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その後、身支度を終えた私は食堂へと向かった。
今朝もロッソとロードナイト卿の姿はない。イライザ様と二人、静かな朝食だ。
今朝の食卓には、燻製肉と根菜を煮込んだ温かなスープと黒パンが並んでいた。
固くて少し酸味のあるパンをスープに浸して柔らかくして食べる。
本国にいた頃なら、こんな食べ方は決してしなかっただろう。それでも、温かい食事は私の身体を内側から温めてくれた。
「あの二人がいないと食卓が静かね」
「お二人とも、昨日は夜遅くに帰られたみたいですね」
「そのようね。持ち込んだ物資が良い値段で売れていれば良いのだけど」
「そうですね」
思案顔のイライザ様を見ながら、それでもロッソは交渉ごともうまくやってのけるのではないかと思ってしまった。
昨夜も遅くまで戻らなかったのだ。きっと良い結果を持ち帰っているのだろう。
そんなことを考えながら食事を終え、自室に帰ろうと廊下を歩いていると、思いがけずロッソに出くわした。
「よう、もう飯食ったのか?」
あくびをしながら自室から出てきたロッソは、私を見るなり気安い調子で話しかけてくる。
「おはようございます。先ほどイライザ様と一緒にいただきました。バザールでの成果はいかがでしたか?」
「上々だよ」
ロッソは機嫌良く答えた。
そうだろうな、と思ってしまった。この人はいつも、小さな労力で大きな成果をもぎ取って行くのだ。
「そういえば、買い物のついでに土産を買ってきたんだ」
ちょっと待ってなと室内に引き返したロッソは、戻ってきて私に小さな包みを差し出した。
私はおずおずとそれを受け取り、包みを開いてみる。
出てきたのは、木製の手鏡だった。
素朴な作りだが、裏面には小さな鳥の彫刻が施され、持ち手には蔦の模様が流れるように刻まれている。磨き込まれているせいか、木目が淡く光を返しているように見えた。
「……ありがとう」
「あと、焼き菓子も買っといた。リサと一緒に食べな。じゃあ、飯食ってくるわ」
そう言うと、ロッソはニッカリと笑ってそのまま手をひらひらと振りながら去って行った。
その背中が角を曲がって見えなくなるまで、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
この日は、結局それっきりロッソと顔を合わせることはなかった。
バザールで売った物資はなかなかの値段になったらしく、購入してきたものの検分と仕分けに追われてロッソたちは食事の席に姿を見せなかったのだ。
館の中は、朝とは打って変わって慌ただしい気配に満ちていた。廊下を行き交う使用人たちの足音は心なしか弾んでいて、誰かが楽しげに何かを話す声が遠くから聞こえてくる。中庭では荷馬車から木箱が次々に運び下ろされ、検分のために蓋を開ける音が時折響いていた。
私は部屋で郷土史を読みながら静かに過ごした。それでも館中がなんとなく浮き足立っている気配は、窓越しにも伝わってくるようだった。
夜になってレベッカが寝支度のために部屋へやって来た。鏡台の前に腰掛けると、レベッカは私の髪を解き櫛を通し始めた。
その途中で鏡台の上に置かれた手鏡に気付いたようだ。
「あら?木製の手鏡なんてお持ちでしたっけ?」
「……ロッソ卿がお土産にって」
「そうなんですか。意外ですよね。あの方、そういう気の利いたことをなさる方には見えませんでした」
「確かに」
大袈裟に驚くレベッカに、思わず苦笑した。
土産物屋で手鏡を選んでいるロッソを想像すると、なんだか面映いような気持ちになる。レベッカは私の肩越しに手鏡を覗き込み、興味深そうにそれを眺めた。
「でも、可愛らしいですね。これ、なんの鳥かしら?」
「見たことないわね。この地方で生息している鳥なのかしらね?」
私は、そう言いながら指先で鳥の彫刻をなぞった。
丸い体につぶらな瞳の可愛らしい鳥だ。小首を傾げるようにしてこちらを見つめている。
「エイミーなら、この鳥の名前を知っているかしら?今度、聞いてみましょう」
そんな話をしつつ、レベッカは私の寝支度を整えていたが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、ロッソ卿がお茶も買ってきてくださったんですよ」
「お茶?」
「菩提樹のお花のお茶です。冬場に飲むお茶は美味しくないらしいので、みんな大喜びでしたよ」
「美味しくないお茶?」
「健康維持のために松葉のお茶を飲まないといけないそうです。そうしないと歯茎から出血して、悪くすると歯が抜けたり最悪亡くなったりするそうです」
「壊血病かしら?船乗りに多い病気だと聞いたことはあるけど」
「そうなんですね。予防のために明日から飲むようにってイライザさまから指示があったらしくて。松葉茶の後に菩提樹茶を口直しに飲むんだって、みんな喜んでました。もし良ければ淹れて参りましょうか?」
「じゃあ、お願いするわ」
しばらくして淹れてもらった菩提樹茶は、ほんのり甘い香りがした。
窓の外では風が鳴り、暖炉の火が静かに揺れている温かな茶を口に含むと、肩の力が少しだけ抜けた気がした。
「美味しいわね」
「良かったです」
レベッカは安心したように笑った。
レベッカが退室した後、私は手鏡を手に取った。暖炉の火を受けて木肌が柔らかく光る。
丸い鳥の彫刻を指先でなぞりながら、私は小さく息を吐いた。
ロッソは、こういうことを自然にできる人なのだろう。
使用人たちにお茶を買い、私には手鏡を選ぶ。それはきっと特別なことではない。
手鏡の表と裏をひっくり返して眺めてみる。それから、それを鏡台の上にそっと置き寝台に身を横たえた。
淡く灯る暖炉の火に照らされて、手鏡の木肌が静かに光っていた。




