第23話:新たな同居人
俺とアリアは同時に驚愕の声を上げた。
そして次の瞬間、俺とお嬢様はパッと互いに顔を見合わせた。
――いや、部外者である俺が驚くのはいいとして、あんたは自分の使用人の基本情報すら知らなかったのか!?
アリアは俺の視線にある疑惑を察したのか、慌てて両手を振って弁明した。
「ソフィアお姉様はお父様が手配してくださった方なのよ! それに、彼女は普段から私にあまり構ってくれないし……だから知らなくて当然じゃない!」
それもそうか。もし俺がメイドだったら、あんたみたいな我が儘お嬢様は絶対に無視する。
そんな考えが脳裏をよぎった次の瞬間、俺の脇腹の肉が思いきりギュゥゥッと抓られた。
俺は容赦なくお嬢様の手を叩き落とす。
パシィィン!
「痛っ……!」
アリアは痛みのあまり息を呑んだ。
俺は彼女をまともに相手にするのをやめ、改めてグレースとソフィアの顔を観察した。
言われてみれば、この母娘は目元や輪郭が実によく似ている。そして何より、艶やかな髪の色彩にいたっては完全に生き写しだった。
「しかし……母娘だっていうのに、お二人の間の空気はなんでまた、そんなに気まずいんです?」
「それは、ね……」
グレースはちらりとソフィアに視線を送り、それから俺に向かって言った。
「いつか機会があれば、ソフィアの口からお話しさせてちょうだい。私は……これ以上、あの子に嫌われたくないの」
「……」
ソフィアは相変わらず黙々と手元の太巻きを咀嚼しており、その表情には喜びも悲しみも浮かんでいなかった。
そこまで言われては、さすがの俺もこれ以上深く踏み込むわけにはいかなかった。
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午後になり、グレースたちの一行は荷物をまとめ、きこりの町へ出発する準備を整えた。
グレースが穏やかな微笑みを浮かべてアリアに問いかける。
「アリアお嬢様。確か本来の予定では、エロディ伯爵領へ避暑に行かれる手はずでしたわね? 私は手元仕事を片付ければ明後日には戻れますが、よろしければご一緒いたしますか?」
「私の護衛隊には白銀級が二人おりますし、ソフィアも同行すれば、その方が遥かに安全ですわ」
「嫌っ!」
その時、アリアが唐突に立ち上がり、その場の全員をびくりとさせた。
「私はもうどこにも行きたくない! あんな狭い馬車の中に閉じ込められるのも真っ平よ!」
彼女の顔からは血の気が引き、その大きな瞳にはみるみるうちに涙が溜まっていった。そして、堰を切ったように大粒の涙が頬を伝い落ちる。
「メリーは……幼い頃から一緒に育った私のメイドだったのよ……。イアンだって……二十年も我が家に尽くしてくれたおじいちゃん御者だった……。二人が、私の目の前で殺されたのよ! 今あんたについて行ったら、すぐにあの光景を思い出しちゃうわ……!」
「お願いだから……二人の遺体を町まで運んでくれない? それから公爵邸に連絡して、二人の遺族に十分な慰問金を出してあげて……。私にできることなんて、もうそれくらいしかないんだから……」
アリアはまるで魂を抜かれてしまったかのように、ソファへと崩れ落ち、両手で顔を覆って号泣した。
ソフィアがすぐさま駆け寄り、彼女の華奢な体を優しく抱きしめると、何も言わずにその背中を何度も、何度もさすり続けた。
少女の悲痛な泣き声は室内の全員の胸を締め付け、誰もが沈痛な面持ちを浮かべた。先ほどまでの食事の賑やかな空気は、まるで幻だったかのように霧散してしまった。
「分かりましたわ……。すべて私に任せてちょうだい。必ず公爵邸と連絡を取り、責任を持って二人の葬儀を執り行わせます」
グレースはアリアの前に片膝をつき、その小さな手をそっと包み込むようにして、厳かに約束を交わした。
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馬車に乗り込む直前、グレースは俺に向き直って声をかけてきた。
「ゲンタク先生。ソフィアとアリアお嬢様のことを、どうかよろしくお願いいたしますわ」
「もし二人の滞在費や出費が過度になるようでしたら、遠慮なく我がピエニン商会へ書状をお送りくださいな。私どもは公爵家とは長年のパートナーですので、多少の立替金(前払い)程度なら何の問題もございませんから」
その言葉の裏にある真意を、俺は即座に察した。表向きは費用の立替を申し出ているが、その実は『もしあの二人に妙な真似をすれば、ヨルゴス公爵家とピエニン商会の双方を敵に回すことになる』という強力な警告だ。
だからこそ、俺もあえて絵に描いたような模範的なビジネススマイルで応じた。
「ええ、お任せください。大切なお客様ですからね、万全を期しておもてなしいたしますよ」
グレースは満足そうに頷き、馬車のステップに足をかけようとした。
その時、俺はふと思いついて彼女を呼び止めた。
「そうだ、グレースさん。少しお聞きしたいことがあるのですが」
「あら、何かしら? 私に答えられることであれば、何でもお話ししますわよ」
グレースは少し不思議そうな顔をしながらも、足を止めて俺の言葉を待った。
「諸事情がありまして、俺は近いうちに自分独自の『武装勢力』を築きたいと考えているんです。その足がかりとして、お宅の商会との取引量をさらに拡大し、こちら側にも商会としての窓口を正式に立ち上げて対等にリンクさせたいのですが、どう思われますか?」
「それは……」
俺の突飛な提案を聞いたグレースは、驚きを隠せない様子だった。
彼女はしばらくの間、顎に手を当てて真剣に思考を巡らせていたが、やがて静かに口を開いた。
「ゲンタク先生は我が商会にとって最重要のパートナーのお一人ですから、ご要望があれば全力でお手伝いいたしますわ。ですが……率直に申し上げますと、知識も地盤もない状態から新しい商会を立ち上げるというのは、至難の業ですわよ」
「人員の確保や専門スタッフの育成、拠点の賃貸、そして莫大な初期資本金……といった現実的な問題は言うに及びません。何より、各地の地方自治や公式の権力者たちと、何らかの良好な『互恵関係』を結んでおかなければ、どれほど前段階の条件を完璧に揃えたところで、最終的には確実に潰されますわ」
「なるほど、そういうことですか……」
要するに、官商癒着。
既得権益の闇というやつは、地球だろうが異世界だろうが、どこまで行っても避けられない普遍的なシステムらしい。
俺は思考を整理し、現実的なラインへと修正した。
「ならば、大規模な商会の設立は一度白紙に戻しましょう。まずはここに、皆さんのような商会とスムーズに交渉や取引を行うための『正式な貿易窓口』を設置したいと考えています。これくらいなら、そう難しくはないでしょう?」
「それでしたら、難易度は格段に下がりますわね。数人の従業員、保管する商品、確固たる拠点、そして当面の十分な現金を確保できれば、簡易的な『現地商会』としての体裁は十分に整いますわ」
「よし、まずはその方向性で詰めていくことにします」
「ちなみに、もし人手が必要でしたら、我が商会のルートから適切な人材をご紹介することも可能ですわよ。……ただ、ね?」
「紹介料をがっぽりいただく、でしょう?」
「ウフフ、ゲンタク先生は本当に話が早くて助かりますわ!」
俺とグレースは同時に声を合わせて笑った。
続けて、グレースは思い出したように付け加えた。
「先ほど仰っていた『武装勢力』の件ですが、最も手っ取り早い方法は先生もご存知の通り、冒険者ギルドに直接依頼を出すことですわ。近頃はベテラン勢が軍に引き抜かれて転向するケースも増えておりますが、それでも毎年、狩りの世界に身を投じる新たな若者たちが引きも切らずに参入しておりますからね」
「あるいは、公爵邸に行って『開拓』の申請をなさるのも手ですわ」
「開拓……ですか?」
その単語を聞いた瞬間、俺の脳内には西部劇のガンマンや、荒野の寂れた酒場といった光景が真っ先に浮かび上がった。
グレースは小さく頷き、言葉を続ける。
「ええ。王国は昔から開拓政策を推し進めておりますの。貴族平民の身分を問わず、未開の荒野を人間が居住できる場所へと変え、さらに近隣の領主にその実績を認めさせることができれば、国王陛下から直々に統治権を認める詔書が下されますわ」
「ずいぶん難易度が高そうですね……。おまけに近隣の領主の同意が必要だなんて。ちなみに、その領主っていうのは具体的に誰のことを指すんです?」
この辺りで一番近い領地といえば、きこりの町だ。まさか町長のところへ行って申請書でも出せばいいのだろうか。
「通常は、その土地の周辺で最も高い爵位を持つ者を指しますわ。この『巨木之森』を例に挙げますと、本来は魔獣が跋扈する三不管(どこの国も管理していない)地帯ですが、開発価値が非常に高いため、国王陛下は地図上の見栄えを良くする目的で、この一帯を仮の領土として『ヨルゴス公爵』に割り当てましたの。もっとも、公爵側には実質的な管轄権などありませんけれどね」
「だとしても……俺は公爵家の人間に何のコネもありませんよ。それに、公爵本人は今、前線で戦争の真っ最中なんでしょう? どうやって連絡を……!」
そこまで言いかけたところで、グレースがそっと手を差し伸べ、俺の言葉を制した。
彼女は悪戯っぽく微笑みながら言った。
「あら、コネがないなんて誰が言いました? ――まさに今、あの屋敷の中に、あなたが懇意にすべき公爵家の『最重要人物』が転がり込んでいるではありませんこと?」
「?」
俺が彼女の視線を追って振り返ると、ちょうどログハウスのドアの隙間から、金色の小動物のような影が慌てて物陰へと引っ込むのが見えた。
「もしアリアお嬢様があなたの後ろ盾となってくださるなら、その計画は半分成功したも同然ですわ」
「……本当にそれしか方法はないんですか? 俺があいつをご機嫌取りしなきゃいけないなんて……」
愚痴が口から漏れた次の瞬間、俺の背中にドスッと強烈な衝撃が走った。
「ちょっと! どういう意味よ!『あいつ』ってなによ!!」
いつの間にか背後に迫っていたお嬢様が、二つの小さな拳を振り回し、俺の背中をポカポカと猛烈な勢いで殴りつけてきた。しかも、その力加減は徐々に容赦のない強さへと増していっている。
その光景を見たグレースは、すべてを察したようにクスリと上品に笑うと、そのまま御者に指示を出して馬車を発車させた。
「本お嬢様にご機嫌取りをしたい男なんてね、きこりの町を三周するほど並んでいるのよ! あんた何様のつもり!? 私に向かってそんな……って、ひゃんっ!? な、何するのよ!?」
俺は彼女の暴走をこれ以上放置せず、瞬時に身を翻すと、その華奢な身体を正面から力強く抱きすくめた。
至近距離で視線が完全に交差する。アリアは一瞬で顔を真っ赤にし、真っ赤に染まった耳を隠すように俯きながら、口の中で消え入りそうな声でブツブツと文句を並べ立てた。
「な、なんなのよ……この無礼者……私の身体に気安く触れていいと思ってんの……この色狼……」
俺はそっと手を伸ばし、少女の滑らかな顎を指先で持ち上げると、彼女の頬に残っていた涙の跡を優しく親指で拭い去った。そして、あえて大真面目な顔で囁く。
「アリアお嬢様。世界で一番可愛い美少女で、俺の最も大好きな小王女……」
「せ、世界で一番可愛い!? さ、最高に大好きっ!?」
お嬢様は顔から火が出るほど真っ赤になり、完全に目が泳いでその場でぐるぐると回りだした。どうやら脳内のキャパシティを超えて完全にフリーズしてしまったらしく、口から漏れる言葉がどれ一つとしてまともな文章になっていない。
「俺のために一筆、紹介状を書いてくれないか? 巨木之森を開墾して、自分自身の領地を築きたいんだ」
すかさずアリアの耳元へと顔を近づけ、甘い声で囁きかける。
すると彼女の身体から一瞬にして骨が抜けたように力が抜け、まるで中身の詰まった人形の水袋のように、俺の腕の中にぐにゃりと寄りかかってきた。
「も、もし……あんたが……無料で、本お嬢様を……気が済むまで泊めてくれるっていうなら……この私直々に……お父様へ……紹介状を書いてあげることを……考えてあげなくも……ないわよ!」
精神的なキャパシティの限界(天堂の辺縁)に達しつつも、アリアは貴族としての最後の威厳を必死に保とうとしていた。もっとも、俺の腕の中で完全にフニャフニャになっているその姿には、一ミリの説得力もなかったが。
俺はここぞとばかりにプライドをすべて投げ打ち、彼女の白く滑らかな額へと優しく唇を押し当てた――。
「ありがとう、美しく心優しいアリアお嬢様! 万事よろしく頼みます!」
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