第10話:1銀貨で龍の卵を
「ゲンタクさん、あんた……まさか、無神論者じゃないでしょうね?」
ダイナおばあちゃんが、まるで珍獣でも見るかのような奇妙な目を俺に向けてきた。
どうやらこの世界において、神への信仰というのは想像以上に重要なアイデンティティらしい。ここでの発言は慎重に選ぶ必要がありそうだ。
「ハハ! いや、実は昔は確かにそんな風に考えていたこともあったんだけど、今の俺にはちゃんと信仰があるよ! 彼女の名は……『スカディ』。とても美しい女神様なんだけど、まぁ、あんたたちは聞いたこともないだろうな」
俺は頭の後ろをかきながら、いかにも照れくさそうに笑ってみせた。
本当のところ、あの女神様の名前なんて俺は知らない。けれど、あの時水面に映し出された銀色の長い髪は、あまりにも美しかった。
それはまるで大樹の根のように、俺の心の奥底に深く突き刺さって、おそらく一生忘れることはないだろう。
銀色といえば、氷雪を連想させる。北欧の雪深い大地に伝わる、あの有名な氷雪の女神――スカディ。だから俺は、彼女の名前をあの女神様の代わりに拝借することにしたのだ。
「女神……スカディ……?」
ダイナおばあちゃんは再びヴァージルじいさんの顔を見たが、じいさんはやはり首を横に振り、聞いたことがないという合図を送った。
とはいえ、この若者が外海から来たというのなら、別の神を信仰していても何ら不思議ではない。
ダイナおばあちゃんは、少しホッとしたように言葉を続けた。
「女神スカディ、確かに私たちは耳にしたことがないわね。でも安心しなさい、この国には異教徒に改宗を強制するような野蛮な伝統はないわ。ただ……人前であまり自分の信仰を大っぴらに宣伝しないことね。それが、お互いのための一種の敬意というものよ」
「あぁ、よく分かっている。信仰は自由な意思によるものであるべきだし、押し売りするような行為はそれこそ邪教だ」
ダイナおばあちゃんは満足そうに頷き、話を続けた。
「創世神様がこの世界『エリシオン』を創り出されて以来、大陸の統治者は何度か入れ替わってきたわ。そして現在、この地を治めているのが第二代戦神『ケリオン』。私たちが使っている【戦神暦Ⅱ】という年号は、まさにその代を表しているのよ」
「なるほどな」
ここで、ヴァージルじいさんもハーブティーを置き、口を開いた。
「戦神教の信徒は、いまや大陸の総人口の五割以上を占めております。ゲンタク様が異教徒であるならば、やはり言動には少しばかり留意された方がよろしい。あやつらは言葉での対話よりも、拳で語り合う方を好みますからな。……まぁ、昨日の一件で、すでに深く体感されているでしょうが」
「あぁ……あの舞台のことか」
昨日、メイド服を着て颯爽と立ち塞がったあの黒髪の美女の英姿が、脳裏をよぎった。
「それにしても、お兄さんは本当に果報者だねぇ! ソフィアちゃんといえば、ロプロス王国でも一、二を争う美女であるばかりか、この街の独身男全員のアイドルなんだから。街を歩く時は気をつけなさいよ、嫉妬で袋叩きにされるかもしれないからね、ハハハ!」
ダイナおばあちゃんは愉快そうに笑ったが、俺は完全に顔を引きつらせていた。
「冗談だろ……!?」
背中に一気に冷たい汗が伝う。
「それで、お二人はどの日にするかもう決めたのかい? 決まったらワシも婆さんも、揃って応援に行かせてもらうよ」
ヴァージルじいさんが、突然脈絡のない奇妙なことを言い出し、俺の頭の中は疑問符でいっぱいになった。
「ええと……すみません、何の話かさっぱり分からないんですが」
「おや、そうか! あんたはよそ者だから、ここの伝統を知らないんだな。要するに――」
じいさんが身を乗り出して興奮気味に説明しようとしたその時、ダイナおばあちゃんが鋭く割って入った。
「ちょっと、じいさん! それはソフィアちゃん本人の口から言わせなさいよ! 若い二人の間のことなんだから、年寄りがしゃしゃり出るんじゃないの!」
「ハハ、それもそうじゃな! ワシの越権行為だった、すまんすまん!」
「???」
結局、老夫婦の妙に生温かい、ニヤニヤとした視線に見送られながら、俺は新しい服に身を包んで店を後にした。
あの【伝統】とやらが一体何なのかは分からないままだったが、さっきから左のまぶたがピクピクと痙攣している。明らかに、何かろくでもないことが起きる前触れだった……。
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まだ昼食をとっていなかった俺は、人通りのない薄暗い路地裏を見つけ、そこでシステムショップから購入した「トンカツ弁当」を食べることにした。
べつに街のレストランに入りたくなかったわけではない。服の購入費が予定を大幅にオーバーしてしまったため、新しい収入源が確定するまでは、少しでも生活費を切り詰めなければならなかったのだ。
余談だが、さっきヴァージルじいさんと話して初めて知ったのだが、この世界の一般的な平民はみんな古着屋で服を買うらしい。あの店で既製服を仕立ててもらうのは、富豪や貴族だけなのだそうだ。
俺はその時、心の中で猛烈に突っ込みを入れた。
(どおりでどの服もやたらと質感が良いわけだ! そもそも平民向けじゃなかったんじゃねえか!)
だが、買ってしまったものは仕方がない。諦めて受け入れるしかない。
弁当を平らげた俺は、ピエニン商会が運営する「芍薬旅館」へと向かって歩き出した。ローランと約束した時間が迫っている。今日、彼が用意した料理人に「ケチャップ卵チャーハン」の秘訣をすべて叩き込むことになっているのだ。
約束の時間まではまだ一時間ほどある。先に行ってロビーで待たせてもらおうか、そんなことを考えていると、道端にある一枚の看板が俺の目を引いた。
『魔法道具店』――。
俺の胸がドクンと高鳴った。ファンタジーの王道じゃないか! 俺は引き寄せられるように、足早にその店へと向かった。
木製の重い扉を開けると、中では服の汚れた小さな男の子が、店番らしき青年と何やら激しく言い争っている最中だった。
「これはただの少し大きめの『魔力持ちの石炭』だ。買い取ってやれても、せいぜい銅貨50枚が限界だよ」
「そんなのってないよ! 酒場のおっちゃんが言ってたもん、この石には魔力が宿ってるから、絶対にすごく珍しい鉱石だって! だからボク、一生懸命山から背負って持ってきたのに!」
その男の子の見た目は十歳前後。顔や手足、それからボロボロの服の至る所に、真っ黒な煤や炭の粉がついている。
履いている靴もパッチワークのようにツギハギだらけで、スラム街からやってきたと言われても誰も疑わないような身なりだった。
「そう言われてもねぇ……。鑑定道具がそう示している以上、僕だってこんな使い道のない石に大金は払えないよ」
白シャツを着た青年店員も、ひどく困り果てた様子でため息をついた。
この世界において、物質に魔力が宿っているというのは三歳児でも知っている常識だ。人間や魔獣だけでなく、時には道端の雑草や木々の中にさえ、微量の魔力が含まれていることがある。
目の前にある石炭も、通常の石炭に比べて魔力の含有量が二、三倍多いというだけの代物だ。そんなケースはこの世界ではありふれている。
燃やした時の火力が少し高くなるという以外、何の役にも立たない。
青年店員が提示した「銅貨50枚」という価格は、彼の精一杯の善意(同情)によるものだった。
「お願いだよ! 300……いや、200銅貨でいいんだ! おじいちゃんが鉱山で採掘してる時に足を骨折しちゃって、たくさんお金が必要なんだ。そうじゃないと、神殿に連れていって治療してもらえないんだよ!」
「お願いだから! ボクをかわいそうだと思って、助けて!」
男の子はその場に直接ひざまずき、床に何度もゴツゴツと頭を打ち付けた。
「ダメだ。50枚と言ったら50枚だ。それが嫌なら、鍛冶屋かどこか別の場所へ持っていきな。そこなら買い取ってくれるかもしれない」
「あいつら、ただの普通の石炭として扱うから、もっと安く買い叩かれちゃうよ! お願い! あとほんの少しだけでいいんだ、100枚でもいいから!」
「はぁ……ダメだって言ってるだろ。もし使い道のない石炭を100銅貨も出して買ったなんて店主に知られたら、僕は確実にクビになるんだよ」
青年の態度は極めて頑なだった。
そこで、俺は口を開いた。
「銀貨1枚。俺がそれを買おう」
「えっ?」
青年が呆然と固まる。
そして男の子が、弾かれたように興奮に満ちた目をこちらに向けてきた。
「本当!? お兄ちゃん、本当!? 本当に銀貨1枚出してくれるの!?」
「売らないって言うなら、別にいいけど」
「売る! 売るよ!!!」
男の子はひったくるように銀貨を受け取ると、その石炭を俺の胸に無理やり押し付けた。
次の瞬間、彼は大門を勢いよく飛び出し、あっという間に全員の視界から消え去った。
青年店員は深くため息をつき、肩をすくめた。
「お客様……同情してあげるにしても、さすがに払いすぎですよ。あんな境遇の子供なんてそこら中に溢れています。たとえポケットに1,000枚の金貨があったとしても、全員を救うには到底足りやしませんよ」
「まぁ、いいさ。ただの気まぐれだよ。自分の財布を危険にさらすつもりはないからね」
「そうですか? ですが、一応警告しておきます。この界隈にはあのような子供たちが大勢いて、隙を突いて近づき、財布を盗もうと狙っています。それだけはくれぐれもご注意を!」
「あぁ、分かった。忠告ありがとう」
俺は軽く頭を下げ、彼の親切なアドバイスに感謝した。
「それで、本日はどのようなものをお探しですか? 自慢ではありませんが、当店の品揃えは万象を網羅しており、何でも揃っています。必ずお客様のご要望にお応えできますよ!」
「それなら、これと、それからこれも頼む……」
こうして俺は、その魔法道具店でリュックサック、雨をしのげるテント、温度調節機能付きの寝袋、そして燃料の要らない魔法のランタンを購入した。
これらのアイテムがあれば「冷蔵庫システム」の弱点を補い、野宿をする羽目になったとしても、はるかに快適に過ごすことができるはずだ。
「かしこまりました。商品は宿屋までお届けしましょうか?」
「あぁ、助かる! ピエニン商会がやってる『芍薬旅館』の18号室だ。フロントに【ゲンタク】が注文した品だって伝えてくれれば分かる」
青年は帳面を取り出すと、サラサラとペンを走らせ始めた。
その流れるような手つきと優雅なフォントを見るに、彼は間違いなく高等教育を受けた身の上なのだろう。俺はそんな風に推測した。
「はい、これで手続きは完了です! 明日の正午までに、専任の者がご指定の宿屋へ商品をお届けします。何か問題がございましたら、いつでも当店にご連絡ください」
「うん、ありがとう!」
俺はマッスル銅貨に換算して銀貨3枚と銅貨45枚を支払い、店を出た。
しかし、そのまま直接ピエニン商会へは向かわず、近くにある薄暗い路地裏へと足を踏み入れた。
周囲に誰もいないことをしっかりと確認した上で、俺は冷蔵庫システムから「神聖ミネラルウォーター」を一本取り出し、手に入れた石炭の上から直接浴びせかけた。
すると、どうだ。
外側を覆っていた真っ黒な鉱物が、まるで春の初雪のように、聖なる水に触れた瞬間からみるみる融解していったのだ……。
現れたのは――黒い殻に、黄金の紋様が刻まれた一個の「卵」だった。
次の瞬間、俺の目の前にシステムのホログラム画面が勝手にポップアップした。
【注意:システムユーザーが希少な宝物を獲得しました:『黒炎竜の卵』×1。品質:優良。今すぐシステムに吸収させた場合、50,000ポイントを獲得できます】
俺はその卵を凝視し、それからシステムの画面に目を落とした。気づけば、顔の筋肉が激しく引きつっていた。
「……これ、銀貨1枚(約100円)で買ったんだけどな」
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