第75話 第三章開幕・記念配信の異変――黒があふれた伊勢ダンジョン
草津ダンジョンから、一週間が経った。
さすがに皆疲れていたので、その間はダンジョン配信を入れず、ゆっくり過ごした。
とはいえ、何もしていなかったわけじゃない。
フィーネは、ベルガルムにさらわれたことが相当悔しかったらしい。
あの日から、部屋の一角でこつこつと爆発鉱石を使った新しい武器を作っていた。
静かにやっているけれど、気合いはかなり入っていた。
クロエはそんなフィーネの様子を眺めていたり、急に俺へ絡んできたり、ソファでごろごろしながら「真面目だねぇ」と笑っていたりした。
ノエルはノエルで、別方向に騒がしかった。
「なんで私なのよ! とどめ刺したの津詰さんじゃない!」
リビングのテーブルに突っ伏しながら、紙束をばんばん叩く。
「なんで私がベルガルムの報告書をまとめないといけないのよー!」
「知らんよ」
俺が適当に返すと、ノエルはぐぬぬと唇を尖らせた。
何でもノエルの話によると、ここ最近、魔のネームドが立て続けに出現していることについて、天界側でも協会側でもかなり問題視されているらしい。
なるほど、とだけ思って流していた。
気にはなる。だが、だからといって今この場で俺にできることは少ない。
そんなふうに、戦いの余熱と、少しだけ戻ってきた日常のあいだを漂うような一週間だった。
◆
そして、今日。
「さて、そろそろかな?」
俺はリモコンを手に取り、テレビ画面の配信チャンネルを切り替えた。
映したのは、「忍ぶ者たち」のダンジョン配信チャンネルだ。
そう。あの、にんともさん・かんともさんのパーティである。
何でも今日は、にんともさん・かんともさん二人の“初ダンジョン配信記念日”らしい。
毎年この日は、二人が初めて配信したダンジョン――伊勢ダンジョンを巡るのが恒例になっているそうだ。
待機画面が切り替わり、配信が始まる。
「お! にんともさんたちだ」
画面の向こうに、五人の姿が映った。
◆
今日もこの日がやってきた。
八月一日。
それは、私たちにとって特別な日だ。
高校一年生のあの頃。
高校に入ったはいいものの、これだって思える部活も見つからなくて、どうしようか迷っていた時期があった。
そんな時、かんともが言ったのだ。
「ダンジョン配信って、ちょっと興味ない?」
前から配信にもダンジョンにも興味があった私は、すぐにその話に飛びついた。
それで、二人でどきどきしながら初配信をした。
今日は、その記念日だった。
私は一度後ろを振り返って、パーティのみんなを見る。
かんともは、双子の妹。
プレートメイルを着込んだタンクで、自分より大きな盾を持っている。今は私と同じくヘルムを外してリュックに引っかけているので、顔がよく見える。
ござるは、ブレストプレートを着込んだ茶髪ポニーテールの戦士。
得物はハンマー。
うずまきは、チェインメイル姿の黒髪ロングの戦士。
槍を持っている。
ちくわは、革鎧に弓を背負った黒髪ショートのレンジャー。
弓が主武器だ。
「それじゃあ、配信始めるね!」
私はそう言って、配信開始のボタンを押した。
「にんともです!」
「かんともだよ!」
「そして!」
「ござる! うずまき! ちくわ!」
「五人で『しのぶ者たち』でーす!」
いつもの元気な導入だ。
「今日は! なんとなんと! にんとも・かんともの初配信記念デーです! 毎年恒例、原点回帰の伊勢ダンジョン攻略、いっちゃいまーす!」
私がそう言うと、かんともがすぐ続ける。
「恒例の、初めて配信した『伊勢ダンジョン』で攻略配信しまーす! 懐かしさ全開でお届けするよー!」
コメント欄が流れる。
『きたあああ』
『今年もこの日か』
『初期ダンジョン懐かしい』
『しのぶ者たちの記念日すき』
「いやー、ここから始まったんだよねー」
「最初、めっちゃビビってたよね」
「誰でも最初は怖いの!」
笑い声。
軽口。
コメントとの掛け合い。
空気がいい。
今日もいい雰囲気だ。
それが、一番いい。
◆
――じゃあ入口入りまーす。
私は、軽く息を吐いてから先頭で伊勢ダンジョンの入口をくぐった。
この感じ。
ちょっと湿った空気。
石の匂い。
見慣れた通路。
一年に一回だけど、ここへ来るとやっぱり原点って感じがする。
「ここ、最初は右に行ったんだけどー、当たりは左だったんですよねー」
私は配信へ向けて喋りながら、懐かしい通路を指さした。
「で、ここ! この部屋にスケルトンが湧いてたの! 最初の戦闘がここだったんだよねー」
「じゃ、いくよー」
扉を押し開ける。
中は小部屋。
そこに、スケルトンが二体。
「エンゲージ!」
私は叫びながら、かんともと横に並んだ。
私たち二人は、自分の背より大きい盾を構えて前に出る。
スケルトンがこちらに気づき、ぎしぎしと音を立てて駆けてくる。
「来た来た!」
「正面もらう!」
私とかんともは、盾を前に出したまま、そのままぶつかった。
ガゴンッ!!
鈍い音と一緒に、スケルトン二体が木っ端みじんに吹き飛ぶ。
骨が壁と床へ派手に散った。
「戦士役の出番ないじゃない」
後ろから、ござるが半分呆れた声を出す。
「にひひ」
私は思わず笑った。
コメント欄も流れる。
『いいな!このノリ』
『盾が暴力すぎるw』
『戦士二人の出番消えてる』
「このままずっとまっすぐ行ってー」
私は先導しながら、あの頃と同じルートを辿る。
「右に曲がってー」
「突き当たりの部屋に、またいますよ! スケルトンが!」
私は勢いよく扉の前に立った。
「スケルトーーン!」
そう言って扉を開けた、その瞬間。
私は固まった。
中にいたのは、スケルトンじゃなかった。
干からびた人型。
皮膚は青白く、ところどころ灰色に変色している。
錆びた鎧をまとい、眼窩には妖しい光。
ワイトだった。
「なんで!?」
思わず声が裏返る。
「こんなことなかったのに!?」
空気が変わる。
でも、止まってる暇はない。
「エンゲージ!」
私は叫んで、かんともと横に並んだ。
盾を構える。
ワイトがふらりと近づき、その細い腕をこちらへ伸ばしてくる。
嫌な気配がした。
「ガード!」
私は一歩前へ出て、正面からそれを受けた。
重い。
見た目よりずっと重い。
しかも、ただ重いだけじゃない。盾越しに冷たい痺れみたいなものが伝わってくる。
「前出るね!」
ござるが盾の横から飛び出した。
ハンマーを振り下ろす。
うずまきも一歩前へ出て、槍を突き込む。
ガンッ!
ドスッ!
ワイトの身体が揺れる。
だが、倒れない。
「硬っ!」
ござるが声を上げた瞬間、ワイトが腕を振りかぶった。
「させない!」
かんともが盾で横から突っ込む。
盾がワイトの腕を弾き、軌道を逸らす。
「ちくわ!」
私が叫ぶ。
「了解!」
後ろから弓鳴り。
ヒュンッ!
ちくわの矢が、ワイトの喉元に突き刺さった。
ぐらり、と仰け反る。
「今!」
私はそのまま踏み込んで、盾で胸を押し込んだ。
よろけたワイトの胴へ、ござるのハンマーが横殴りに叩き込まれる。
ゴシャッ!!
骨と肉の残滓みたいなものが飛び散った。
続けて、うずまきの槍が胸を貫く。
妖しい光が、ふっと消えた。
ワイトはその場で崩れ落ち、青い光を放って消えた。
しばらく、誰も喋らなかった。
「……今まで、こんなことなかったよね」
かんともが低く言う。
「うん……」
私も頷くしかない。
コメント欄もざわついていた。
『え? ワイト?』
『伊勢ダンジョンってこんなの出たっけ』
『記念配信でこれは嫌すぎる』
『なんかおかしいぞ』
◆
その後は、特に大きな問題もなく順調に進んだ。
進んだ、はずだった。
でも、私は何か普段と違うものを感じていた。
同じに見える。
同じ通路。
同じ部屋。
同じ伊勢ダンジョン。
でも、どこかが違う。
空気が少し重い。
静けさが、変だ。
何かを見落としているような、そんな感じ。
「にんとも。何か感じない?」
かんともが小さく聞いてくる。
やっぱり、かんともも違和感を感じている。
「……感じる」
私はそう答えた。
◆
やがて、私たちはボス部屋の前に辿り着いた。
「ここだね」
「記念ボス戦いきまーす!」
いつもの流れ。
いつもの段取り。
だが。
扉の前で、私は止まった。
「……待って」
自分でも分かるくらい、声が変わった。
コメント欄が一瞬静まる。
「これ……なに?」
ボス部屋の扉の下。
その隙間から、黒い“何か”が出ていた。
靄みたいにも見える。
煙みたいにも見える。
でも、煙にしては重すぎる。
黒が、扉の隙間から滲み出ている。
コメント欄が爆発した。
『は?』
『こんなの見たことない』
『何これ』
『おかしくない?』
かんともが一歩下がる。
「……やめとく?」
私は迷った。
本当に、一瞬だけ。
でも。
「……いや、行く」
そのまま扉へ手をかけた。
押す。
◆
瞬間。
黒が、膨れた。
どろり、と。
空間そのものが歪むみたいに、黒がこちらへ広がる。
「なにこれ」
「ちょ、待っ」
「うわ――」
映像が歪んだ。
ノイズ。
黒い影。
画面いっぱいに広がる“何か”。
コメント欄が一気に流れる。
『やばい』
『逃げろ』
『これダメなやつ』
『切れ切れ切れ』
そして――
配信が、途切れた。
◆
静寂。
部屋の空気が、止まる。
さっきまでついていた笑い声の残り香みたいなものまで、綺麗に消えていた。
テレビ画面は黒いままだ。
配信終了の表示すら出ない。
ノイズの名残だけが、耳の奥に引っかかっている。
「……今の、見たか」
俺が低く言う。
誰も答えない。
答えなくても、分かっている。
あれはただの通信トラブルじゃない。
機材の不調でもない。
ダンジョンの奥で、何かがおかしい。
しかも、かなりまずい方向に。
ノエルが、ゆっくり立ち上がった。
さっきまで報告書に文句を言っていた時の顔じゃない。
「行くわよ」
クロエもソファから起き上がり、ロッドを手に取る。
「うん。これは、ほっとけない」
フィーネが、小さく頷いた。
「……助けに行きます……」
その声は細い。
でも、迷いはなかった。
俺は、もう立ち上がっていた。
「準備するぞ」
短く言うと、部屋の空気が一気に切り替わる。
俺はテレビの黒い画面を睨む。
あれは――
草津で見たものと、同じ“匂い”がした。
熱も蒸気もない。
でも、本質は同じだ。
ダンジョンの奥で、何かが歪み、膨れ、外へ滲み出ようとしている。
もしあれが、草津の時と同じ種類の異常なら。
にんともさんたちは、もうボス部屋の前で足を止めている段階じゃない。
すでに、飲み込まれているかもしれない。
「急ぐぞ」
俺は玄関へ向かいながら言った。
「伊勢ダンジョンに向かう。移動中に協会にも連絡を入れる。最悪、草津の時以上の事態になってる」
ノエルが険しい顔で言う。
「草津より浅い階層で、あれが起きてるならまずいわ。漏れ方が早すぎる」
クロエもロッドを肩に担ぎ直した。
「ってことは、下手したらダンジョンの中だけじゃ済まないかもってこと?」
フィーネが小さく息を呑む。
「……はい……あれ、広がる感じがしました……」
その一言で、背筋が冷えた。
草津では、王の間の奥で異常が完成していた。
だが今回は違う。
もっと手前。
もっと浅い場所。
もっと人の出入りに近い場所で、黒が滲み出ていた。
それはつまり――
伊勢ダンジョンそのものが、すでに侵され始めているということだ。
俺はドアノブを掴んだ。
間に合うかは分からない。
配信が途切れた、その先へ。
にんともさんたちがまだ戦っているのか、
逃げているのか、
それとももう――
考えるのは後だ。
今は、走るしかない。
ドアを開ける。
夜の空気が、肌を刺した。
次に俺たちが踏み込むのは、
“記念配信のダンジョン”なんかじゃない。
黒があふれ出した、次の異変の現場だ。
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