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第71話 王の腕を断て――フィーネ救出作戦

王の間のすべての湯脈が、一斉に赤く燃え上がった。


どくん。


床の奥を走る赤い線が、まるで巨大な血管みたいに脈打つ。

次の瞬間、中央の源泉だまりだけじゃない。

壁際。柱の根元。俺たちの足元。

あらゆる場所から熱湯が噴き上がった。


「《多層聖界・プリズムウォール》!」


ノエルの結界が前へ出る。

白い光の壁が、吹き上がる湯柱を受け止め、ばちばちと音を立てた。


だが、ベルガルムは止まらない。


フィーネを抱えたまま、残った黒い腕を何本も伸ばしてくる。

熱湯をまとった腕が、鞭みたいにしなり、こっちの喉元を狙ってくる。


「クロエ、右!」


「任せてっ♪」


《闇縛域》!


クロエの影が床を走る。

黒い闇がベルガルムの足元へまとわりつき、わずかに踏み込みを鈍らせた。


そこへ俺が突っ込む。


剣を振るう。

黒い腕を弾く。

熱湯が飛ぶ。

視界が白くなる。


「シンゴさん! 左、もう一本!」


「見えてる!」


いや、見えてるわけじゃない。

半分は勘だ。


湯気の向こうで揺れた黒を、気配だけで読む。

左から這うように迫った影へ、反射で剣を払う。


ガギン!


重い手応え。

刃にぶつかった黒い腕が火花を散らし、わずかに軌道を逸らした。


危なかった。


ベルガルムが低く笑う。


「焦るな。王の宝は逃げぬ」


「今、連れ戻す!」


俺は床を蹴った。

《跳空のブーツ》が反応し、一気に距離を詰める。


だが、その瞬間。


ドゴォッ!!


足元から熱湯が噴き上がる。


「ぐっ!」


避けきれず、腕で受ける。

熱い。

だが、火傷するほどじゃない。

鎧がかなり殺してくれている。


それでも、足は止まる。


止まった一瞬で、ベルガルムの黒い腕が俺の胴を薙ぎ払った。


バギン!


吹っ飛ぶ。

息が詰まる。

背中を石床に打ちつけた。


「シンゴさん!」


ノエルの回復魔法が飛ぶ。

淡い光が痛みを少しだけ削った。


「まだいける!」


そう返しながら立ち上がる。


正面から削り合っても、ベルガルムの反応が速すぎる。

しかも隙が少ない。


なら、あの拘束を一瞬で外すしかない。


「ノエル! 拘束を解いた後、守ってくれ!」


「任せて!」


「クロエ!」


「分かってるっ♪」


クロエがにやっと笑った。

あの軽い笑い方のまま、目だけが鋭い。


「お兄ちゃん、二秒だけ目をこっちに向けさせる!」


「十分だ!」


クロエがロッドを高く掲げる。


「《爆裂領域・バースト》!」


ベルガルムの左側で、黒紫の爆炎が弾けた。

蒸気と熱湯が吹き飛び、王の外殻にびしりとひびが走る。


ベルガルムがそちらへ視線を向ける。


その一瞬。


俺は《キングはぐれミスリルドラゴンの剣》を振りかぶり、フィーネを拘束している黒い腕の付け根へ向けて、全力で投げた。


銀の刃が一直線に飛ぶ。


その瞬間、俺自身も床を蹴っていた。

《跳空のブーツ》が唸る。


投げた剣を追いかけるように、俺の身体が低く、鋭く前へ飛ぶ。

蒸気の膜を引き裂いて、剣と俺の軌道が一本の線になる。


空気を裂く鋭い風切り音。

蒸気の幕を真っ直ぐに切り裂きながら、剣は一筋の光みたいにベルガルムへ突き進む。


ベルガルムが振り向く。

だが、遅い。

銀の軌跡は、その動きより先に黒い腕の根元へ到達していた。


ザンッ!!


黒い腕の付け根が大きく裂ける。

そこへ剣の勢いがそのまま突き抜け、熱湯と黒い魔力が爆ぜた。


ボンッ!!


黒い腕の根元が吹き飛ぶ。

フィーネを拘束していた部分だけが、千切れたみたいに弾け飛んだ。


支えを失ったフィーネの身体が、ふっと宙で傾く。

細い手が力なく落ち、銀髪が白い蒸気の中へほどける。


その落下へ、俺は真正面から飛び込んだ。


間に合え。


まだ届く。


視界の中心には、落ちかけるフィーネの身体だけがあった。


指先が袖に触れる。

肩を引く。

そのまま腰へ腕を回し、宙で抱き込む。


軽い。

熱い。

でも、生きてる。


「……っ」


返事はない。

目も閉じたままだ。


だが、奪い返した。


次の瞬間、ベルガルムの残った黒い腕が何本もこちらへ殺到した。

熱湯をまとった鞭みたいな腕が、空中の俺とフィーネをまとめて叩き落とそうと迫る。


「《多層聖界・プリズムウォール》!」


ノエルの声。


白い結界が俺たちの前へ滑り込んだ。

迫っていた黒い腕が、ばちん! と大きな音を立てて弾かれる。

熱湯が結界に叩きつけられ、蒸気が一気に広がった。


助かった。


その反動を利用する。


俺は空中で身体をひねり、《跳空のブーツ》をもう一度噴かせた。

結界の手前を蹴るみたいにして軌道を変え、そのままノエルたちの方へ跳び帰る。


「くっ……!」


着地。


床を滑る。

だが、フィーネは落とさない。


ノエルがすぐに駆け寄る。


「フィーネ! 聞こえるか!?」


反応はない。


ノエルが両手をかざす。


「《負傷回復・キュア・ウーンズ》!」


白い光がフィーネを包む。

耳が、ほんの少しだけ揺れた。


「命に別状はない! 締められて落ちたのよ!」


「良かった……!」


だが、安心するには早い。


ベルガルムの怒気が、さっきよりはっきり分かった。


濁った金色の瞳が、初めて明確な苛立ちを宿している。


「……よくも王の宝を奪ったな」


「返してもらったんだよ」


俺は剣を構え直した。

もう、遠慮はいらない。



ここからは、本当の正面戦だ。


ベルガルムは強い。


しかも、ただ強いだけじゃない。

この王の間そのものが、あいつに味方している。


湯脈が走る。

熱湯が噴く。

黒い腕が伸びる。

全部が絶妙なタイミングで重なってくる。


ノエルが結界で熱湯を押し返し、クロエが闇で腕を止める。

俺が懐へ潜り込んで斬る。


それでも浅い。


胸の赤い核は見えている。

だが、何度斬っても、熱と闇の腕に弾かれる。


「くそっ……!」


「そんなものでは、王を討てぬ!」


ベルガルムが片腕を振るう。

黒い腕の束が槍みたいに降ってくる。


俺は剣で弾き、半歩ずつ前へ出る。


「ノエル、右の熱湯!」


「押さえてる!」


「クロエ、足元をもう一回!」


「はいっ!」


《闇縛域》が広がる。

だが、ベルガルムは熱湯を巻き上げてそれを押し返す。


決め手がない。


その時だった。


「……見えます……」


小さな声。


振り向く。


フィーネが、まだ少しふらつきながらも、自分の足で立っていた。


「フィーネ!」


ノエルが支えようとした手を、フィーネは小さく振って断った。


「……大丈夫です……いけます……」


フィーネの声は細い。


でも、震えていなかった。


ベルガルムの濁った金色の瞳が、ゆっくりと細まる。


「その眼……まだ曇らぬか」


フィーネは小さく息を吸った。


そして、深泉王をまっすぐ見返す。


赤い核。

湯脈。

背後の巨大装置。

流れ込む熱。

巡る魔力。


全部を見て、全部を読む。


その瞬間、フィーネの瞳がはっきりと見開かれた。


「……見えました」


俺は剣を握り直す。


ノエルが結界を立て直す。

クロエがロッドを構え、にっと笑う。


王の間の熱が、もう一度高まっていく。


ベルガルムが低く唸った。


「ならば、今度こそ折ってくれる」


フィーネは首を振る。


「……折れません」


その小さな声が、やけにはっきり響いた。


「……シンゴさん。次で、終わらせます」


ごぼん――ッ!!


中央の源泉が、再び大きく脈打った。


王の間の決着は、次の一撃に懸かっていた。

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