20 曹貴人の私室
本も手に着かずぼんやりしていると「陛下のお越しです!」とけたたましい小秋の声が耳に入った。いそいそと出迎え腰を落とす。
「よいよい」
陛下は私の手をそっと握り顔をあげさせる。少し下がったところに曹貴人が素っ気ない表情で立っている。私は陛下よりも曹貴人にドキドキしてしまっている。
「どうした? 緊張しているのか?」
「え、いえ。昼間にお会いするのがお久しぶりですので」
「ふふっ。すまなかったな。公務が忙しくてな」
「そ、そんなつもりでは」
会えなかったことへの嫌みではないと私は大げさに手を振る。陛下は優しく笑んで頭をなでる。頭をなでられると、私も優しい気持ちになってくるのが不思議だ。
「麗紅よ、そなたもこちらへ」
曹貴人は軽く頷き近づいてくる。
「そなたたちには寂しい思いをさせてしまってすまないと思っておる」
きっと子のない私たちに陛下は同情してくださっているのだろう。
「翠玉よ。これからは麗紅のところにも遊びに行ってやっておくれ」
「え? 私が曹貴人のところへですか?」
身分の低い私が上の身分の方のところへ気軽に行けるわけはない。もう同期の王宮人のところへすら行きづらいのだ。
「よい。朕が許可する」
ちらっと曹貴人の顔を見る。
「どうぞ。暇なのでいつでもいらして。陛下はこれからますますお忙しくなることだし」
これこそ嫌みのようないいように陛下は苦笑いをする。
「麗紅、わかっておろう」
「ふふふっ」
王宮人の産んだ子が丈夫に育っているため、やっと具体的な世継ぎが見えてきたのだった。これから教育係やらお付きの者など世継ぎのために王宮人と一緒に用意しなくてはならない。
それでも陛下の一番のお気に入りは曹貴人なのだ。二人のやり取りと態度を見ていて、畏れ多くもいらだってしまう。
曹貴人は私よりも陛下のことを愛しているのだろうか。曹貴人はぴったりと陛下に身体をくっつけている。
「さて、今日はもう帰るとしよう」
陛下は曹貴人を連れて帰っていった。私は先日の夢のような曹貴人との夜を、やっぱり夢だったのかなと思ってしまった。
数日すると曹貴人のほうから私のところへやってきた。小秋はもう慣れたようにどうぞと奥に通してくる。
「いらっしゃいませ。麗紅姐姐」
「そなたがちっとも来ぬのであたくしが参ってやったわ」
「……」
「なんじゃ。陛下に言われたであろうになぜすぐに来ない」
「それは、その……」
「面倒な奴じゃな。さあ」
曹貴人は私の手をぐっと握り連れていこうとする。
「出かけてくる。夕げには戻す」
有無を言わさず、曹貴人は私を引っ張って歩く。東屋の前を通りががるころ「あの、一人で歩けます」とそっと手を引く。
「そうか? ならついてまいれ」
曹貴人の後ろをついて歩く。後姿が以前よりまた直線的になっているような気がする。背の高さはもともと高く変わっていないが、肩がしっかり張っているように見える。しばらく歩くと整えられた垣根が見えてきた。簡素な庭に古びた宮が現れる。朱色の格子は磨かれてはいるが、塗り替えられてはいない。
「さあ、はいれ」
「失礼します」
中も簡素だった。曹貴人の住まいとは思えぬ慎ましさだった。
「意外か?」
「え、ええ。それは……」
しっかりした造りの調度品はあるが、今の流行のものとは違い、重々しい。促されて座った台もきれいに磨かれているが古いものだ。第一寵姫は最新で煌びやかな住まいにいるものと思っていた。
「ここはな。太后様、つまり陛下の母君の住まいだったのじゃ」
「陛下の……」
「そのままにしてある」
太后様を慕っていたのだろう曹貴人は当時のまま住んでいるのだった。
「麗紅しゃま、おかえりですか?」
「ただいま。今日は客をつれてきた」
「まあ、まあ、珍しい」
相当年季の入った侍女がやってきた。まさかと思うが。ちらっと曹貴人の顔を見る。
「そうじゃ、このばあやも太后様付きの侍女じゃったのだ」
ばあやと呼ばれた侍女は白髪で皴も深く、目を開いているのか閉じているのかわからない風貌だった。それでも足腰はちゃんとしているらしく、太后様付きとあって、姿勢よく品も良い。町であったらどこの富豪の大奥様だろうと思うだろう。
「今、茶を淹れますのでお待ちくだされ」
「ん……」
曹貴人はこのばあやさんには素直な態度を見せる。気を許しているのだろうか。少し落ち着いてきた私は曹貴人に尋ねてみる。
「ほかに侍女はいないのですか?」
「人がいるとうるさくてかなわん。ばあや以外は信用もならぬしな」
曹貴人には出生の秘密、身体の秘密があるのでうかつに人を入れられないようだ。
「普段なにをしてお過ごしなのですか?」
「あたくしは特に何もしておらぬ。酒を飲んでいるくらいじゃ」
「そ、そうですか」
もっと他のことを話したいのに何を言えばいいのかわからない。ふわっと甘い香りを感じるとばあやさんがお茶を運んできた。
「麗紅しゃま、せっかくですからお客様に絵をお見せすればよいでしょう」
「ばあやっ」
「よいではありましぇんか」
ばあやさんは嬉しいそうに目を細めている。
「絵をお描きになるのですか? どのような?」
曹貴人の絵が見たくてたまらなくなった。曹貴人は大きくため息をついて「こっちじゃ」と私をいざなう。
私の書斎と違って墨や顔料のにおいがふわっと漂う一室には、棚に丸めた紙が入れられている。本とは違うがたくさんある紙に私は安らぎを感じる。
「適当に見るがよい」
机の上には描きかけの絵が置いてある。
「あ、これは……」
朧月夜と冷宮のが描かれている。幻想的で寂し気で美しい風景画だ。
「なんて綺麗……」
私はきょろきょろして棚の中から丸められた紙を広げ文鎮を置いて鑑賞する。
「これって皇后さまの庭ですよね」
「そうじゃ」
色とりどりの花が描かれている。実際の庭よりも華やかで瑞々しく香りが漂ってきそうだった。色々見ていて気付いた。この絵は曹貴人にとって日記のようなものなのだ。しかし人物は描かれていない。
「陛下もお喜びでしょうね」
「いや。陛下はあたくしの絵には興味を示さん」
「え? そうなのですか? こんなに素晴らしいのに」
曹貴人の素晴らしい絵に興味を示さない陛下に少し悲しくなった。曹貴人の表情を見ると、特に何の感傷もないようだ。陛下が私の読んでいる本に興味を示されず、無視されると辛いだろうと思った。
「陛下は妃のやることには興味を示さぬ代わりに、止もしない。ここにもあまり来ぬしな」
曹貴人は一番陛下のおそばにいるが、寝所と出歩くときがほとんどのようだ。
そっと手に取った紙には東屋が描かれている。
「一緒に過ごしたことを思い出しますね」
「ああ」
絵を見ていると最初からの曹貴人との出会いを思い出す。
「初めて会ったのは路地裏じゃったな」
「ええ。なんだか懐かしい……」
女官になると思ったのに、妃になり、そして陛下の寵姫と逢瀬を重ねる不思議な日々。ふと今なら色々話が聞けると思い意を決して尋ねる。
「あの、陛下はなぜ、無理なのに私と寝所を共にしようとするのでしょうか」
曹貴人を使ってまでとは言わなかった。
「それはな。子がない妃は陛下が崩御されたとき、ここにはいられないのじゃ」
優しい陛下は私を後宮においてくれようとしているらしい。
「では、どこへ?」
「殉葬されるか尼寺へはいる」
「殉葬!?」
「心配するな、翠妹はそうはならない。皇后など身分の高いものだ」
「そうですか」
ちょっとほっとした。今の今では殉葬には抵抗がある。
「姐姐と一緒なら尼寺も楽しいですよね」
年を取って二人で尼寺にいるのならそれはそれでいいだろうと私は思う。二人で慎ましく経を読んだり、奉仕に明け暮れるのも悪くなさそうだ。
そんなことを考えていると曹貴人は少し悲しげな表情になった。
「あたくしは殉葬することになっている」
「えっ?」
手の中の絵を落としてしまう。
「あたくしは孕むこともないし、第一寵姫なのでな。最初からそう決まっている」
「そんな……」
「まだまだ先のことじゃ。今から気を病むでない」
乾いた笑い声を立てる曹貴人に私も頑張って笑顔を作った。




