第十五話 あなたは、誰?
静かな玄関ホール。
レオンとリゼットは、互いを見つめていた。
「……」
「……」
初めて会う。
そのはずだった。
それなのに。
なぜか目を逸らせない。
リゼットは胸元に手を当てた。
心臓が速い。
どうして。
どうして、この人を見ているだけでこんな気持ちになるのだろう。
「リゼット嬢」
レオンの父が声をかける。
「こちらが息子のレオンだ」
「……初めまして」
レオンが頭を下げる。
「レオン・ノースフォードです」
その声。
「……」
リゼットの身体がわずかに強張った。
聞いたことがある。
何度も。
森の中で。
街道で。
自分の隣で。
『大丈夫か?』
『無茶するな』
『俺を信じろ』
――レオ。
「……初めまして」
リゼットも頭を下げる。
「リゼット・エルヴァールです」
その名前を聞いた瞬間。
今度はレオンが固まった。
「……リゼット」
口から自然に名前がこぼれる。
「はい」
「……」
レオンは目の前の令嬢を見る。
金色の髪。
緑色の瞳。
整った顔立ち。
当然だ。
初めて見る。
なのに。
どこかで聞いた名前のような気がした。
――リズ。
その呼び方が、頭に浮かぶ。
レオンは首を振った。
そんなはずがない。
リズは赤い髪だった。
茶色い髪の自分と同じ、冒険者。
そして。
この令嬢は子爵家の令嬢。
何の関係もない。
「……どうぞ、お掛けください」
伯爵夫人が促す。
二人は向かい合う席へ座った。
◇
婚約者同士の顔合わせ。
両家の親たちは、嬉しそうに会話をしている。
「二人は幼い頃から婚約が決まっていたからね」
「ええ。ようやくこうして顔を合わせることができました」
レオンは苦笑する。
「そうですね」
リゼットも微笑む。
けれど。
互いの視線が何度も重なる。
そして。
そのたびに、二人とも目を逸らす。
妙だ。
レオンは思った。
この女性。
何かがおかしい。
「……」
リゼットも同じだった。
目の前の青年は、貴族らしい立ち振る舞いをしている。
言葉遣いも違う。
服装も違う。
髪も違う。
それなのに――。
笑う時。
ほんの少しだけ目を細める。
その仕草が。
あまりにも。
「……レオ」
思わず呟いた。
「え?」
レオンが顔を上げる。
「……いえ」
リゼットは慌てて首を振る。
「何でもありません」
だが。
レオンの胸が大きく鳴った。
今。
何と言った?
「……レオ?」
「……」
その呼び方。
聞き間違いではない。
◇
食事が始まった。
「お口に合えばいいのですが」
伯爵夫人が微笑む。
「ありがとうございます」
リゼットがナイフとフォークを手に取る。
レオンも食事を始める。
そして。
リゼットが肉料理を一口食べる。
「……美味しい」
レオンが顔を上げる。
「肉料理、好きなのか?」
「……え?」
リゼットが固まる。
「いや……」
レオンも自分の失言に気づく。
「何となく聞いただけだ」
「……そう」
リゼットは笑う。
けれど。
胸の奥では叫んでいた。
――レオと同じ言い方。
『肉はうまい』
以前、レオがそう言っていた。
それだけなら偶然。
そう思おうとする。
けれど。
「……」
レオンも同じことを考えていた。
リゼットは。
魚料理を好む。
以前、リズがそう言っていた。
そして。
料理を食べる時、ほんの少しだけ首を傾ける癖。
それも同じ。
偶然なのか。
それとも――。
◇
食事が終わる。
両家の親たちが席を立った。
「では、二人で少し話してきなさい」
「……はい」
レオンとリゼットは庭へ出ることになった。
二人きり。
庭園。
夕方の風。
「……」
「……」
沈黙。
先に口を開いたのはリゼットだった。
「レオン様」
「ああ」
「……冒険者になったことはありますか?」
レオンの心臓が跳ねる。
「……なぜ?」
「何となくです」
「……ない」
嘘だった。
リゼットはレオンを見る。
「そうですか」
「……ああ」
レオンも問い返す。
「あなたは?」
「私も……ありません」
嘘。
互いに。
けれど。
二人とも、同じ違和感を抱いていた。
◇
庭園の奥。
人の声が届かない場所。
リゼットが立ち止まる。
「……レオン様」
「何だ?」
「一つ、聞いてもいいですか?」
「ああ」
「以前……」
言葉を探す。
「誰かに、『また一緒に冒険しよう』と言ったことはありますか?」
「……」
レオンの表情が変わった。
「……どうして、それを?」
「……」
リゼットも息を呑む。
「知っているんですか?」
レオンが一歩近づく。
「その言葉を」
「……」
リゼットは答えない。
けれど。
これ以上、誤魔化すことはできなかった。
「……私は」
震える声。
「冒険者のリズを知っています」
「……」
「赤い髪の……女冒険者」
レオンの目が見開かれる。
「……リズ」
その名前を口にした。
「はい」
リゼットの目に涙が浮かぶ。
「私です」
「……」
時間が止まったようだった。
「……嘘だ」
レオンが呟く。
「だって……」
目の前には金色の髪。
貴族令嬢の服。
そして。
自分がこれから婚約するはずだった女性。
「……俺は」
声が震える。
「リズを探していた」
「……」
「ずっと」
リゼットの涙が落ちる。
「私も……」
一歩近づく。
「レオを探してた」
「……」
互いを見つめる。
そして。
「……もしかして」
リゼットが呟く。
「あなたが……レオ?」
「……ああ」
レオンは頷いた。
「俺がレオだ」
その瞬間。
リゼットは両手で口元を押さえた。
「……そんな」
涙が溢れる。
「嘘……」
レオンも笑うことができなかった。
「俺たち……」
言葉が続かない。
だが。
もう分かってしまった。
自分が好きになった人。
自分が婚約から逃げる理由になった人。
命を懸けて守りたいと思った人。
その人が――。
「……婚約者」
リゼットが呟く。
「……俺の婚約者だった」
レオンも呟く。
しばらく。
二人とも動けなかった。
そして。
リゼットが泣きながら笑った。
「……ひどいですね」
「何が?」
「運命って」
レオンも、苦笑した。
「……本当にな」
◇
けれど。
二人はまだ知らない。
互いに正体が分かった今。
最も大きな問題が残っていることを。
――二人とも。
家に対して。
この婚約を嫌だと言っていたこと。
そして。
互いに「婚約者とは結婚したくない」と思っていたこと。
それを知ったら。
二人の恋は――。
本当に結ばれるのだろうか。
レオンはリゼットを見る。
リゼットもレオンを見る。
今度は。
冒険者としてではない。
貴族としてでもない。
ただ一人の男と。
ただ一人の女として。
二人は向き合っていた。




