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第86話 標準ルートを囮にしろ――入る前から始まる攻略戦

幕張臨海ダンジョンへの突入は、明朝。


そう決まったあと、俺たちはそのまま協会本部の地下へ案内された。


「出発前に、装備を確認してもらう」


津詰さんがそう言って、エレベーターの認証パネルにカードをかざす。


低い電子音が鳴り、扉が開いた先には、協会の装備庫が広がっていた。


倉庫というより、整備場に近い。


壁際には防具、盾、ロープ、救助用バッグ。

中央には大型の作業台が並び、その上に小型端末や発光装置、金属ケースに収められた器具がきっちり整理されている。


奥では協会職員が装備の点検をしていた。

誰も無駄口を叩いていない。

だが、動きは慌ただしい。


明日の作戦が、ただの探索ではないことが分かる空気だった。


「幕張臨海ダンジョンは、協会の救援訓練にも使われている場所だ。だから専用装備も多い」


津詰さんが作業台の一角を示す。


そこには、いくつもの装備が並べられていた。


発光ビーコン。

救助ルート表示用のマーカー。

有線式の簡易カメラ。

振動センサー。

中継用の無線リレー装置。

空の搬送担架。

命綱リール。

地下水路用の浮遊マーカー。

折り畳み式の簡易橋ユニット。


見ているだけで、救援隊がどう動くか想像できる。


通路にビーコンを置く。

危険区域にマーカーを残す。

中継装置で通信を確保する。

水路には浮標を流す。

崩れた床には簡易橋をかける。

救助対象を担架に乗せて、標準ルートで戻る。


合理的だ。


すごく合理的だ。


だからこそ、怖い。


「この装備を持って、標準救援ルートに沿って進む想定ですか?」


俺が聞くと、津詰さんは少しだけ目を細めた。


「本来なら、そうだ」


本来なら。


その言い方だけで、津詰さんも同じことを考えていると分かった。


俺は作業台の横に広げられていた幕張臨海ダンジョンの立体マップを見る。


広い通路。

地下水路。

複数の連絡通路。

救援隊の訓練ルート。

待避ポイント。

中継結界の設置予定地。


赤い線で示された標準救援ルートは、とても分かりやすい。


入口から入り、広い通路を進み、大空洞を中継地点にして、地下水路沿いに奥へ展開する。

途中の連絡通路から各班が分かれ、異常地点を確認し、救助対象を回収したら同じルートで戻る。


よくできている。


救助する側にとっては、迷いにくい。


だが、敵がそれを知っているなら。


「このルート、そのまま使うのは危ないですね」


俺が言うと、ノエルが腕を組んだ。


「分かりやすすぎるってこと?」


「ああ」


俺は赤い線を指でなぞる。


「味方にとって分かりやすい道は、敵にとっても読みやすい。救援隊がどこに中継装置を置くか。どこで休むか。どこで担架を広げるか。全部、だいたい決まってる」


クロエが横から覗き込む。


「つまり、そこに罠を置かれたら終わりってことじゃん」


「そういうことだ」


標準ルートは、味方のための道だ。


だが、敵が救援部隊のデータを欲しがっているなら、そこは最高の観測場所になる。


救助班がどこで止まるか。

誰が前に出るか。

誰が後ろを守るか。

どこで分断すれば一番困るか。


敵は、それを見たいはずだ。


「標準ルートは捨てるべきか?」


津詰さんが聞いてきた。


俺は少し考えてから、首を振った。


「いえ。完全には捨てない方がいいです」


「理由は?」


「敵が標準ルートを読むなら、そこに反応するはずです。なら、そこを逆に使えます」


津詰さんの視線が鋭くなる。


「続けてくれ」


俺はマップ上の赤い線を見ながら、作戦を組み立てる。


「標準救援ルートには、俺たちが通ったように見える痕跡を置きます。発光ビーコン、有線カメラと振動センサーなどがいいですね。」


「本隊は?」


「通りません」


本体は赤い線から少し外れた、細い脇道を指した。


「本隊はこっちです。標準ルートの横を通る脇道。救援訓練では補助通路扱いになってますけど、構造的には奥へ抜けられる」


フィーネがマップをじっと見る。


「……そこ、水路の音が反響しやすい場所です……本隊の足音も、標準ルート側に紛れます……」


「それも使えるな」


俺は頷く。


敵が標準ルートを見ているなら、そちらに注意が向く。

本隊の音や気配は、水路と装備の反応に紛れる。


「敵が標準ルート側に黒い魔を集めれば、そこが観測点です。罠を仕掛けるつもりだった場所も分かる。逆に、本隊側の魔の密度は薄くなる可能性が高い」


「なるほど」


津詰さんが低く呟く。


「通常ルートを使わないのではなく、使っているように見せるのか」


「はい」


俺はマップから顔を上げた。


「敵が読みたいなら、読ませる情報をこちらで選びます」


少しだけ、会議室の空気が変わった。


協会側の解析班が、すぐに端末を操作し始める。


「標準ルート側にデコイ装備を置く場合、ビーコンは四基。中継リレーは二基で十分です」


「有線カメラは分岐前と待避ポイント前に設置できます」


「振動センサーは、水路側にも置いた方がいいですね。黒い管の移動が床振動として出る可能性があります」


話が一気に具体的になる。


津詰さんが頷いた。


「よし。標準ルートは囮として使用する。本隊は補助連絡通路から進む。特務救援隊の一部は標準ルートの外縁で待機し、反応が出た場合のみ対応。シンゴ君たちは本隊側だ」


「了解です」


フィーネは地下水路用の浮遊マーカーを手に取っていた。


小さな円盤のような装置で、水面に浮かべると光りながら流れていくらしい。


「……これ、水の流れを見るものですか……?」


近くの協会職員が頷く。


「はい。地下水路で救助対象や隊員が流された場合、水流を読むためのものです」


フィーネはしばらくそれを見つめたあと、小さく言った。


「……水の流れと、魔の流れが同じとは限りません……」


俺はフィーネを見る。


「分かるか?」


「……入れば、たぶん……水は低い方へ流れます。でも、魔は中枢へ向かうかもしれません……」


「それを比較するんだな」


「……はい……」


いい。


地下水路があるなら、水の流れと魔の流れは重要になる。


もし敵が黒い装置を仕込んでいるなら、魔の流れは自然な水流とは違う動きをするかもしれない。


そのズレが見えれば、装置の位置を絞れる。


「浮遊マーカーは多めに持っていきましょう。フィーネが魔の流れを見る。協会の方は水流と振動を見る。ズレが大きい場所があれば、そこが怪しい」


「了解しました」


解析班がすぐに装備数を追加する。


準備が、形になっていく。

ただ突入するだけじゃない。

敵がどう読むかを想定し、その読みを逆に使う。


ゲームで言えば、敵AIの索敵範囲へデコイを置き、本隊はその反応から安全ルートを割り出すようなものだ。

だが、これはゲームじゃない。


ミスれば、誰かが黒い魔に飲まれる。

だからこそ、できるだけ先に読む必要がある。



最後に、津詰さんが作戦内容をまとめた。


「標準救援ルートには、協会装備を配置し、救援隊が進行しているように見せる。本隊は補助連絡通路から進み、地下水路の流れと魔の流れを確認しながら奥へ向かう」


モニターに二本の線が表示される。


赤い線。


標準救援ルート。


青い線。


本隊の進行ルート。


「敵が赤い線に反応すれば、こちらの読み通りだ。その場合、敵の観測点、あるいは罠の起点を割り出す。反応がなければ、青い線で奥へ進み、装置の痕跡を探す」


「目的は、魔の中枢の発見と破壊ですね」


俺が確認すると、津詰さんは頷いた。


「そうだ。ただし、無理はしない。今回の最優先は情報の確保だ。敵の本体がいると判断した場合は、即時撤退も選択肢に入れる」


「分かりました」


「シンゴ君」


津詰さんが、まっすぐ俺を見る。


「今回、君の読みが重要になる」


「はい」


「敵がこちらを読もうとしているなら、その一手先を読んでくれ」


その言葉は重かった。

でも、逃げる理由にはならない。


「やれるだけやります」


俺はそう答えた。


装備庫の奥で、作業員たちがケースを閉じていく音が響いた。


ビーコン。

センサー。

浮遊マーカー。

命綱リール。


ひとつずつ積まれていく装備が、明日の作戦の輪郭を作っていく。


標準ルートは囮。

本隊は脇道。

敵がこちらを読むなら、こちらはその読みを利用する。


だが、それでも胸の奥に嫌な感覚は残っていた。

相手も、ただ待っているだけとは限らない。


幕張臨海ダンジョン。


そこはもう、入る前から勝負が始まっていた。

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