第84話 ピコピコハンマー訓練――次のダンジョンが絞られた
あれから、一週間が経った。
伊勢ダンジョンから戻って以降、俺たちは協会の指示通り、ダンジョンには入っていない。
毎日、ダンジョン協会から報告は入る。
所沢、草津、伊勢、駿河、つくば。
浦安レイドに参加したパーティが関わったダンジョンで、立て続けに魔の異変が起きている件について、協会は調査を続けていた。
だが、まだ決定的なことは分かっていないらしい。
誰が仕掛けたのか。
何のために仕掛けたのか。
どうやって、浦安レイドに参加した者たちを追っているのか。
そのどれも、まだ確証はない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。
この一週間、新しい異変は起きていない。
それはつまり、浦安ダンジョンのレイド参加者に入ダン禁止の連絡を入れたことが、少なくとも効果を持っているということだ。
やはり、狙われているのは浦安ダンジョンのレイドメンバーなのか。
俺はリビングのソファに座り、協会から届いた報告画面を眺めながら、そう考えていた。
「また報告?」
ノエルが麦茶のグラスを片手に、横から覗き込んでくる。
「進展なしだな」
「進展なしなら、平和ってことでいいんじゃない?」
「そう思いたいけどな」
俺はスマホをテーブルへ置いた。
平和。
確かに、ここ数日は平和だった。
フィーネは爆発鉱石入りペットボトルの改良を続けている。
クロエは暇さえあればソファで転がったり、フィーネにちょっかいを出したりしている。
ノエルは酒の補充リストを真剣な顔で作っている。
戦いから離れた日常。
ありがたいはずなのに、どこか落ち着かない。
嵐の前の静けさ。
そういう言葉が、頭の中に残っていた。
◆
そんなある日の午後だった。
クロエが珍しく、真面目な顔で言ってきた。
「お兄ちゃん、ちょっと近接戦の訓練したい」
「珍しいな」
思わずそう返す。
クロエは基本的に、距離を取って魔法を撃つタイプだ。
《闇縛域》で拘束し、炎系の魔法で焼き払う。
近づかれる前に潰す。
それがクロエの強みだ。
そのクロエが、自分から近接戦の訓練をしたいと言い出した。
「この前さ、にんともとかんともみたいに、盾で一気に距離詰めてくる相手いたじゃん?」
「ああ」
「ああいう高速で近接に入ってくる相手、ちょっと苦手かもって思ってさ」
クロエは軽い口調で言ったが、目は真面目だった。
なるほど。
ちゃんと考えている。
「分かった。やろう」
俺は一つ返事で頷いた。
そういう訓練なら、むしろ大歓迎だ。
要塞マンションには、敷地内に広めのスペースがある。
普段は使う機会が少ないが、床は強化素材でできていて、多少の衝撃なら受け止められる。
本気の爆発はさすがに駄目だが、拘束魔法や近接の確認には十分だ。
「ルールはどうする?」
クロエが楽しそうに聞いてくる。
「俺とクロエの一対一。俺は鎧あり。ただし武器はこれだ」
俺は用意しておいた武器を掲げる。
ピコピコハンマー。
赤と黄色の、どう見てもおもちゃのハンマーだ。
クロエが一瞬固まり、それから吹き出した。
「ちょっ、お兄ちゃん、それで戦うの?」
「頭に一発入れたら俺の勝ち。クロエは俺を拘束できたら勝ち」
「なるほどねー。分かりやすいじゃん♪」
ノエルは少し離れた場所で腕を組んでいる。
「ふふん。審判はこの天才天使がやってあげるわ」
「変な判定するなよ」
「失礼ね。私はいつだって公平よ」
「その台詞がもう不安なんだよ」
フィーネは訓練スペースの端で、少し心配そうに見ていた。
「……怪我は、しないようにしてください……」
「ピコピコハンマーで怪我したら、それはそれで問題だな」
そう言うと、フィーネが少しだけ笑った。
◆
「じゃあ、いくぞ!」
「いくね♪ お兄ちゃん」
距離はおよそ二十メートル。
俺は足元に意識を集中する。
《跳空のブーツ》。
踏み込みと同時に、足裏で魔力が弾けた。
一気に距離を詰める。
十メートル。
クロエの間合いに入る。
ここだ。
地面を蹴って、上へ跳ぶ。
その瞬間、俺がさっきまでいた地面に黒い影が広がった。
《闇縛域》だ。
「さっすがー♪」
クロエが笑う。
地上にいたら、そのまま足を取られていた。
だが、俺はすでに上空にいる。
空中で身体をひねり、ピコピコハンマーを片手に、頭からクロエへ飛び込む。
クロエは後ろへステップした。
距離を空けながら、ロッドを構える。
着地を狙っている。
俺が地面に触れた瞬間、再度《闇縛域》を合わせる気だろう。
じゃあ、こうだ。
着地の一秒前。
俺は腰に下げていた《王呼の鐘》へ指をかけた。
チリン。
澄んだ小さな音が鳴る。
クロエの視線が、強制的にこちらへ向いた。
ほんの一瞬。
だが、術のタイミングを計っていたクロエにとって、その一瞬は大きい。
「えっ?」
クロエの表情が揺れる。
そこへ飛び込む。
ぴこんっ。
ピコピコハンマーが、クロエの頭に軽く当たった。
「はい、俺の勝ち」
「えー! 《王呼の鐘》使うなんてずるい!」
クロエが両手を上げて抗議する。
「ずるくないさ。予期せぬことがある。これが訓練だ」
「むーっ」
クロエは頬を膨らませた。
完全に不満そうだ。
その時だった。
「……では、二対一ではどうですか……」
フィーネが、そっと前へ出てきた。
珍しい。
自分から訓練に入ってくるなんて、かなり珍しい。
クロエを気遣っているのか。
それとも、今の戦いを見て、何か思うところがあったのか。
どちらにしても、いい変化だ。
「オッケー。じゃあ、もう一戦やるか」
「……はい」
「今度は負けないんだから!」
クロエはすぐに元気を取り戻し、ロッドを構え直した。
◆
二対一になった瞬間、難易度が一気に上がった。
これは厄介だ。
クロエが狙う。
俺がかわす。
かわした先を、フィーネが狙う。
クロエの《闇縛域》は、地面を使って足を止めにくる。
フィーネの《スネア》は、俺が逃げる先に細く絡ませてくる。
同じ拘束でも性質が違う。
クロエは範囲で面を潰す。
フィーネは流れを読んで点を刺す。
「……右に逃げます……」
フィーネが小さく言った瞬間、俺の右足の着地点に精霊の蔦が伸びた。
「読まれてるな」
俺は足を引き、逆方向へ跳ぶ。
そこにクロエの影が広がる。
「こっちはもらうよ♪」
黒い拘束が床を這う。
俺は《跳空のブーツ》で上へ逃げる。
だが、今度はフィーネが上空の軌道を読んでいた。
「……そこです……」
細い風の流れが、俺の身体の向きをわずかにずらす。
攻撃ではない。
けれど、着地位置が半歩ずれる。
その半歩に、クロエの《闇縛域》が迫っていた。
「おっと」
危ない。
俺は空中で身体をひねり、壁を蹴って軌道を変える。
そのままクロエへ向かう。
まずはクロエを落とす。
二人の連携は厄介だが、術の主導権を握っているのはクロエだ。
クロエにピコピコハンマーを当てれば終わり。
「もらった」
俺は低く踏み込み、クロエの横へ回る。
クロエの反応がわずかに遅れた。
届く。
ピコピコハンマーが、クロエの頭に当たる。
その直前だった。
「《多層聖界・プリズムウォール》!」
横から白い壁が差し込まれた。
ぴこんっ。
ピコピコハンマーはクロエではなく、ノエルの結界に当たった。
「は?」
俺が固まった瞬間、足元に黒い影が絡みつく。
《闇縛域》。
クロエの拘束が、俺の足首をしっかり捕まえていた。
「やったー♪」
クロエが両手を上げる。
「……成功、です……!」
フィーネも珍しく少し声が弾んでいた。
ノエルまで満足げに胸を張る。
「ふふん。完璧な連携だったわね!」
三人がハイタッチしている。
「ちょっ、今のは……」
俺が言いかけたところで、ノエルがこちらを見る。
「予期せぬことがある。これが訓練だ。でしょ?」
「……」
くそう。
その通りだ。
俺はがっくりと肩を落とした。
「一本取られたな」
「とったー♪」
クロエが嬉しそうに跳ねる。
「……ノエルさん、ありがとうございます……」
「いいのよ。こういう時のための天才天使だからね!」
「審判じゃなかったのか、お前」
「状況に応じて役割を変えるのが天才なのよ」
ものは言いようだ。
だが、悪くない訓練だった。
クロエは近接への対処を確認できた。
フィーネは補助の入り方を掴めた。
ノエルは、まあ、ずるい。
いや、対応力が高いと言うべきか。
俺自身も、味方同士でやる訓練だからこそ気づけることがあった。
戦闘は、単純な一対一じゃない。
一人で勝てる場面もあれば、三人に簡単に崩される場面もある。
その事実を、ピコピコハンマー一本で思い知らされた。
◆
その日の夕飯は、やたら賑やかだった。
ノエルが一番盛り上がっていた。
「いやー、今日の私の判断、完璧だったわね!」
「途中参加だったけどな」
「途中参加じゃないわ。戦略的介入よ」
「言い方だけ立派にするな」
クロエは箸を持ったままにこにこしている。
「お兄ちゃん、捕まえた時ちょっとびっくりしてたよね♪」
「まあな。まさか審判が参戦するとは思わなかった」
「ふふん。予期せぬことがあるのよ」
ノエルがまた同じことを言う。
フィーネは控えめに笑いながら、味噌汁を両手で持っていた。
「……でも、訓練しておいてよかったです……」
「ああ。あれはよかった」
俺は素直に頷いた。
こういう時間は大事だ。
戦うためだけじゃない。
自分たちの動きを知るため。
仲間の癖を知るため。
そして、何も起きていない日常を、ちゃんと日常として過ごすため。
この一週間、どこか落ち着かなかった。
けれど、今日は少しだけ違った。
笑って、訓練して、飯を食べる。
それだけで、少しだけ身体の奥に残っていた緊張がほどける気がした。
だが。
そういう時に限って、スマホは鳴る。
テーブルの上で、俺のスマホが震えた。
画面を見る。
津詰さん。
リビングの空気が、一瞬で変わった。
ノエルの箸が止まる。
クロエの笑顔が薄くなる。
フィーネの耳が、ぴくりと動く。
俺はスマホを手に取った。
「もしもし」
電話の向こうから、津詰さんの声が聞こえた。
『シンゴ君。待機中にすまない』
その一言だけで、嫌な予感がした。
『協会の分析班が、次に魔が現れる可能性の高いダンジョンを絞り込んだ』
俺は立ち上がる。
緩んでいた空気が、静かに張り直されていく。
平和な夕飯は、そこで終わった。
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