第61話 湯気の流れを読め――草津ダンジョンの隠し湯脈
通路に入った瞬間、空気が変わった。
湿り気が、さっきよりも濃い。
通路はかなり狭い。
横に並ぶ余裕はない。
一人ずつ通るしかない幅だ。
先頭は俺。
すぐ後ろにフィーネ。
その後ろにクロエ。
最後尾にノエル。
壁は湿っていて、肩が少し触れるだけで冷たい水分が服に移る。
足元も細かい砂と石が混じっていて、普通の通路よりずっと歩きにくい。
「ねー、お兄ちゃん。こういう隠し通路、わくわくするねー♪」
後ろからクロエの声がする。
こんな狭い場所でも楽しそうだ。
むしろ、隠し通路というだけでテンションが上がっている。
「足元に気をつけろよ」
「はーい♪」
フィーネは壁に視線を向けたまま、小さく言った。
「……水の精霊力を奥から感じます……」
「やっぱり水か」
草津。
温泉地。
水の精霊力。
硫黄の匂い。
このダンジョンの方向性が、少しずつ見えてきた気がする。
しばらく進むと、通路が広がった。
小部屋だ。
広さは、五メートル四方くらい。
正方形に近い形で、四人が入っても余裕がある。
ただ、何もない部屋ではなかった。
壁の下の方に小さな穴がいくつか開いている。
通気孔みたいな丸い穴だ。
そこから、白い湯気が細く漏れていた。
壁の表面には細かい水滴がついている。
硫黄の匂いも、さっきより強い。
「湯気があるのに、そこまで暑くないな」
俺は手をかざして確かめる。
熱いというより、ぬるい。
温泉の湯気を直接浴びている感じではない。
ノエルが鼻を鳴らした。
「温泉っぽい匂いね」
「温泉ダンジョンじゃん♪ いいじゃんいいじゃん!」
クロエは相変わらず楽しそうだった。
コメント欄も反応する。
『湯気出てる』
『草津感あるな』
『温泉ダンジョンきた』
『ちょっと行ってみたい』
俺は部屋の中を見回した。
普通なら、湯気は上へ昇る。
温かい空気は上に行く。
それが自然だ。
でも、この部屋の湯気は違った。
床や壁から出た湯気の一部が、上へ向かわず、横へ流れている。
しかも、奥の壁へ吸い込まれているように見えた。
俺は足を止める。
「湯気の流れが変だな」
コメント欄がすぐに反応した。
『湯気?』
『また何か見つけた?』
『シンゴが止まったぞ』
クロエが首を傾げる。
「湯気って、そんなに見るもの?」
「見る」
俺は壁際の湯気を目で追いながら答えた。
「ダンジョンのギミックで、煙や湯気は誘導に使いやすいんだ。普通に見せておいて、一か所だけ流れ方を変える。すると、そこに空気の抜け道がある」
ノエルが奥の壁を見た。
「つまり、湯気が吸われてる先に何かあるってこと?」
「たぶんな」
フィーネが目を細めた。
「……水の精霊力が、あの壁の向こうに流れています……」
さらに、少しだけ眉を寄せる。
「……でも、火の魔力も混じっています……」
「水と火?」
「……温泉みたいです……水が温められて、流れている感じです……でも、自然な流れじゃありません……」
自然な流れじゃない。
その言葉が引っかかる。
俺は奥の壁へ近づいた。
壁には、湯気の流れを模したような浅い溝が刻まれていた。
草津らしい意匠と言われれば、それで流してしまいそうなものだ。
三本の曲線。
温泉マークに似ている。
ただの装飾に見える。
でも、違う。
三本ある曲線のうち、真ん中の一本だけ、妙に濡れている。
他の二本には白い湯気が薄くまとわりついているのに、その一本だけ、湯気が触れた瞬間にすっと奥へ消えていた。
「ここだけ、吸ってるな」
俺が呟くと、コメント欄が流れた。
『吸ってる?』
『湯気の流れ?』
『また細かいとこ見てる』
『職業病きた』
クロエが壁に顔を近づける。
「お兄ちゃん、それ何が変なの?」
「装飾に見せかけた通気口かもしれない。湯気がここだけ奥に逃げてる」
ノエルも壁を覗き込んだ。
「つまり、この裏に空間があるってこと?」
「たぶん」
俺は真ん中の溝を指でなぞった。
溝の途中に、ほんの少しだけ浮いている石片がある。
欠けた装飾に見えるが、触ると周囲の石とは感触が違った。
固定されているというより、薄い石板がはめ込まれている感じだ。
「これ、塞いでるんじゃなくて、向きを変えるやつか……?」
俺は直接押し込まず、指先を石片の端に当て、石片を回すようにずらす。
ぐっ、と鈍い抵抗。
次の瞬間、石片の角度がわずかに変わり、溝の奥へ湯気が一気に吸い込まれた。
コリ。
小さな音。
続いて、壁の中から低い音が返ってきた。
カチン。
「当たりだ」
次の瞬間。
ゴゴ……。
床下から、水の流れる音がした。
壁の中を何かが移動する音。
石の奥で閉じていた水路が、ゆっくり開いていくような音だ。
そして、湯気の量が一気に増えた。
「ちょっと、これ大丈夫なの!?」
ノエルが反射的に結界を張ろうとする。
フィーネが急いで言った。
「……熱は強くありません……でも、視界が……!」
白い湯気が部屋を満たしていく。
数秒で、視界が真っ白になった。
『うわ真っ白』
『見えないw』
『温泉ギミックきた』
『草津っぽい!』
「みんな、動くな。位置だけ確認してくれ」
「はーい♪」
「オッケー!」
「……はい……」
最初はただ視界を奪われたように思えた。
でも、すぐに違うと分かった。
湯気が部屋全体に広がる。
その中で、一か所だけ流れが乱れている。
奥の壁だ。
白い湯気が、壁の前でふわりと横へ流れ、そのまま細い線を描くように吸い込まれていく。
まるで見えない扉の輪郭を、湯気がなぞっているみたいだった。
縦の線。
横の線。
そして、中央の薄い隙間。
普段は石壁にしか見えない場所に、湯気だけが扉の形を浮かび上がらせていた。
「これ、隠すためじゃない。見せるための湯気だ」
ノエルが眉をひそめる。
「どういうこと?」
「普通に見たらただの壁。でも湯気を出すと、空気の流れで扉の輪郭が見える。湯気が隙間に吸われるから、そこだけ線みたいに浮かぶんだ」
「なるほどね。白くしたから見えるってわけ」
「そういうこと」
クロエが楽しそうに笑う。
「なにこれ、めっちゃ凝ってるじゃん♪」
俺は湯気で浮かび上がった扉の縁へ手を伸ばした。
いや、手で触るのは少し怖い。
ピッケルの先で軽く押す。
すると、壁の一部が低い音を立てて動いた。
ゴゴン。
石壁が、扉のように手前へ開くのではなく、中心を軸にゆっくり回転する。
回転扉だ。
分厚い石壁が半回転し、奥の空間を“見せる”ように開いた。
その先には、地下へ続く階段。
階段の下から、水音が聞こえる。
ぽちゃん。
ぽちゃん。
さらに、白い湯気がゆっくりと上がってきた。
コメント欄が跳ねる。
『二重隠し!?』
『草津ダンジョン凝りすぎw』
『温泉ギミック面白い』
『これ絶対メインルートじゃん』
俺は階段へ近づこうとして、足を止めた。
湯気の奥で、何かが動いた。
ぽこ。
ぽこぽこ。
階段の前に溜まっていた白い湯気が、妙に丸く膨らむ。
水滴が集まる。
透明な膜ができる。
そこに熱を帯びた水が満ちて、小さな塊になった。
半透明のスライムだ。
一体。
二体。
三体。
湯気の中から、次々に浮かび上がる。
中には熱い水が揺れている。
中心部には、小さな白い核のようなものが見えた。
「湯煙スライムってところか」
「温泉なのに敵がいるの、情緒ないわね」
ノエルが心底嫌そうに言う。
クロエがロッドを構えた。
「止まっちゃえ♪ 《闇縛域》!」
黒い影が床を走る。
湯煙スライムたちの足元、というより下半分に影が絡みつき、その場に縫い止めた。
ぐにゃりと体を揺らして逃げようとするが、動けない。
フィーネが目を凝らす。
「……核は水の奥です……中心より少し下……白い粒みたいなところです……」
「分かった」
俺は一歩踏み込み、剣を抜いた。
熱い水が跳ねる可能性を考えて、少し横から斬る。
一体目。
刃が半透明の体を割り、白い核を捉えた。
ぱきん。
小さな音。
スライムの体が形を失い、ただの湯気と水になって床へ崩れた。
「核を割ればいける」
残りは二体。
クロエの《闇縛域》で動きは止まっている。
逃げられる心配はない。
俺は一体目の崩れた水を踏まないように、半歩横へずれた。
二体目が、ぐにゃりと体を震わせる。
中の熱い水が波打ち、こちらへ飛び散りそうになる。
「熱湯っぽいな。正面から割るのは危ないか」
俺は剣先を低く構え、横から斜めに斬り込んだ。
刃が半透明の体を裂く。
水が跳ねる前に、白い核へ届く。
ぱきん。
二体目が崩れる。
最後の一体は、影に縛られたまま体を膨らませていた。
破裂するつもりかもしれない。
「させるか」
俺は一歩で距離を詰め、剣を短く振った。
狙うのは、フィーネが示した中心より少し下。
刃が通る。
ぱきん。
三体目の核が割れた。
湯煙スライムは、形を保てなくなったように床へ崩れ、白い湯気だけを残して消えていった。
「クロエ、ナイス!」
「でしょー? もっと褒めてもいいよ、お兄ちゃん♪」
「調子に乗るの早いな」
「褒められたら伸びるタイプだからねっ」
コメント欄も盛り上がっている。
『クロエ便利すぎ』
『闇拘束いいな』
『新パーティ強い』
『フィーネの核見抜きも助かる』
『シンゴ確認役なの安心感ある』
確かに、悪くない。
クロエが止める。
フィーネが見抜く。
俺が確認する。
ノエルが後ろで支える。
戦い方が、少しずつ形になっている。
俺は改めて、階段の下を見た。
湿った風。
湯気。
硫黄の匂い。
水音。
そして、奥から聞こえる低い音。
ごぼ。
ごぼぼ。
まるで、ダンジョンそのものが湯を沸かしているみたいだった。
「この下、ただの温泉じゃないな」
俺がそう呟くと、フィーネが小さく頷いた。
「……はい……水の流れの奥に、何か大きな魔力があります……」
クロエが楽しそうに笑う。
「温泉の心臓部って感じ?」
ノエルは嫌そうに眉を寄せた。
「その言い方、絶対面倒なやつじゃない」
俺も同感だった。
この先にあるのは、ただの隠し部屋じゃない。
草津ダンジョンを動かしている、仕組みそのものかもしれない。
ノエルがスマホを階段の奥へ向けた。
白い湯気の向こうで、見えない水音だけが響いている。
草津ダンジョンの“本体”は、どうやらこの下にある。
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