第80話 にんとも奪還――その奥で脈打つ黒い心臓
「大丈夫っ! 拘束は解けてるし、息もある! 無事だよ!」
クロエの声が響く。
床に崩れ落ちたかんともさんは、苦しそうに息をしながらも、ちゃんと生きていた。
肩も首も変な方向には曲がっていない。
黒い異形の支配からは抜けている。
「……よかった」
胸の奥の力が、ほんの少しだけ抜ける。
だが、安心できたのは一瞬だった。
俺の正面では、にんともさんがまだ盾を構えている。
その背後では、六本腕の悪魔がぴたりと張りつき、細長い腕を肩、肘、腰、膝へ深く食い込ませていた。
にんともさんが、苦しそうに顔を上げる。
「……シンゴさん」
その声は、さっきよりもかすれていた。
次の瞬間、にんともさんが踏み込む。
速い。
一段速くなったというより、動きから“迷い”が消えている。
六本腕の悪魔が、にんともさんの身体を一つの武器みたいに扱っているのだ。
盾を前へ出す角度も、踏み込みの深さも、全部がぴたりと噛み合っていた。
「っ!」
俺は剣を立てて受ける。
ガァンッ!!
重い。
斬られたわけでも、殴られたわけでもない。
ただ、前へ出る力だけで身体ごと持っていかれる。
質量と重心と踏み込みが、一つの塊になって押し込んでくる。
足が滑る。
膝が沈む。
そのまま半歩、二歩と押し込まれた。
「シンゴ!」
クロエの声が飛ぶ。
だが、受け切るしかない。
ここで崩れたら、後ろまで抜ける。
「……まだだ!」
俺は盾の正面に剣を噛ませ、そのまま斜めへ力を流した。
刃を盾の縁へ滑らせ、受ける向きをずらす。
大きく崩せなくてもいい。
まずは揺らす。
にんともさんの盾が、わずかにぶれた。
その一瞬へ、間髪入れずに別角度から切り込む。
肩口。
足元。
返しの軌道。
防御の継ぎ目を探るように、連続で圧をかける。
だが、やはり上手い。
にんともさんは大盾を細かく動かし、受ける面そのものを次々切り替えてくる。
面で受ける。
縁で逃がす。
体ごと半歩ずれて芯を外す。
正面からぶつかるんじゃない。
流して、殺して、次へ繋げる。
そこへさらに、背後の悪魔が上乗せしてくる。
「くそっ……!」
単純に硬いんじゃない。
防御そのものが技術だ。
ノエルも顔をしかめた。
「後ろの悪魔が強化してるのよ! 本人の技術に、あれが無理やり手を加えてる!」
最悪の形だった。
◆
崩せる瞬間はある。
だが、その隙へ切り込むのが危ない。
背後の悪魔は、にんともさんのすぐ後ろに張りついているだけじゃない。
肩から腕へ、背中から腰へ、黒い腕が深く食い込み、盾の動きに合わせて一緒に引いていた。
下手に隙へ切り込めば、悪魔ごとではなく、にんともさん本人を斬る。
まずい。
にんともさんが、苦しそうに息をしながら、それでも盾を上げる。
「……ごめん……止められない……!」
「謝らないでください!」
俺は受け止めながら言う。
「助けます!」
言い切る。
言い切らないと、心が折れる。
その時だった。
にんともさんの目が、ほんの一瞬だけはっきりこちらを見た。
「……シンゴさん」
苦しそうな声。
でも、その中に意志があった。
「私……重いの受ける時……右に流す癖、ある……」
「……!」
「流した後……左手が、盾から離れて……右側へ払われる……」
「そこ……止めて……!」
自分の癖。
自分でしか分からない、防御の一瞬の隙。
本人が、それを差し出した。
俺は息を呑む。
そして、すぐに頷いた。
「分かりました」
短く返す。
「合わせてください」
にんともさんの唇が、ほんの少しだけ動いた。
たぶん、頷いたんだと思う。
◆
「合わせるぞ!」
俺は盾を受けたまま叫んだ。
「俺が正面から重いのを入れる!」
「クロエ、左手を縫ってくれ!」
「フィーネ、接続の薄い場所を探してくれ!」
「ノエル、開いたら浄化を頼む!」
「了解!」
「任せてっ!」
「……見ます……!」
俺は深く息を吸う。
そして、わざと正面から入った。
逃がさない。
重い一撃を、あえて見せる。
「いきます!」
剣を上段に振りかぶり、全力で叩き込む。
ガギィィン!!
にんともさんが受ける。
重い斬撃だ。
普通なら真正面で受ける。
だが、にんともさんの身体が癖通りに動いた。
右へ流す。
盾がわずかに開く。
重心が右へ逃げる。
その瞬間、左手が盾から離れ、払うように右側へ流れた。
「そこ!」
クロエの闇が走る。
《闇縛域》!
床から噴き上がった黒い拘束が、にんともさんの左手へ絡みつく。
右へ払われた腕が、そこで止まった。
盾の角度が、崩れる。
「……今です……!」
フィーネが叫ぶ。
「……背中、右下……!」
「……接続、薄いです……!」
見えた。
にんともさんの背後で、悪魔の腕と黒い流れが重なっている一点。
そこだけ、わずかに細い。
「ノエル!」
「任せなさい! 《浄霊聖波・ターンアンデッド》!」
白銀の光が、にんともさんの肩越しに突き抜ける。
狙いは本人じゃない。
背後の悪魔の、接続部だけだ。
聖光が黒を焼く。
悪魔の腕が二本まとめて弾け飛ぶ。
「ギィィィァァァッ!!」
コウモリ顔の悪魔が悲鳴を上げる。
口が裂け、黒い膜が泡立つみたいに震える。
まだ足りない。
「フィーネ!」
フィーネはすでに、背中へ手を回していた。
取り出したのは、またあのペットボトルだ。
麦茶のラベル。
だが中身は別物。
爆発鉱石と金属片を詰め込んだ新武器。
「……これで、剥がします……!」
にんともさんの横を抜ける軌道で投げる。
異形が気づき、腕を伸ばす。
だが、その腕はもう半分焼けている。
間に合わない。
背後で爆ぜた。
ズバーーーーーン!!!
爆風が部屋を揺らす。
金属片と爆発鉱石の閃光が、異形の背中と壁際の接続部へ叩き込まれる。
黒い管みたいな流路が、そこで大きく裂けた。
「グガァァァッ!!」
背後の黒い腕が浮く。
今だ。
「にんともさん、失礼します!」
俺は剣を腰へ戻し、そのまま身体ごと踏み込んだ。
盾の正面を受ける。
押し込まれる。
それでも止めない。
右に流れているなら、こっちは左から入る。
肩からぶつかる。
盾と俺の体重と、相手の押し込みが一つになった瞬間、俺はわざと横へ崩れた。
にんともさんの身体が、半歩だけ流れる。
そこへ腕を回す。
腰を抱える。
そのまま、背後の黒から引き剥がすように後ろへ引いた。
「っ……!」
にんともさんの背中から、ぬち、と嫌な音がした。
黒い糸のようなものが何本も伸びる。
だが、さっきの浄化と爆発で接続はもう弱っている。
もう一歩。
「抜けろっ!」
全力で引く。
ぶちっ。
ぶちぶちっ。
背中に食い込んでいた黒い筋が、無理やり千切れていく。
細い管みたいなものが引き伸ばされ、最後にはまとめて弾けた。
悪魔が絶叫する。
にんともさんの身体から力が抜ける。
俺はそのまま抱き込むように後ろへ飛び退いた。
「取れた!」
クロエが叫ぶ。
俺の腕の中で、にんともさんが小さく息をした。
意識はある。
黒はまだ残っているが、支配の芯は切れていた。
よし。
助けた。
その直後、背後で六本腕の悪魔が大きくのけぞった。
接続を断たれた身体が、不安定に揺れる。
「ノエル! 今だ!」
「分かってる! ターンアンデッド!」
白銀の光線が、六本腕の悪魔を真正面から撃ち抜いた。
黒い膜が、今度は盾にも何にも守られないまま焼かれていく。
コウモリ顔の口が裂け、長い腕が痙攣し、六本の腕が一本ずつ千切れて闇へ崩れた。
「ギァァァァァッ!!」
最後の絶叫と一緒に、六本腕の悪魔は砕けた。
黒い煙のようにほどけ、そのまま床へ吸い込まれるように消えていく。
◆
「二人とも、大丈夫!?」
ノエルがすぐに駆け寄る。
クロエはかんともさんの肩を支えたまま、にんともさんの方へも目を向けた。
フィーネも膝をつき、二人の顔色と呼吸を確かめている。
「……かなり消耗しています。でも、支配は解けています……」
フィーネの声に、ようやく胸の奥の緊張が少しだけ緩んだ。
かんともさんは息を荒くしながらも、うっすら目を開けている。
にんともさんも俺の腕の中で苦しそうにしつつ、ちゃんと意識がある。
「命に別条はないわ」
「かなり削られてるけど大丈夫」
ノエルがそう言って、短く息を吐いた。
よかった。
本当に、よかった。
だが、その瞬間だった。
部屋の奥の壁が、大きく脈打った。
どくん。
黒い液体が一斉に引く。
壁一面を覆っていた膜が、まるで皮膚みたいに左右へ裂けた。
「……な」
思わず息を呑む。
壁の向こうには、空間とも臓器ともつかない、異様な“奥”があった。
闇の底で、巨大な黒い塊が脈打っている。
ただ大きいだけじゃない。
ぬめる。
膨らむ。
縮む。
拍動のたびに表面が波打ち、裂け目みたいな溝から黒い液がとろりと垂れる。
巨大な心臓。
そう呼ぶしかない。
だが、生き物の心臓よりもおぞましい。
腐っているのに生きていて、死んでいるのに脈打っている。
見ているだけで、身体の奥を掴まれるような嫌悪感があった。
何本もの黒い管が、その塊から壁や床へ伸びている。
太いもの、細いもの、脈打つもの、痙攣するもの。
その一部がこの部屋まで流れ込み、さっきの悪魔や双子へ繋がっていたのが一目で分かった。
「これ……」
ノエルが絶句する。
フィーネが震える声で言った。
「……これは侵食そのものじゃありません……」
「どういうことだ」
俺が聞く。
フィーネは、その巨大な黒い心臓と周囲の管を見たまま答えた。
「……悪魔の体内みたいな器官です……」
「……侵食を、ここから各所へ流しています……」
「……これは、魔を操る装置です……!」
装置。
その言葉が、重く落ちる。
自然じゃない。
偶然でもない。
誰かが流し、誰かが育て、誰かがここへ繋いでいる。
ノエルが低く言う。
「また装置……」
草津の時と同じだ。
ダンジョンの異変じゃない。
異変を起こす仕組みが、持ち込まれている。
フィーネが壁の裂け目の向こうを見つめる。
「……核は、別にあります……」
「……この先です……」
救出は終わった。
だが、異変は終わらない。
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