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1


ずるりと馬車が滑ったかと思うと、その場で動かなくなった。車輪が空回りする音だけが響き、動き出す気配はない。


「まったく、またなの?」


侍女のレベッカがため息を吐いた。ぬかるみに嵌って立ち往生するのはこれで三度目だ。うんざりする気持ちは分からなくもない。


「仕方ないわ。こんな悪路ですもの」


そう言いながら馬車のドアを開けるように指示を出す。


「姫様まで降りる必要はないのでは?」


「少しでも軽くすれば動かしやすくなるでしょう?」


「でも、お御足とドレスが汚れてしまいます」


レベッカはそう言いながらチラリと私の足元に目をやった。北国に行くからと選んだボアのついたブーツは既に泥に汚れている。地面につかないようにと慎重に持ち上げていた筈のドレスの裾にも少し汚れが付着していた。


「もう汚れているわよ。それに戦場にいた頃に比べればこんなものは汚れているうちには入らないわ」


そう言うと私は、開いたドアからひらりと外へ飛び降りた。


冷たい空気が肺を冷やす。晩秋の森は寒々としていた。黄色く色づいた白樺はその葉を殆ど落とし、丸裸になった枝は冷たい風に吹かれて寒そうに揺れている。少し前まで長雨が降っていたせいか、落ち葉はべしゃべしゃと濡れそぼり泥に塗れて汚れている。車輪が取られるのはこの落ち葉のせいもあるのだろう。


車輪に張り付いて粉々になった落ち葉のかけらを見ながらそう思った。


ヴァーデンフェル。北端にある冬になれば雪と氷に閉ざされてしまう小さな領。南方にある祖国とはかけ離れた場所にある最果ての地。そんな土地を与えられた男の元へ私は嫁ぐことになった。


顔を合わせたことはあるが戦場でだ。大柄で粗野でそれでいて人目を引く男だった。戦略と味方を鼓舞することに長けていた。彼が現れると敵軍は沸いた。


敵国の英雄。終戦の立役者。


そして私を薪の上に吊るして燃やそうとした男。


どんな顔をして会えば良いのだろう。祖国を敗戦に導き、私の矜持を踏みつけにした彼と。


「姫様」


物思いに耽っている私に護衛騎士のブランドンが後ろから声をかける。馬車はぬかるみを脱出したらしい。


この婚姻は和平の証だと言われたが実際は行き場のなくなった私を押し付けただけのことだ。


歓迎されるわけがない。


むしろ疎まれても仕方ない。


私たちはほんの少し前まで殺し合いをしていたのだから。


ーそれでも


「この森は美しいわね」


そう言うと私は馬車に乗り込んだ。馬車は再度悪路を進む。途中、何度かぬかるみに足を取られて立ち往生し、日も傾き始めた頃になってやっとヴァーデンフェルに到着した。


木と土でできた素朴な作りの家がぽつぽつと建っているその向こうに、要塞のような建物が見える。私と男への終の住処として与えられたその屋敷は、屋敷というよりはまるで堅牢な檻のようだ。


私がこの国に歓迎されていないのと同じように、男もまた疎ましく思われているのかも知れない。


無学な平民でありながら英雄に上り詰めた男。戦場にいるからこそ英雄と呼ばれた男。


戦の終わった今となっては、彼の存在は団欒の場に投げ捨てられた抜き身の剣でしかないのだろう。

だからこのような貧しい北の辺境の地を押し付けられ、瑕疵のある敗戦国の姫を娶らされるのだ。


馬車はゆっくりと轍を進む。

道の脇や建物の中から領民が物珍しそうにこちらを眺めている。歓迎されているとは言い難いが嫌悪されているという風でもない。

ただ純粋な好奇心だけが感じられて少しほっとした。


敵国の姫など憎しみの対象でしかないだろうと思っていたの。しかし、ここは戦地とは遠く離れた辺境の地。もしかすると、戦争への実感があまりないのかも知れない。


そんな領民たちを眺めながら進むうちに要塞が近づいてきた。城壁のような壁の上には色とりどりの旗がたなびき堀にかけられた石造りの無骨な橋の上には何人もの人間がずらりと列を成して整列している。


「辺境の他だというのに思ったよりもたくさんの出迎えがいるのですね」


レベッカが意外そうに呟いた。


「救国の英雄様のお屋敷ですもの。多少の体裁は整えたのでしょう」


ゆっくりと馬車が止まり、足台が用意されるのを待って馬車のドアが開かれた。


ドアを開いた侍従に差し出された手を取り馬車を降りると、三人の人物が前に進み出てくる。


一人は戦場でも見かけたことがある。男の軍の副官だ。長い銀色の髪の毛を束ねた長身の彼は、戦場でも良く目立った。


もう一人は小柄だががっしりとした年嵩の女性だ。頑健で実直そうな面立ちは彼女の背後に聳えている要塞のような館とどこか似通って見えた。


そして、その二人を従えて進み出た男。燃えるような赤い髪によく日に焼けた顔。がっしりとした体躯に動きやすそうな簡素な衣を身につけている。


ルイジ・ロッソ。我が国では戦場の悪夢として忌み嫌われた男。


そんな彼は、飄々とした足取りで私に近づくと片手を軽く上げてにっこりと音が聞こえそうな笑顔を浮かべた。


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