あらゆる楽器に精通しております」
「三女のサニアは18歳。情熱的で奔放、四ヶ国語を操り、『十大美女ランキング』の第十位に名を連ねております」
「彼女たちは現在、誰一人として婚約者がおりません。昨日ご覧になったでしょう、壇上で踊っていたあの三人の舞姫たちを。私は長女のグルノザ、あるいは次女のアミナのどちらかを貴殿に許そうと考えておりますが……いかがかな?」
「は……!?」
唐突すぎる申し出に、私は肝を冷やした。
まさか異世界にやって来て、面と向かって媒酌(お見合いの押し売り)をされる日が来ようとは!
ドラマや小説の中でしかあり得ないシチュエーションだと思っていたが、まさか自分が当事者になるとは思いも寄らなかった。
しかし、この老おじさんの口にした言葉は、あまりにも多くの重要な情報を暴露していた。
グルノザとアミナというのは、おそらく昨日サニアの両脇で踊っていた二人の舞姬のことだろう。
私の意識の大半はサニアに向けられていたが、確かにおぼろげな記憶の中でも、あの二人も並の女性を遥かに凌駕する絶品の大美女だった。
論理的に言えば、三人の娘が全員未婚であり、サニアこそが唯一私と直接言葉を交わした相手だ。
私の承諾を得る確率を上げるならば、この老商人は最も美しい看板娘である『サニア』を推してくるのが筋というものだろう。
にもかかわらず、彼が敢えてサニアを外し、上の二人を提示してきた理由――。
私は一瞬にして、その深意を悟ったのだった……。
だが、私は腹を立てるどころか、むしろニヤニヤと笑みを浮かべて問いかけた。
「シャールーク様……して、私に何を望まれるのですか?」
「聞き及べば、貴殿は現在ピエニン商会と提携し、すべての料理の製法と販売権を奴らに売り渡す契約を交わしているとか?」
「ええ、その通りです」
「違約金は我が方で全額負担いたしましょう。それらのレシピを引っ提げて我が『ゼフィロス商会』へ移籍していただけるならば、すぐさまグルノザかアミナとの婚礼をセッティングいたしますが……いかがかな?」
私はシャールークの自信満々な顔を見つめながら、一見すると何の関係もない話題を口にした。
「……ゼフィロス一族は大陸で唯一、『天馬』を繁殖させ、更にはそれらを操る術を持つ一族だと聞き及びますが、果たして真実でしょうか?」
「……天馬を購入したいとおっしゃるのかな?」
シャールークの顔から笑みが消え、代わりにそこにはかすかな警戒の色が浮かび上がった。
私は静かに頷いた。
「ええ、その通りです」
今朝、旅館で朝食を摂っていた際、私はフロントの従業員からサニアに関する情報を色々と探っていたのだ。
彼女に興味があったわけではなく、彼女のバックボーンや、彼女にどんな敵が存在するのかを把握しておきたかったからだ。
何せ昨夜は二人まとめて刺客に襲われたのだ。相手の真の標的が誰だったのかくらいはハッキリさせておく必要があった。
その聞き込みの過程で、私は思わぬ情報を入手することとなった。
サニアはゼフィロス一族の出身であり、ゼフィロス商会は全大陸で唯一『天馬』を繁殖・使役できる一族であるということ。
天馬が誇る圧倒的な機動力を駆使し、彼らは地理的な制約を完全に無視して、遥か何千里も先へ情報や人員を迅速に輸送することができる。
未だに伝書鳩を使っている他の一般的な商会に比べれば、それは正に「次元の異なる暴力(次元削削)」とも言うべき圧倒的優位性だ。
『ソグド商業同盟』が大陸最高の商業国家であるならば、その中に君臨するゼフィロス商会は名実ともに「大陸最強の商会」と言えた。
そして私が喉から手が出るほど欲しているものこそ、彼らが隆盛を誇る最大の鍵――『天馬』なのだ。
龍族は地上戦で圧倒的な強さを誇るだけでなく、恐ろしいほどの空中機動力を持っている。
将来、龍族と対峙するためには、私には強力な『空軍部隊』が不可欠だった。
天馬の機動力と、エルフ族の神業のような射撃技術が組み合わされば、それこそ異世界における「戦闘機」そのものとなる。
しばしの沈思の後、シャールークがゆっくりと口を開いた。
「天馬を欲するお気持ちは分かります。ですが天馬は、ゼフィロス一族の血を引く者の命令にしか従いません。たとえ貴殿がLv10の頂点に立つ超絶者であろうと、天馬に羽ばたき一つさせることすら不可能なのです」
「これは調教法や習性の問題ではなく、生まれ持った血脈の支配によるものです」
「しかし……貴殿の妻となるグルノザ、あるいはアミナに天馬を操らせれば良いのです。そうすれば巡り巡って、天馬は貴殿の命令を果たしたことと同義となりましょう」
「あの二人の美貌はサニアに少しも劣りませんし、私の自慢の娘たちです」
「それにピエニン商会は確かに強力ですが、その影響力は『ロプロス王国』の域を出ません。対して我がゼフィロス商会は、貿易の足跡が大陸全土を網羅しております。私と貴殿が手を組めば、未曾有の栄華を手に入れることができますぞ!」
シャールークの瞳がギラギラと輝いていた。彼には絶対の自信があるのだ。
己の強みを熟知しており、私が断る理由などどこにも存在しないと確信しているのだろう。
だが――それらはすべて、私に『冷蔵庫システム』が存在しないという前提に立った話だ。
『水産養殖槽』の正体が遺伝子バンク(DNAライブラリ)であることを知っている私からすれば、どうにかして一頭の天馬を手に入れ、それを女神様へと献上しさえすれば……後々交渉次第で、女神様から「私だけに絶対服従する天馬」を買い取れる可能性があるのだ。
そうなれば、シャールークが提示してきた条件など、何の意味も持たなくなる。
第一に、雪花領には美女など掃いて捨てるほどいるし、それになにもロプロス王国内の市場シェアだけでも、雪花領を一大勢力へと育て上げるには十分すぎるほどなのだ。
それにアリアからも密かに、「ソフィアを八人目の正妻として迎えてほしい」と頼まれている。
それはソフィアが私に想いを寄せてくれているからというだけでなく、私とピエニン商会との絆をより強固にするためでもあるのだ。
現在、両者の提携は日に日に深まっており、安定した現状を捨ててまで、何の地盤もないゼフィロス商会へと乗り換える理由がどこにあるというのだ。
私の目的は「世界一の大商人」になることではない。
龍族と対等に渡り合い、ミッドナイトを無事に連れ戻すことなのだから。
妻を守り、家族を守る――それこそが、私が今まで死力を尽くして戦ってきた唯一の理由なのだから。
とはいえ、ここで安易にシャールークを怒らせるべきでもない。今後何らかの形で協力関係を結べる可能性だって残されているのだから……。
私は苦笑いを浮かべ、困り顔で言った。
「……非常に大きなお話ですので、私の一存では決めかねます。幹部や補佐役たちと十分に協議させていただきたく存じます。……そうですね、三日後に改めてお返事を差し上げるということでいかがでしょうか?」
「仮に最後のご提案に沿えない結果となったとしても、貴商会とは別の形での良好な提携を結びたいと考えておりますが……いかがでしょう?」
私の言葉を聞いて、シャールークはあからさまに不快そうな表情を浮かべた。
だが、私が徹底して姿勢を低く保っているため、面と向かって怒りを露わにすることもできないようだった。
「……良いでしょう! 三日後、貴殿が後悔の残る決断を下さないことを祈っておりますよ!」
シャールークは冷ややかに言い放った。
「それでは、失礼いたします」
「お気をつけて」
私は立ち上がり、彼に深く一礼してから、部屋を後にした。
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使用人の案内に従い、私は勝手口(裏門)から屋敷を出ようとしていた。
玄関口に辿り着いたちょうどその時、外から戻ってきたサニアと鉢合わせした。
サニアは一瞬ポカンとし、まさか私が自分の家にいるとは思ってもみなかったようで、目を丸くした。
彼女は慌てて問い詰めてきた。
「な、なんであなたがここにいるのよ!?」
焦りを見せる彼女の表情を見て、私はふと意地悪心が湧き上がり、からかってやろうと思い立った。
「朗報を教えてあげるよ。僕、近々結婚することになったんだ!」
「はぁ!?」
サニアは口を大きな「○」の形に開け、まるでエイリアンが地球に攻めてきたというニュースでも聞いたかのような顔をした。
「はぁ……昨夜の件を経てさ、僕たちお互いの『素顔(本性)』を知っちゃっただろ? 男として責任を取るために、君のお父さんに挨拶に来たんだよ。ねえ……僕が誰を嫁に欲しがってると思う?」
私は意味深な笑みを浮かべ、サニアをじっと見つめた。
少女は昨夜の出来事を思い出したのか、一瞬にして顔をゆでダコのように真っ赤に染め上げた。
私をキッと睨みつけると、彼女は一目散に屋敷の中へと駆け込んでいった。
私が屋敷の敷地を足を踏み出す間際、奥から彼女の大声が響き渡るのが聞こえた。
『お父さん!? まさかあの男の条件を呑んじゃったんじゃないでしょうね!!?』
大通りを行き交う大勢の通行人たちの視線を浴びながら、私はなりふり構わず、お腹を抱えて大爆笑したのだった。
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