第45話 六階の悪意――ショットガンで虫の群れを撃ち払え
※今回虫の表現があります。苦手な方はスキップ頂いても大丈夫です。
また直前に案内します。
再び五階のホールに戻ってきた。
さっきの戦闘の熱も、インプの死骸も、もうほとんど片付いている。
だが、あの小悪魔どもの嫌な気配だけは、まだ床や壁に薄くこびりついているような気がした。
そのホールの奥。
前から見えていた下への階段へ、今度は迷いなく向かう。
津詰隊長が先頭で言った。
「六階へ降ります。隊列維持」
全員が短く返事をして、その後に続いた。
◆
六階へ足を踏み入れた瞬間、違和感があった。
今までの階層とは、空気の質が違う。
重いとか、淀んでいるとか、そういう単純な話じゃない。
もっと構造そのものに、露骨な悪意がある感じだ。
通路が入り乱れている。
真っ直ぐだったこれまでと違い、六階は分かれ道が多い。
左右に枝分かれし、少し進んだ先でまた曲がり、さらに別の通路へ繋がっている。
見通しも悪い。
「……迷わせる気だな」
俺は通路の先を見ながら思った。
これはもしかしたら、この階が一番下かもしれない。
ここまでの階は、中央ホールへ誘導する作りだった。
でも六階は違う。
進ませない。
迷わせる。
たどり着かせないための作りに見える。
だったら逆に、この先に本命があると考える方が自然だ。
◆
最初の接敵は、分かれ道の一つを抜けた先だった。
前方の暗がりから、鎧の擦れる音が響く。
「接敵!」
レンジャーの警告と同時に、敵影が現れた。
アンデッドナイトが五体。
大剣持ちが三体。
盾持ちが二体。
数は多くない。
だが、狭い通路で出てくるにはちょうど嫌な数だ。
タンク役がすぐ前へ出る。
「止める!」
鉄の盾が並ぶ。
そのすぐ後ろに近接役が入る。
一体目のアンデッドナイトが大剣を振り下ろす。
タンクが受け止める。
その衝撃で刃が流れた瞬間、後ろから槍が喉元を貫いた。
二体目は横から詰めようとしたが、津詰隊長の副長が斧で膝裏を断つ。
崩れたところへ、別の剣士が首元へ追撃する。
盾持ち二体は粘った。
だが、前へ出ようとするたびに左右から叩かれる。
受け止める盾、崩す斧、刺し込む槍。
完全に役割が噛み合っていた。
最後の一体が押し返そうとしたところで、津詰隊長が前へ出る。
双斧が交差するように閃き、腕と首元をほぼ同時に断った。
五体、撃破。
時間にすれば短い。
だが、レイドらしい綺麗な戦い方だった。
「前進」
津詰隊長が言う。
隊列がまた動き出した。
◆
六階は、本当に嫌らしかった。
通路を一つ曲がる。
また分かれ道。
少し進むと、今度は扉。
さらに先には、また別の通路。
見れば見るほど、「ここを一発で抜けさせる気がない」設計に思える。
その途中。
先頭のレンジャーが、一枚の扉の前でぴたりと止まった。
耳を澄ます。
床を見る。
扉の隙間に光を当てる。
それから津詰隊長へ近づき、何かを小声で伝えた。
隊長の目がわずかに細くなる。
※ここから先、虫の表現があります。苦手な方はスキップ頂いても大丈夫です。
そして。
「シンゴ君。前に来てくれ!」
「はい!」
俺は隊列の前方へ移動した。
津詰隊長が扉を見たまま言う。
「扉に耳を当ててみてくれ」
「分かりました」
言われた通り、俺は扉へ耳を当てた。
次の瞬間。
ブブブブ……ジ……ジジ……。
「っ!」
嫌な音に思わずのけぞった。
鳥肌が立つ。
あの音は分かる。
小さな羽音と、甲殻が擦れるような、耳にまとわりつく振動音。
虫だ。
しかも、一匹や二匹じゃない。
数百レベルかもしれない。
津詰隊長が低く言った。
「シンゴ君が警戒していたことが当たったかもしれん」
最悪だ。
ショットガンを提案したのは俺だ。
正解だったのは分かる。
だが、正解して嬉しい状況じゃない。
「ノエル君も来てくれ」
「分かったわ」
ノエルも前へ来る。
津詰隊長は、今度は全員に聞こえるよう少し大きめの声で言った。
「中に小型の虫型モンスターがいると思われる。しかも数百だ」
その一言で、後方の空気まで変わった。
「一気に来られたらパニックになる。下手をしたら全滅すらあり得る」
誰も口を挟まない。
「まず、ノエル君に結界を張ってもらう。後ろへは行かせない」
「私と副長、シンゴ君が扉の前に立つ」
「そして、今回持参したショットガンで撃破を試みる」
「数が減ったタイミングで突入し、殲滅する」
「もし、ショットガンで対応できなければ扉を閉め、我々も結界に避難する」
簡潔で、分かりやすい。
だが、俺の頭の中は別のことでいっぱいだった。
虫は苦手だ。
子供の頃は平気だった。
バッタでもカマキリでも、素手で捕まえていた。
でも、この年になるともう駄目だ。
バッタもカメムシも蜂も、てんとう虫すら嫌悪感がある。
怖さすらある。
どうか――黒くてツルツルした、あれだけは違いますように。
心の底からそう願った。
ノエルが一歩後ろへ下がり、詠唱する。
「《多層聖界・プリズムウォール》!」
光の紋様が走り、後方通路が結界で覆われる。
これで、後ろは安全だ。
津詰隊長がショットガンを構える。
「では、位置につけ」
隊長が扉の左上部。
副長が右の中ほど。
俺は正面の床に伏せるような位置に入る。
嫌な予感しかしない。
「開けるぞ! ショットガン準備! 敵が濃い場所を狙って撃つんだ!」
俺は覚悟を決めた。
◆
扉が開いた。
その瞬間、嫌な予感は最悪の形で当たった。
噎せ返るような、カビと古油が混ざった臭気が鼻をつく。
暗闇の奥、懐中電灯の光の届かない場所で、無数の「カサカサ」という音が重なり合い、巨大な一つの生き物の呼吸みたいに聞こえる。
壁。
床。
天井。
ありとあらゆる表面を、どす黒く光る蠢く何かが埋め尽くしていた。
どす黒い赤褐色。
表面は脂ぎったような不気味な光沢を放ち、光を鈍く反射させる。
頭部から伸びる、体長よりも長い二本の触角。
それが絶えず鞭みたいにしなり、周囲の空気を探っている。
重なり合った体は、まるで黒い波だ。
そこから伸びる無数の触角が、こちらの様子をうかがうように宙を舞っていた。
六本の脚には細かな棘が並び、壁にも天井にも張り付いている。
ゴキブリタイプだ。
普通のゴキブリじゃないことは、目が赤く光っている時点で分かる。
カサカサではない。
もっと大きい。
ざわざわとした、群れそのものがうねる音を立てている。
その黒い波が、こちらに向かって動いた。
「撃て!」
三つの引き金が同時に引かれた。
――ドンッ!!
轟音が鼓膜を殴る。
至近距離で炸裂した散弾が、先頭の群れをまとめて吹き飛ばした。
黒い塊が弾け、床に叩きつけられ、潰れる。
だが、終わらない。
天井から、ぼたぼたと次から次へ落ちてくる。
背中がぞわぞわした。
奥から。
横から。
下から。
黒い塊が迫ってくる。
「撃ち続けろ!」
連続する爆音が、小部屋の空気を震わせた。
銃口の前――数メートルの範囲は、完全な“殺戮の帯”になっていた。
近づいたものから順に消える。
弾ける。
潰れる。
吹き飛ぶ。
それでも。
黒い闇が、部屋の奥からせり出してくる。
「くっ……!」
顔に張り付いた。
頭に張り付いた。
頬を、額を、髪の生え際を、細い脚がわしゃわしゃと這い回る。
ぞわっ、と背筋が粟立つ。
触角がこめかみをかすめ、耳の裏を撫で、首筋へ降りてくる。
一匹じゃない。二匹でもない。
何匹もの脚が、皮膚の上を好き勝手にまさぐってくる感触が分かる。
気持ち悪い。
嫌悪感が一気に限界を突き破った。
頭皮が総毛立つ。
喉の奥がひゅっと縮む。
今すぐ絶叫して、銃を放り捨てて、全身をかきむしりながら振り払いたい。
正直、叫びたかった。
払い落としたかった。
その場から逃げ出したかった。
だが、隙を見せたら一斉に来る。
それが分かる。
「ひるむな!」
津詰隊長の一喝が飛ぶ。
俺はもう、撃つことだけに集中した。
ドン!
ドン!
ドンッ!!
爆音。
反動。
火薬臭。
目の前で弾ける黒い塊。
――ドンッ!!
天井に張り付いていた群れが、まとめて剥がれ落ちる。
「右、壁際!」
――ドンッ!!
壁に逃げた群れが粉砕される。
だが、完全には消えない。
弾の届かない隅。
砕けた死骸の下。
そこからまだ蠢いている。
数秒か。
もっと長く感じた時間のあと――
「いまだ! 突撃!」
隊長の号令と同時に、後ろの結界内にいた前衛が一気に突入した。
剣で叩き潰す。
槍で貫く。
盾で押し潰す。
黒い虫どもが、次々と踏み砕かれていく。
俺はようやく立ち上がった。
だが、体中がぞわぞわする。
払う。
まだ張り付いてる気がする。
肩も、背中も、脚も嫌だ。
「ノエル! フィーネ! 助けてくれ!」
だが二人は、はるか後方にいた。
「ごめんなさい。それだけはムリ」
「……すいません……どうしても……無理です……」
そんなー。
さすがに傷ついた。
そんな俺を見かねたのか、にんともさんが前へ出てきた。
「じっとしててください」
小手を外し、ばしばしと肩や背中を払ってくれる。
「助かります……本当に……」
「いえいえ。今回はさすがに同情します」
本当にこの人には感謝しかない。
やがて、小部屋の奥から声が上がった。
「殲滅完了! 奥に扉があります!」
終わったらしい。
「ご苦労さま!」
津詰隊長がねぎらいの言葉をかける。
「はい……お互いさまに……」
乾いた笑いしか出てこない。
だが、ここで終わりじゃない。
津詰隊長が俺を見る。
「シンゴ君。この先をどう見る?」
俺は部屋の奥を見ながら答えた。
「六階になってから、明らかにダンジョンの作りが変わりました。先へ進ませない作りを感じます」
「また、この部屋。普通なら突破できないでしょう」
「だからこそ、その先にゴールがあると思います」
津詰隊長が頷く。
「なるほど。確かに」
そして、すぐに全体へ命じた。
「隊列を組め! 先に進む!」
再び、レイド隊が動き出す。
ノエルとフィーネは、きつく目をつむったまま俺の肘にぎゅっと掴まってきた。
「ゆっくりね。ゆっくりよ」
「……すいません……すいません……」
二人とも、どうしても例の残骸を直視したくないらしい。
仕方ない。
俺だって見たくない。
それでも進まなきゃいけない。
俺たちは、黒い死骸が散らばる部屋を慎重に抜けていった。
その奥にある扉は、まだ閉じたままだ。
そしてその向こうからは――今までとは違う、もっと重い気配が滲んでいた。
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