第96話 二枚盾の守護――首輪に刻まれた命令
蟲王ベルゼ・ローチを討った。
闇王ノクス・ヴェインも、もういない。
けれど、戦場の奥にはまだ、魔皇公ゼルギウス=ゼディアが残っている。
俺は息を整えながら、奥の戦いへ視線を向けた。
勇者レオンたちは、強かった。
それはもう、疑いようがない。
レオンの光の剣は、ゼルギウスの黒い外殻に確実に傷を刻んでいる。
剣筋は速く、重く、迷いがない。
ゼルギウスの六本腕が繰り出す攻撃を紙一重で避けながら、逆に一瞬の隙へ踏み込み、光の斬撃を叩き込んでいく。
「ヴィオラ!」
レオンが叫ぶ。
「分かっているわ」
大きな帽子を揺らし、賢者ヴィオラが杖を掲げた。
杖の先端に嵌め込まれた宝石が、青白く輝く。
次の瞬間、雷が走った。
白紫の雷撃が、ゼルギウスの左肩へ直撃する。
外殻が弾け、赤黒い魔力が散った。
ただの攻撃魔法じゃない。
雷が当たった場所から、ゼルギウスの動きが一瞬だけ止まる。
スタン。
その隙を、レオンは逃さない。
光の剣が走り、ゼルギウスの再生しかけていた腕の一本を深く斬り裂く。
さらに、黒装束の影が視界から消えた。
忍者。
名前はまだ分からない。
だが、その動きは異常だった。
影が揺れたと思った時には、もうゼルギウスの背後にいる。
短い忍刀が、関節の隙間へ正確に差し込まれる。
大きなダメージではない。
けれど、確実に嫌な場所を狙っている。
動きを鈍らせる。
攻撃の角度を狂わせる。
レオンの剣が届くための隙を作っている。
そして、その全部を成立させているのが、セリナだった。
二枚の巨大盾を構えた猫人族の少女。
彼女がゼルギウスの攻撃を受け止めているから、レオンは踏み込める。
彼女が前を止めているから、ヴィオラは詠唱できる。
彼女が攻撃の圧を引き受けているから、黒装束の忍者は背後へ回れる。
一見すれば、勇者パーティが押していた。
光の剣。
雷魔法。
隠密の一撃。
二枚盾の防御。
どれも強い。
間違いなく強い。
だが、俺の目には、ひとつだけ引っかかっていた。
やはり、セリナの扱いがおかしい。
「セリナ、止めろ!」
レオンの声が飛ぶ。
セリナは即座に前へ出た。
ゼルギウスの拳を、二枚盾を重ねて受ける。
重い音が響き、セリナの膝が沈む。
「セリナ、防御!」
次は黒槍。
セリナは右盾を斜めに構え、槍を受け流そうとする。
だが、受け流しきれない。
肩が大きく揺れ、白いエプロンの下に血が滲んだ。
「セリナ、前へ出ろ!」
レオンが踏み込むための道を作る。
セリナは震える腕で盾を押し出し、ゼルギウスの盾腕を受け止めた。
「セリナ、耐えろ!」
耐える。
ただ、それだけ。
セリナは逆らわない。
二枚盾で受ける。
膝が沈む。
腕が震える。
肩に血が滲む。
そして、また前へ出る。
あれはタンクの使い方じゃない。
盾を持った仲間への指示でもない。
役割を任せているというより、壊れない道具を前に置いているように見えた。
「シンゴさん」
ノエルが小さく言った。
いつもの軽さはない。
「見てて気分悪いわね、あれ」
「同感だ」
俺は剣を握る手に力を込めた。
その瞬間、ゼルギウスが動いた。
右上腕の剣を、レオンへ向ける。
レオンがそれを光の剣で受ける。
その裏から、左上腕の黒槍が横薙ぎに走った。
狙いは、レオンではない。
セリナだ。
「セリナ、受けろ!」
レオンの声が飛ぶ。
セリナは二枚盾を構える。
だが、タイミングが悪い。
前の拳を受けた直後で、足が残っていない。
黒槍が、横から盾ごとセリナを殴り飛ばした。
「っ!」
セリナの身体が宙を舞う。
軽い。
あまりにも軽く吹き飛ばされた。
その先には、黒い管に覆われた壁がある。
あの勢いで叩きつけられたら、ただでは済まない。
考えるより先に、身体が動いた。
俺は《跳空のブーツ》で床を蹴った。
一気に加速する。
空中のセリナへ追いつく。
その身体を、横から抱え込むように受け止めた。
軽い。
盾を持っていなければ、本当に小柄な少女の身体だった。
だが、勢いまでは殺しきれない。
俺は空中で身体をひねった。
セリナを壁側に向けない。
自分の背中を、黒い管の這う壁へ向ける。
次の瞬間、背中から壁へ叩きつけられた。
「ぐっ!」
痛みが走る。
肺の空気が抜ける。
背骨に衝撃が響く。
けれど、腕の中の猫耳の少女は無事だった。
少なくとも、壁に直撃はしていない。
俺は歯を食いしばりながら、セリナの顔を見た。
そこで、さらに違和感を覚えた。
首元。
メイド服の襟の奥に、小さな錠前のついた首輪が見えた。
黒い革のような質感。
その表面に、淡く光る魔法紋様が刻まれている。
ただのアクセサリーじゃない。
装備でもない。
見ただけで分かる。
あれは、誰かを飾るものじゃない。
首輪から漂う魔力は、柔らかくも温かくもなかった。
冷たい。
重い。
命令を染み込ませるような、嫌な圧がある。
そして、セリナの瞳。
焦点が合っていない。
どこか遠くを見ている。
こちらを見ているようで、見ていない。
まるで、生気や意思が薄く削られているようだった。
体には傷が多い。
肩。
腕。
脇腹。
足。
盾で守っているはずなのに、彼女自身は確実に削られている。
「ノエル。この子に回復を頼む!」
「任せなさい!」
ノエルがすぐに駆け寄った。
「《負傷回復・キュア・ウーンズ》!」
白い光がセリナを包む。
肩の傷が塞がる。
腕の裂傷が薄くなる。
青黒くなっていた脇腹の打撲も、少しずつ色を戻していく。
セリナの呼吸が、わずかに楽になった。
だが、その光景を見て、レオンが眉をひそめた。
「余計なことをするな」
冷たい声だった。
「セリナは守護だ。受けるのが役目だ」
俺はゼルギウスから目を離さずに返す。
「役目と、使い潰すのは違う」
レオンの目が、わずかに細くなる。
「部外者が口を挟むな。セリナはそういう役割を与えられている」
「役割?」
俺はセリナの首元を見た。
小さな錠前。
淡く光る魔法紋様。
「首輪をつけて、目の焦点も合わない子に盾を持たせるのが、お前たちの役割分担か」
レオンの表情が、初めてはっきりと不快に歪んだ。
「お前に何が分かる。こいつは守護だ。王国の戦い方に必要な盾だ」
「仲間じゃないのか」
「勇者である俺を守るための守護だ! それ以上でもそれ以下でもない!」
その言葉で、胸の奥が冷えた。
レオンは悪びれていない。
本気でそう思っている。
残りの二人も何も言わない。
それが、このパーティの当たり前なのだと分かってしまった。
◆
会話の隙を突くように、ゼルギウスが魔力を集中させた。
赤黒い光が、左下腕に集まる。
さっきまでの魔力弾とは違う。
圧が重い。
空間全体を押し潰すような、高圧の魔法だった。
「来るぞ!」
俺が叫ぶより先に、レオンが声を張った。
「セリナ、前で止めろ!」
セリナが出る。
迷いはない。
いや、迷うことを許されていないように見えた。
「待て、今のは受ける攻撃じゃない!」
俺は止めようとした。
だが、ゼルギウスの魔法はもう放たれていた。
赤黒い奔流が、空間を削りながら迫る。
セリナは二枚盾を構えた。
真正面から受け止める。
盾の魔法防御紋様が一斉に光った。
一枚目の盾が赤黒い光を受ける。
二枚目の盾が、その後ろで衝撃を殺そうとする。
だが、威力が重すぎた。
盾が軋む。
腕が震える。
足元の床が砕ける。
セリナの身体が押し込まれていく。
「セリナ、耐えろ!」
レオンの声。
セリナは歯を食いしばることすらなく、ただ前を向いている。
表情が薄い。
感情がない。
なのに、身体だけは悲鳴を上げている。
次の瞬間、二枚盾ごとセリナが吹き飛ばされた。
床を削りながら、後方へ飛ぶ。
俺は動こうとした。
だが、レオンの動きの方が早かった。
助けるためではない。
セリナが受け止めたことで生まれた隙を、攻撃の好機と見たのだ。
「今だ!」
レオンが光の剣を構えて踏み込む。
ヴィオラの雷がゼルギウスの肩へ落ちる。
黒装束の影が、足元から一気に背後へ回る。
三人は、吹き飛ばされたセリナを見ていない。
盾が軋んだ音も。
床に叩きつけられる音も。
まるで、最初から計算に入っていた損耗のように、そのまま攻撃へ移った。
俺は吹き飛んだセリナと、攻め込むレオンたちを交互に見た。
強い。
間違いなく、強い。
だが、あれは違う。
あれは仲間の戦い方じゃない。
俺は剣を握り直した。
魔皇公ゼルギウス=ゼディア。
その前に、もうひとつ。
この戦場には、放っておけないものがある。
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