第16話 要塞マンションへ帰還――天災天使、即ビールで居座る
タクシーの窓から、夜の街が流れていく。
ノエルは後部座席で、外を眺めていた。
さっきまでダンジョンの神殿にいたのに、もう普通の道路と信号だ。
「……現実、早いな」
俺が小さく呟くと、ノエルが鼻で笑った。
「ふふん。地上はいつだってせわしないのよ」
せわしないのはお前だろ、と言いそうになって飲み込む。
やがてタクシーが、静かなエリアに入った。
街灯は控えめで、道路が広い。音も少ない。
目の前に、壁が見えた。
建物そのものを囲む、ぐるりとした外壁。
内側には庭木が見えて、ところどころに植え込みがある。
その壁の一部に、通用ゲートがぽつんとある。
タクシーが、ゲート前で止まった。
「ここで」
俺はポケットから、小さなスマートキーみたいなものを取り出した。
車のキーと同じ感覚で、親指でボタンを押す。
OPEN。
ピッ、と短く鳴って、ゲートがゆっくり開く。
ノエルが目を丸くした。
「……なにそれ、城門?」
「マンションの外壁ゲートだよ」
タクシーが中へ入る。
庭の小径を回って、今度は建物の正面へ向かう。
「マンション入り口前お願いします」
建物前に到着。
運転手がミラー越しに言った。
「到着しました。二万八千円です」
「領収書お願いします」
タクシーが去って、静けさが戻った。
ノエルはマンションを見上げた。
高い。明るい。窓が整っていて、夜でも品がある。
“住む場所”というより、“守る場所”だ。
「……シンゴさん、すごいじゃない。もしかしてお金持ち?」
「色々あってここに住むことになっただけで、金持ちじゃない」
心の中でだけ付け足す。
こいつに金の匂いを覚えさせたら、際限なく使われる気がする。
◆
入口の前に立つと、天井の小さなカメラがこちらを向いた。
赤い点がひとつ、緑に変わる。
スッ――と、目の前のパネルに俺の顔の輪郭が映り、枠が合うと。
ピロン♪
【顔認証:OK】
ガラス扉が、音もなく開いた。
ノエルが一歩遅れて入ってきて、きょろきょろと見回した。
「……へぇ。入口からもう強いわね」
「……あとでノエルの顔も登録しないとな」
「顔登録? ふふん、神の祝福みたいな響きね」
全然違う。
エントランスはホテルみたいだった。
天井が高い。床が磨かれていて、足音が小さい。
間接照明が壁を柔らかく照らしている。
置いてあるソファも、座るだけで“高い”って分かるやつ。
ノエルが、素直に声を上げた。
「わぁ……好き。こういうの。落ち着く」
落ち着くのかよ。
奥へ進むと、もう一つゲートがある。
駅の改札みたいな形。そこだけ空気が変わる。
「ここは指紋」
俺はセンサーに親指を置いた。
ピロン♪
ゲートが開き、機械音声が響く。
「お帰りなさいませ」
ノエルが目を輝かせた。
「なにそれ! 私にも言って!」
「登録したら言うと思う」
「やった」
テンションの上がり方が子どもだ。
……いや、そういえばさっき。
「私、五百年くらい生きてるのよ。天使だもの」
――って、さらっと言ってたな。
年齢の話をするテンションじゃなかったから、聞き流しかけたけど。
年齢五百で、このはしゃぎ方。
やっぱり変だ。
奥へ進み、エレベーターを呼ぶ。
「1Fです」
エレベーターが喋る。
扉が開いて、乗り込む。
俺は15Fのボタンを押した。
「認証をしてください」
再び顔認証。
ピロン♪
【OK】
ノエルが感嘆の声を漏らす。
「へー。すっごいわねー。FBIみたい」
なにをもってそう思ったのか分からないが、スルーする。
ツッコむと長くなるやつだ。
◆
「15Fに到着しました」
扉が開く。
フロアに一室。廊下がない。
ノエルが、入口で固まった。
「……ひろっ」
言葉が、素直に出た。
玄関だけで普通の部屋くらいある。
中も、当然広い。
「さすがこの天才天使が住む住居ね。素晴らしいわ」
「俺の家なんだけど」
「今日から私の家でもあるわ」
図々しい。
「とりあえず、適当に座ってくれ。何か食べ物を……」
言いながらキッチンへ向かったら――後ろでガチャ、と音がした。
振り返ると、ノエルが冷蔵庫を開けている。
「さっすがー。シンゴさん、ビールあるじゃない」
「……遠慮は?」
「ないわ」
きっぱり言った。
ノエルはビールを二本取り出して、こちらに見せびらかす。
「乾杯しましょ! このノエルとの記念すべき出会いに!」
……まあいいか。
俺はキッチンの棚から、レンジで温めるだけの料理を適当に数点選んだ。
パックを並べて、レンジを回す。
チン、チン、と機械音。
やけに平和な音がする。
テーブルに料理を並べるころには、ノエルがすでに一口目に入っていた。
「かんぱーい!」
勝手に乾杯している。
俺も一応、缶を合わせた。
「……乾杯」
ノエルが、んぐ、んぐ、んぐ、と飲む。
「ぷはーーー! 久しぶりのビールはやっぱり最高ね!」
「久しぶり?」
「封印されてたからよ。あんなところ、酒どころじゃないわ」
それはそうだ。
ノエルは即、二本目に手を伸ばした。
「もう一本貰うわね!」
「早いな!」
「速さは才能よ。ふふん」
料理も食べる。
「これ、味がちゃんとしてる。地上便利ね」
「レンジだけどな」
「レンジが神なのよ」
妙なとこで神を使うな。
ノエルは次々食べて、次々飲んで、いちいち感想が大きい。
「これ、辛い。好き」
「これは甘い。天界にない」
「この肉、徳が積めそう」
徳の積み方が雑すぎる。
◆
しばらくして、ノエルが缶を置いて言った。
「ねえ。ちょっと今日の配信、見ない?」
「断る」
即答すると、ノエルが目を丸くする。
「なんでなんで」
恥ずかしいとは言えない。
自分の配信を、隣で見られるのは妙に居心地が悪い。
「俺がいない時に見といてくれ」
「ふふん。了解」
素直に引き下がったと思ったら、リモコンを手に取った。
「じゃあアマフリあるみたいだし……『権利師たち』が良さそうね」
「……何それ」
「所有権で詐欺を働く暗躍を描くクライムサスペンスよ。地上、面白いもの作るわね」
なんて俗世的な天使なんだ。
画面の中で、スーツの男たちが暗躍し始める。
ノエルが身を乗り出す。
「うわ、ここで偽造するのね。えげつない!」
「お前、解説うるさい」
「解説担当だから」
勝手に役割を作るな。
――その隙に。
俺のスマホが、ポケットの中で震えた。
通知が止まらないやつだ。
ノエルに気づかれないように、膝の上でそっと画面を開く。
トレンド欄。
#天使
#天才天使
#ノエル
#天使封印
「……は?」
声が漏れそうになって、慌てて飲み込む。
俺だけが知る。
ノエルはテレビに夢中で、こっちを見てもいない。
画面を伏せて、通知を消す。
胸の奥が、嫌な音を立てた。
――まずい。
これ、想像以上に広がってる。
でも今ここで言ったら、絶対に面倒が増える。
「……知らないふりでいい。今日は」
俺は自分に言い聞かせるように、缶を一口飲んだ。
ノエルは何も知らず、楽しそうに言う。
「この展開、最高!」
……最高なのはそっちだけだ。
◆
ひと通り騒いだあと、ノエルが立ち上がった。
「部屋、見ていい?」
「いいけど……」
ノエルは空いている部屋を次々覗いていって、最後に一番広い南向きの部屋で止まった。
窓が大きくて、夜景がきれいに見える。
ノエルが、当然の顔で宣言する。
「ここ、私の部屋ね」
「え?」
「風水が良い」
「風水……?」
「良いの」
「いや、その理屈で決めるな」
ノエルは満足そうに頷いた。
「決まり。ふふん」
勝手に決まった。
俺はソファに沈んで、天井を見上げた。
テレビでは『権利師たち』が佳境に入っていて、ノエルがいちいち興奮している。
「今の台詞、最高!」
「この人、悪い顔が上手い!」
「シンゴさん、地上の娯楽、恐ろしいわ!」
うるさい。
でも――どこか悪くない。
騒がしい夜だ。
ダンジョンの静けさとは真逆。
ふう、と息を吐く。
自分の部屋に戻って、ベッドに倒れ込む。
明日やることが、頭に浮かぶ。
ダンジョン協会にノエルの届出。
顔認証の登録。
必要な服と生活用品。
……ビールの補充も、たぶん必要になる。
「……まあいけるか」
口に出して、少し笑った。
そして目を閉じた。
【フォローで更新通知が届きます】
★評価・ハート・ブックマークで応援いただけると、めちゃくちゃ励みになります!




