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第77話 扉の向こうの生存者――必ず戻ります

扉に手をかけた瞬間、違和感が走った。


石じゃない。押し返してくる。ぬるりとした、嫌な抵抗だ。


「……行くぞ」


力を込める。ぎり、と軋む音ではない。

びり、と――裂ける音だった。


その感触が、手にまとわりつく。

石を押した感触じゃない。

どこか柔らかく、生き物みたいに“引き剥がした”感覚が残る。


「……気持ち悪いな、これ」


吐き捨てて、そのまま中へ踏み込んだ。



中に入った瞬間、空気が変わる。


重い。


湿気でも熱でもない。

ただ、圧のようなものが空間を満たしている。


それ以上に異様だったのは――広さだ。


「……広い?」


クロエが呟く。

本来なら小部屋のはずなのに、奥行きが妙に長い。

床は石のはずなのにわずかに波打ち、呼吸するみたいに上下している。


壁には黒い筋。

天井からは糸のような黒が垂れ、ゆっくり揺れていた。


「……部屋じゃない……」


ノエルが低く言う。誰も否定しなかった。


ここはもう“ダンジョンの部屋”じゃない。

何かの内部だ。



「いた!」


中央付近、淡い光に包まれた一角。

簡易結界――だが魔法じゃない。

床に置かれた符と結晶体が光り、半球状のフィールドを張っている。

アイテムで維持している結界だ。


その中に、三人。ござる、うずまき、ちくわ。

三人とも疲弊していた。


鎧は傷だらけで、顔色も悪い。

だが、意識はある。


「シンゴさん……!」

「助かった……ほんとに……」

「来てくれたんだ……」


短い返事。

それで十分だった。


フィーネが、ほっと小さく息を吐く。


「……よかった……」


だが、俺はすぐに本題へ入る。


「にんともさんと、かんともさんは?」


一瞬、空気が止まる。


三人の顔が、目に見えて曇った。


「……奥に行った」


ござるが、絞り出すように言う。


「黒が止まらなくて、このままじゃここも飲まれるって……」


うずまきが続ける。


「“流れを止めないと全滅する”って。一番濃い場所に行くしかないって……」


ちくわは唇を噛んだ。


「あの二人が、足止めするって……行ったの」


逃げ場はなかった。


だから前に出た。


その言葉だけで十分だった。



奥にいる。


「すぐ追おう」


短く言って、剣を握り直す。

クロエが笑い、ノエルが構え、フィーネが静かに頷く。


「……流れ、奥に続いています……」


確定だ。


「中央部に向かう。二人を助けて、黒の流れを止める」


全員が頷いた。

だが、その前に、三人へ声をかける。


「動けるか」


「走るくらいなら、まだいける……」


「わたしも大丈夫……たぶん……」


「後ろは見てられるよ」


三人とも、声は弱いが折れてはいない。


俺は結界の縁に手を置き、結晶と符の状態を確認した。

まだ保つ。


「……三人は、ここにいてください」


一瞬、ござるが目を見開いた。


「え……?」


「にんともさんたちは、俺たちが助けます」


そう言って、結界装置を軽く叩く。


「今ここを動くより、この結界の中にいる方が安全だ」


うずまきが不安そうに唇を噛む。


「でも……」


「必ず戻ります」


俺は短く言い切った。


「だから、今はここで待っててください」


ちくわが小さく息を吐く。


「……分かった。お願いします」


ござるも悔しそうにしながら、頷いた。


「……にんとも達を、お願い」


「任せてください」


フィーネが結界装置を見て、小さく言う。


「……まだ持ちます……」


ノエルも頷く。


「ここなら、すぐには崩れないわ」


クロエがにやっと笑った。


「じゃ、助けに行こっか」



「行くぞ」


結界を背にして、俺たちは奥へ進む。


通路へ戻った瞬間、さっきよりも侵食の密度が増しているのが分かった。

床はわずかに歪み、壁の黒い筋は太くなり、天井から垂れた糸は本数を増やしていた。


その中を進みながら、俺は通路の傷を目で追う。


壁には盾を擦った痕。

床には靴底が削った跡。

あちこちに黒を弾いたような戦闘痕もある。


「……やっぱりか」


「何か分かったの?」


クロエが聞く。


「戦った跡だ。にんともさんたちは、奥へ向かいながら迎撃してた」


ノエルが眉をひそめる。


「止めるつもりで進んでたってこと?」


「ああ」


俺は頷く。


「最初から中央を目指してたんだろうな」


フィーネも床を見ながら続けた。


「……黒の流れも、奥へ集まっています……」


さらに進む。

通路は、まっすぐに見えていた。

だが実際は違う。

角を曲がったはずなのに、景色の繋がり方が曖昧だ。


距離感もおかしい。

数歩しか進んでいない感覚の時もあれば、逆にやけに長く歩いた気がする時もある。


「……空間、歪んでる」


クロエが低く言う。


「道そのものが生きてるみたい」


「生きてる、は冗談じゃ済まないわよ。こういうの、嫌いだわ」


ノエルが吐き捨てる。フィーネは壁の脈をじっと見ていた。


「……でも、流れは同じです……」


「迷ってるわけじゃないってことか」


「……はい……中央へ向かっています……」


その時だった。通路の奥から、低い音が響いた。


ごぼ……

ごぼごぼ……


液体の音に似ている。だが、水じゃない。フィーネがぴたりと足を止める。


「……来ます」


次の角を曲がった、その先。

通路いっぱいの幅で、黒が流れていた。


川だ。

いや、濁流だ。


黒い靄。

液体。

影。

骨。

何かの残滓。

全部が混ざり合って、一つの奔流になっている。


その中心では、人の形をした何かが浮かんでは沈み、また浮かぶ。

生き物の群れみたいでもあり、空間そのものが流れているみたいでもあった。


「……っ」


言葉が出ない。

あれが、侵食の本流。

黒の濁流だった。


通路の奥、さらにその向こう。

見えないのに分かる。あの先に、本体がいる。


「本体の、気配……」


ノエルが低く呟く。

クロエもロッドを握り直した。


「これ、もう雑魚の量じゃないよ」


フィーネは、その濁流のさらに奥を見ていた。


「……中央です……全部、あそこに向かっています……」


俺は剣の切っ先を、黒の流れへ向ける。


ここまで来たら、もう迷いはない。

逃げるんじゃない。

押し切る。


「行くぞ」


誰も止めない。

俺たちは四人で、黒の本流が待つ中央へ向かって踏み出した。


間に合うかじゃない。

間に合わせるしかない。


ここからが、本当の突破戦だ。

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