第83話 採血パニック――狙われた浦安レイド参加者
「津詰さんから、皆さんを病院へお連れするようにと聞いております」
ダンジョン入口の外で待機していた協会の隊員さんが、俺たちへそう声をかけてきた。
相変わらず手回しが早い人だ。
「黒い魔を受けた影響などを、検査したほうがいいとのことで、病院も手配済みです」
確かに、その方がいい。
特に、にんともさんとかんともさんは、ちゃんと検査を受けた方がいいだろう。
二人の腕や首元には、黒いものに侵された痕が、今なお少しだけ残っている。
もう支配は解けている。
命に別条もない。
それでも、あれだけ身体に入り込まれていたのだ。
何もないと決めつける方が怖い。
「分かりました。よろしくお願いいたします」
俺が頭を下げると、隊員さんはすぐに頷いた。
「では、大型のバスを用意しておりますので、皆さんこちらに」
俺たちと、忍ぶ者たちの面々は、隊員さんについていく。
少し離れた場所に、協会のロゴが入った小型バスが停まっていた。
大型というほどではないが、二十人くらいは乗れそうなサイズだ。
車体は白く、側面には簡易医療搬送用らしい青いラインが入っている。
入口には折りたたみ式のステップがあり、車内には普通の座席だけでなく、荷物や装備を固定するためのベルト付きスペースもあった。
鎧、盾、武器、リュック。
普通の送迎バスでは扱いづらいものばかりだ。
こういう車両が用意されているあたり、やはり協会は慣れている。
「乗れますか?」
俺はにんともさんの腕を支えながら聞く。
「ありがとう。大丈夫」
「こっちもいけます」
かんともさんもノエルに支えられながら、ゆっくりと乗り込んだ。
全員が座席に収まると、バスは静かに動き出した。
窓の外には、夜の街灯と規制線の明かりが流れていく。
さっきまで異形の空間で黒い液の雨を浴びかけていたのに、今はシートに座って病院へ向かっている。
現実感が戻ってきたような、逆に遠ざかっていくような、変な感覚だった。
ノエルは腕を組みながら、やたらと偉そうに頷いている。
「ふふん。検査ね。いいわ。天才天使の完全無欠っぷりを現代医療に見せつけてあげるわ」
「見せつける場じゃないぞ」
「分かってるわよ。たぶん」
分かっていない顔だった。
フィーネは窓の外を見ながら、そっと自分の手を握っていた。
「……病院という場所は、痛いことをされるところですか……?」
「基本は治すところだよ。検査だから、怖いことはあまりない」
「あまり……」
「いや、そんなに身構えなくていい」
その横で、クロエがけらけら笑う。
「フィーネ、だいじょぶだって。現代って便利なんでしょ?」
「まあ、そうだな」
この時点では、俺もそう思っていた。
◆
二十分ほどで、病院に到着した。
協会が手配しただけあって、通常の救急入口とは別の搬入口のような場所へ案内される。
建物の中は明るく、清潔で、夜なのにスタッフの動きは早かった。
俺たちが降りると、すぐに看護師さんが数人やってきた。
「皆さん、お疲れさまでした。こちらで検査を行います」
そう言って、先頭の看護師さんが案内してくれる。
通されたのは、一般の外来とは少し違う区画だった。
廊下は広く、壁際には担架や車椅子が置かれている。
ところどころに協会職員らしき人もいて、ダンジョン絡みの急患に対応する場所なのだと分かった。
「更衣室がありますので、そこで診察着にお着替えください」
「じゃあ後でねー」
ノエルが手のひらをひらひらさせながら、女性用更衣室へ向かっていく。
フィーネとクロエもその後ろについていった。
俺は男性用の更衣室へ入る。
中は、いわゆる更衣室よりもかなり広かった。
ロッカーも大きい。
普通の服を入れるだけなら明らかに過剰なサイズだ。
扉を開けて納得する。
中には鎧やブーツ、簡易武器ケースまで入るように、棚板の位置を変えられる構造になっていた。
そうか。
ダンジョン帰りの探索者が来る場所なら、これくらい必要なのか。
鎧を外し、装備をロッカーに入れる。
診察着に着替えると、急に自分がただの病院の患者みたいになる。
さっきまで黒い心臓を斬っていたのに、今は薄い検査着だ。
落差がすごい。
◆
指定された廊下の椅子に座っていると、天井のスピーカーからアナウンスが流れた。
『シンゴさん。一番の診察室にお入りください』
呼ばれた。
「じゃあ、行ってくる」
俺が立ち上がると、ノエルが妙に張り切った顔で拳を握った。
「ドカンとやってやりなさいよ!」
「何をやるんだ」
なぜかノエルのテンションが高い。
その直後、またアナウンスが流れた。
『ノエルさん。二番の診察室にお入りください』
「お、ノエルは二番か。ドカンとやってくれよな」
「任せといて!」
ノエルは親指を立て、勢いよくサムズアップした。
あれは、診察を何か勘違いしているな。
絶対に。
そう思いながら、俺は一番の診察室へ入った。
「どうぞ、おかけください」
先生は年配の男性だった。
白衣の下に淡い青のシャツを着ていて、声は落ち着いている。
机の上にはカルテ用の端末と、検査項目らしい一覧が表示されたモニターがあった。
「ダンジョン帰りということで、念のため一通り確認しますね」
「よろしくお願いします」
椅子に座ると、先生はまず血圧を測り、瞳孔を確認し、喉の奥をライトで照らした。
「では、胸の音を聞きますので、上着を少しめくってください」
言われた通りにする。
聴診器が胸に当たる。
ひやっと冷たい。
先生は何度か位置を変えながら、呼吸に合わせて音を聞いていった。
「大きく息を吸ってください。はい、吐いて」
普通だ。
普通の診察だ。
それがなんだか妙にありがたい。
「それでは背中の音を聞きますね」
背中側にも聴診器を当てられる。
息を吸って、吐く。
先生は表情を変えずに頷いた。
「呼吸音は問題なさそうですね。心拍も大きな乱れはありません」
「よかったです」
「ただ、黒い魔に接触した可能性があるので、血液検査と魔力残滓検査は行います」
やはりそこはダンジョン対応の病院らしい。
◆
「それでは血液検査を行いますね。台の上に右腕を置いてください」
看護師さんが横からやってきて、採血用の台を示した。
俺は右腕を乗せる。
ゴムのバンドを巻かれ、消毒液を塗られる。
ひんやりした感触が腕に広がった。
「チクッとしますね」
針が刺さる。
少しだけ、ちくりとした。
ダンジョンで刃物を受けるのとは全然違う。
痛いというほどでもない。
ただ、皮膚の奥に細い違和感が入ってくる感じだ。
透明な管に、赤い血が流れていく。
何本かの小さな容器に分けられていくのを見て、ああ、本当に検査なんだなと思った。
「気分が悪くなったりしていませんか?」
「大丈夫です」
そう答えた、その時だった。
隣の部屋から大声が聞こえた。
「ちょっと! 聞いてないんですけど! 聞いていないんですけど!」
ノエルだ。
「ぎゃーー! 痛い! 痛すぎるわ! これはもう攻撃を受けるのと同じレベルだわ!」
先生と看護師さんの手が一瞬だけ止まった。
「気分悪いに決まっているじゃない! もうぷんぷんよ!」
俺は思わず頭を下げる。
「騒がしくてすいません」
なぜか俺が謝った。
看護師さんは慣れた感じで微笑んだ。
「大丈夫ですよ。採血が苦手な方は多いですから」
採血が苦手な天使。
字面だけだとかなり弱そうだ。
検査が終わり、診察室から出る。
廊下の椅子には、青くなったフィーネとクロエが座っていた。
完全に聞こえていたらしい。
フィーネは両手を膝の上でぎゅっと握りしめている。
クロエは笑おうとしているが、口元が引きつっていた。
「大丈夫。現代の検査で少し血を採るだけだ。ノエルは大げさなんだよ」
そう言ったところで、二番の診察室の扉が開いた。
ノエルが出てくる。
「もー信じられないわ! 腕にブスリとでっかい注射器を刺して、血をチューチューと何本も何本も吸うのよ!」
フィーネとクロエの顔色が、さらに悪くなった。
「お前は大げさなんだよ。二人が不安になるじゃないか。ドカンとやるとか言ってなかったか?」
「それはそれ、これはこれよ! あんなの聞いてないわ!」
ちょうどその時、アナウンスが流れた。
『フィーネさん。一番の診察室に、クロエさん。二番の診察室にお入りください』
二人が、ほぼ同時に立ち上がる。
フィーネは明らかに震えていた。
「……行ってきます……もし何かあったら……シンゴさん……」
「何もないって」
俺はそう言って、フィーネの頭を軽くぽんぽんと撫でた。
「本当に少しだけだ。終わったら戻ってくればいい」
「……はい……」
クロエはロッドがない手をぎゅっと握っている。
「やってくるわっ。ただじゃあ、やられない!」
「頼むから何もしないでくれ。本当にこれが現代の一般的な検査なんだ」
俺はクロエの頭も軽くぽんぽんと撫でた。
「暴れたら負けだぞ」
「むう。お兄ちゃんにそう言われると、戦いにくいじゃん」
「戦うな」
頭ぽんぽんが効いたのか、二人はどうにか診察室へ入っていった。
しばらくして。
「ぎゃーーーー!」
「……いやーーーー!」
二つの声が廊下に響いた。
俺とノエルは顔を見合わせる。
「ほら、ノエルのせいだぞ」
「私だけのせいじゃないわよ。針が悪いのよ」
「針に罪を着せるな」
やがて、診察室の扉が開いた。
出てきたフィーネとクロエは、完全に疲労困憊だった。
フィーネは半べそをかいていて、耳がぺたんと下がっている。
クロエもいつもの調子が消え、肩を落としていた。
「……生きて、戻りました……」
「クロエ、ちょっとだけ現代に負けたかも」
「よく頑張ったな」
俺は二人の頭を順番に撫でた。
フィーネは目元を赤くしたまま、こくりと頷く。
クロエは不満そうにしながらも、撫でられると少しだけ顔を緩めた。
ノエルが腕を組む。
「ふふん。みんな、採血の恐ろしさを理解したようね」
「お前が最初に騒いだからだろ」
そんなやり取りをしていると、アナウンスが流れた。
『シンゴさん、ノエルさん、フィーネさん、クロエさんは待合室でお待ちください』
「お、待合室に移動だ」
俺たちは案内表示に従って、待合室へ向かった。
◆
待合室には、ござる、うずまき、ちくわの三人がいた。
三人とも診察着の上に上着を羽織っていて、椅子に深く座っている。
疲れてはいるが、顔色はさっきよりかなりましだった。
「シンゴさんたちも結果待ちですか?」
ござるがこちらに気づいて声をかけてくる。
「そうですね。にんともさんとかんともさんは、まだですか?」
「そうね。二人はもっと精密な検査が必要ということで、しばらくは入院になりそうね」
うずまきが少し表情を曇らせる。
「やっぱり、あの黒いのに深く繋がれてたから」
ちくわも小さく頷いた。
「命に別条はないって聞いてます。でも、経過観察が必要みたいです」
「そうですか」
それしか言えなかった。
助けられた。
間に合った。
でも、無傷ではない。
その現実が、静かに胸に残る。
◆
しばらくして、俺たちは順番に呼ばれ、検査結果を聞いた。
俺、ノエル、フィーネ、クロエ。
四人とも、大きな問題はなかった。
血液検査、魔力残滓検査、黒い魔への接触反応。
どれも基準値内。
多少の疲労と軽い擦過傷はあるが、入院の必要はないとのことだった。
「念のため、数日は激しいダンジョン活動を避けてください」
先生はそう言った。
「分かりました」
これは守った方がいいだろう。
診察室を出ると、ノエルが大きく伸びをした。
「ふう。天才天使の完全健康が証明されたわね」
「採血であれだけ騒いでおいてよく言うな」
「健康と痛みに強いかは別問題なのよ」
妙にもっともらしい顔で言う。
帰る支度をしていると、忍ぶ者たちの三人と出くわした。
ござる、うずまき、ちくわは問題なし。
ただ、にんともさんとかんともさんは、このまま入院に決まったらしい。
「そうですか」
俺は頷く。
「また、何か問題や異変があったら連絡ください」
それだけ言うのが精一杯だった。
ござるが頭を下げる。
「ありがとうございます。ほんとに、助かりました」
「こちらこそ、皆さんが無事でよかったです」
◆
協会が手配してくれたバンで、俺たちはマンションまで送ってもらうことになった。
夜の道路を車が走る。
病院の明るさから離れると、急に身体の疲れが重くなった。
フィーネは隣でうとうとしている。
クロエは窓に頭を預けて、珍しく静かだった。
ノエルも腕を組んだまま目を閉じている。
途中、俺のスマホが震えた。
画面を見る。
津詰さんだ。
「もしもし」
『シンゴ君か。まずは礼を言わせてほしい』
電話越しの声は、いつも通り落ち着いていた。
だが、その奥に疲労が滲んでいるのが分かった。
『おかげでしのぶ者たちのパーティを救助できた。ダンジョンで起こりうる災害も防げた。ありがとう』
「いえ。もう少し早ければ、にんともさんたちはあんな目に遭わなかったのですが」
少し間があった。
『にんとも君たちだが、少しずつではあるが、侵食されていた細胞も回復してきていると聞いている』
「本当ですか?」
思わず声が出た。
『ああ。シンゴ君。君は間に合ったんだよ』
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
「そうですか。それはよかったです」
『それと、もう一つ伝えておくことがある』
津詰さんの声が、少し低くなる。
『最近、立て続けに、通常ならばさほど危険がないダンジョンに異変が起こり、魔が出現する事態が続いている』
「はい」
『シンゴ君が行った所沢ダンジョン、草津ダンジョン』
「……はい」
『にんとも君たちが行った伊勢ダンジョン』
そこで、俺は嫌な予感を覚えた。
『ダンジョンバスターのパーティが行った駿河ダンジョン』
ダンジョンバスター。
浦安ダンジョンで一緒にレイドを組んだパーティだ。
『そして、こちらも今日、特務救援隊が救助に行っていたんだが、旅ダンのパーティが行ったつくばダンジョン』
旅ダン。
それも、あの浦安ダンジョンにいたパーティだった。
『全部で五か所。ここ最近、連続して起こっている』
偶然にしては、できすぎている。
「浦安のレイドに参加したパーティが、狙われている可能性があるということですか」
『そうだ』
津詰さんは、はっきりと言った。
『さっき挙げた五件以外に、同種の魔による異変は報告されていない。つまり、あの浦安ダンジョンに参加したパーティが、意図的に狙われている可能性が高い』
所沢で出会った蟲王ベルゼ・ローチ。
あいつは、四本腕の悪魔ヴェルグを倒したことに怒りを見せていた。
あの時は、ただ悪魔同士の関係だと思っていた。
だが、もしあれが報復だとしたら。
「……繋がっているんですね」
『可能性は高い』
津詰さんの声は重かった。
『あの時のレイド参加者には、しばらくダンジョンに入らないよう連絡している。シンゴ君たちも、しばらく入ダンは控えてほしい』
「分かりました」
確かに、最近は妙に強敵との連戦が続きすぎている。
何かがある。
そう考える方が自然だ。
『そして、魔の動きが分かったら、またシンゴ君たちの力を貸してほしい』
「分かりました。いつでも連絡してください」
そう答えると、電話の向こうで津詰さんが小さく息を吐いた。
『助かる』
通話が切れる。
スマホの画面が暗くなる。
車内は静かだった。
だが、どうやらみんな起きていたらしい。
ノエルが目を開ける。
「狙われてる、か」
クロエも窓の外を見たまま言った。
「人気者はつらいね、お兄ちゃん」
「茶化す話じゃないだろ」
「分かってるよ」
フィーネが、膝の上で手を握る。
「……浦安の時から、続いているんですね……」
「ああ」
俺は暗い窓の外を見る。
夜の街は普通に流れている。
コンビニの明かり。
信号待ちの車。
歩道を歩く人たち。
その全部が、さっきまでの黒い心臓とは無関係みたいに見える。
でも、もう分かっている。
ダンジョンの中だけで終わる話じゃない。
浦安で倒した四本腕の悪魔。
所沢の蟲王。
草津の深泉王。
そして、伊勢の黒い心臓。
点だったものが、線になり始めている。
誰かが、俺たちを見ている。
いや。
あの浦安にいた者たちを、順番に狙っている。
俺は小さく息を吐いた。
「しばらく入るな、か」
普通なら、ありがたい忠告だ。
休める。
備えられる。
立て直せる。
だが、相手がこちらを狙っているなら、休んでいるだけで終わるとは限らない。
次に黒い魔が動くとしたら。
次に狙われるのは、誰だ。
その答えを考えた瞬間、胸の奥に嫌な重さが沈んだ。
車は、要塞マンションへ向かって夜道を走っていく。
窓の外の街明かりが流れる。
平和な光の向こうで、見えない悪意がまだこちらを見ている気がした。
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