第62話 熱湯回廊の大穴――天災天使、ずぶ濡れで真っ逆さま
俺たちは、隠し階段を下りていった。
一段、また一段。
下るほどに、空気が重くなる。
湿っている。
しかも、さっきまでより硫黄の匂いが濃い。鼻の奥にじわっと残る感じだ。
2F
階段を下りきった先にも、通路が続いていた。
石造りの壁。
濡れた床。
頭上を漂うフィーネの《ウィル・オー・ウィスプ》の淡い光が、じめっとした通路をぼんやり照らしている。
「……硫黄の匂い、強くなってます……」
フィーネが小さく言う。
「温泉に近づいてるってことかもねー♪」
クロエは相変わらず気楽だ。
「だったら、なおさら用心だな」
俺は先頭のまま、ゆっくり進む。
その後ろにフィーネ。
さらにクロエ。
最後尾にノエル。
新しい並びにも、だいぶ慣れてきた気がする。
少なくとも、さっきの湯煙スライム程度なら落ち着いて対処できる。
数十メートル進んだところで、俺は足を止めた。
通路の先が、唐突に切れていた。
「……穴だな」
頭上の光を少し前へ送る。
そこには、通路の幅いっぱいに口を開けた大穴があった。
横幅は四メートルほど。
縦に長く、十メートル近くはある。
まるで通路の途中だけ、床をそのまま切り抜いたみたいな穴だ。
「うわ、やだ。いかにも落ちろって感じ」
ノエルが露骨に嫌そうな顔をする。
俺は足元の小石をひとつ拾って、穴へ落とした。
しばらく待つ。
全員が黙る。
そして――
五秒後。
カツン!
ずいぶん下の方で、ようやく石が地面に当たる音がした。
コメント欄が流れる。
『深っ』
『何メートルあるんだこれ』
『落ちたら終わりだろ』
『いやな穴だな……』
「かなり深いな。百メートル以上あってもおかしくない」
「うわ、普通に死ぬやつじゃない」
ノエルが即答した。
その通りだ。
落ちたら、たぶん無事じゃ済まない。
俺は穴の向こう側を見た。
手前には何もない。
向こう側の床だけ白く結晶化している。
……あそこだけ、水が何度も流れた跡だ。
「あれ、温泉成分か……?」
「……はい……水が乾いて残った感じです……」
フィーネが小さく頷く。
俺は少し考えて、口を開いた。
「穴の先にトラップがあるな」
「トラップ?」
「たぶん向こう側から水が噴き出してくる。水に押されてそのまま落下だ」
ノエルは胸を張った。
「でも、私には効かないわね! ふふん!」
「お前にだけは、な」
俺が返すと、ノエルは少し得意げに顎を上げた。
そこは否定しないらしい。
「じゃあ、どうするの?」
「俺は飛ぶ。フィーネとクロエはノエルに運んでもらう」
「オッケー!楽勝よ」
「……お願いします……」
「空輸だー♪」
クロエのテンションが妙に高い。
俺は一度深呼吸して、助走をつけた。
《跳空のブーツ》が足元で熱を持つ。
地面を蹴る。
視界が一気に前へ流れた。
穴の上を飛び越え、向こう岸へ着地する。
フィーネとクロエもノエルに運んでもらった。
「ここから先は用心して進むぞ。どこにトラップがあるか分からない」
「オッケー!」
「……はい……」
「はーい♪」
三者三様の返事が返ってくる。
俺はリュックからLEDの懐中電灯を取り出した。
頭上の明かりだけじゃなく、目線の高さから床も壁も照らしたい。
床、壁、天井を注意深く見ていく。
二十メートルほど進んだところで、前方に行き止まりが見えてきた。
……いや、行き止まりだけじゃない。
手前の右壁に扉があった。
古い石扉だ。
だが、いかにも怪しい位置にある。
そして、さらに奥。
行き止まりの床部分が、ここだけ白く結晶化しているのが分かった。
さっき穴の向こう側に見えたのと同じだ。
俺は慎重に近づく。
床は今のところ動かない。
足元も沈まない。
壁に触る。
普通の石だ。
だが、普通すぎるのが逆に怪しい。
「フィーネ、壁を調べてくれ」
「……分かりました」
フィーネがそっと前へ出る。
行き止まりの壁に手を当て、目を閉じる。
少しの沈黙。
それから、静かに言った。
「……壁の向こうに、大きな水の精霊力があります……かなり大きいです……」
「ありがとう」
俺は目の前の行き止まりを見た。
「何かの仕掛けで、この壁の向こうに溜まった水が一気に流れてくるトラップだな」
「……恐らくは……」
やっぱりそうか。
扉か。
床か。
あるいは、両方か。
見た目の分かりやすい扉に注意を引きつけておいて、本命は別の場所。
ダンジョンの仕掛けとしては、かなり嫌らしい。
俺が周囲を見回していると――
「シンゴさん。トラップなら、ちゃっちゃっと解除しちゃって」
ノエルが気楽に言いながら、右側の壁から少し出っ張った岩に肘を乗せた。
ゴイン!
鈍い音。
その岩が、わずかに沈んだ。
瞬間、俺とノエルの目が合う。
ノエルは「やっちゃった」みたいな顔をしている。
コメント欄も一斉に反応した。
『あ』
『あっ』
『押したwww』
『ノエルーーーー!!』
『やりやがった!?』
「ノエル!!」
俺は叫ぶと同時に動いていた。
右腕でフィーネの腰を抱え上げる。
左腕でクロエの腰を抱える。
「わっ」
「きゃ♪」
そのまま《跳空のブーツ》で、滑るように一気に通路の穴の方へ跳んだ。
「ノエル! 逃げるぞ!」
俺の声で、固まっていたノエルがはっとする。
その瞬間。
ガタン!
奥の壁が、縦に裂けるように大きな音を立てて開いた。
その向こうにあったのは――水だ。
ただの水じゃない。
壁いっぱいに張りつめた、白く濁った大量の温泉水。
堰き止められていた湖を、そのまま縦に立てたみたいな圧があった。
一拍遅れて、それが崩れる。
ドゴォォォォッ!!
「ちょっと! 待って! 待って欲しいんですけど!」
ノエルが叫びながら、こちらへ飛び出す。
そのすぐ後ろを、通路いっぱいの水が猛烈な勢いで追ってくる。
俺は跳躍を繰り返し、フィーネとクロエを両脇に抱えたまま、穴の向こう側へ飛び越えた。
着地。
二人を降ろす。
すぐに振り返る。
ノエルが、必死にこっちへ手を伸ばしながら飛んでくる。
その後ろには、通路いっぱいの濁流。
時間が妙にゆっくり見えた。
伸ばされた手。
白い髪。いや、金髪か。
慌てた顔。
その全部を、押し流すように水が迫る。
「ノエル!」
濁流がノエルを飲み込む。
そのまま、穴の中へ。
どばあああああっ!!
水音が底なしに響いた。
「ノエル! 大丈夫か!?」
俺は穴の縁へ駆け寄った。
すぐには返事がない。
最悪の想像が一瞬だけ頭をよぎる。
その時。
「大丈夫じゃないわよ!」
ぬっ、と穴の縁から顔がせり上がってきた。
ずぶ濡れのノエルだ。
髪も。
顔も。
服も。
全部びしょ濡れ。
でも、生きてる。
俺は心底ほっとした。
「……無事か」
「無事じゃないわよ!」
ノエルは穴から這い上がりながら、ぶんぶん水を撒き散らした。
「頭から服から何から、ずぶ濡れなんですけど!」
「そもそも、あんないかにもな場所に手をつく方がどうかしてる」
俺が言うと、ノエルは「うっ」と詰まった顔をした。
「だ、だって扉があったじゃない。普通、扉にトラップがあると思うでしょ!」
「その“普通”で引っかかった結果がこれだ」
「むーっ!」
まあ、文句を言う元気があるなら大丈夫だ。
「……無事で何よりだ。次からは気をつけてくれ」
ノエルは頬を膨らませたまま、びしょ濡れのローブをつまんだ。
「もー。気持ち悪い……」
そう言って、いきなり服を脱ぎ始める。
「ちょっ! な、何を!?」
「服が濡れて気持ち悪いのよ。絞りたいの」
その瞬間、俺はようやく気づいた。
配信中だと気づいた瞬間、別の意味で血の気が引いた。
スマホ画面のコメント欄が、とんでもない勢いで流れていた。
『待て待て待てw』
『脱ぐなwww』
『ノエル!?!?』
『配信中!!!』
『BANされるぞ!!』
「私は別に気にしないわよー」
「やめてくれ! BANされる!」
俺は慌ててスマホを掴み、カメラを一時停止にした。
画面が止まる。
ようやく静寂……ではないな。
ノエルがまだぶつぶつ文句を言っている。
「もー。最悪。ほんと最悪。髪まで濡れたんですけど」
「自業自得だろ」
「それを言わないのが優しさじゃない?」
「今回は無理だ」
クロエは腹を抱えて笑っていた。
「っ、あははははっ! ノエル、見事に落ちたねー♪」
フィーネは心配そうにしつつ、少しだけ困った顔をしている。
「……でも、助かってよかったです……」
「ほんとそれな……」
俺は肩の力を抜いた。
やれやれ。
久しぶりに天災天使が前面に出た気がする。
……ただ。
笑って終われる感じでもなかった。
このダンジョン思った以上に手が込んでいる。
それだけ守るものがあるということかも知れない。
そうすると、この後守っている敵も、それ相応に強いということだ。
◆
フィーネが炎の精霊を出してくれて、ノエルはそれで服や髪をある程度乾かすことができた。
「うぅ。生乾きなんですけど」
「文句を言わない。生でも乾いただけフィーネに感謝だ」
「フィーネ。ありがとうね。ほんと助かったわ」
とフィーネにスリスリしながらお礼を言った。
どんなお礼の仕方だ。。。
「この先、まだまだ何かありそうだ、気を付けて行こう」
俺は配信ボタンを押しながら言った。
ノエルはまだぶつぶつ文句を言っている。
クロエは楽しそうに笑い、フィーネは静かに頷く。
濁流が落ちていった闇の奥から――
まだ、水の音が響いていた。
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