第46話:甘露町
「ゲンタク様、あれがエルフ王国であり、唯一の都市でもある『シルヴァリア』でございます」
オベロンが指さした先、山腹に広がる都市を見上げて言った。
彼の指す方向へと視線を向けると、そこには非常に興味深い光景が広がっていた。
人間たちの造る密集した街並みとは異なり、建造物は広大な敷地に分散して建てられ、敷地内には豊かな樹木が溢れかえっている。
エルフ族は木製品を殊のほか愛するらしく、建物の大半も木材で作られており、階数もせいぜい二、三階建て程度だ。
都市の外縁部には高大な木製の城壁が張り巡らされ、エルフたちの居住地と山麓に広がる小さな町とを明確に隔てていた。
都市というよりは、まるで都市規模を誇る超大型の巨大集落といった趣である。
「なるほど、つまりすべてのエルフがあの単一の都市に暮らしているということか?」
「左様にございます」
オベロンが頷く。
私は山麓に見える小さな町を指さしながら尋ねた。
「あそこに見える麓の町も、エルフ王国の領土なのかい?」
「いいえ、あそこは各国から集まった人間の商隊が形成した町にございます。最初は簡素な市集に過ぎませんでしたが、エルフ族の特産品が絶大な人気を博したため、次第に建造物が増え、やがて『甘露町』と呼ばれる一つの町へと発展いたしました」
「甘露町? 変わった名前だな」
私がくすりと笑うと、アデリナがすかさず補足してくれた。
「エルフ特製の果実酒がエルフ王国の主要な輸出品でございますので、人々は親しみを込めてそう呼んでいるのです」
私は二つの街並みを交互に見つめ、しばしの沈黙ののち口を開いた。
「よし、それじゃあ予定通りにいこう。君たちは街に入ってハーフエルフたちを連れ出してきておくれ。私は外の甘露町で待機している」
「ハッ!」
エルフたちは一斉に恭しく頭を下げた。
現在エルフ王国はノーランド王国と交戦状態にあるため、エルフ族と懇意にしている使節団や特定の神殿に所属する神職者を除き、一般の人間のシルヴァリアへの立ち入りは固く禁じられている。
そのため、私たちは二手に分かれて行動することにしたのだ。私は甘露町で数日間滞在して羽を休め、その間にオベロンたちが登城して書類を提出し、毒に冒されたハーフエルフたちを引き取ってくる。
そして最終的に全員合流して雪花領へと帰還する手はずだ。
オベロンの見立てでは、書類の審査と人員の選別におよそ四日、荷まとまりや出発の準備に一日を要するため、私は甘露町で丸五日間待機することになる。
彼女たちハーフエルフと対面した直後、私は即座に世界樹の雫を使って彼女たちの病を治療し、そのまま連れ出す予定だ。そうすれば行軍スピードも遥かに上がるだろう。
雪花領からここまで三日、エルフ王国の引き渡し待ちに五日、帰路は荷物が増えることを考慮しても保守的に見積もって六日ほど。
アクシデントさえ起きなければ、三週間以内にすべての任務を完遂できる計算だ。
「よし! それじゃあ五日後にまた会おう!」
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オベロンたちと別れた私は、小道をそのまま下っていった。
十分ほど歩くと、目的地である甘露町へと足を踏み入れぬ。
甘露町には外壁のようなものはなく、明確な境界線すら存在しないようだった。
周囲には二階建ての建物が立ち並んでいるものの、町というよりはどこか巨大な大市集に来たかのような印象を受ける。
見渡す限り、どこもかしこも露店や屋台で埋め尽くされていた。
串焼き肉、スープ麺、焼き立てのパン、玉石のアクセサリー、ブレスレット、魔法道具、剣や刀……ありとあらゆる種類の露店が軒を連ねている。
その時――突如として思考の内に『システムパネル』が飛び込んできた。
そこに表示されたテキストを凝視し、二、三秒ほど絶句したのち、私は視線を右手の露店へと向けた。
そこは木製品を専門に扱う露店だった。地面には二坪ほどの鮮やかな赤カーペットが敷き詰められ、その上に多種多様な木工品が並べられている。
手のひらサイズの仏像から、神秘的なルーン文字が刻まれた木剣、金漆で装飾された豪華な宝石箱まで……多種多様だ。
私はそれらの商品をさりげなく一通り見回したのち、ごく「自然」を装ってコーナーの隅に転がっている、粉ミルクの缶ほどの大きさの「朽ち木」に目を留めた。
庭園の造景によく使われる丸木杭のような形状だが、上部が少し尖っている。
風化と腐蝕のせいか表面は凸凹と波打っているが、所々からヒノキ特有のきめ細やかな木目が覗いていた。
「店主、これはいくらだい?」
私は朽ち木を指さして尋ねた。
白髪交じりの老店主は、自慢の山羊髭をふわりと撫で下ろした。
そしてどこか勿体ぶったような語り口で言った。
「そいつは元々、最高級のヒノキ材でしてな。大雨による濁流で数百メートル先の海岸まで流されて漂着した逸品でさあ」
「長年の風雨で中はすっかり腐朽してしまい、まともな工芸品には加工できなくなっちまいましたがね……。だが、最高級木材ならではの重厚な質感と、この奇跡的な造形美はまさに唯一無二! アクアリウムの水槽のレイアウトや、お庭のオブジェとして置くなら格好の品ですぜ!」
店主の調子の良い吹かしっぷりに、私の額には思わず三本の黒線(冷や汗)が浮かんだ。
「あんたには特別だ! 700……いや、500銅貨で持っていきな! この甘露町を探したって、これほど味わい深い形状の木材は二度と手に入りませんよ! 職人歴三十五年のワシの目が保証します!」
老店主はまるで赤字覚悟の大出血サービスと言わんばかりの悲痛な表情を作り、私に「とんでもない掘り出し物を手に入れた」と思わせようと必死だ。
だが、地球という情報社会で育った私が、こんな古典的なハッタリに騙されるはずもない。
私は困惑したような表情を作り、しばらく考え込むフリをしてから口を開いた。
「……まあいいでしょう。ちょうど庭のインテリアを探していたところでしたからね。500銅貨で買いましょう」
「毎度ありっ!」
売買が成立した瞬間、老店主的の神妙な仮面は一瞬で剥がれ落ち、満面の笑みが浮かんだ。
私は苦笑しつつあっさりと代金を支払うと、その朽ち木を抱え上げてその場を後にした。
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人がまばらな静かな裏路地へと移動し、周囲に誰もいないことを確認した私は、朽ち木をそっと地面に置いた。
そしてストレージリングから一本のペットボトルを取り出す。
それは今朝がた採取しておいた『腐魔藤』の酸液だ。キャップを捻り開けると、そのまま朽ち木の上へと滴らせた。
ジュウウウゥゥ――ッ!
外層の腐朽した木肌は、まるで初春の淡雪のように酸液に触れた瞬間から凄まじい勢いで溶解し始め、内部に隠されていた「本性」を露わにしていった……。
――そこに現れたのは、深緑の殻に黄金の紋様が浮かび上がる、怪しくも美しい一基の『卵』だった。
次の瞬間――私の視界の内に『システムパネル』が突如として浮き上がってきた。
【注意:システムユーザーが希少な宝物を獲得しました:緑甲龍の卵×1。品質:優良。今すぐシステムに吸収させた場合、50,000ポイントを獲得できます】
私は目の前の卵とシステムパネルを交互に見比べ、思わず口元を引きつらせた。
「嘘だろ、またこのパターンかよ……!? 今回はたったの500銅貨で手に入れたんだぞ……」
しばし思案したのち、私はパネルに向かって交渉を持ちかけた。
「メインシステム、ちょっと相談に乗っておくれ! これはドラゴンの卵だ。それに以前の『黒炎龍』とは違って、もし私がこれを『水産養殖槽』に預けるとしたら、スロットをもう一つおまけで開放してくれないかい? さすがに二つだけじゃ少なすぎるんだ」
果てしない沈黙が三十秒ほど続いたのち、再びパネルのテキストが更新された。
【告知:承認いたします】
「よしっ! 女神様に『ありがとう』とお伝えしておいてくれ!」
私はすぐさま水産養殖槽のインターフェースを開き、手にした卵を一番左のスロットへとセットした。
【三号水産:緑甲龍の卵。解錠まであと23時間59分59秒】
パネルに表示されたカウントダウンを見つめながら、私はまるで重大な極秘ミッションを達成したかのような、深い達成感に満たされた。
「ふう……これぞまさに『幸先の良いスタート』ってやつだな!」
「まだ初日だってのに、ハハッ!」
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その後、私は機嫌よく街の散策へと戻った。
先ほど街へと足を踏み入れ時とは異なり、いまや私の顔には隠しきれない満面の笑みが浮かんでいた。
行き交う人々の活気に満ちた雑踏を見渡し、思わず独り言を漏らす。
「エルフ王国は絶賛戦争中だって聞いていたけど……どうやら思っていたような切迫した状況でもなさそうだな」
その時、右手の露店から威勢の良い声が飛んできた。
「ハハッ! あの戦争かい? 始まったのは50年前だが、本格的なドンパチなんざ30年も前にとっくに終わってるさ!」
振り返ると、そこには茶髪の無骨な中年のおっさんが立っていた。
黒の半袖シャツからは、タトゥーの刻まれたたくましい筋肉質の腕が覗いている。
彼の前には巨大な焼き台が鎮座し、竹串に刺さった厚切りの串焼き肉がずらりと並べられていた。
高熱で炙られた脂身と赤身のジュージューという香ばしい音と共に、濃厚でどこか焦げた魅惑的な香りが一気に鼻腔をくすぐる。
私は思わずゴクリと生唾を呑み込み、問いかけた。
「一串もらえるかい? いくらだい?」
「12銅貨だ」
代金を支払い、おじさんの差し出した串焼き肉を一本受け取る。
目の前の悪魔的な誘惑に耐えかね、私はそのまま勢いよくかぶりついた――。
「んんっ!? うまいっ!」
噛みしめた瞬間、溢れんばかりの肉汁が口いっぱいに弾け飛んだ。
ほんのりと羊肉特有のクセが残ってはいるものの、塩、黒コショウ、そして幾つかの謎の香油が見事なハーモニーを奏で、全体の味わいを極上に引き立てている。
その独特のクセは嫌なものではなく、むしろ野性味あふれる豪快さを演出していた。
脳裏には一瞬で、チンギス・ハンが草原を駆け抜ける勇壮な光景が浮かび上がるほどだ。
「ワシの名はハンスだ、よろしくな兄ちゃん! ここ甘露町へ来るのは初めてかい?」
店主のおじさんが気さくに笑いかけてくる。
「ええ……まあ……初めて来ました!」
肉を夢中で頬張っていたため、私の返事はどこか滑舌が怪しくなってしまった。
ゴクリと口の中の肉を飲み込むと、私はハンスへ疑問をぶつけた。
「店主、さっき言っていた『戦争は終わっている』というのはどういう意味なんです?」
ハンスは腕組みをし、ニヤリと笑った。
「ノーランド王国の前国王様がな、領土拡大と資源確保のために戦争をふっかけたんだよ」
「だがな、後を継いだ息子の新国王様が賢くてね。無駄な軍事費を削減するために一斉撤退を命じ「包圍戦術」に切り替えたのさ」
「ところがだ! その怪我の功名とでも言うべきか、撤退した途端に王国の赤字財政が黒字に化けちまったんだよ!」
「えっ? 一体どうやって……?」
私は目を丸くし、先を促した。
ハンスは根っからの社交家らしく、楽しそうに裏話を語り始めた。
「ハハッ! 信じられねぇだろ? ワシも最初は耳を疑ったさ!」
「ノーランドの新国王様は気づいたのさ。エルフ王国の特産品は大陸中でバカ売れしていて、しかも他じゃ絶対に代用がきかない逸品ばかりだってな」
「そこで奴らは閃いた! 強奪するんじゃなく、通行料と護衛料を巻き上げればいいってな!」
「五年も経てば溜まりに溜まった軍事費の借金はすべて完済。十年も経てば、金食い虫だった駐留軍が利益を生み出す巨大ビジネスに化けちまったんだ」
「これだけ儲かるってのに、誰が本気で戦争なんか始めるかってんだ! 守衛を続けてりゃ勝手に金が転がり込んでくるんだからな!」
「賭けてもいいが、仮に将来新しい国王に代わったとしても、ノーランドがエルフ相手に本気の戦争を再開することなんざ二度とねぇよ!」
「まあ体面があるから『エルフ王国との戦争はまだ継続中だ。城外の駐留軍がその証拠だ』なんて吹聴しちゃいるが……ノーランドがとっくに折れて降参したなんてこっちゃ、誰もが知ってる裏の常識さ。まあ、奴らにとっちゃ笑いが止まらない『負け』だけどな、ハハハッ!」
ハンスは豪快に大笑いした。私を全くの部外者扱いせず、包み隠さず話してくれたのだ。
私は目から鱗が落ちた思いだった。
「なるほど……そうだったのか……」
どうやら私は、エルフたちの時間感覚に惑わされていたようだ。
長寿種であるエルフにとって、50年前の戦争は人間にとっての「5日前」の出来事のようなもの。
彼女たちは人間の政策がとっくに転換されたことを知らず、今なお全面戦争(熱戦)が続いていると思い込んでいたのだ。
だが人間側はとっくに戦う気などなく、単に通行料を掠め取るために撤退せず包囲陣を維持していたに過ぎなかったのだ。
「となると……ノーランド王国というのも、相当に力のある国なんですね?」
せっかくの機会なので情報を収集しようと、私はさらに問いかけた。
ハンスは通りすがりの客から銅貨を受け取り、手際よく串焼き肉を手渡す。
それから再び口を開いた。
「ノーランド王国は大陸の西海岸に位置していてな、長い海岸線を持っちゃいるが内陸の物資は乏しい。造船業と漁業以外で発展しようと思えば、他国から奪うしかなかったのさ」
「軍隊が強悍なのは勿論だが、その『海賊』としての悪名も天下に轟いているほどだ」
「だが、あいにく相手が悪すぎた。エルフ族は森の中に引きこもってゲリラ戦を展開し、平原のような開けた場所には決して出てこねぇ。それどころか百メートルも離れた場所から、弓矢で寸分狂わず額を射抜いてくるんだぜ? ……勝てるわけねぇだろ、そんな怪物どもに!」
その時――遠くの城門の方角から、朗々とした大声が響き渡った。
『カリエル殿下――ッ! 俺はあなたを愛しています! 俺と結婚してください―――ッ!!』
見れば、金茶髪の爽やかなイケメンが、両手に抱えきれないほどの花束を掲げ、城門の前で声高らかに叫んでいたのだった。
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