第36話:地球美味・ハワイアンピザ
異世界に転移したその日から、俺は「冷蔵庫システム」が単なる補助ツールに過ぎないことを自覚していた。
俺はいつまでも若いわけではないし、毎日外へ出て魔獣を狩り続けられるわけでもない。
もしその行動を止めてしまえば、課金商品を購入する権利を失い、二度とあの特殊な機能を持つアイテムを手に入れられなくなる。
もちろん、自分が普通の人間として生きることに甘んじるなら……それこそライトノベルの主人公のように、辺境のどこか小さな街に引きこもり、引退後の平凡なスローライフを送ることも可能だっただろう。
冷蔵庫システムの「毎日補充」は確かに強力な機能だ。これまでにトマトケチャップや焼肉のタレ、マヨネーズを大量に蓄え、それをピエニン商会に卸すことで大金を手に入れてきた。
しかし、その程度の量では、せいぜい7、8軒の小さな食堂を潤すのが限界だ。前線にいる数万人の兵士を満たすことはできないし、今まさに直面している政治的な圧力から逃れる術にもなり得ない。
なによりも――ただの「普通の人間」のままでは、ミッドナイトを救い出すことなど絶対に不可能なのだ!
だからこそ、俺は自給自足の仕組みを作り上げる計画を立て始めた。これこそが、雪花領を建領した理由の一つでもある。
冷蔵庫システムに頼れなくなる日が来る前に、この土地に効率的なマネタイズ(稼ぐ仕組み)を構築しなければならない。
金があれば、軍隊を養える。
軍隊があれば、自分を守る防衛力となり、その抑止力は俺の周囲の大切な人々をも守り抜く盾となる。
俺は領主――すなわち「特別な存在」になり、家庭を支える大黒柱としての男にならなければならないのだ。
今直面している難題は、俺が領主となって最初に迎えた大きな関門だ。何が何でも、これを乗り越えてみせる。
だから……。
「女神様、どうか俺にお力添えを!」
「この深緑の光の照準のもと、雪花の旗を掲げ、あなた様に唯一無二の大勝利を捧げてみせましょう!」
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「おはようございます、ゲンタク様! 今、お時間はよろしいでしょうか? レシピの件について、ぜひご相談させてください!」
午前11時半、グレースが書斎の扉をノックした。
大量の資料をひっくり返し、様々なアイデアの草案を書き散らし、結果として一睡もしていない俺は、即座にこれ以上ないほど綺麗な白目を剥いた。
(この女……俺がそろそろ昼食を食べるために出てくる頃合いを見計らって、このタイミングでノックしてきやがったな……)
俺は手元の書類を整理すると、入口まで歩いていって扉を開けた。
「ちょうど昼飯の時間だ、今からデモンストレーションをしてやるよ。お抱えの料理人は連れてきているんだろうな?」
「もちろんです! 我が商会が誇る5人のヘッドシェフ(主厨)を連れてまいりました」
「よし、食堂へ行くぞ!」
俺は大人数の引き連れて、旅館1階の食堂へと向かった。
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「最初に予防線を張っておくが、俺はあくまでレシピ(製法)を提供するだけだ。具体的な成果がどうなるかは、実際の状況を見極める必要がある。もし不評なら、いつでもプランBに切り替える。いいな?」
ちまたのライトノベルでは、地球のB級グルメが異世界人の胃袋を簡単に征服する描写がよく見られる。だが、あれのせいで「地球の料理を出しさえすれば、絶対に大絶賛される」という錯覚を抱く者が多すぎる。
ハッキリ言って、そんなものはただの絵空事だ。
地域にはそれぞれの風俗や食習慣がある。生まれてからずっとパンを食べて育ってきた民族が、突然白米に熱狂するわけがない。膝で考えたって分かりそうな、あまりにも当然の結論だ。
俺がプロデュースしたケチャップ卵チャーハンや太巻きが大当たりしたのは、料理そのものが美味かったことに加え、使われている食材の多くが「この世界の食生活に馴染み深いもの」だったからだ。
ロプロス王国の国内において、トマト、卵、キュウリ、焼き豚といった食材は、ほとんどの人間が子供の頃から親しんできたものばかり。
だからこそ、彼らにとって未知の食材である「白米」や「調味料」を組み合わせても、すぐに受け入れることができた。
しかし、前回の方法が上手くいったからといって、今回も同様にいくとは限らない。だからこそ、俺は一晩中頭を悩ませ、現在の困窮した状況に最も合致する解決策を模索し続けたのだ。
もし失敗したら、即座に頭を切り替えて、またゼロからやり直すだけだ。
「ご心配には及びません! 我が商会は、ゲンタク様に絶大な信頼を寄せておりますから!」
グレースは両拳をギュッと握りしめ、顔いっぱいに謎の自信を漲らせていた。
その様子に、俺は鼻で笑った。
「はん! 俺が打ち首になる日が来たら、お前たちも俺の後ろに並んでくれよ?」
「あはは……」
俺の皮肉混じりの言葉に、グレースは引きつった苦笑いを浮かべた。
「全員、よく聞け! 今日作る料理は2品だ。主食が1品、そしてデザートが1品。まずは主食からいく。――『ピザ』と呼ばれる料理だ」
「ピ……ザ?」
グレースと背後のシェフたちの頭の上に、一斉に巨大な疑問符が浮かび上がった。
「まず、小麦粉に少量の塩とオリーブオイルを加え、均一に混ぜ合わせてから老麺(酵母)を加え、しっかりと捏ねて生地を作る。これを暖かい場所で40分ほど発酵させるんだが……これには時間がかかるから、うちの者に先に用意させておいた」
俺は生地の入ったステンレスボウルをシェフたちの前に差し出した。
彼らは生地を指先で押し、その弾力を確かめると、深く頷き合った。どうやら材料の比率や感覚については、おおよその見当がついたようだ。
「よし、次に生地を円形に薄く伸ばす。厚さは大体0.5から1センチ程度だ。全体にフォークや針で数十箇所の穴(空気穴)をあけ、オリーブオイルを薄く塗ったら、一度オーブンに入れて3分ほど下焼きする。その後に具材をトッピングしていくんだ」
職人たちは俺の動作を一挙手一投足見逃すまいと凝視し、スキンヘッドの大柄なシェフに至っては熱心にノートにメモを取り始めていた。
その時、立派な髭を蓄えたシェフが、ピザの上のトッピングを指さして尋ねてきた。
「ゲンタク様、ソーセージにマッシュルーム、それに削ったチーズは分かりますが……この緑色の野菜は何でしょうか?
「それに、こちらの黄色い果実。甘酸っぱい匂いが漂っていますが、果物ですか?」
茶色のオールバックに口髭をたくわえた、紳士風のシェフも不思議そうに首を傾げている。
俺はすかさず説明した。
「これはピーマンとパイナップルだ」
「ピーマン……パイナップル……?」
「お前たち、知らないのか? ピーマンはロプロス王国の隣国、ウェストン王国で最もポピュラーな野菜の一つだ。シャキシャキとした食感で、価格も非常に安い」
困惑する一同の表情を見て、俺は少なからず驚きを隠せなかった。
ピエニン商会の最上級パートナーであるローランは、定期的に商会の製品カタログを俺に送ってくれる。おかげで俺は、この世界の様々な特産品や物価について詳しく把握できていた。
その情報をもとに、安価でピザに合う野菜を見つけ出そうと必死に調べ上げ、最終的に選び抜いたのがこのピーマンだったのだ。
しかし、どうやらグレースを含む商会の上層部たちでさえ、周辺国の特産品や、それをどう料理に活かすべきかについては、まるで知識を持ち合わせていないようだった。
俺は首を振り、説明を続けた。
「それにパイナップルは南方大陸の果実だ。肉が少なくて酸味が強いため、人間の社会では敬遠されているが……実はエルフ族の手によってすでに品種改良されている。彼女たちはそれを使ってフルーツ酒を醸造し、周辺の人間国家に大量に売り込んでいるんだよ。――俺の言っていることに間違いはないよな、フローリアンヌ?」
俺は傍らに控えていたハーフエルフに問いかけた。
4分の一だけ人間の血を引くフローリアンヌは、即座に右手を胸に当て、俺に向かって深々と一礼した。
「はい、その通りにございます! 私の祖父は南方大陸の出身で、現地の大規模な果樹園の長男でした。ある時、修行の旅に出ていたエルフの少女――私の祖母と偶然出会い、一目惚れしたのだそうです。
二人は結婚した後、祖父が大量の種子と農業技術を携えてエルフの王国へと移り住み、現地のフルーツ酒を改良いたしました。パイナップルもその一つです。果実そのものはあまり売れませんでしたが、その果実酒は人間の国々へ大量に輸出され、今やエルフ王国の最も重要な輸出商品となっております」
フローリアンヌは臆することなく、凛とした態度で語った。
エリンが素朴な農家の少女だとすれば、このフローリアンヌはさながら優雅な醸造師といった佇まいだ。
戦闘こそ不得手だが、果樹の栽培や酒造りの腕に関しては超一流である。
彼女はしなやかな指先で、錦の糸のような美しい金髪を耳の裏へと払い、俺に向かってパチリとウインクをしてみせた。
その淡い紫色の大きな瞳には、崇拝と憧れだけでなく、どこか言葉にできない熱い感情が揺らめいているように見えた。
そしてこの熱を帯びた視線は、他のハーフエルフたちからも同様に向けられることがしばしばある。
(そういえば……たまにカリエルが彼女たちをこっそり集めて、何やら熱心に話し合っているのを見かけるが……気のせいだろうか。なんだか、彼女たちの俺を見る目が日に日に怪しくなっていくような……)
周囲に人が大勢いることもあり、俺は気まずさを誤魔化すように、すっと背を向けて視線を切った。
「ゴホン! まあ、そういうわけだ。あとはこのピザを土窯に入れて、10分ほど焼くだけだが……。お前たち、どうしたんだ?」
俺がパーラ(ピザ用スコップ)を使ってピザを土窯に滑り込ませ、振り返ると、5人のシェフとグレースが完全に石化していた。
全員が口をあんぐりと開け、まるで「鉄でできた飛行機が空を飛んでいる」のを目撃したかのような、凄まじい衝撃を受けた顔をしている。
「……そ、それは本当なのですか?! あの緑色の野菜が食べられるだけでなく、ウェストン王国では家庭料理として親しまれているなどと……!」
髭面のシェフが真っ先に身を乗り出し、食い気味に尋ねてきた。
「本当だ」
「しかし、私は以前あれを使った料理を一度口にしましたが、酷く苦かった覚えがありますぞ」
オールバックの紳士風シェフが顎をさすりながら、まだ半信半疑といった様子で眉をひそめる。
俺はため息混じりに説明した。
「それは、その食材の持つ風味をどう引き出すかを知らなかったからだ。お前たちがかつて食べていた『白米』を思い出してみろ。俺がそれをケチャップ卵チャーハンや太巻きにする前、まともに見向きする奴が一人でもいたか?」
紳士風のシェフはぐうの音も出ず、言葉を失った。
そこへ、コック帽を被った中年女性のシェフが一歩前に出て尋ねた。
「ピーマンがこの料理に合うかどうかはさておき……なぜパイナップルなどを乗せるのですか? あれは非常に酸っぱい果物でしょう?」
「そうですとも! 果物と主食を一緒にして料理にするなど……そんなことを私の師匠が聞いたら、怒りのあまりベッドから跳び起きてきますよ!」
純白の料理服を着た男が、実に「微妙」な表情を浮かべる。
だが、俺はそんなこと意に介さなかった。そもそも俺は料理人ではないのだから、料理界のしきたりや固定観念など知ったことか。
「思考の壁を打ち破れなければ、一歩も前には進めない! 新たな時代を切り拓くのは、常に恐れを知らぬ勇敢な者だけだ!」
俺は彼らを真っ直ぐに見据え、言葉を投げかけた。
「お前たちは、一生同じ料理を作り続け、前の世代と寸分違わぬものを次の世代に受け継がせるだけで満足なのか?」
「長年、血の滲むような修行を重ねてきたのは、街の安食堂で出されるような『ありふれた料理』を作るためなのか?」
「なぜ平平凡凡であることを誇る? なぜ新たな一歩を踏み出そうとしない? ――お前たちは、それでも本当に『料理人』なのか!?」
俺の言葉が胸に突き刺さったのか、シェフたちは一瞬、激しい衝撃を受けたように硬直した。
それから、彼らの頬がみるみるうちに赤く染まり、何人かの目には明らかな「気恥ずかしさと羞恥」の色が浮かび上がった。
彼らの内省を放っておき、俺は説明を続けた。
「このパイナップルはエルフ族によって品種改良されたものだ。果肉が厚く、酸味が抑えられ、甘さは倍増している。味の濃い料理に加えるにはうってつけなんだ。この甘酸っぱくジューシーな食感が、肉の臭みを消し去り、ピーマンのほろ苦さを絶妙に調和してくれる。……まぁ、焼き上がったものを食えば、すぐに分かるさ」
俺は土窯の小さな扉を開け、パーラで生地の底を少し持ち上げてみた。香ばしい焦げ目がついているのを確認したその瞬間、俺の背中に凄まじい衝撃が走った。
「ゲンタク様!! 今のお話は本当ですか?! エルフ王国の果実酒にパイナップルが使われているというのは?! あの筆舌に尽くしがたい甘酸っぱさの正体が、パイナップルだったのですか?!」
「我が商会がこれまでどんなに模倣しようとしても成功しなかったのは、パイナップルを入れていなかったからなのですね?!」
「ねえ、答えてください! 早く教えてちょうだい!!」
グレースが血走った目を剥き、耳を劈くような大声で叫びながら、俺の肩を前後に激しく揺さぶる。
何より、揺らされすぎて頭がクラクラするんだが……。
見かねたソフィアが、ついに実力行使に出た。
彼女は背後から実の母親の脇をがっちりと抱え込むと、そのまま引きずるようにして出口へと連行し始めた。
「落ち着いて話せないなら出ていってください! これ以上、他人の前で醜態を晒すつもりですか!」
「違うのよ! ソフィアちゃん、誤解よ! 私はちょっと興奮しちゃっただけで……ママを許して、ね?」
愛娘のガチギレした様子を察し、グレースは慌ててペコペコと平謝りする。
もしこれがゲームの世界なら、間違いなくソフィアの頭上には『グレース特効』というバフが表示されていることだろう。
俺は内心で思わず吹き出しそうになった。
「本当に? もう二度と私に嘘はつかない?」
「嫌だわ、ソフィアちゃん! ママがいつあなたに嘘をついたっていうの? 小さい頃から、ママはあなたが一番可愛かったのよ?」
「……私が学校を卒業する時、親の中で一人だけ来なかったのは誰ですか。仕事仕事って、一ヶ月も家に帰ってこなかったくせに……」
ソフィアがボソリと呟いた言葉は、その場の全員の耳に、実にはっきりと届いてしまった。
「ソフィアちゃん……ごめんなさい、ママは本当に……!」
母娘による泥沼の昼ドラ(愛憎劇)が本格的に始まりそうになったため、俺は慌ててそれを遮るように声を張った。
「コホン! とにかく、まずは食事にしましょう。皆さんもお腹が空いているでしょう!」
俺が土窯の扉を完全に開放すると、パチパチとピザが焼き上がる心地よい音が響き渡った。
同時に、ソーセージのジューシーな脂の香りと、パイナップルの甘酸っぱく濃厚な香りが混ざり合い、部屋いっぱいに広がっていく。
丸い生地の上には色とりどりの食材が敷き詰められ、熱々のチーズとオリーブオイルを纏って、まるで宝石のような極上の輝きを放っている。
これこそが、色、香り、味の三拍子が揃った完璧な一品。安価で、調理が簡単で、食材の調達も極めて容易。
外はパリッと、中はモチッとした生地が確かな満足感を与え、ソーセージとマッシュルームが活力を注ぎ、ピーマンとパイナップルが鮮やかで複雑な食感のハーモニーを奏で、最後に濃厚なミルクの香り漂うチーズがすべてを完璧に包み込む。
「これこそが至高の美味。そして前線の兵士たちの胃袋をも完全に征服する、究極の料理――『ハワイアンピザ』だ!」
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