25 曹貴人の目覚め
眠っている曹貴人の額の汗を優しく拭いていると、瞼がぴくぴく動き始めた。
「麗紅姐姐?」
そっと呼びかける。彼女が戻ってきて三日になる。私は毎日、朝から夕方まで曹貴人のそばで話しかけたり、汗を拭いたり、ばあやさんとお世話をしていた。
「ん、んんっ」
曹貴人がいつものうめき声ではない声を発する。やっと目覚めるのかもしれない。寝室の外で掃除をしているばあやさんに声を掛ける。
「麗紅姐姐がお目覚めかもしれません!」
かなり年配なのにばあやさんは素早く音もなく現れる。
「麗紅しゃま!」
「んんっ、ん」
「麗紅姐姐!」
曹貴人はうっすら目を開く。並んでいる私とばあやさんを交互にゆっくり見つめた。
「お目覚めになったのですね!」
「ああ、あぁ。良かったですじゃ」
私たちは手を取り合って喜びの涙を流す。ばあさやんと私はまるで親しい同志のようだ。しかし次の曹貴人の声で私たちは固まった。
「あれ? 皇后さま、ばあや。何を泣いてるの?」
「麗紅姐姐……」
「麗紅しゃま?」
化粧っ気のない曹貴人はあどけなく可愛らしい表情をする。まるで少女のように。そっと曹貴人は身体を起こそうとする。力が入らないようで、また横たわった。
「無理をなさってはなりませぬ。麗紅しゃまはまだ横になって」
「はあい。お腹が減ったわ。皇后さまはまだお腹が空かないの?」
「え、ええ……」
私とばあやさんは目配せして、曹貴人に話を合わせる。
「粥などお持ちしましょうかねえ」
ばあやさんはすっと頭を下げ、出ていった。私は少女のような曹貴人を見つめる。彼女は私を嬉しそうに見つめ返している。
「どうして、身体に力が入らないのかしら? 眠くないのに、なんだかだるいわ」
「麗紅姐姐、麗紅さまはご病気をなさってたのですよ」
「麗紅さまですって! ふふふっ。皇后さまどうなさったの? いつものように小麗と呼んで」
「小、小麗……」
「あれれ? 本当にさっきからばあやも皇后さまも、何を泣いていらっしゃるの? あ! わかった! また陛下がいじめに来たのね!」
「いいえ、大丈夫よ。ちょっとまぶしかったから……」
「そう? それなら良いのだけれど」
宮刑の弊害だろうか。後遺症だろうか。曹貴人は少女のころに戻ってしまっている。まだ太后様と先帝が生きているのだ。私は太后様にそっくりなので、間違えられているようだ。
もう、私のことは思い出してくれないのだろうか。傷に塩を塗られるより、心は痛くて悲鳴を上げそうだった。
「麗紅しゃま、お持ちしましたよ」
ばあやさんは粥をもって帰ってきた。私はそっと曹貴人の背中に手を回し、身体を起こす介助をする。
「ありがとう。皇后さま!」
嬉しそうな表情と、すっかり痩せて骨っぽくなり軽くなった曹貴人の身体にまた悲しくなる。
「さあ、ばあやが食べさせてあげましょう」
暗い表情の私を気遣い、ばあやさんはてきぱきと曹貴人に粥を食べさせる。ゆるい粥を一杯食べると曹貴人はあくびをした。
「また眠くなってきちゃた……」
「ゆっくりおやすみくだされ」
「ん……。また後でね、皇后さま……。……」
私の腕の中でそっと目を閉じ、スースーと寝息を立て始める。私はそっと身体を横たわらせ、手を抜いた。
「ばあやさんっ! う、、ううぅっ」
嗚咽が漏れぬように口を押さえ、寝室から出る。
「翠玉しゃま……。お辛いでしょうが、しばらく我慢くだしゃれ」
「え、ええ。私よりも麗紅姐姐のほうが本当にお辛いのに! で、でも!」
私の存在が曹貴人の中から消えてしまっていることが辛い。ばあやさんは私の背中を優しくさすってくれた。
「ちょっと混乱されているだけですじゃ……」
「そう、だといいけど」
「もうお帰りなしゃい」
そろそろ日が傾いてきていた。
「また明日もきます」
「お待ちしておりましゅ」
眠っている曹貴人の顔をもう一度眺める。彼女が目覚めたことが良かったことだと、言い聞かせて寝室を後にした。




