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第89話 前も後ろも無双する――分断罠を力で潰せ

「ここからは、切られる前提で進む」


俺の言葉に、全員が短く頷いた。


隊列が組み替わる。


一列目は津詰さんとタンク。

二列目に僧侶とレンジャー。

三列目に副長さんとクロエ。

四列目にノエルとフィーネ。

そして五列目、最後尾に俺ともう一人のタンク。


標準的な前衛、後衛の並びではない。

前に壁を置き、後ろに支援を置く形ではなく、どこで切られても最低限の戦闘単位が残るように組み替えた隊列だ。


敵が前衛と後衛を分けるなら、こちらは前と後ろに役割を偏らせない。

敵がクロエを孤立させたいなら、中央に置いて副長さんに護衛させる。

敵が後衛を物理で潰したいなら、最後尾に俺とタンクを置く。


読まれているなら、読まれる前提で組む。

それが今の答えだった。


「進むぞ」


津詰さんが低く言い、先頭がゆっくりと補助連絡通路へ入った。


標準ルート側では、黒い壁の向こうで小型の魔がうごめいている。

だが、そこに俺たちはいない。

敵が想定した隊列は、もう存在しない。


補助連絡通路は、標準ルートよりも狭かった。


二人並んで進むのがやっとの幅で、壁には水気が染みている。

足元には細い排水溝のような溝が走り、そこを濁った水がちょろちょろと流れていた。

水音が壁に反響し、遠くの足音と近くの足音が混ざって聞こえる。


こういう場所は、本来なら危ない。


視界が狭い。

横へ避けにくい。

後ろに下がるにも時間がかかる。


だが、敵が標準ルート側へ意識を向けている今だけは、この狭さが身を隠す助けになっている。


「……魔の流れ、少しずつこちらへ寄っています……」


フィーネが小さく言った。


「気づかれたか?」


「……まだ、完全ではありません……でも、さっきより速いです……」


俺は端末を見る。


標準ルート側の映像では、黒い壁がさらに厚みを増していた。

その向こうでは、小型の魔が群れを作り、誰もいない通路をうろついている。

後方側には、防御型の大きな影がじっと動かずに立っていた。


囮には食いついた。


だが、いつまでも騙されてくれるわけじゃない。


「来るなら、そろそろだな」


俺が呟いた直後だった。


前方の通路が、ぬるりと黒く濡れた。


壁際の継ぎ目から黒い泥のようなものが滲み出し、床へ広がる。

それは水路の水とは混ざらず、床の上を這うように進み、ちょうど隊列の中央付近を横切る位置で止まった。


「クロエは前衛に!」


俺の声で、クロエと副長が前に出る


その瞬間、黒い泥が一気に盛り上がった。

床から、黒い壁がせり上がる。


標準ルートで見たものと同じだ。

ぬめった黒い表面。

脈打つような嫌な揺れ。

床から天井まで伸び、通路を完全に前後へ切り離す壁。


狙いは、やはり分断だった。


ただし、今回は違う。


壁の前側に残ったのは、津詰さん、タンク、僧侶、レンジャー、副長さん、そしてクロエ。

壁の後ろ側に残ったのは、ノエル、フィーネ、俺、タンク。


前衛だけ。

後衛だけ。


そんな形にはなっていない。


「慌てるな!」


俺は後ろ側から声を張った。


「これは想定内です!」


黒い壁の向こうで、クロエの声が弾む。


「了解っ! じゃあ、クロエがまとめて片づけるね♪」


その直後、壁の向こうから大量の足音が聞こえた。


小さい。

軽い。

だが、数が多い。


床を叩く音が、雨みたいに増えていく。


敵は、前側を小型の群れで押し潰すつもりだ。


本来なら前衛だけを孤立させる罠。

回復も範囲殲滅も届かない状態で、小型の数に飲ませる作戦。


だが、そこにはクロエがいる。



黒い壁の向こう側で、最初に動いたのは津詰さんだった。


「前を押さえる!」


津詰さんが剣を構え、タンクが大盾を床へ叩きつけるように構える。

通路幅いっぱいに盾の壁ができ、その後ろで僧侶とレンジャーが位置を取った。


小型の魔が雪崩みたいに突っ込んでくる。


膝ほどの高さしかない黒い影。

細い腕。

裂けた口。

群れでまとわりつき、足を止め、噛みつき、引き倒すための敵だ。


一体ずつなら弱い。


だが数が多すぎる。


普通の前衛なら、足を取られた瞬間に埋もれる。


だが、その距離まで近づけさせない。


クロエは副長さんの横で、通路の奥を見ていた。


黒い魔の群れが、通路を埋める。

床を這い、壁に張りつき、天井からもぼとぼと落ちてくる。

その全部が、津詰さんたちの防衛線へ届く前に、ひとかたまりの黒い濁流になっていた。


「これは、燃やしやすいね♪」


クロエがロッドをくるりと回す。


副長さんはクロエの横に立ち、近づこうとする個体だけを剣で落とした。

クロエの視界を塞がない。

詠唱の邪魔をさせない。

それだけに集中している。


クロエのロッドの先に、炎が集まった。


赤じゃない。

橙でもない。


もっと白く、もっと鋭い炎。


「まとめて焼くよ? ファイヤーストーム!」


次の瞬間、炎の渦が通路の奥で膨れ上がった。


部屋ではない。

広い空間でもない。

狭い補助連絡通路の先で、白く鋭い火が渦を巻く。


その炎は、ただ前へ流れるだけじゃなかった。

通路の奥で膨らみ、壁に張りついた個体を巻き取り、床を這う個体を呑み込み、天井から落ちかけた個体までまとめて引きずり込んでいく。


黒い濁流が、一瞬で白い炎の嵐の中に消えた。


ぎゃりぎゃりと、耳障りな悲鳴が重なる。


小型の魔たちの身体が、火の渦の中で次々と崩れていく。

逃げようとした個体は、炎の外周に巻き戻される。

壁際へ逃げた個体は、横から走った火の舌に捕まる。

天井へ逃げた個体は、上へ伸びた火柱に呑まれる。


一発で、通路を埋めていた黒い群れの大半が消えた。


「まだ奥にいる!」


レンジャーが叫ぶ。


「見えてる♪」


クロエはもう一度ロッドを振った。


「もう一回、いくよ! ファイヤーストーム!」


二度目のファイヤーストームが、さらに奥で膨れ上がる。


今度は逃げ残った群れの中心を狙っていた。

小型の魔が散ろうとした瞬間、その逃げ先ごと火の渦が広がる。

まるで、通路そのものが炎の胃袋になったみたいだった。


黒い影が、まとめて火に引きずり込まれる。


一体、二体ではない。

十、二十、もっと多い。


数で押し潰すはずだった小型の群れが、数のままクロエの範囲魔法に呑まれていく。


「左、抜ける!」


副長さんが声を上げる。


「お願い!」


「任せろ!」


副長さんの剣が走り、炎を逃れた一体を斬り伏せる。

その後ろにもう一体。

さらにその後ろに、壁から剥がれた影。


だが、どれもクロエへ届かない。


副長さんが落とす。

レンジャーが撃ち抜く。

タンクが押し返す。

そして、クロエの炎がまとめて焼く。


敵の狙いは前衛を孤立させることだった。


だが、そこに殲滅役がいる。


小型の群れは、押し潰す側ではなく、焼き払われる側になった。


「クロエ、いいぞ!」


津詰さんの声が飛ぶ。


「ふふっ、もっと褒めていいよ♪」


壁のこちら側にいても分かる。


前側は圧倒している。

なら、こちらも想定通りに処理するだけだ。



黒い壁の後ろ側。

俺たちがいる後方にも、敵は来ていた。


水路の奥から、重い足音が響く。


ずしん。


ずしん。


水面が揺れ、壁の水滴が震える。

暗がりの奥から現れたのは、大きな黒い影だった。


人より一回り大きい。

全身が黒い外殻に覆われ、肩や腕には岩みたいな突起が生えている。

腕は太く、拳だけで人の胴ほどある。

赤黒い目が二つ、外殻の奥で鈍く光っていた。


防御型アタッカー。

前衛を切り離した後衛を、物理で潰すための敵だ。


ノエルが眉をひそめる。


「見るからに硬そうね」


「クロエの火が通りにくい想定だろうな」


「でも、クロエは向こう側よ」


「そうだな。予定外だろう」


タンクが前へ出る。


「受けます!」


防御型の魔が一気に踏み込んだ。


速い。


重そうな見た目に反して、踏み込みが鋭い。

黒い拳がタンクの盾へ叩き込まれる。


ガァンッ!!


重い音が通路に響いた。


タンクの足が床を削る。

盾で受け止めているのに、身体ごと後ろへ押し込まれる。


だが、崩れない。


タンクは両足を床に食い込ませるように踏ん張り、盾を斜めに傾けて衝撃を逃がした。

二撃目が来る。

三撃目が来る。

拳が盾を叩くたびに鈍い音が響くが、それでもタンクは下がりきらない。


「持ちます!」


その声に、俺は頷いた。


十分だ。


後衛を潰すつもりなら、まずこのタンクを越えなければならない。

そして、その後ろには俺がいる。


フィーネが敵をじっと見て、声を上げた。


「……右脇です……!」

「……腕を振った時、右脇の装甲が開きます……そこなら斬れます……!」


分かりやすい。


硬い敵でも、全部が同じ厚さじゃない。

殴るために腕を振るなら、肩や脇に必ず動く部分がある。

そこに隙間ができる。


「十分だ」


俺は前へ出る。


タンクの横を抜け、剣を抜く。


防御型の魔が俺を見る。

赤黒い目が、ぎょろりと動いた。


本来なら、こいつは後衛を潰すための敵だ。


ノエルやフィーネのような支援役に近づき、魔法を弾き、物理で押し潰す。

前衛がいなければ、それで詰む。


だが、ここにはそれを防ぐタンク役も、攻撃が通る俺がいる。


「後衛を潰したかったんだろ」


俺は剣を構えた。


「悪いな。こっちには俺が残ってる」


防御型の魔が吠えた。


拳が来る。


俺は正面から受けない。

《跳空のブーツ》で床を蹴り、半歩だけ横へ滑る。

拳が肩の横を抜け、風圧が頬を叩いた。


その瞬間、右脇が開く。


フィーネが見た隙間。


そこへ剣を差し込む。


ズバァッ!!


《キングはぐれミスリルドラゴンの剣》の刃が、黒い外殻の隙間を断ち切った。


防御が高い。

外殻が硬い。

魔法が通りにくい。


だからどうした。

この剣は、防御を抜く。


防御型の魔が苦鳴を上げ、身体を捻る。

だが、俺はすでに次の位置へ入っていた。


左膝の裏。

肩の下。

首元の継ぎ目。


フィーネが見つける薄い場所へ、俺が斬り込む。


「……次、左肩です……!」


「了解!」


剣が走る。


黒い外殻が割れ、赤黒い光が漏れる。

防御型の魔が腕を振り回すが、タンクが盾で受け止める。

その隙に俺は踏み込み直し、さらに一段深く刃を入れた。


防御型の魔が体勢を崩す。


俺は最後に、胸の中心へ踏み込んだ。


防御型の魔が両腕を交差させる。

だが、その腕ごと斬る。


剣が黒い外殻を割り、中心の赤黒い核を捉えた。


「終わりだ」


一閃。


核が砕けた。


防御型の魔は、重い音を立てて膝をつく。

外殻がばらばらに崩れ、黒い霧が噴き出した。


前側では、クロエの炎が最後の小型の群れを焼き払っていた。


壁の向こうから、クロエの声が届く。


「こっち終わりっ!」


「こっちも終わった!」


俺が返すと、黒い壁がぐらりと揺れた。


敵の罠は発動した。


だが、崩れたのは俺たちじゃない。


敵の想定の方だった。


黒い壁の表面が波打つ。


ぬめった黒が、上から少しずつ剥がれ落ちる。

床から天井まで塞いでいた壁が、力を失ったように縮み、どろりと床へ沈んでいった。


視界が開く。


前側にいた津詰さんたちの姿が見えた。

タンクはまだ盾を構え、クロエはロッドを肩に乗せたまま得意げに笑っている。

副長さんはクロエの横で、最後の残敵がいないかを確認していた。


「無事か?」


津詰さんが聞く。


「こちらは問題ありません」


「こっちも大丈夫♪ クロエ大活躍だったよ」


「見なくても分かった」


俺がそう返すと、クロエが満足そうに笑った。


分断はされた。


だが、崩れなかった。


隊列を組み替えた意味はあった。



戦闘が終わった直後、フィーネが不意に顔を上げた。


「……待ってください……」


その声が、いつもより鋭かった。


俺は剣を下ろしかけた手を止める。


「どうした?」


「……黒い霧が、同じ方向へ吸い寄せられています……」


見る。


倒した防御型の魔から出た黒い霧。

クロエが焼き払った小型の魔たちから出た黒い霧。


それらはただ空気に溶けるのではなく、床の上を這うように流れたあと、同じ方向へ引っ張られていく。

壁の隙間。

床の継ぎ目。

水路とは逆の、奥へ向かう暗い流れ。


そして、吸い寄せられながら少しずつ薄くなり、最後にはその方向へ消えていった。


「……消えています……でも、自然に消えているんじゃありません……」

「……同じ場所へ、引っ張られながら消えています……」


「戻っているのか」


ノエルが顔をしかめる。


「倒された魔の残りが、どこかへ回収されてるってこと?」


「……たぶん……」


フィーネは、霧が消えていく方向を見つめた。


「……あっちです……黒い流れが、全部あっちへ向かっています……」


俺は膝をつき、黒い霧が消えた床の隙間を見る。


なるほど。


敵は魔を使い捨てているわけじゃない。


倒された魔の残りが、同じ方向へ吸い寄せられている。

なら、その先に何かがある。


命令を出している場所。

魔を生み出している場所。

あるいは、回収している中枢。


どれでもいい。


向かう先は見えた。


「罠は潰した」


俺は立ち上がり、霧が消えた方向を見る。


「次は、出どころを潰す」


黒い霧は同じ方向へ消えた。


なら、その先に中枢がある。

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