第69話 最深部追撃――迎えに来た
「……待ってろ」
喉の奥から絞り出した声は、自分でも驚くほど低かった。
巨大装置の脈動音が、まだ部屋の奥で響いている。
ごぼ……。
ごぼぼ……。
白い蒸気。
熱。
硫黄の匂い。
そして、フィーネが連れ去られたという現実だけが、頭の中で異様にはっきりしていた。
誰も、すぐには喋らなかった。
クロエも。
ノエルも。
さっきまでの戦闘の熱が、全部一度冷えたみたいだった。
俺は剣を握り直した。
迷う時間なんてない。
「追う」
短く言う。
それだけで十分だった。
ノエルが顔を上げる。
「……ええ。絶対に助けるわ」
いつもの軽さはない。
ふふんもない。
本気だ。
クロエもロッドを握り直して、真っ直ぐ前を見た。
「お兄ちゃん、最短で行こう」
軽口なし。
その一言だけで、こいつも完全に切り替わってると分かった。
「行くぞ」
俺たちは巨大装置の奥へ駆け出した。
◆
追い始めて、すぐに分かった。
フィーネがいない。
それが、こんなにも重い。
通路の先の魔力の流れ。
床に仕込まれた罠。
精霊力の偏り。
いつもなら、俺が違和感を覚える少し前に、フィーネが拾ってくれていた。
「……こっちです……」
「……床、変です……」
「……精霊力、流れてます……」
その小さな声がないだけで、景色の解像度が一気に落ちる。
解析役不在。
罠読み不能。
精霊支援消失。
パーティの難易度が、目に見えて上がっていた。
「くそ……」
思わず歯を食いしばる。
いなくなって初めて分かる、なんて言いたくない。
でも、分かってしまう。
フィーネはただ守られる側じゃない。
あいつがいるから、俺たちは無駄に傷つかずに前へ行けていた。
クロエが前を見たまま言った。
「お兄ちゃん、右。あそこ、床の色ちょっと違う」
「助かる」
フィーネほどじゃなくても、クロエもちゃんと周りを見ている。
ノエルも、俺たちの少し後ろで結界を薄く展開しながら警戒を続けていた。
「シンゴさん。今は立ち止まらないで。何か来たら私が弾く」
「分かった」
今は進め。
悔しがるのは後だ。
ベルガルムが通った道を追う。
◆
巨大装置の裏手には、さらに奥へ続く通路が口を開けていた。
今までの草津ダンジョンの通路より、明らかに幅が広い。
壁の造りも違う。
ただの移動通路じゃない。
王のための道。
そんな空気があった。
床は黒っぽい石で磨かれ、左右には温泉水が流れる細い溝が走っている。
そこから常に白い蒸気が立ちのぼり、通路全体を薄く霞ませていた。
頭上には、太い主管が何本も並んでいる。
それが奥へ行くほど一本に束ねられていき、通路の先――見えない中心へ吸い込まれていく。
熱い。
さっきまでの熱とは違う。
表面の熱じゃない。
地の底から押し上げてくるような、圧のある熱だった。
「ラスダンって感じね……」
クロエが珍しく声を潜める。
「笑えないわよ。ほんとに」
ノエルの声も低い。
俺は前だけを見る。
ベルガルム専用通路。
そう呼ぶしかない道だった。
左右の壁には、王冠や湯脈を思わせる彫り込みがある。
どれも装飾というより、礼拝の対象を刻んだみたいな古さと執着があった。
「王専用神殿、ってやつか……」
呟くと、ノエルが短く返した。
「趣味が悪いわね」
だが、同感だった。
豪華さじゃない。
支配のために整えられた美しさ。
それが気持ち悪かった。
◆
――熱い。
フィーネは、黒い腕に抱えられたまま目を開けた。
視界が白い。
湯気。
熱。
揺れる光。
自分の体がどこかへ運ばれている。
それだけは分かった。
怖い。
怖くないわけがない。
腕は冷たいのに、その向こうの空気は熱く、息を吸うだけで喉が焼けそうになる。
でも、泣かなかった。
泣いても意味がないと分かっていた。
前を行く巨大な背中。
白い鉱石みたいな外殻。
隙間を流れる熱湯。
深泉王ベルガルム。
その気配は、近くにいるだけで身体の芯を縮ませる。
「恐れるな」
低い声が響く。
振り返らないまま、ベルガルムが言った。
「王に選ばれることは誉れだ」
フィーネは唇を噛んだ。
怖い。
でも、それでも。
「……違います」
声は小さかった。
それでも、自分の意思で言った。
ベルガルムの足が止まる。
「……何?」
「私は……シンゴさんの仲間です」
はっきりと言う。
喉が震える。
けれど、言い切る。
王だとか。
誉れだとか。
そんなものは関係ない。
自分が立つ場所は、もう決まっている。
ベルガルムはゆっくり振り返った。
濁った金色の瞳が、フィーネを見下ろす。
「そうか」
その声に怒気はなかった。
ただ、興味が少し深くなっただけだった。
「なら、なお良い」
フィーネの背筋に冷たいものが走る。
「王に逆らう眼。
王を拒む眼。
その方が、価値がある」
黒い腕の拘束が、少しだけ強くなった。
「……っ」
息が詰まる。
でも、フィーネは目を逸らさなかった。
◆
通路は途中から、上りになった。
いや、正確には、中心核へ向かって巻き上がるみたいな造りだった。
まっすぐじゃない。
緩やかな弧を描きながら、上へ、奥へ、さらに深く。
「嫌な作りだな……」
「逃げ道を見せない造りね」
ノエルが短く言う。
そうだ。
広いのに、狭い。
奥へ奥へと誘導して、引き返す気を削る構造。
そして――フィーネがいたら、ここでもっと色々見えていた。
「シンゴさん」
ノエルが俺の少し後ろで言う。
「助けたあと、謝りなさいよ」
「……え?」
「守れなかったって顔してるから」
足が止まりかける。
だが、止めない。
「後でいい。今は助ける」
「そう。それでいい」
ノエルはそれ以上、何も言わなかった。
クロエが前方を睨む。
「扉」
その一言で、俺も気づく。
通路の先。
白い蒸気の向こう。
巨大な両開きの扉が見えた。
今までのどの扉よりも大きい。
高さも幅も、まるで神殿の最奥を閉ざす門だ。
表面には、湯脈みたいな紋様と、王冠めいた意匠。
そして中央には、赤い鉱石が埋め込まれていた。
ベルガルムは、この向こうにいる。
間違いない。
俺は歩みを止めず、剣を握る手に力を込めた。
フィーネを連れていかれた時の、あの顔がまだ頭に焼きついている。
「……シンゴさん」
「……ごめんなさい」
違う。
謝るな。
俺が遅れた。
俺が届かなかった。
だったら、今度は届く。
扉の前まで、あと数歩。
熱が濃い。
蒸気が重い。
呼吸が浅くなる。
それでも、俺は前に出た。
ノエルが結界の準備を整える。
クロエがロッドを構える。
三人とも、もう迷っていない。
俺は扉の前に立った。
「迎えに来た」
そう言って、巨大な扉へ手をかけた。
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