第76話 侵食領域突入――配信の向こう側は、もうダンジョンじゃない
伊勢ダンジョンに着いたのは、夜だった。
――だが、いつもとは様子が違う。
入口一帯は規制線と照明、簡易バリケードで完全に封鎖され、その外側には野次馬や報道関係者が押し寄せていた。
スマホを掲げる一般人、カメラを構える記者たちがざわめき、入口はちょっとした騒ぎになっている。
「何が起きてるんですか!?」「配信の件ですよね!?」「中はどうなってるんですか!」
飛び交う声を、ダンジョン協会の隊員たちが必死に抑えていた。
「立ち入り禁止です! 関係者以外――」
制止の声が飛ぶ。
だが、その直後、別の隊員がこちらを見て表情を変えた。
「……ああ、シンゴさんですね。津詰さんから連絡を受けています。通してください、とのことです」
「いいんですか?」
「はい。優先案件扱いです」
バリケードが開けられる。
俺は軽く頭を下げて中へ入った。
配信を見たあと、すぐに津詰さんへ連絡を入れていた。
――相変わらず、仕事が早い人だ。
◆
街灯の光に照らされた入口は、一見するといつものダンジョンと変わらない。
だが一歩近づいた瞬間、違和感がはっきりと形になった。
「……なんだ、これ」
石壁が黒く濡れている。
ただの汚れではない。
光を吸い込むような、鈍く重たい黒が、じわじわと広がっていた。
ノエルが眉をひそめる。
「これ……気持ち悪いわね」
クロエはしゃがみ込み、その辺に落ちていた小石を拾い上げた。
「試すね」
「触るな――」
止める間もなく、クロエは石を黒い部分へ軽く当てた。
じゅ、と嫌な音がする。
石がゆっくりと溶け、黒に侵されながら崩れていく。
クロエはすぐに手を離した。
「……あっぶな。触れたらアウトだわ、これ」
「完全にアウトだな」
フィーネが一歩前に出る。
「……入りましょう……」
その声は小さいが、迷いはなかった。
俺は頷く。
「行くぞ」
◆
中に入った瞬間、空気が変わった。
重い。湿気でも熱でもない、圧のようなものが空間を満たしている。
息を吸うと、胸の奥がわずかに詰まる。
「……音、変じゃない?」
クロエの言葉に足を動かす。だが足音は短く、響かない。反響が消えている。
「……ダンジョンの“反響”が消えてます……」
フィーネが低く言った、その直後だった。
奥の通路で何かが動く。
「来るぞ!」
影がこちらへ走り出した。
◆
スケルトン――に見えたが、違う。
骨の隙間に黒が詰まり、関節は異様に多く、腕が不自然に長い。
「気持ち悪っ!」
クロエがロッドを振る。
「《黒炎焼却・ダークフレア》!」
炎が直撃し、スケルトンは砕け散る。
――はずだった。
床に散った骨が、ぬるりと動いた。
黒がそれを引き寄せ、瞬きの間に再構築する。
「っ、戻る!?」
「普通じゃない!」
ノエルが即座に詠唱する。
「《浄霊聖波・ターンアンデッド》!」
白い光が貫いた瞬間、黒が蒸発するように消え、今度こそ完全に崩れた。
「……浄化でしか止まらない……」
「……核がありません……構造ごと変わっています……」
フィーネの言葉に、全員が無言で理解する。
「先を急ぐぞ」
◆
進むほどに異様さは増していった。
壁は黒く侵食され、床はところどころ柔らかく沈む。天井からは黒い筋が垂れ、ゆっくりと脈打っている。
「……これ、ダンジョンじゃない」
クロエの呟きに、誰も否定しなかった。
その時、フィーネが足を止める。
「……ここ」
床に落ちていた矢。
折れ、黒く変色している。
さらに進むと、かんともの盾の欠片が壁にめり込んでいた。
「……間違いない」
「まだ先にいる」
俺は短く言う。
「急ぐぞ」
◆
通路は次第に狭くなり、空気はさらに重くなる。
足元には走った跡。
何度も振り返った痕跡。
――追われていた。
その途中で、配信カメラを見つけた。
「電源……」
スイッチを押すと、ノイズ混じりに起動する。
「再生するぞ」
◆
にんともたちが走っている。
「やばいってこれ!」
「こっち! 扉!」
後ろから黒が這い、モンスターが飲まれて消えていく。
「閉じ込められる! 急いで!」
映像が激しくブレる。カメラが落ち、視点が横倒しになる。
扉に飛び込むにんともたちの姿。
「ここで止める――」
黒が画面を覆う。
まるで、こちらを見つけたみたいに。
「やばい――」
プツン。
◆
「……ここで落としたんだな」
「つまり、この先の扉の向こう」
俺は頷く。
「ボス部屋から逃げて、ここまでたどり着いている」
◆
そして――その扉の前に辿り着く。
重い石扉は閉ざされ、その表面は黒く侵食されていた。
内側から滲むように、じわじわと広がっている。
空気が違う。濃く、重い。
「……中にいます」
フィーネが言う。
俺は扉に手を伸ばす。
冷たい石の向こうに、確実に何かがいる。
仲間か。
それとも――もう別の何かか。
「行くぞ」
扉に手をかけ、押し込む。
――その向こう側で、
何かが、こちらを“待っている”。
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