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第77話 扉の向こうの生存者――必ず戻ります

扉に手をかけた瞬間、違和感が走った。


石じゃない。押し返してくる。ぬるりとした、嫌な抵抗だ。


「……行くぞ」


力を込める。ぎり、と軋む音ではない。

びり、と――裂ける音だった。


その感触が、手にまとわりつく。

石を押した感触じゃない。

どこか柔らかく、生き物みたいに“引き剥がした”感覚が残る。


「……気持ち悪いな、これ」


吐き捨てて、そのまま中へ踏み込んだ。


◆


中に入った瞬間、空気が変わる。


重い。


湿気でも熱でもない。

ただ、圧のようなものが空間を満たしている。


それ以上に異様だったのは――広さだ。


「……広い?」


クロエが呟く。

本来なら小部屋のはずなのに、奥行きが妙に長い。

床は石のはずなのにわずかに波打ち、呼吸するみたいに上下している。


壁には黒い筋。

天井からは糸のような黒が垂れ、ゆっくり揺れていた。


「……部屋じゃない……」


ノエルが低く言う。誰も否定しなかった。


ここはもう“ダンジョンの部屋”じゃない。

何かの内部だ。


◆


「いた!」


中央付近、淡い光に包まれた一角。

簡易結界――だが魔法じゃない。

床に置かれた符と結晶体が光り、半球状のフィールドを張っている。

アイテムで維持している結界だ。


その中に、三人。ござる、うずまき、ちくわ。

三人とも疲弊していた。


鎧は傷だらけで、顔色も悪い。

だが、意識はある。


「シンゴさん……!」

「助かった……ほんとに……」

「来てくれたんだ……」


短い返事。

それで十分だった。


フィーネが、ほっと小さく息を吐く。


「……よかった……」


だが、俺はすぐに本題へ入る。


「にんともさんと、かんともさんは?」


一瞬、空気が止まる。


三人の顔が、目に見えて曇った。


「……奥に行った」


ござるが、絞り出すように言う。


「黒が止まらなくて、このままじゃここも飲まれるって……」


うずまきが続ける。


「“流れを止めないと全滅する”って。一番濃い場所に行くしかないって……」


ちくわは唇を噛んだ。


「あの二人が、足止めするって……行ったの」


逃げ場はなかった。


だから前に出た。


その言葉だけで十分だった。


◆


奥にいる。


「すぐ追おう」


短く言って、剣を握り直す。

クロエが笑い、ノエルが構え、フィーネが静かに頷く。


「……流れ、奥に続いています……」


確定だ。


「中央部に向かう。二人を助けて、黒の流れを止める」


全員が頷いた。

だが、その前に、三人へ声をかける。


「動けるか」


「走るくらいなら、まだいける……」


「わたしも大丈夫……たぶん……」


「後ろは見てられるよ」


三人とも、声は弱いが折れてはいない。


俺は結界の縁に手を置き、結晶と符の状態を確認した。

まだ保つ。


「……三人は、ここにいてください」


一瞬、ござるが目を見開いた。


「え……?」


「にんともさんたちは、俺たちが助けます」


そう言って、結界装置を軽く叩く。


「今ここを動くより、この結界の中にいる方が安全だ」


うずまきが不安そうに唇を噛む。


「でも……」


「必ず戻ります」


俺は短く言い切った。


「だから、今はここで待っててください」


ちくわが小さく息を吐く。


「……分かった。お願いします」


ござるも悔しそうにしながら、頷いた。


「……にんとも達を、お願い」


「任せてください」


フィーネが結界装置を見て、小さく言う。


「……まだ持ちます……」


ノエルも頷く。


「ここなら、すぐには崩れないわ」


クロエがにやっと笑った。


「じゃ、助けに行こっか」


◆


「行くぞ」


結界を背にして、俺たちは奥へ進む。


通路へ戻った瞬間、さっきよりも侵食の密度が増しているのが分かった。

床はわずかに歪み、壁の黒い筋は太くなり、天井から垂れた糸は本数を増やしていた。


その中を進みながら、俺は通路の傷を目で追う。


壁には盾を擦った痕。

床には靴底が削った跡。

あちこちに黒を弾いたような戦闘痕もある。


「……やっぱりか」


「何か分かったの?」


クロエが聞く。


「戦った跡だ。にんともさんたちは、奥へ向かいながら迎撃してた」


ノエルが眉をひそめる。


「止めるつもりで進んでたってこと?」


「ああ」


俺は頷く。


「最初から中央を目指してたんだろうな」


フィーネも床を見ながら続けた。


「……黒の流れも、奥へ集まっています……」


さらに進む。

通路は、まっすぐに見えていた。

だが実際は違う。

角を曲がったはずなのに、景色の繋がり方が曖昧だ。


距離感もおかしい。

数歩しか進んでいない感覚の時もあれば、逆にやけに長く歩いた気がする時もある。


「……空間、歪んでる」


クロエが低く言う。


「道そのものが生きてるみたい」


「生きてる、は冗談じゃ済まないわよ。こういうの、嫌いだわ」


ノエルが吐き捨てる。フィーネは壁の脈をじっと見ていた。


「……でも、流れは同じです……」


「迷ってるわけじゃないってことか」


「……はい……中央へ向かっています……」


その時だった。通路の奥から、低い音が響いた。


ごぼ……

ごぼごぼ……


液体の音に似ている。だが、水じゃない。フィーネがぴたりと足を止める。


「……来ます」


次の角を曲がった、その先。

通路いっぱいの幅で、黒が流れていた。


川だ。

いや、濁流だ。


黒い靄。

液体。

影。

骨。

何かの残滓。

全部が混ざり合って、一つの奔流になっている。


その中心では、人の形をした何かが浮かんでは沈み、また浮かぶ。

生き物の群れみたいでもあり、空間そのものが流れているみたいでもあった。


「……っ」


言葉が出ない。

あれが、侵食の本流。

黒の濁流だった。


通路の奥、さらにその向こう。

見えないのに分かる。あの先に、本体がいる。


「本体の、気配……」


ノエルが低く呟く。

クロエもロッドを握り直した。


「これ、もう雑魚の量じゃないよ」


フィーネは、その濁流のさらに奥を見ていた。


「……中央です……全部、あそこに向かっています……」


俺は剣の切っ先を、黒の流れへ向ける。


ここまで来たら、もう迷いはない。

逃げるんじゃない。

押し切る。


「行くぞ」


誰も止めない。

俺たちは四人で、黒の本流が待つ中央へ向かって踏み出した。


間に合うかじゃない。

間に合わせるしかない。


ここからが、本当の突破戦だ。

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