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第87話 囮ルートに魔が出た――敵の読みを読み返せ

第87話 囮ルートに魔が出た――敵の読みを読み返せ


幕張臨海ダンジョンの入口は、すでに協会によって封鎖されていた。


普段なら探索者や配信者の姿があるはずの広場には、協会車両が何台も停まり、黄色い規制ラインと簡易バリケードが張られている。

入口付近には特務救援隊の隊員たちが並び、装備の最終確認をしていた。

大盾を背負った隊員。

通信機材を抱えた隊員。

細長いケースに入ったビーコンやセンサーを運ぶ隊員。

その動きは静かだが、全員の顔には緊張があった。


ここから先は、通常の探索ではない。

魔が現れることを前提にした、協会主導の先制捜査だ。


「準備はいいか、シンゴ君」


津詰さんが声をかけてくる。


「はい。行けます」


俺は頷き、隣の三人を見る。

ノエルは腕を組み、いつもより少しだけ真面目な顔をしていた。

クロエはロッドを指先で回しながら、入口の奥を覗くように見ている。

フィーネはすでにダンジョンの中へ意識を向けていた。


「……普通の入口に見えます……」


「魔の気配は?」


「……今のところ、見えません……」


つまり、外から見える範囲では異常なし。

だからこそ不気味だった。


幕張臨海ダンジョン。

普段なら救援訓練にも使われる、比較的整った構造のダンジョン。

広い通路、地下水路、連絡通路、大空洞。

協会にとっては動きやすい場所であり、だからこそ敵に読まれやすい場所でもある。


「本当に出るのかしら」


ノエルが低く言う。


「出てないんじゃない。出るタイミングを待ってるんだと思う」


俺がそう返すと、クロエがにやりと笑った。


「じゃあ、こっちから見つけに行こっか」


「ああ」


津詰さんが周囲の隊員へ指示を出した。


「作戦開始。標準ルート班は二名一組でデコイ装備を配置。設置後は即退避。本隊は補助連絡通路へ移動する」


隊員たちが一斉に動き出す。


「繰り返す。標準ルートは囮だ。何か起こればすぐに退却だ」


標準ルート側へ向かったのは、協会隊員二名だけだった。

一人が発光ビーコン、有線式の簡易カメラ、振動センサーを設置し、もう一人がすぐ横で周囲を警戒する。

二人は常に近い距離で動く。

設置して、確認して、すぐ移動。

装備を置くための最低限の動きだけで、通常のパーティが作るような長い進行隊形にはならない。


今回は、そこが重要だった。


敵が標準ルートを読んでいるなら、そこに反応する。

反応した場所が、そのまま敵の狙いになる。


俺たちは、敵の読みを読むために入る。



ダンジョン内部は、拍子抜けするほど静かだった。


入口からしばらく続く通路は広く、壁も床も整っている。

足元は乾いていて、ところどころに協会が過去に設置した救援訓練用の目印が残っていた。

天井には薄い青白い光を放つ鉱石が埋まり、視界も悪くない。


危険な場所というより、管理された施設に近い。

だからこそ、油断しやすい。


標準ルート班の二人が、赤い線で示された救援ルート上にビーコンを置いていく。

一定間隔で発光する小さな装置が通路に並び、あたかもパーティがそちらへ進んでいるような導線を作っていった。

有線カメラは分岐前と待避ポイント前に設置され、振動センサーは床の継ぎ目に固定される。


二人の動きは速い。

設置する。

確認する。

次へ行く。

そこに、余計な滞在はない。


俺たち本隊は、その横にある補助連絡通路の入り口で、標準ルート側の映像を端末越しに見ていた。


通路は標準ルートよりずっと細い。

壁には水気があり、奥からは地下水路の音が反響している。

足音が水音に紛れ、誰が何歩進んだのか分かりにくい。


フィーネが小さく頷く。


「……本当に、音が紛れます……標準ルート側の反響も混ざっています……」


「いいな。こっちは隠れやすい」


「でも、狭いね。何か来たら避けにくそう」


クロエが壁を指で叩きながら言う。


「そうだな。だから先に見つけよう」


俺は手元の端末を見る。

端末には、標準ルート側のカメラ映像が分割表示されていた。

ビーコンの光。

広い通路。

待避ポイント。

大空洞前の分岐。

有線カメラの映像は、まだどれも正常だった。


だが、何もない時間が長いほど、逆に気持ち悪くなってくる。


津詰さんが、標準ルート班と通信でやり取りをしていた。


『標準ルート班、第一設置地点を完了。第二設置地点へ移動中』


「了解です。引き続き注意してください」


『承知しました。設置が済んだらすぐ戻ります』


その返事を聞き、俺は標準ルート側の映像を見続ける。


敵が本当に見ているなら、どこかで反応する。

それも、ただ適当に襲うのではない。

パーティが通る場所。

立て直す場所。

役割が分かれる瞬間。

そこを狙うはずだ。


しばらくして、端末が小さく鳴った。


標準ルート側の振動センサーが反応した。



カメラ映像を見る。


最初の異変は、入口側ではなかった。

標準ルートの中ほど。

広い通路と大空洞へ向かう分岐の手前。

そこに置かれたビーコンの周囲で、床と壁の継ぎ目が黒く濡れたように変色していた。


次の瞬間、その黒が、ぼこりと膨らんだ。


床の隙間から、泥のような黒いものが押し出される。

それは水でも油でもない。

粘ついた影みたいなものが、床の上でうねり、ゆっくりと形を作っていく。


小さい。

人の膝ほどの高さしかない黒い魔が、二体、三体と床から這い出してきた。

細い腕。

潰れた頭。

裂けた口。

目の代わりに、濁った赤い光だけが揺れている。


ビーコンを壊すでもなく、カメラに向かうでもない。

そいつらは、通路の先――パーティが進むはずだった方向へ身体を向けた。


「出たな」


俺は端末の映像を見ながら、低く呟いた。


魔は入口から追ってきたわけじゃない。

標準ルートの中ほど。

パーティが必ず通る場所に、先回りするように現れた。


解析班の声が近くの端末から流れた。


『標準ルート中間部に反応。小型の魔性個体、複数出現。入口側から順番に広がっている動きではありません』


「やっぱりか」


俺は端末を見つめる。


敵は侵入者を探しているわけじゃない。

ビーコンの反応に食いついている。

そして、パーティが通るはずの場所へ先に回り込もうとしている。


「こいつら、俺たちを探してるんじゃない」


「どういうこと?」


クロエが聞く。


「パーティが通る場所を、先に押さえてる。広い通路、分岐、大空洞の手前。全部、標準救援ルートで一度は通る場所だ」


ノエルが嫌そうに顔をしかめる。


「つまり、パーティが来る前提で待ち伏せしてるってことね」


「そうだな」


標準ルートを囮にした意味が出た。


敵は、読んでいる。

協会のパーティがどう進むかを、かなり正確に読んでいる。


だが、読んでいるからこそ、動きが分かる。


「津詰さん。最初の反応は標準ルート中間部です。入口から追ってるんじゃなく、通過ポイントに先回りしてます」


「こちらでも確認した。読み通りだな」


小型の魔が出た場所。

分岐。

大空洞手前。

広い通路。

敵が「ここを通る」と読んだ場所だ。


そして、その次の反応は、さらに嫌な意味を持っていた。



二つ目の異変は、待避ポイントで起きた。


標準ルート上にある小さな広場。

パーティが一度足を止め、隊列を整え、状況を確認するための場所だ。

そこには、デコイ用の装備ケースとビーコンが置かれている。


カメラ映像の中で、その床がゆっくりと黒く染まり始めた。


黒は通路ではなく、広場の中央へ集まっていく。

装備ケースの下。

ビーコンの周囲。

パーティなら必ず一度使いたくなる場所。


そこが、真っ先に潰されていた。


「道じゃない」


俺は思わず呟く。


「ん?」


クロエが端末を覗き込む。


「敵は道を塞ぎたいんじゃない。休む場所を潰してる」


ノエルが眉を寄せる。


「パーティを休ませないつもり?」


「たぶんそうだ。隊列を整える場所、通信を確認する場所、怪我人が出た時に一度下がる場所。そこを先に潰せば、パーティは立て直せないまま進むしかなくなる」


津詰さんが低く言う。


「待避ポイントの変質を確認した。中継地点として使う予定だった場所だ」


「敵は行動を予測しています。襲いやすい場所じゃなく、立て直す場所を潰してる」


「厄介だな」


「かなり厄介です」


通る場所を押さえ、安全地帯を潰す。

敵はただ暴れているわけではない。

パーティの動きを攻略しようとしている。


俺たちが標準ルートを囮にしたから、それが見えた。


もし本当に標準ルートを進んでいたら、今ごろ中間部で待ち伏せされ、待避ポイントを潰され、立て直す場所も失っていた。

想像するだけで、背筋が冷える。


「でも、こっちは通ってない」


クロエが小さく笑う。


「敵、空振りしてるじゃん」


「ああ。でも、まだ終わりじゃない」


俺はマップを見る。


通る場所。

待避ポイント。


この二つを押さえたなら、次に狙うのは――。


「隊列だ」


口に出した直後、三つ目の反応が出た。


標準ルート側の映像が、急に乱れた。


第二設置地点を終えた協会隊員二名は、第三設置地点に向かっている。

一人がカメラケースを抱え、もう一人が後方を警戒する。

二人の距離は近い。


その直後だった。


二人が通過した少し後ろで、通路を横切るように黒い壁が一枚、床からせり上がった。

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