第41話:ハーレム統一
【Side:アリア】
アリアとカリエルは、湯面を挟んで互いを見つめ合っていた。相手のルビーのように澄んだ雙眸の中に、アリアは自分自身の姿を映し出した。
そこにいたのは、顔色を蒼白に変え、瞳から光を失った一人の哀れな少女だった。
――こんな無様な女、ヨルゴス公爵の娘を名乗る資格などない。雪花領の女主人となる資格など、あるはずもない……。
……全員が私を見ている。私が無残に挫ける様を、笑いものにしようと固唾をのんで待っているのだ。……いつまでも、こんな風に立ちすくんでいるわけにはいかない!
アリアは深呼吸を一つし、肺の空気をゆっくりと吐き出した。
揺らめく水面の光を見つめるうちに、彼女の脳裏に、いつだったかゲンタクと交わしたある夜の会話が鮮やかによみがえってきた――。
◆ ◆ アリアの回想 ◆ ◆
あの夜、二人で愛の営みを終えたばかりの時。私は彼の温かい胸に頬を寄せながら呟いたのだ。
「……ねぇ、あなたって、私のことあまり好きじゃないでしょう?」
「???」
男は頭の上に無数の疑問符を浮かべていた。
そして、平然と言い放ったのだ。
「……いやぁ、君の直感は実に正しいね。――あ痛ぁっ?! ごめん! ごめんってば! 冗談だって!」
「ふん! 嫌な奴……!」
男の横腹に回していた手の力をゆるめると、彼はようやく悲鳴を上げるのをやめた。
暫くの沈黙の後、私は言葉を続けた。
「私はあなたに自分のすべてを捧げたわ。身体も、心も、自尊心すらも……それなのに、あなたは相変わらず私に対してそっけないのね」
「どうして私に悩みを打ち明けてくれないの? どうしてもっと私を甘やかしてくれないの?……ミッドナイトに対しても、そんな風に冷たいの?」
彼は私の背中を優しく撫でながら言った。
「……まぁ、あいつは君の5倍は飯を食うけど、君より口数が少ないし、こんな面倒くさい質問もしてこないからねぇ――あ痛たたたっ! 頼む、降参だ! 俺の負けだ!」
私は二度目となる手を彼の横腹から離した。今度の力加減は、さっきの5倍の強さだった。
男が痛みに悶絶する姿を見て、私は心の中で密かにくすりと笑っていたのだが――次の瞬間、自分の打撲(お尻)に強烈な一撃が叩き込まれた。
パァン――っ!
「痛いっ……! なに受けるのよ?!」
私は涙を浮かべながら、叩かれた場所を手でさすった。
「いやぁ、今大きな蚊が止まってたから」
「嘘つきっ……!」
私が彼にしがみついてしばらく戯れていた後、彼はようやく真面目な顔になって口を開いた。
「……君は女だから、分からないんだよ」
「男の弱さなんてものはね、人に見せちゃいけないんだ。……いや、正しく言えば『見せたところで意味がない』んだよ。誰一人として俺たちの弱さなんて気にかけやしない。男って生き物はみんな、そうやって大人になるんだ」
「俺が君やミッドナイトを手に入れ、挙げ句の果てにこの雪花領全体を動かしているのは、俺が人一倍優しくて、気配りができて、理解のある男だからだと思うかい?」
「違うよ! 俺はただ『絶大な外部の力(神の加護)』のバックアップがあったからこそ、ようやく山の頂上に辿り着き、君の病気を治すことができたに過ぎないんだ」
「俺は決して優秀でも特別でもない。大学にすら落ちて、アパートの近くのコンビニでバイトするのが関の山だった人間さ」
「何一つ持っていなかった俺が、たまたま女神様に目をかけられて、分不相応な実績を手に入れただけなんだよ」
「そんなただの『ダメ男』に、心を開けだの、もっと甘やかせだの言われても困るよ。――なら、誰が俺を甘やかしてくれるんだ? 君かい? 汗臭い匂いを撒き散らしている今の君が?」
「私が汗臭いのは、全部あなたのせいでしょうが……っ!」
◆ ◆ 回想終了 ◆ ◆
アリアは力強く顔を上げた。
彼女はカリエルを真っ直ぐに見据え、静かに、だがはっきりと宣告した。
「……正直に言って、ゲンタクが当時語った言葉の多くは、今でも理解しきれていない部分があるわ。けれど……今の私なら、自分自身を納得させられる『答え』を導き出せる!」
カリエルは言葉を挟まず、静寂の中で相手を見つめ続けた。
「人間はエルフと違って、百年に満たない短い寿命しか持っていない。多くの者は、自分が何を望んでいるのか、自分がどういう人間なのかすら悟らぬまま死んでいくの」
「だから私は、あなたたちのように『まず行動を起こしてから結果を考える』なんて真似はできない。私が一歩足を踏み外せばそこは深淵だけど、あなたたちの一歩の踏み外しは、長い百年の中のちっぽけなつまづきに過ぎないのだから」
「けれど――たった一つだけ、絶対に譲れないものがあるわ! それは、ゲンタクに対するこの想いよ!」
「私は彼を愛している! あなたたちよりも、……ううん、ミッドナイトよりも深く、彼を愛しているわ!」
「彼が作る料理が好き! 彼が口にする生意気で馬鹿げた言葉が好き! 私のお尻をこっそり触ってくるあのスケベなところだって、全部大好きなのよ!!」
少女の澄み切った声が大浴場全体に脈打つように響き渡り、誰一人として口を挟む者はいなかった。
彼女たちは今、目の前で一人の少女が重苦しい「箱入り娘」の殻を脱ぎ捨て、己の頭上に輝くべき「冠」を力強く掴み取る瞬間を目撃していたのだ。
「私はずっと、自分の生まれを呪っていたわ。誰もが魔法や武術を修練しているというのに、私だけはメイドに支えられなければ外に出ることすらできなかった! 民衆からは『あんな病弱な女、嫁に貰う男などいない』と嘲笑され続けてきた!」
「けれど……今となっては、心から感謝しているわ。公爵家に生まれ、誰にも治せない不治の病にかかって……本当に良かったと!」
「――だって、彼に出会えたのだから!」
「初めて会った日、彼は私の胸を触り、私は彼の顔を思い切り引っ叩いたわ! あの日、私たちは互いの顔を、生涯決して忘れられない形で焼き付けたのよ!」
「正直、私自身は『正妻』という立場に執着はないわ。けれど……もし私が引くことでゲンタクを失い、ようやく手に入れたこの『愛おしい家』を失うというのなら――私はどんな卑劣な手段を使ってでも、その座を奪い取ってみせる!!」
そこまで言い切った瞬間、アリアの全身から「圧倒的な上位者」特有の強烈な覇気が爆発的に放たれ、周囲にいた百歳以上のエルフたち全員を恐怖で平伏させた。
だが、カリエルとて公爵千金以上の地位を誇る「エルフの正統なる王女」である。この程度の威圧感に気圧されるような器ではない。
彼女は不敵に唇を歪め、鼻で笑ってみせた。
「フン……! 流石は人間ね。死ぬほど弱っちいくせに、口だけは一人前に威勢が良いこと!」
見かねたエリンが、堪らず二人の間に割り込んできた。
「あの……カリエル殿下、アリア様! 私たちはみんな雪花領の一員で、ゲンタク様の大切な家族なんです! どうか喧嘩はやめてください! そんなことをしたら、ゲンタク様が悲しみます……!」
カリエルはエリンの手を強引に振り払うと、アリアの目の前へと踏み込み、その身長差を生かして上から見下ろした。
対するアリアも、かつての落ち着きを取り戻し、一歩も引くことなくその視線を真正面から受け止めた。
カリエルは胸の前で腕を組み、揺るぎない自信を覗かせて言い放った。
「美貌で言えば、エロウィスの方があなたより美しいわ」
「プロポーションで言えば、エリンの方があなたより魅力的よ」
「忠誠心で言ったって、私があなたに劣るはずもないわ」
「一体あなたのどこに、私達からあの人を奪い取れる要素があるというの?」
「ついでに教えてあげるけれど、もう少し経てばオベロンが次のハーフエルフたちを連れて帰ってくるわ。そうなればエルフの総数は40を超え、たとえゲンタク様が日替わりで相手をされたところで、一ヶ月間一度も被らないのよ? あなた――」
「――私、妊娠しているの」
アリアが淡々と呟いたその一言が、カリエルの思考回路を完璧にフリーズさせた。
(……噓でしょう?!)
(私がまだ弓矢を二、三発放った程度だというのに、あなた、いきなり大砲を撃ち込んでくるなんて?!)
(そんな切り札を持っているなら、どうして最初から言わないのよ?!)
今度こそ、カリエルの顔色が蒼白へと変わった。
「アリア様、それ……本当なのですか?!」
エリンは二人の種族の隔たりなどまるで意に介さず、一気に躍り出るとアリアの手を力強く握り締め、目を輝かせて問いかけた。
アリアもまた、柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。グレースさんに見てもらったけれど、妊娠一ヶ月くらいじゃないかって。彼女は出産経験があるから、お医者様じゃなくてもすぐに分かったそうなの」
「本当ですか……! 良かった……! ゲンタク様の初めてのお子様です、きっと飛び上がるほど喜ばれますわ!」
エリンはまるで自分が妊娠したかのように、全身で歓喜を爆発させた。
その姿を見て、アリアの胸に温かい愛おしさが込み上げてくる。かつてゲンタクから「エリンを受け入れてくれないか」と相談された際、自分が賛成票を投じた選択は間違っていなかったのだと。
その報告を聞きつけた大浴場内は、一瞬にして騒然となった。周囲にいたすべてのエルフたちが、錯乱したように激しい議論を始める。
「どうしよう……?! 私たち、今は笑うべきなの、それとも泣くべきなの?!」
「すっかり失念していたわ……人間の繁殖効率は、エルフの十倍以上だということを……!」
「カリエル殿下、私たちの希望は……もう潰えてしまったのですか……?!」
ざわめきは次第に大きくなり、大浴場全体の収拾がつかなくなりかけた――その時。
臨界点に達したカリエルの一声が轟いた。
「――うるさいわね!!」
カリエルの怒号が一閃し、広大な大浴場は一瞬にして死んだような静寂に包まれた。
「……もう終わりよ。こんな無益な茶番は……」
カリエルは低く呟いた。しかしその声は、場にいるすべてのエルフの耳へと明瞭に届いた。
彼女は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すと、再びアリアの正面へと歩み寄った。
ソフィアが思わず庇うように前に出かけたが、アリアがその肩を優しく手で制した。
アリアは首を横に振り、「心配いらないわ」と目配せを送る。
ソフィアは一瞬躊躇したものの、静かにアリアの背後へと退いた。
カリエルはアリアの前に静かに膝をつき、その白く滑らかなお腹の上にそっと掌を重ねた。そして、祈るような美しい声で呪文を紡ぎ始めた。
『清らかな風の羽ばたきと、恵みの雨の潤いのもと、小さき芽吹きよ、健やかな大樹へと育ち給え――』
『願わくば、自然女神・ヘスペリアの栄光が、汝と共にあらんことを』
詠唱が終わりを迎えた瞬間、アリアの純白なお腹の皮膚の上に、淡い翠色に輝く一葉の樹葉の紋章が浮かび上がり、やがて滑らかに皮膚の中へと溶け込んで消えた。
「これは……?」
困惑の表情を浮かべるアリアに対し、エリンが慌てて解説を加えた。
「これは、エルフ族にのみ伝わる固有の祝福魔法です! お腹の子が健やかに成長し、母子ともに何の無事もなく無事に生まれてこられるよう見守る加護なのです」
「エルフ族は人口こそ少ないものの、出産の際に命を落とす女性がほとんど存在しないのはこのためです。家族全員が、新しく生まれてくる命にこの祝福を捧げるからです」
傍らに立っていたアデリナも進み出て言葉を添えた。
「それだけではありません。術者の血統が純粋であればあるほど、その祝福の効力は跳ね上がります」
「カリエル殿下は純血のエルフであるばかりか、エルフ王の正統なる血を引く姫君。たとえダークエルフへと堕ちようとも、その血の尊貴さは変わりません」
「アリア様。これで、出産当日はほぼ間違いなく『安産』となることが確定いたしましたわ!」
思いがけない朗報に、アリアは心からの感謝を込めてカリエルへと頭を下げた。
「……ありがとう、カリエル!」
カリエルはどこか素っ気なく、しかし誇り高く口を開いた。
「……ゲンタク様のお子様は、私の子供も同然だわ」
「言ったでしょう、私の忠誠心はあなたに負けていないと。たとえ正妻の座をかけてあなたと競い合おうとも、その想いに変わりはないわ!」
「アリア、祝福させて頂戴。ゲンタク様の血脈を残してくれたこと、そしてこの雪花領のために尽くしてくれたすべての貢献に、心から感謝するわ!」
言い終えると、カリエルはその気高い頭をゆっくりと下げた。
だが次の瞬間、彼女の身体はアリアの温かい抱擁によって優しく包み込まれていた。
「……ごめんなさい。さっきは言い過ぎてしまったわ! あなたがハーフエルフたちをこの地に馴染ませるために、どれほどの努力を重ねてきたか……私はちゃんと知っているの。それに、あなたのゲンタクに対するその想いも……それがどれほど純粋で真摯なものか、認めるわ」
「……ええ。ありがとう……っ」
カリエルはそっと瞳を閉じ、アリアの背中に両手を回して抱き返した。
しばしののち、二人は体を離した。
アリアはカリエルの手を固く握り締め、場にいるすべてのエルフたちに向かって力強く宣言した。
「ゲンタクは、計り知れない可能性を秘めた男性よ。あなたたちエルフの言葉を借りるなら――『世界樹は鉢植えの中に収まるべきではない。どこまでも広がる広大な大地こそが、その根を張るべき場所である』!」
「私は、あなたたちがゲンタクと結ばれることを拒まないわ。あなたたちの間にある愛も、全面的に認める!」
「彼を独占する資格なんて、誰一人として持っていないの! 私にも、あなたたちにも、……ううん、ミッドナイトにだってそんな権利はないわ!」
「私たちは全員、ゲンタクの女であり、彼だけに忠誠を誓った妻なのよ。……過去のわだかまりを捨てて、全員でこの『家族』のために力を合わせましょう! いいわね?!」
アリアの演説が終わった瞬間、大浴場はしんと静まり返った。
エルフたちが一斉にカリエルへと視線を向けると、精靈の姫君が真っ先に立ち上がり、惜しみない拍手を送り始めた。
パチ、パチ、パチ――!
それを合図に、場にいたすべてのエルフたちが立ち上がり、盛大な拍手の渦が巻き起こった。
続いてエルフたちは順にアリアの前へと進み出ると、そのお腹にそっと手を触れ、一人ひとりが温かい祝福を捧げていった。
目の前に広がる愛おしい光景を見つめながら、アリアは大声で高らかに宣言した。
「今日から、私たちは一つの家族よ!」
「全員で、ゲンタクの支柱になりましょう!」
「「「おーっ!!! 」」」
アリアの熱情溢れる言葉に、その場にいたすべてのエルフたちが目頭を熱くさせ、心からの笑みを咲かせた。
この瞬間、彼女たちを隔てていた種族の壁は完全に瓦解し、一つの完璧な『絆』として結ばれたのだ。
と、その時――。
「うっ……げほっ……!」
エリンが突然、その場に膝をついて崩れ落ちた。
彼女は顔を蒼白にさせ、両手で固く口元を押さえている。
場内は再び静まり返り、全員が信じられないといった様子で彼女を見つめた。
エリンは震える手を自分のお腹へと当てた。微かな淡い翠色の光が明滅し、その胎内に、元々は存在しなかった『新しい命の鼓動』が宿っているのをはっきりと感じ取っていた……。
「みんな……わたし、わたしも……できちゃったみたいです……!」
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この日、雪花領のハーレムは正式に統一を果たした。
そして舞い降りた二つの新しい命は、新たなる時代の幕開けを告げていた。
――玄一族が紡ぐ伝説が、今ここに、正式にその第一章の頁をめくったのだった。
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