第91話 三方面決戦開始――シンゴ、戦場を割り振る
六本腕の魔皇公が、ゆっくりと笑った。
それは、笑みというより、処刑の合図に近かった。
「ならば、貴様だけは我が手で潰す」
ゼルギウス=ゼディアの声が、黒い制御空間に沈むように響く。
怒鳴ってはいない。
激昂してもいない。
だが、だからこそ重かった。
ただ決定事項を告げるように、俺の死をそこへ置いた。
蟲王ベルゼ・ローチが翅を震わせる。
闇王ノクス・ヴェインの背から伸びた黒い管が、壁と床を這う。
ゼルギウスは六本腕をわずかに広げた。
三体が同時に動けば、戦場は一気に崩れる。
俺は息を吸った。
怖い。
重い。
足が止まりそうになる。
けれど、ここで止まったら終わりだ。
「全員、聞いてください。相手を分けます」
津詰さんが、視線だけでこちらを促した。
「指示をくれ、シンゴ君」
俺はまず、蟲王ベルゼ・ローチを見た。
蟲の王。
数で押す敵。
必要なのは、範囲火力と、その火力を守る壁。
「蟲王ベルゼ・ローチは、クロエ、副長さん、守田さん(タンク)で対応してください」
クロエがロッドをくるりと回した。
「虫ならクロエ向きだね♪」
副長さんが静かに頷く。
「近づくものは私が落とします」
守田さんが大盾を構える。
「正面は任せてください」
次に、闇王ノクス・ヴェインを見る。
黒い管。
闇の流れ。
支配と侵食。
あれは、個人の力だけで押し返す相手じゃない。
隊として崩れず、管を切り、浄化し、前線を固定する必要がある。
「闇王ノクス・ヴェインは、津詰さん、山崎さん(レンジャー)、三好さん(僧侶)、甲斐さん(タンク)で対応してください」
津詰さんが短く頷いた。
「了解した」
山崎さんが弓を構える。
三好さんが両手を合わせ、浄化の準備を始める。
甲斐さんは大盾を前に出し、黒い管の動きを見据えた。
最後に、俺は後ろを見る。
「ノエルは後衛陣の結界と回復を、フィーネは全体の監視を頼む」
ノエルがふふんと鼻を鳴らした。
「ふふん。後ろは天才天使に任せなさい」
フィーネは小さく頷く。
「……全部、見ます……」
俺はゼルギウスへ視線を戻した。
「魔皇公ゼルギウスは俺がやります」
空気が、一瞬だけ止まった。
六本腕の魔皇公が、俺を見下ろす。
その目には、怒りがあった。
だが、怒りに呑まれてはいない。
殺すと決めた相手を、どう壊すかを考えている目だった。
フィーネが、一歩だけ前に出る。
「……シンゴさん」
「フィーネは全体を見てくれ」
俺が言うと、フィーネは首を横に振った。
「……全体を見ます……でも、シンゴさんも見ます……」
その声は震えていた。
でも、目は逸らしていない。
「……あの六本腕は、普通じゃありません……見えたことは、全部伝えます……」
止める理由はなかった。
フィーネの目がなければ、たぶん俺はあの腕を読み切れない。
「分かった。頼む」
「……はい……」
◆
ノエルが後衛陣の前に立った。
山崎さん。
三好さん。
フィーネ。
その周囲を守るように、ノエルが両手を軽く広げる。
「《多層聖界・プリズムウォール》!」
白い光の層が、後衛陣の周りに重なった。
一枚ではない。
薄い光の膜が幾重にも重なり、黒い管の横槍や蟲の回り込みを受け流すための防壁になる。
ノエルはいつものように得意げに笑ったが、その目は真剣だった。
「回復が必要なら叫びなさい。勝手に死ぬのは禁止よ」
「助かる」
津詰さんが短く返す。
その瞬間、蟲王ベルゼ・ローチが動いた。
「燃ヤせ。焼き尽くセ。灰にシロ。だが蟲ハ、灰ノ下カらも湧ク」
壁、床、天井から黒い蟲の軍勢が溢れ出す。
ただの群れではない。
波だ。
黒い濁流が、クロエたちへ押し寄せる。
守田さんが盾を構えた。
「受けます!」
蟲の波が盾へぶつかる直前、クロエが一歩前へ出た。
「全部焼いちゃうぜ♪ ファイヤーストーム!」
白く鋭い炎が、黒い蟲の濁流を呑み込んだ。
炎は空間の一角で渦を巻き、蟲の群れをまとめて引きずり込んでいく。
焼ける音が重なり、黒い翅が燃え、鎌のような脚が灰になって崩れる。
だが、ベルゼ・ローチは動じない。
灰の向こうから、さらに蟲が湧いた。
「蟲ハ……一匹残れバ、また群レる」
クロエが笑う。
「じゃあ、一匹も残さないくらい焼けばいいよね♪」
副長さんがクロエの横へ入る。
炎をすり抜けて迫る蟲を、剣で落としていく。
蟲王の戦場が、火と黒い群れで埋まった。
◆
同時に、闇王ノクス・ヴェインの周囲で黒い管が動いた。
水のように床を這い、蛇のように壁を伝い、後衛の方へ伸びてくる。
「ながれは、切れぬ。管は、またつながる」
ノクスの声は、静かだった。
だが、静かなぶんだけ気味が悪い。
黒い管が、山崎さんと三好さんへ向かう。
後衛を絡め取り、支援を止めるつもりだ。
甲斐さんが前へ出た。
「通しません!」
大盾が黒い管を受け止める。
山崎さんが矢を放った。
矢は管の根元を正確に射抜き、黒い液を弾けさせる。
「根元を狙います!」
三好さんが続いて手をかざす。
「浄化します!」
淡い白光が広がり、黒い管の表面を焼くように薄めていく。
津詰さんが一歩前へ出た。
「なら、繋がる前に断つ」
剣を構え、ノクス・ヴェイン本体へ向かうための道を探る。
闇王の戦場では、黒い管と協会の連携がぶつかり始めていた。
◆
そして、魔皇公ゼルギウス=ゼディア。
奴は、俺だけを見ていた。
六本の腕が、ゆっくりと持ち上がる。
右手側の上腕には剣。
右手側の中腕には盾。
右手側の下腕には拳。
左手側の上腕には黒槍。
左手側の中腕には盾。
左手側の下腕には、赤黒い魔力弾が浮かんでいる。
攻撃。
防御。
牽制。
魔法。
六本の腕が、それぞれ違う役割を持っていた。
「我が子を殺した力。見せてみよ」
ゼルギウスが言う。
俺は剣を構え、《跳空のブーツ》に力を込めた。
「見せるためじゃない。生き残るために使う」
ゼルギウスが一歩踏み込んだ。
最初に来たのは剣だった。
重い。
正面から振り下ろされるだけで、通路一本を潰すような圧がある。
俺は横へ跳ぼうとした。
その瞬間、跳ぶ先に黒槍が置かれていた。
「っ!」
反射的に踏み込みを変える。
後ろへ下がる。
だが、そこへ右手側の盾が壁のように押し出され、退路を塞いだ。
上へ跳ぶ。
今度は左下腕の魔力弾が、空中に先回りしていた。
着地先には、右下腕の拳。
さらに左手側の盾が、俺の反撃の軌道を潰す位置に入ってくる。
速いだけじゃない。
ただ六本を振り回しているわけでもない。
俺が避ける場所を、先に潰している。
「……シンゴさん!」
フィーネの声が飛ぶ。
「……避ける先を、作らされています……!」
その一言で、頭の中がつながった。
誘導。
ゼルギウスは俺の動きに反応しているだけじゃない。
逃げられる場所をわざと残し、そこへ向かった瞬間に潰している。
選ばされている。
俺は歯を食いしばり、《跳空のブーツ》で床を蹴った。
正面でも横でも後ろでも上でもない。
一瞬だけ壁を蹴り、斜め下へ落ちるように軌道を変える。
黒槍の穂先が肩をかすめた。
熱い痛みが走る。
血が散る。
だが、軽傷だ。
ゼルギウスが、わずかに目を細めた。
「逃げる先を選ばせていると思ったか。選ばせた先を、我が潰している」
重い声だった。
俺は肩の痛みを無視して、剣を構え直す。
「なるほど」
息を整える。
こいつは、強い。
ただ腕が多いだけじゃない。
ただ速いだけでもない。
相手の回避先を読む。
選択肢を並べる。
その先に攻撃を置く。
ゲームで言えば、逃げ道そのものが罠になっているタイプだ。
ただ避けるだけでは、詰む。
ただ速く動くだけでも、詰む。
こいつの作る選択肢の外へ出ないと、斬るどころか近づくこともできない。
◆
三つの戦場が、同時に激化していた。
蟲王ベルゼ・ローチの蟲群が、クロエたちへ何度も押し寄せる。
クロエの炎がそれを焼き、副長さんが近づく蟲を落とし、守田さんが正面を支える。
闇王ノクス・ヴェインの黒い管が、津詰さんたちの連携を絡め取ろうとする。
山崎さんが射抜き、三好さんが浄化し、甲斐さんが防ぎ、津詰さんが本体へ迫る。
後衛の結界がきしむ。
ノエルが歯を食いしばりながら、回復と防御を維持している。
フィーネは全体を見ながら、俺の戦場にも目を向けていた。
「長引かせる気はない」
俺はゼルギウスを見据えた。
フィーネが震えながらも、目を逸らさずに頷く。
「……見ます……必ず、勝ち筋を見つけます……」
蟲王ベルゼ・ローチ。
闇王ノクス・ヴェイン。
魔皇公ゼルギウス=ゼディア。
三つの戦場が、同時に動き出した。
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