第十話 言えない言葉
冒険者になって、もう一か月が過ぎようとしていた。
レオとリズが一緒に依頼を受けることも、すっかり当たり前になっていた。
ギルドに来れば、相手を探す。
相手を見つければ、自然と隣に座る。
依頼を選ぶときも、相談する。
そして――。
「じゃあ、また明日」
「ああ。また明日」
そう言って別れる。
そんな日々だった。
けれど。
二人の胸の中には、言葉にできない想いがあった。
――好き。
そのたった二文字を、伝えられずにいた。
◇
その日も、二人は森へ向かっていた。
「今日は少し遠いわね」
「ああ」
「帰り、遅くなりそう」
「野営になるかもしれないな」
「……それでもいい?」
「俺は構わない」
リズが少し笑った。
「私も」
森の中を歩く。
依頼は、珍しい薬草の採取。
それほど危険ではない。
二人なら問題なく終えられる依頼だった。
しばらく歩くと、目的の薬草を見つけた。
「これね」
「間違いないか?」
「うん」
リズが薬草を摘む。
そして――。
「……ねえ、レオ」
「なんだ?」
「あなたには……好きな人っている?」
レオの足が止まった。
「……」
心臓が大きく跳ねる。
「どうしてそんなことを聞く?」
「何となく」
リズは前を向いたままだ。
「冒険者になってから、そういう話をすることもなかったでしょう?」
「……そうだな」
レオは少し考える。
本当のことを言えばいい。
そう思った。
――好きな人ならいる。
目の前にいる。
でも。
「……いる」
そこまでしか言えなかった。
リズの指が止まる。
「……そう」
胸が痛んだ。
「どんな人?」
「……優しい人だ」
「そう」
「一緒にいると楽しい」
「……うん」
それ以上、聞けなかった。
自分の胸が苦しくなる。
リズは思ってしまった。
レオには、好きな女性がいる。
自分ではない誰か。
だったら――。
「……誰なの?」
「それは……」
レオは答えられない。
言えるはずがない。
「……まだ、言えない」
「そっか」
リズは笑った。
「いつか、伝えられるといいね」
「ああ」
レオは頷いた。
だが。
心の中では叫んでいた。
――お前だ。
言えない言葉が、胸の奥に残った。
◇
昼。
二人は森の中で食事をした。
リズはいつも通り、サンドイッチを取り出した。
「食べる?」
「ああ」
レオが受け取る。
いつもの光景。
けれど、今日は少し違った。
リズはレオの顔を見られない。
「……」
さっきの言葉が頭から離れない。
『好きな人がいる』
誰なのだろう。
どんな女性なのだろう。
自分より綺麗なのだろうか。
自分より優しいのだろうか。
「……」
考えるほど、胸が苦しくなる。
「リズ?」
「え?」
「食べないのか?」
「あ……うん」
慌ててサンドイッチを口にする。
「……おいしい」
「そうか」
レオが笑う。
その笑顔が、今日は少し辛かった。
◇
午後。
薬草採取を終え、二人は帰路についた。
しばらく歩いたところで――。
「レオ」
「なんだ?」
「さっきの話だけど」
「ああ」
「その人には……告白するの?」
「……分からない」
「どうして?」
「俺には……」
レオは言葉を選ぶ。
「別の事情がある」
「……事情?」
「ああ」
レオは空を見上げた。
「家の事情だ」
それ以上は言わなかった。
リズは少しだけ目を伏せる。
「……そう」
きっと、その女性とは家同士で何かあるのだろう。
そう思った。
もしかしたら。
レオは自分が知らない貴族の女性と婚約しているのかもしれない。
胸が締め付けられる。
――自分と同じように。
「……私も」
「え?」
「私にも、婚約者がいるの」
今度はレオが固まった。
「……婚約者?」
「うん」
「そう……なのか」
「家が決めた人」
「……」
レオの胸が痛くなる。
リズには婚約者がいる。
つまり――。
自分が好きになった女性は、別の男の婚約者。
そう思った。
「……どんな人なんだ?」
「知らない」
「え?」
「ほとんど会ったことがないから」
「そうか……」
レオは俯く。
自分と同じだった。
家に決められた婚約。
本人の意思とは関係のない相手。
だからこそ――。
「……嫌なのか?」
「うん」
リズは小さく答えた。
「好きでもない人と結婚するなんて、嫌」
レオは胸が痛くなる。
「……俺もだ」
二人の足が止まった。
森の中。
木々の隙間から、夕陽が差し込んでいる。
「……じゃあ」
リズが言った。
「もし、好きな人ができたら?」
「……」
「その人と一緒になりたい?」
レオは答えられなかった。
目の前にいる。
その人と一緒になりたい。
何度でもそう思う。
けれど――。
「……なれたら、いいな」
それが精一杯だった。
「……そう」
リズも小さく笑う。
「私も」
二人の視線が重なる。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
互いの瞳に、何かを期待する。
けれど――。
どちらも口にはしなかった。
◇
帰り道。
夕暮れの街道を歩く。
隣にいる。
いつもと同じ。
なのに。
胸の中は苦しい。
レオは思っていた。
――リズには婚約者がいる。
だから、自分の気持ちを伝えてはいけない。
たとえ彼女も婚約を嫌っていたとしても。
自分から、その婚約を壊すようなことはできない。
一方。
リズも思っていた。
――レオには好きな女性がいる。
その人と一緒になりたいと思っている。
なら、自分が気持ちを伝えるわけにはいかない。
「……」
「……」
二人は並んで歩く。
いつもなら楽しい帰り道。
今日は、どこか寂しい。
◇
街に戻る。
ギルドの前。
「じゃあ……」
リズが言う。
「また明日」
「ああ」
「……レオ」
「なんだ?」
「その……好きな人と」
リズは一瞬、言葉に詰まる。
「……うまくいくといいね」
レオの胸が痛んだ。
「……ありがとう」
「うん」
リズが笑う。
そして背を向ける。
「また明日」
「ああ」
リズが去っていく。
レオは、その背中を見つめる。
「……」
言いたかった。
追いかけて。
振り向かせて。
そして――。
好きだと伝えたかった。
でも。
「……できない」
レオは拳を握る。
彼女には婚約者がいる。
自分にも婚約者がいる。
だから――。
この気持ちは、胸の奥にしまうしかない。
◇
宿に戻ったリズは、ベッドに座った。
「……」
今日の会話を思い出す。
レオには好きな人がいる。
その人と一緒になりたいと思っている。
それなら。
「……仕方ないよね」
そう言い聞かせる。
でも。
涙が一粒、頬を伝った。
「……どうして」
こんなに苦しいのだろう。
自分の婚約者のことなど、好きではない。
なのに。
好きになった人には、好きな人がいる。
「……馬鹿みたい」
リズは顔を枕に埋める。
それでも。
明日になれば。
またギルドへ行ってしまう。
レオに会いたいから。
◇
その夜。
レオも眠れずにいた。
「……好きだ」
誰もいない部屋で、初めて口にした。
「リズが好きだ」
言葉にしてしまえば、簡単だった。
なのに。
本人には言えない。
「……どうすればいいんだ」
答えは出ない。
ただ一つ分かることがある。
明日も、リズに会いたい。
だから。
今日も、この気持ちを胸の奥にしまう。




