第29話:一皿の茶ゼリーが引き起こした騒動
エルフたちのキャンプはすぐ近くにあった。俺は彼女たちに荷物をまとめさせると、自分の後ろに従わせて雪花領へと連れ帰った。
馬車が襲撃された影響でいくつかの重要な資材の搬入が明日に遅れることになり、今日の工事現場には人っ子一人いなかった。職人や労働者たちは、自分たちのテントで今頃のんびり休んでいるのだろう。
俺がログハウスのドアを開け、アリアとソフィアを外へと呼び出す。
アリアは最初、俺が無事に戻ったのを見て嬉しそうな笑みを浮かべたが、次の瞬間、俺の後ろにゾロゾロと控える美形のエルフたちを目にすると、その笑顔は一瞬でフリーズした。
一方のソフィアは相変わらず悠然としたもので、その妖艶な視線をエルフたちの顔へ順番に走らせた後、最終的に俺とアリアの顔を見てクスリと微笑んだ。
「――というわけなんだ! 今の雪花領は圧倒的に人手が足りないだろ? だから彼女たちをここで働かせようと思うんだが、二人はどう思う?」
一通りの経緯と自分の考えを説明し終え、俺は目の前の二人の反応を窺った。
「彼女たちが本分を弁え、大人しくしているというのであれば、私は異議ありませんわ。何しろ、毎日三十人分以上の食事を用意するのは、少々骨が折れていましたからね」
ソフィアが真っ先に賛成の意を示した。
アリアは十数秒ほど沈黙し、何かを呑み込むように深く息を吐き出すと、今度は一転して満面の笑みを浮かべながら滑らかな口調で言った。
「いいじゃない、みんな受け入れてあげましょうよ! 今の私たちは猫の手も借りたいくらい忙しいんだもの、そうでしょう?」
言い終えるや否や、彼女は俺の返事を待つこともなくスタスタと歩みを進め、エルフたちに向かって手招きをした。
「大歓迎するわ! みんな、そんなところに突っ立っていないで、早く中に入りなさいな!」
アリアは「中へ」と言ったものの、小さなログハウスにこれほど大所帯が収容できるはずもない。建設中の雪花旅館もまだ骨組みの段階だ。結局、彼女たちにはログハウスの隣にテントを張って寝泊まりしてもらうことになった。
俺は暇な時に趣味で作っておいた、不恰好だが頑丈な大きめの木製テーブル二台と、それに合わせる多数の椅子を彼女たちのテントの前に並べ、即席のダイニングスペースを用意してやった。
彼女たちを全員座らせたところで、俺は本格的な尋問を開始した。
先ほど古いキャンプを撤収する際、俺は現場で大量の鍋や生活器皿を目撃していた。あの生活感の漂う物資の量からして、彼女たちは単なる旅の途中ではなく、明らかに計画的な「大移動」を行っている最中だった。
最初は部族丸ごとの引っ越しかとも思ったが、よくよく考えれば総勢20数名というのはあまりにも少なすぎる。
おまけに、男女の比率が異常だった。俺が水産養殖槽にぶち込んだオベロンとカリエルを含めて計算しても、その比率はなんと「女21:男1」という驚異的な歪さなのだ。
これはどう考えても尋常ではない。この裏には、確実に何らかの公にできない秘密が隠されているはずだ。
思考を整理した俺は、正面の彼女たちにストレートに切り出した。
「お前たちはどこから来たんだ? 俺はこの近くに住んでいるが、これまでお前たちの姿を見たことは一度もない。どこか遠くから移動してきたのか?」
「…………」
しんと静まり返る場。
「目的は何だ? なぜソウルイーター・ハウンドなんかに襲われていた? まさか、あの化け物を狩るために追ってきた冒険者だというわけじゃないだろう?」
「…………」
誰も口を開かない。全員が喜怒哀楽の消えた冷徹な目で俺を見つめ返してくる。情報の漏洩を徹底的に警戒しているようだ。
あれほどあっさりと土下座して投降したから、その後の対話もスムーズにいくかと思いきや、どうやらあの降伏は、その場を生き延びるためのやむを得ない選択に過ぎなかったらしい。
少し考えた後、俺は質問の角度を変えた。
「いいだろう、話したくないなら無理には聞かない。……とにかく、俺の領地は今、深刻な人手不足なんだ。ここで働いてもらう。住む場所と食事は提供するが、その代わりしっかり労働で返してもらうぞ」
雪花領が深刻な人手不足なのは紛れもない事実。もし彼女たちを労働力として組み込むことができれば、俺の負担は劇的に軽減される。
それに、この女エルフたちは誰もが例外なく高身長でスタイルが良く、容姿端麗だ。これ以上ない最高の看板娘になってくれるだろう。彼女たちがいれば、将来オープンする雪花旅館の客足に困ることは絶対にない。
――しかし。次の瞬間、彼女たちの口から飛び出したセリフは、危うく俺を心臓麻痺に追い込むほど理不尽なものだった。
「調子に乗るなよ、人間! 私たちは確かに降伏したが、お前の言いなりになると約束したわけではない!」
「高貴なるエルフ族が、人間に屈することなどあり得ない。ましてや、そこら中の自然環境を破壊し尽くし、一日中交配のことばかり考えているような低等種族の指図など受けるものか!」
先ほどボウガンを構えていた女エルフ――これ以上ないほどの侮蔑を瞳に宿して言い放った。
「ヴィヴィアンの言う通りよ! 降伏したことと、お前の要求を飲むことは全くの別問題だわ!」
「それに、私たちはすでに『捕虜』なのだから、お前には私たちを責任を持って、捕虜条約に則って手厚くもてなす義務があるはずよ! ……とにかく、まずは食べ物と水を出しなさい! なぜかこの辺りは魔獣が異常に少なくて、ウサギ一匹すら見つからないのよ。私たち、飢え死にする寸前なんだから!」
エリンが両方の拳をぷんぷんと振り回しながら、怒った様子で捲し立てた。
その言葉に呼応するように、周囲のエルフたちが一斉に、実に息の合った動作で深く頷いた。
「高貴なエルフに給仕できる栄誉を授かるなんて、人間、お前は本当に運が良いな! この滅多にない恵みに心から感謝するがいいわ!」
「まさか、干し肉や井戸水で私たちをごまかそうなんて考えていないでしょうね? 私たちが口にするのは、虫のついていない最高品質の果物と、大雪山の雪解け天然水だけよ。分かったらさっさと用意してきなさい!」
「お前がここに住んでいるなら、そのログハウスを私たちに譲りなさい。代わりにお前は私たちのテントに住むことを許してあげるわ。私たちの体臭がたっぷりと満ちた空気を存分に吸い込めるのよ? 大陸の覇王ですら味わえない至高の特権なんだから!」
エルフたちは口々に言いたい放題を炸裂させ、完全に俺を格下扱いしていた。聞いているだけで国が滅びそうなほど身勝手な条約が、次から次へと提案されていく。
しかも恐ろしいことに、彼女たちの表情を見る限り、自分たちが言っていることに一ミリの不条理も感じていないようだった。
(……地球の女子の『プリンセス病』も相当手強いと思っていたが、まさかこの異世界のエルフどもはそれをも遥かに凌駕してやがるな)
「――そういうことよ! さあ、支度に移りなさい、人間!」
神官のアデリナがその修長な白魚のような首をぐっと反らし、傲然と手を振った。
(こいつ……大した実力もないくせに、態度だけは一丁前に生意気だな! そういえば、俺が昔バイトしていたコンビニの、未婚の中年女性マネージャーも全く同じような態度を取っていた気がするぞ……)
俺、アリア、ソフィアの三人は思わず顔を見合わせ、お互いの目に深い「やれやれ」の二文字を読み取った。
――交渉決裂。こうなれば、あの『必殺技』を繰り出すしかなさそうだ。
「俺には虫のついていない最高品質の果物もないし、大雪山の天然水もない。もちろん、このログハウスを譲る気も一切ないぞ……」
俺が淡々と告げると、エルフたちは一瞬にして色めき立った。
ヴィヴィアンが激怒してテーブルを叩く。
「何ですって!? 捕虜条約はあなたたち人間が作ったルールでしょう! それを破るなんて、やっぱり人間は卑劣だわ!」
「そうよ! 私たちは何千年も静かに森で暮らしていたのに、お前たちの軍隊は理不尽に押し寄せてきて、『ここからは俺たちの領土だ』なんて勝手なことを言って襲ってきたのよ!」
故郷での悲惨な記憶が蘇ったのか、エリンはみるみるうちに目眶を真っ赤にし、今にも涙をこぼしそうになっていた。
「低等な人間にエルフの礼節を教え込もうなんて、やはり無理な話でしたわね」
アデリナはフンと鼻を鳴らして腕を組み、完全に「これだから人間は救えない」と言わんばかりの冷ややかな視線を送ってくる。
俺は彼女たちの非難の嵐を完全に受け流し、おもむろに【冷蔵庫システム】の空間から「ある物」の束を取り出した。
「だが、これならあるぞ……。ほら、見てみろ」
そう言って、俺は手にした数枚の「竹の葉」を、一番近くにいた数名のエルフの前に差し出した。
「ハッ! ただの竹の葉じゃない。これを見せて一体何を言いたいわけ?」
ヴィヴィアンはそれを手に取って不機嫌そうに一瞥すると、すぐに興味を失ったようにテーブルへ放り捨てた。
――その瞬間、アデリナが血相を変えて激昂した。
「この愚か者――ッ!!!」
「ア、アデリナ様……!?」
まさか身内の最高責任者に一喝されるとは思っていなかったヴィヴィアンは、ビクッと肩を震わせて飛び上がった。
「その目をくり抜いてよく見なさい! これはただの葉っぱなんかじゃないわ! この独特な形状、張り巡らされた微細な葉脈、そしてこの気高い香り……。間違いない、これは世界樹の葉よ!」
アデリナは震える手でテーブルの竹の葉を恭しく拾い上げると、まるで国宝級の芸術品でも扱うかのように、うっとりと高く掲げた。
俺は我が意を得たりとばかりに深く頷いてみせる。
「さすがは神官、話が早くて助かる。その通り、それは世界樹の葉だ」
種明かしをすれば、これは以前【冷蔵庫システム】から出現した『武神のちまき』を平らげた際、包まれていた竹の葉がやたらと良い香りがしたため、なんとなく保管しておいたものだ。
その後、システムで『青春緑茶』を飲んだ時に「あれ? このお茶、あのちまきの葉っぱと同じ匂いがするぞ」と気づき、これらが世界樹の産物であると確信したのだ。
あの時、ただの生ゴミとして処分しなくて本当に良かった。謝天謝地、まさかこんなところで役に立つとはな。
「そんな、嘘でしょ!? 人間が世界樹の葉を持っているなんて……!」
「世界樹は我がエルフ族の至宝よ!? そこから採れる葉、枝、朝露に至るまで、すべてが厳重に管理されているはずなのに……。どうして人間のあんたが、こんなに貴重なものを持っているのよ!?」
アデリナの顔は、驚愕と混乱で完全に引き攣っていた。
俺はその疑問には答えず、背後に控えていたソフィアに向かって短く指示を出した。
「ソフィア、例のやつを持ってきてくれ」
「かしこまりました」
ソフィアは淑やかに一礼すると、足早にログハウスの中へと戻っていった。
まもなくして戻ってきた彼女の両手には、大きなトレイがそれぞれ乗せられていた。そこには、透明な器に盛られた「何か」が整然と並んでいる。
ソフィアはそれらをエルフたちの前へ手際よく配り終えると、静かに俺の後ろへと戻って控えた。
「これは、世界樹から採れた『青春茶葉』で淹れた緑茶を、特製の『茶ゼリー』に仕上げたものだ。本当なら労働者たちの食後のデザートにする予定だったんだが、今日の工事は中止になったからな。口に合うか分からないが、遠慮せずに食べてみてくれ」
エルフたちは、器の中でぷるぷると揺れる、まるで琥珀色のスライムのような美しいゼリーを前にして、完全に言葉を失っていた。
「天、天臨の御神よ……。世界樹の葉から作られた茶ゼリーだなんて……。これほどの贅沢がこの世にあっていいの!?」
「す、すごく美味しそう……!」
「これほど神聖な宝物を、ただの甘味にしてしまうなんて、人間はなんてクレイジーなの……!」
「世界樹の葉を勝手におやつにするなんて、本当に神罰が下ったりしないかしら……!?」
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