第74話 貸し切り温泉旅館――ご褒美は湯けむりの夜
津詰さんにもう一度頭を下げてから、俺たちは中型のバンに乗り込んだ。
「では、出発します」
運転席の隊員さんが振り返る。
「お願いします」
俺がそう返すと、バンは静かに走り出した。
窓の外に、夜の草津が流れていく。
石畳の道。
軒先から立ち上る湯けむり。
旅館の灯り。
温泉街らしい落ち着いた景色なのに、ついさっきまで地の底で死にかけていたせいか、全部が少し夢みたいに見えた。
しばらくして、車は草津の中心から少し外れた場所で止まった。
昔ながらの旅館だった。
二階建ての木造。
玄関の上にはやわらかな灯り。
派手ではないけど、いかにも“いい宿”という空気がある。
「到着しました。今回はありがとうございました」
運転手さんがそう言う。
「いえいえ。送迎ありがとうございました」
思わずこっちが恐縮する。
車から降りると、すでに数人の旅館の人が玄関先に並んでいた。
「シンゴ御一行様。ようこそいらっしゃいました」
少し年配の女将さんが、丁寧に頭を下げる。
「お世話になります」
俺も慌てて頭を下げた。
「本日は、シンゴ御一行様の貸し切りとなっておりますので、どうぞご自由におくつろぎください」
「やった! 貸し切り!」
ノエルが真っ先に声を上げた。
「いえーい♪ ガチでアガるやつじゃん♪」
クロエもノリノリだ。
「……ありがとうございます……」
フィーネも小さく頭を下げていたが、耳が少しだけ嬉しそうに揺れていた。
「それでは、お部屋にご案内いたします」
女将さんに案内され、廊下を進む。
館内は木の匂いがした。
磨き上げられた床板。
静かな照明。
ところどころに飾られた季節の花。
歩いているだけで、戦闘の熱が少しずつ外へ抜けていく感じがする。
「シンゴ様は、こちらのお部屋で、女性の皆様は向かいのお部屋となっております」
女将さんが襖の前でそう言った瞬間、クロエがすぐに口を挟んだ。
「えーーーっ! お兄ちゃんと同じ部屋がいいなぁ!」
「そうね! せっかく温泉に来たんだから、みんな同じ部屋で朝まで宴会よ!」
ノエルまで乗ってくる。
「……わたしも……同じ部屋がいいです……」
フィーネまで続いた。
「おいおい。おまえたち……」
俺が苦笑すると、女将さんが口元に手を当てて、くすりと笑った。
「あらあら。仲が良いんですね。ではこちらの大部屋にいたしましょうか」
「いぇーい♪」
「そう来なくちゃ!」
ノエルとクロエが即座に盛り上がる。
案内されたのは、普段なら十人くらいで泊まれそうな広い和室だった。
床の間もあるし、大きな窓もある。
中央には立派な座卓。
布団を四つ並べても、まだまだ余裕がある広さだ。
「温泉はこちらを進んで右手にございます。お食事は二十時にお持ちいたします。それまで、どうぞごゆっくりお過ごしください」
そう言って、女将さんは下がっていった。
時計を見ると、今は十九時半だった。
「荷物を置いて、ゆっくりしよう」
「はーい♪」
ノエルが元気に返事をしたかと思うと、すぐ座卓の上へ目を向けた。
「あ! お菓子見っけ!」
温泉まんじゅうだ。
ノエルはさっそく一つ手に取って、もぐっと頬張った。
「早いなお前は」
俺は呆れながら、急須と湯呑みに目をやる。
「お茶を入れてやる」
湯呑みに注いでやると、ノエルはまんじゅうを頬張ったまま片手を上げた。
「あざます!」
「食うか飲むかどっちかにしろ」
「どっちもしたいのよ!」
クロエも楽しそうに湯呑みを持つ。
「お、いい匂いするじゃん♪」
フィーネも両手で湯呑みを持って、そっと口をつけた。
「……落ち着きます……」
その一言で、ようやく俺も肩の力を抜いた。
◆
しばらくして、仲居さんたちが食事を運んできた。
いわゆる温泉旅館のコース料理だ。
だが、これが想像以上に豪勢だった。
先付けには、小さな器に盛られた季節の品が並ぶ。
胡麻豆腐、湯葉、山菜のおひたし、上品に炊かれた小魚。
器ひとつひとつまで綺麗で、見ただけで“ちゃんとしてる”と分かる。
続いて、氷を敷いた大皿に刺身。
鮪、鯛、甘えび、引き締まった白身、湯引きされた川魚。
どれも艶があって、包丁の入れ方まで丁寧だ。
さらに、蓋を開けた瞬間に湯気と出汁の香りが立ちのぼる煮物椀。
柔らかく煮た大根、鶏つみれ、柚子の香り。
陶板では上州牛らしい肉がじゅうじゅう音を立て、ねぎやきのこと一緒に甘い香りを広げていた。
焼き魚。
揚げたての天ぷら。
茶碗蒸し。
釜炊きのご飯。
最後には果物と小さな甘味まで控えている。
「……すご」
思わず本音が漏れる。
「これは美味しいやつだわ!」
ノエルの目が完全に輝いていた。
「旅館つよっ。草津つよっ♪」
クロエも上機嫌だ。
「……きれいです……」
フィーネは料理を前に、少し感動している顔だった。
俺は徳利を持ち上げた。
「それでは、色々あったが無事に終わったことを祝して」
「かんぱーい!」
四人の声がそろう。
盃を傾ける。
戦いのあとだからか、余計に染みる。
張りつめていたものが、少しずつほどけていく感じがあった。
「これは美味しいわぁ! お酒もうまい!」
ノエルはもう幸せそうだ。
「お刺身おいしいっ♪」
クロエも箸が止まらない。
「……美味しいです……」
フィーネは一口ずつ丁寧に食べている。
でも気づけば、食べる速度はだいぶ上がっていた。
俺も箸を進める。
とにかく全部うまい。
刺身は新鮮だし、煮物は出汁が上品だし、肉はやわらかい。
釜炊きのご飯も、ついもう一杯ほしくなる。
折角の温泉旅館だしと、俺は日本酒にした。
これが大当たりだった。
クロエも「せっかくだし」と日本酒にしている。
「お、これ好きかも♪」
「飲みすぎるなよ」
「だいじょぶだってー♪」
その横で、ノエルとクロエがじーっとフィーネを見る。
「……な、なんですか……?」
「フィーネも少し飲みましょ!」
「旅館だし、ひとくちだけでもいけるって♪」
無言の圧に押されて、フィーネが小さな盃を持った。
「……では、少しだけ……」
そっと口をつける。
「……どうだ?」
「……熱いです……でも、変な感じじゃないです……」
「それ、酔いやすい言い方よ」
ノエルが笑った。
食事が進むにつれて、四人ともだいぶテンションが上がってきた。
「いやー。今回もこの天才天使は大活躍だったわー!」
ノエルが徳利片手に寄ってくる。
「はいはい。助かったよ」
「もっと感謝していいのよ?」
「してるしてる」
「軽い!」
クロエも笑いながら口を挟む。
「でも今回、フィーネもすごかったよねー♪ あの見切り、マジで神ってたじゃん」
「……そ、そんなこと……」
「あるある。めっちゃあった♪」
フィーネがまた赤くなる。
見ていて、ちょっと面白い。
四人でハイテンションのまま料理を食べ終えた。
「それじゃあ」
ノエルが立ち上がる。
「温泉ね!」
◆
部屋に置かれた浴衣を持って、温泉に向かう。
当然、男湯と女湯は分かれている。
「えーっ、お兄ちゃん一緒じゃないのぉ」
クロエがわざとらしく残念そうな声を出した。
「ぶっ」
思わず吹き出す俺。
ノエルも腕を組んで、ふふんと胸を張る。
「いいわよ、一緒でも。せっかくだし」
「何が“せっかく”なんだよ」
フィーネは浴衣を抱えたまま、顔を真っ赤にして視線を泳がせていた。
「……そ、その……急に言われると……困ります……」
耳までしっかり赤い。
「じゃあまた後で。。」
そう言いながら、こっちはこっちで少しだけドキドキしていた。
◆
脱衣所はやたら綺麗だった。
木目の整った棚。
磨かれた床。
清潔な籠。
洗面台には整ったアメニティ。
いかにも老舗旅館らしい、きっちりした空気がある。
服を脱いで、浴場へ入る。
湯気がふわりと立ちこめる内風呂。
その奥にはガラス戸があり、さらに露天風呂へ続いていた。
内風呂は石造りで、しっとりと落ち着いた雰囲気。
露天風呂は外の空気に開かれていて、夜風が少しだけ頬に当たる。
折角なので露天風呂に入る。
湯に浸かった瞬間、思わず声が漏れた。
「……うあー……」
疲れが溶ける。
熱すぎない。
ぬるすぎない。
ちょうどいい。
肩まで浸かって空を見る。
夜の草津の空気は澄んでいて、遠くには温泉街の灯り。
屋根の向こうから立つ湯けむりが、夜に白く溶けていた。
さっきまで地の底で死にかけていたのが嘘みたいだ。
「生き返るな……」
本気でそう思う。
その時だった。
「うあー! 改めて見ると凄いわねクロエ!」
ノエルの声だ。
女湯は壁を挟んで隣らしい。
湯の音と一緒に、思ったより声が通る。
「でしょ♪」
「ちょっと触ってみても良い?」
「ぶっ」
何を言っているんだあいつは!
「うわー凄い!柔らくもしっかりとした弾力もあり、ぴちぴちしているわ!」
何を言っているんだあいつは!
「おにぃちゃんも、いつでもさわってもいいんだよ♪」
「おい!変なことを言うな!」
思わず突っ込む!
「あーっ♪聞こえてた。お兄ちゃん!♪」
「すごいのよ!シンゴさん!すごいのよ!」
「いつでもいいよ♪」
「良くない!」
壁一枚向こうで、きゃっきゃとはしゃぐ声が続く。
そのうち、がらがらと音がした。
「おおーーー! フィーネの肌きれーー!」
ノエルの大声。
「やるわねっ♪」
クロエもすぐに続く。
少し間があってから、フィーネの声がした。
「……そんなに言われると……恥ずかしいです……」
声が小さい。
でも、完全に照れている時のやつだった。
たぶん今ごろ、肩をすくめて、耳まで真っ赤にしてる。
なんてことをしながら、温泉でゆっくりする。
◆
上がってから、みんなでフルーツ牛乳を飲む。
「おいしい♪」
「……おいしいです……」
やっぱり風呂上がりはフルーツ牛乳だな。
冷たくて、甘くて、やたら沁みる。
◆
部屋に戻ると、テーブルが端にやられ、お布団が四つ敷かれていた。
並びは、ノエル、フィーネ、俺、クロエの順番だ。
電気を消して、さあ寝ようかという空気になる。
その時、ノエルがぽつりと言った。
「たまには、四人そろって寝るのもいいわねー」
「そうだな」
俺も素直に答えた。
少しして、すぐにノエルの寝息が聞こえてきた。
早いなあいつ。
そう思っていたら、左から、もぞ……と小さな感触があった。
フィーネだった。
こっちを見る。
布団の中で、そっと手を伸ばしてきている。
俺の手を、弱く握る。
顔は暗くてよく見えない。
でも、たぶん起きている。
俺は少しだけ、その手を握り返した。
小さく、きゅっと。
そのぬくもりが、言葉よりずっとはっきり伝えてきた。
――今日は、ちゃんと守れたんだと。
暗い部屋の中で、俺は静かに息を吐いた。
ノエルの寝息。
クロエの寝返り。
隣から伝わるフィーネの体温。
どれも、当たり前みたいで、
少し前まで当たり前じゃなかったものだ。
草津の戦いは終わった。
深泉王ベルガルムは倒れ、
温泉街は守られた。
――けれど。
地の底で見た、あの巨大装置。
ベルガルムの不自然すぎる在り方。
そして、それを“作った”何者かの意図。
終わったはずの戦いの、その先を、
俺はもう知ってしまっている。
これは、終わりじゃない。
次は――どこだ。
静かな旅館の夜。
湯けむりの向こうで、草津の町は眠り始めている。
その穏やかさの中で、
俺はフィーネの手を、もう一度だけ握り返した。
――第二章、完。
【第二章、ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!】
草津ダンジョン編、いかがでしたでしょうか。
フィーネの救出、深泉王ベルガルム戦、
そしてそれぞれの絆を描けた章になりました。
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そして物語は――第三章へ。
新たな異変、黒幕の影、さらに広がるダンジョンの謎。
ここから一気に加速していきます。
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