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第73話 崩落脱出――ただいまです

次の瞬間、王の間全体が大きく沈んだ。


床が傾く。


ぐらり、と視界そのものが斜めに滑った。

石床の継ぎ目が悲鳴みたいな音を立てて裂け、赤く光る湯脈があちこちで露出する。

天井からは細かい石片がぱらぱらと降り、奥では巨大装置の残骸がきしむように軋んでいた。


終わりじゃない。

むしろ、ここからが本番だった。


「撤退だ!」


津詰さんの怒鳴り声が響く。


中央の源泉だまりが、底から煮え返るように暴れ出した。

崩れた巨大装置のパイプから熱湯が噴き上がり、白い蒸気が王の間を埋めていく。


「出口までの最短ルートを確保する! シンゴくんたちは中央に! 盾組、前! 後衛は落石警戒!」


「了解!」

「行くぞ!」

「後方、見ます!」


特務救援隊が一斉に動く。


さすがだ。


つい今しがた飛び込んできたばかりなのに、もう現場の空気を掌握している。

誰が前に出るか、誰が守るか、誰が退路を見るか。

その判断が迷いなく速い。


「フィーネ、立てるか」


俺が聞くと、腕の中のフィーネは小さく頷いた。


「……だいじょうぶ、です……」


声は細い。

でも、立とうとしている。


無理はしてる。

それでも、自分の足で立とうとしているのが分かった。


「ほらっ」


俺はその場にしゃがみ込み、背中を見せた。

おんぶだ。


「……え……」


フィーネは少しだけ目を見開き、それから耳まで赤くした。

遠慮している。


「はやく」


「……はい」


小さな返事のあと、フィーネがそっと体を預けてくる。

背中に回された腕は弱々しい。軽い。軽すぎる。


俺はそのまま立ち上がった。


その時、俺たちの右側の床が大きく沈んだ。


石床が割れ、その下から赤く光る湯脈が露出する。

続いて、熱湯が細い槍みたいに吹き上がった。


「急ごう」


「そのまま進め! レンジャー、先行して落石確認! タンクは両脇固めろ!」


津詰さんがさらに指示を飛ばす。


前をレンジャーが走り、左右をフルプレートの盾持ちが塞ぐ。

完全に“逃がす陣形”だ。


走り出す一団。


振り返ると、王の間の奥が完全に崩れ始めていた。


ベルガルムの割れた外殻。

巨大装置の残骸。

逆流する熱湯。

折れたパイプ。


全部が蒸気と一緒くたになって、白い濁流みたいに押し寄せてくる。



来た道を最短で戻っていく。


狭い通路。

濡れた石床。

熱を帯びた空気。


背中のフィーネが、苦しそうに小さく息をしているのが分かる。


「苦しくないか」


「……だいじょうぶ、です……」


強がってるのは分かる。

でも、今はその一言がありがたかった。


ゴゴンッ!!


横道の天井が大きく沈む。


「上だ!」


誰かが叫んだ瞬間、前方で白い光が走った。


白い壁が頭上に展開される。

崩れ落ちた岩がそこで止まり、ばらばらに砕けて散った。


ノエルだ。


「危なっ……! ちょっと、今の直撃してたら洒落になってないわよ!」


「助かった、ノエル!」


「ふふん……って言いたいけど、ほんとにギリギリなんだから!」


その直後、左の壁がめきめきと音を立てて膨らんだ。


「壁も来る! 右寄れ!」


津詰さんの声。


全員が一斉に右へ寄る。

次の瞬間、左壁の一部が内側へ崩れ、熱湯混じりの泥と石が通路へなだれ込んだ。


「うわ、やっば……!」


前を走っていたレンジャーが振り向く。


「出口、もうすぐ!」


その声に、全員の速度が一段上がった。



白い光が見えた。


ダンジョンの歪んだ出口だ。


その向こうには、夜気がある。


外だ。


「そのまま抜けろ!」


津詰さんの号令と同時に、全員が一気に地上へ飛び出した。


冷たい空気が、肺に流れ込む。


「っは……」


神社の境内だった。


夜だ。

空気が冷たい。

草津の町の灯りが遠くに揺れている。


医療班が駆けつける。

協会支部から駆けつけたサポート人員も見える。


でも、一つだけはっきり分かることがあった。


草津の異常噴出は、止まっていた。


さっきまで地の底から響いていた不気味な脈動もない。

温泉街の空も、少しずつ静けさを取り戻している。


終わった。


本当に。


その実感が、ようやく胸の奥に落ちてきた。


俺はそっとフィーネを降ろす。


少しふらついたので、肩に手を回して支える。

フィーネは一度深く息を吸って、俺を見上げた。


銀髪は乱れている。

服も煤けている。

でも、あの目はちゃんと生きていた。


それから、フィーネは小さく口を開いた。


「……ただいまです」


胸の奥が、一瞬きゅっとなった。


俺は、できるだけいつも通りの顔をして返す。


「遅い」


フィーネの耳がぴくりと揺れる。


そのまま、反射みたいに頭へ手が伸びていた。


ぽん。

ぽん。


「よく戻った」


フィーネは、一瞬だけ目を丸くした。

それから、ふにゃっと力の抜けた顔になる。


「……はい……」


泣きそうだった。


でも泣かなかった。

その代わり、すごく安心した顔で、少しだけ笑った。


その顔を見た瞬間、ようやく本当に取り戻せたんだと分かった。



「……間に合ってよかった」


すぐ近くで、津詰さんが小さく言った。


俺は振り向く。


「来てくれて助かりました。ほんとに」


「配信見てたからな」


津詰さんは、いつもの口調で答える。


「依頼を出したあと、特務救援隊を集めて、近くの協会支部で待機してた」


特務救援隊の一人が、苦笑まじりに補足する。


「で、フィーネさんが連れ去られた瞬間、隊長が“最悪のケースだ、全員すぐ動け! 一分でも遅れたら終わるぞ!”って」


「黙れ」


津詰さんが短く遮る。


でも、ちょっとだけ顔を背けた。


ああ、本気で焦ってくれてたんだな、と分かる。


「いや、ほんと助かりました」


俺が改めて言うと、津詰さんは肩をすくめた。


「全員、生きて出た。それでいい」


その言い方が、なんだかすごく津詰さんらしかった。



少し離れた場所では、協会の技術班が回収した破片を確認していた。


巨大装置の残骸。

ベルガルムの外殻の欠片。

焼けた配管の一部。


フィーネが、そちらを見つめていた。


「……まだ、嫌な感じがします……」


「装置か?」


「……はい……止まりました……でも……」


言葉を探すように、フィーネが少しだけ眉を寄せる。


「……あれは、自然にあったものじゃありません……」


津詰さんも、その方を見た。


「だろうな。あんなもんが最初からダンジョンに生えてるとは思えん」


フィーネは、静かに頷く。


「……ベルガルムは、生まれた存在というより……誰かに作られたように感じます……」


夜の空気が、一瞬だけ冷たくなった気がした。


「誰かが、悪魔を生みだした……ってことか」


「……その可能性があります」


最近、魔が多く出現した。


浦安。

所沢。

草津。


全部が、どこかで繋がっているかもしれない。

そう考えた方が自然だった。


俺が息を吐くと、津詰さんがこっちを見た。


「今夜はもう休め」


「でも、報告とか――」


「こっちでやっておく」


津詰さんはそう言ってから、少しだけ言いにくそうに視線を逸らした。


「……宿は手配してある」


「宿!?」


ノエルがぴくっと反応する。


クロエも目を輝かせた。


「なになにっ?」


津詰さんは短く言った。


「旅館だ。貸し切りで押さえた」


一拍おいて。


「……あんな目にあったんだ。ゆっくり休んでほしい」


沈黙。


次の瞬間。


「温泉! お酒! ごちそう!」


ノエルが真っ先に食いついた。


「貸し切りいいじゃん♪」


クロエも満面の笑みだ。


フィーネは少しだけ考えてから、真顔で言った。


「……頂きましょう。温泉を攻略したご褒美です」


思わず吹き出しかけた。


「その発想になるの、さすがだな」


「……だめ、でしたか……?」


「いや、それでいい」


そう言うと、フィーネはほっとしたみたいに小さく頷いた。


草津の夜は、まだ冷たい。


でも、さっきまでの戦場の熱とは違う。

ちゃんと帰ってきたあとの、外の空気だ。


「行くか」


その一言に、三人がそれぞれ反応する。


「ふふん、当然よ」

「はーい♪」

「……はい……」


こうして、草津ダンジョン最深部の戦いは終わった。


……いや。


終わった、わけじゃない。


地の底で動いていた“誰かの意図”だけは、まだ消えていなかった。

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― 新着の感想 ―
こんばんは。 一時はマジで「これどうなるんや…」とヒヤヒヤしてましたが、皆の救援も有って無事帰還出来て良かったです。 とはいえ今後、また同じようにヤバい奴にパーティメンバーが狙われる事態が起きる可能…
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