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翌日は快晴だった。しかし、ベッドから出るのがためらわれるほど肌寒い。


昨日、私付きの侍女だと紹介されたエイミーが私が持って来た衣装を確認しながら、この服では冬を越せませんときっぱり言い切っていたことを思い出す。


レベッカの補佐をすると紹介されたエイミーを、はじめ私はレベッカだけで充分だからと断ろうとした。


しかし、レベッカが休みの日に私の世話をする者が必要なことと、南部との慣習が違うことを説明されて説き伏せられたのだ。


ひ弱なつもりはないし、普通の令嬢よりも頑健だとの自負もあったが考えが甘かったのかも知れない。この地で生活する人たちの助言は受け入れるべきだろう。


「姫様、お目覚めでいらっしゃいますか」


扉を叩く音と共にそんな声が聞こえて来た。私はベッドから起き上がり返事をする。


「起きています」


そう答えると失礼しますとの声と共に扉が開いてレベッカが入って来た。


「おはようございます、今日は良いお天気ですよ」



そう言いながらレベッカは手早くカーテンを開く。


「朝食は食堂へお越しくださいとイライザ様より言付かっております。身支度が済みましたらご案内いたしますね」


「えぇ、お願いするわ」


ドレッサーの前に座るとお湯の張られた洗面具が差し出された。


「お顔を洗う前に髪をまとめましょう」


レベッカは手際よく私の髪を櫛で梳くと、ゆるく編んで結い上げていく。


「わざわざお湯を沸かしてくれたのね。ありがとう」


温かいお湯で顔を洗うとほっとして心地良かった。


「エイミーから聞いたのですが、もっと寒くなると朝は井戸の表面にも氷が張るのだそうです。重いバケツを落とせば表面の氷は割れるのですが、そうして汲み上げた水は冷たすぎてとても洗顔には使えないらしくて。冬の間は洗顔用の水を温めるのも侍女の大切な仕事だそうですわ」


レベッカはそう言いながらドレッサーに置いてあった化粧品を手に取ると私の顔に薄いメイクを施しいく。


「そんなことをしなければならないなんて思いもしなかったわ」


「そうですね、エイミーに補佐についてもらえて良かったと思います。姫様の衣装のこともイライザ様に相談してあつらえる物を考えてくれるそうです」


「そう、お手間をかけるけれどお願いするしかないわね」


「私達では何が必要か分かりませんものね」


レベッカは話しながら私に衣装を着付け終えた。そして一歩後ろに下がって鏡越しに出来栄えを確認すると満足そうに微笑んだ。


「では、食堂へご案内いたします」


私は頷くとレベッカを伴って寝室を後にした。


食堂ではすでにイライザ様とロードナイト卿が座って待っていた。私が入って来たのを見て立ち上がった二人に会釈をして席に着く。


ロッソの姿はなかった。


「遅くなって申し訳ありませんでした」


「いえ、私たちも今来たところですから大丈夫ですよ」


「ルイジもまだ来てませんからね」


そう言いながらロードナイト卿が空っぽの上座を見やる。


「大方、朝駆けにでも行っているのでしょう。戦争が終わってから体力を持て余しているみたいですから」


「冬になると外出がままならない日もありますから、ルイジさんの体力を発散させる方法を考えておかなければいけませんね」


「馬小屋で素振りでもさせておけば良いのです。それとも帳簿でも付けさせますか?身体を使わせる以上にヤツの体力を消耗させられるかも知れませんよ」


二人がそんな会話をしながら顔を見合わせて笑いあっていると、重い靴底が床を打つ足音がこちらに近づいて来るのが聞こえた。


「あら、噂をすればですね」


「まったくやかましいヤツだ。もっと落ち着いて歩けんのか」


ロードナイト卿が眉をひそめて呟いた瞬間、食堂の扉が乱暴に開け放たれた。

扉を開けた男は私たちを視認するとパッと破顔し大股で近づいて来た。


「悪い悪い、ちょっと遅くなっちまった」


そう言いながらどさりと椅子に身体を投げ出すように座る。頬は上気して額にうっすらと汗をかいているようだ。身体には外の空気の匂いが纏わりついていた。


「朝駆けは楽しかったのかしら」


「ニーベルンの丘まで行って来たんだ。あの辺で馬を走らせると気持ちいいな。遮る物が何もない」


ロッソは、執事が差し出した水を受け取るとぐいっと一気に飲み干した。ロードナイト卿は呆れたようにため息をつき、イライザ様は口元に手を当てて楽しそうに笑っている。私はどう反応したものか分からず黙ったままだ。


そんな私に向き直るとロッソは続けた。


「朝飯食ったら一緒に行かないか?」


思わぬ誘いに面食らうと、ロードナイト卿がすかさず口を挟んだ。


「お前、さっき行って帰ってきたところだろうが」


「雪が降り出したら外出もできなくなるんだろ。馬に乗れるのは今のうちだけだし、姫さんだって領地を見ておいた方がいいだろ」


確かにその通りかも知れない。今後のことを考えても、領地を自分の目で見ておくのは重要だろう。


「ご一緒いたします」


「そうか、ならさっさと食っちまおうぜ」


私が応えるとロッソはニッコリと笑って食事を始めた。彼の前に置かれたパンやスープがみるみるうちになくなっていくのをつい凝視してしまう。


途中で自分の食事が疎かになっていることに気づき、慌てて食事を開始した。


ニーベルンの丘までは馬で小一時間ほどの距離らしく、ついでに領地をゆっくり回って帰ってくれば昼食の時間にちょうどいいだろうとのことだった。丘の周辺は古い精霊伝説のある場所で地元の人々は精霊を恐れて近づかないらしく、魔獣も殆ど出ないため気兼ねなく馬を駆ることができるそうだ。


私が持って来た乗馬服では些か防寒に心許ないので、イライザ様が娘時代に着ていたものを貸してくださることになった。


「午前中はルイジさんにお預けしますけど、午後からは私がアナスタシア様をお借りしますよ。冬の装いを用意しなければいけませんからね」


「あぁ、そうか」


そう言いながらロッソは天を仰ぐ。心なしかロードナイト卿もげんなりしたような顔だ。


「姫さん、冬支度は馬で駆けるより体力が必要かも知れん」


真面目な顔でそう言われ、思わずイライザ様を見やる。イライザ様は穏やかに微笑んだままだ。


「南部の服では最悪死にますから。運が良ければ耳が取れるくらいで済むかも知れませんが」


「みみが…」


「そんなことにならないように、私がしっかりご用意させていただきますから安心してください」


思わず耳を押さえた私に、イライザ様が力強く言う。にっこりと微笑むイライザ様に私は頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「よし、じゃあ姫さん行こうぜ。着替えて来いよ」


「はい」


食事を終えたロッソが立ち上がり、私を促す。私は急いで自分の部屋に戻った。


イライザ様に用意していただいた乗馬服に着替え、エイミーの案内で馬小屋へと向かう。まだ、晩秋なので多少は大丈夫だろうと、もともとの自前の乗馬服の上にイライザ様の防寒用ジャケットとスカートをお借りして羽織った。防寒グローブもお借りしたが靴はサイズが合わなかったため自前の物だ。行軍に使ったブーツがあれば良かったのだが、終戦と同時に廃棄していた。


「よう、こっちだ」


厩の前で、私を見留めたロッソが手を挙げる。


そこにはすでに鞍を付けた馬が二頭準備されていた。一頭はイエローの美しい牝馬で、もう一頭は黒鹿毛の牡馬だ。どちらもよく手入れされているのが分かる。


黒鹿毛には見覚えがあった。ロッソの愛馬だ。戦場を駆ける姿を何度か見たことがある。


「俺の相棒のクロだ。こっちはあんたに乗ってもらうアイビー」


「よろしくね、アイビー」


鼻を撫でてやるとアイビーは気持ち良さそうに目を細めた。穏やかな気性の子らしい。


一方でクロは鼻を鳴らしながらロッソを頭で押しまくっている。


「そう急かすなよ。さっき朝駆けから帰ってきたばかりだろお前」


「それなのにその馬で私と出かけて大丈夫なんですか?」


「散歩だからな。こっちに来てから体力有り余ってんだよ、こいつ」


犬は飼い主に似ると聞いたことがあるが、どうやら馬もそうらしい。クロはロッソの袖を咥えて急かすように引っ張っている。


「分かったって、じゃあ行こうぜ」


ロッソは苦笑しながら手綱を握るとひらりと馬に跨った。私もアイビーに跨りロッソのあとに続く。


なだらかな道をだく足で進む。一定のペースで落ち着いて進むアイビーとは裏腹に、クロは少し早いペースで走ってはロッソに諌められもどかしそうにしながら走っている。


「こいつは生まれた時から戦馬として育てられたから、今の平和な暮らしが性に合わないみたいなんだ」


クロの手綱を取りながらロッソがため息をつく。馬には生活が様変わりした理由など分からないだろう。生活の急激な変化は人であっても受け入れ難い。


「あなた自身はどうなのですか?」


ふと気になって尋ねてみる。クロが焦れているのを見て、私はは少しスピードを上げた。アイビーはクロに並走し足並みを同じくする。


馬上から見える風景は平坦で、遠くにうっすらと山が見える以外は一面畑や牧草地だ。冬枯れの木々の間にポツポツと家が建っている。


その景色の中に時折小さな人影が見えたり、家畜の群れが見えたりと生活の様子が窺えた。


「王都で暮らすよりは全然良い」


そんな景色を見やりながらロッソは穏やかな口調で言う。


「俺がここに送られたことを厄介払いだのなんだの言うやつがいるのは知っている。でも、俺は正直言うと爵位も領地もいらなかったんだ」


「あれだけの武功を立てたのに?」


「そんなもんもらっても持て余すからな。俺はいくらか金をもらって、どっかの田舎町で暮らせるならそれで良かった」


「それは無理でしょう」


ロッソは活躍し過ぎた。本人が良くても、周りがそれを許すまい。


「まぁ、ここを与えられたことは最大限の譲歩だろうな。領地の運営なんかは正直ちんぷんかんぷんだが、魔獣を狩ったり、家畜の世話を手伝ったりするのは性に合う。傭兵になる前は散々やってきたことだしな」


そう言ってロッソは屈託なく笑った。


「ここでの暮らしを受け入れるということですか」


「そうなるね」


「では、私のことは?あなたにとって私は、この領地と同じく押し付けられた婚約者でしょう」


「あんたとの婚約は、まぁ言うなれば罪滅ぼしかな」


「磔にして火炙りにしようとしたことに対してですか?」


憐れまれているのかと思わずキツい声を出した私に、ロッソは大袈裟に肩をすくめた。


「何言ってんだよ。あれは俺が立てた戦略の中でも最もうまく行った作戦の一つだぜ。あんたは不本意だったかも知んねーけど、絶対謝らないからな!」


力強く言い切られて思わず面食らう。


「なら、罪滅ぼしとはいったい…」


問いかけた私の言葉は、クロの盛大な鼻息によって遮られた。だく足での走行にすっかり焦れてしまったらしい。


「クロがご機嫌斜めだから、ちょっと全力で走らせてやってくるわ」


そう言うと、ロッソは踵でクロの横腹をぽんと蹴った。途端にクロは我が意を得たとばかりに風のように走り出す。ロッソは後ろを振り返ると、軽く手を挙げてあっという間に見えなくなった。


取り残される形になった私は、途方に暮れるしかない。アイビーの足の向く方にそのまま進んだ。


穏やかな丘陵地帯の景色は進んでも進んでも変化に乏しい。このような開けた土地ではどのような戦略を取れば良いだろうと考えて、思わず自嘲する。


戦争は終わった。


私は負けたのだ。

クロはペルシュロン、アイビーはフィヨルドホースみたいなイメージ

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