第112話 拾うな危険――宝石に見えるものほど、信用するな
十階に足を踏み入れた。
九階で響いていた、あの重い駆動音はもう聞こえない。
壁が動く気配もない。
床が横へ滑る感覚もない。
巨大な石材が擦れ合う、あの嫌な音も消えていた。
代わりに――十階は、妙に静かだった。
黒みがかった石造りの通路。
高い天井。
壁には、うっすら光る鉱石のようなものが点々と埋まっている。
暗すぎはしない。
でも、明るくもない。
奥が見えるようで、見えない。
「……九階とは、雰囲気が違うな」
俺が呟くと、ノエルがふっと息を吐いた。
「動く床じゃないだけ、かなりマシよ。あれ、見てるだけで疲れるんだから」
「ノエル、見てただけじゃないだろ。途中けっこう騒いでたぞ」
「騒いでないわよ。天才天使として、危険性を分かりやすく表現していただけよ」
それを、世間では騒いでいたと言う。
隊列はそのまま。
先頭はフィーネ。
俺はその少し後ろ。
中央にノエルとクロエ。
最後尾にはセリナ。
未踏階層である以上、何が出るか分からない。
「フィーネ、気配は?」
「……近くに、大きな魔物の気配はありません……」
フィーネは耳をわずかに揺らしながら、通路の奥を見つめた。
「でも……奥の方に、細かい魔力反応がいくつかあります……」
「細かい魔力反応?」
「……はい。魔物なのか、装置なのか……少し、判別しにくいです……」
魔物なのか、装置なのか。
その言い方が、すでに嫌だった。
ダンジョンでは、見た目通りのものなんてほとんどない。
ただの石がただの石とは限らない。
まして、ここは十階。
鹿島ダンジョンの未踏階層だ。
「慎重に行こう」
「承知いたしました」
セリナが静かに頷き、二枚盾を構え直す。
俺たちは、ゆっくりと通路を進んだ。
◆
しばらく歩くと、前方に広い空間が見えてきた。
円形の大広場だ。
床は磨かれたように平らで、周囲の壁には細かな彫刻が入っている。
中央だけが少し高くなっていて、そこに何かが散らばっていた。
最初は瓦礫かと思った。
けれど、違う。
光っている。
赤。
青。
緑。
紫。
金色。
大小さまざまな輝きが、広場の中央に散らばっていた。
指輪。
ネックレス。
ブレスレット。
イヤリング。
銀細工のチェーン。
小さな王冠のような飾り。
宝石をはめ込んだ金属片。
まるで、宝飾店のショーケースを丸ごとひっくり返したような光景だった。
『宝石!?』
『財宝エリアきたあああ!』
『金銀財宝じゃん』
『宝飾店に行く前に宝飾品が落ちてるw』
『これは拾うしかない』
その瞬間。
ノエルの動きが止まった。
いや、止まったというより。
魂が一瞬、宝石の山へ吸われたような顔をした。
「……シンゴさん」
「駄目だ」
「まだ何も言ってないわよ!?」
「顔が全部言ってる」
ノエルは胸に手を当て、わざとらしく天井を仰いだ。
「これはきっと、長き探索を乗り越えた天才天使への、正当なる報酬……!」
「ダンジョンの床に落ちてるものを勝手に正当化するな」
「だって見て! あの大きい青い宝石! あれ絶対、私の清らかな雰囲気に合うわ!」
「清らかな天使は、拾う前提で話を進めない」
横では、クロエが両手を頬に当てていた。
「お兄ちゃん、見て見て! あそこ! ネックレスっぽいのあるよ! 絶対クロエに似合うやつだよ!」
「お前も落ち着け」
「クロエは落ち着いてるよ? 落ち着いて、あれが欲しいって言ってるだけ♪」
「落ち着いてる人間は、目をそんなに輝かせない」
ノエルがクロエを見る。
「待ちなさい、クロエ。あの一番大きい宝石は天使向きよ」
「天使向きって何? 宝石に羽でも生えてるの?」
「高貴な輝きには、高貴な存在が必要なのよ!」
「じゃあクロエも高貴だからいけるね♪」
「あなた、さっきまで全力で拾う気だったじゃない!」
「ノエルもじゃん♪」
「私は拾うんじゃなくて、授かる予定だったの!」
「言い方変えただけじゃん♪」
『ノエル釣られすぎw』
『クロエも完全に目が宝石』
『天使向きの宝石とは』
『授かる予定w』
『シンゴ保護者で草』
……これは駄目だ。
セリナは、宝石の山を静かに見つめていた。
「皆様にお似合いになりそうな輝きではございますが……少々、都合が良すぎるようにも見えます」
「セリナが正しい」
俺は即座に頷いた。
フィーネも、小さく首を縦に振る。
「……はい。綺麗ですけど……魔力反応があります……」
「宝石そのものに?」
「……宝石、というより……生き物に近いような……」
ノエルとクロエの表情が固まった。
「……生き物?」
「宝石が?」
俺は、広場の中央を見る。
確かに妙だ。
宝飾品に、埃がほとんどない。
鎖や指輪が絡まっているように見えて、配置が妙に整っている。
宝石の面が、やけにこちらを向いている。
そして、広場の中央だけ床に細かな傷が多い。
まるで、何度も何かが這い回った跡みたいに。
「宝が落ちてるんじゃない。宝に見せて、中央まで誘ってる」
「でも、もし本物だったら?」
ノエルが、未練たっぷりに言う。
「本物なら、罠を確認してから拾えばいい」
クロエが、ぱっと顔を上げた。
「つまり、拾う可能性はあるんだね!」
「安全が確認できたらな」
「よし、クロエ待てる!」
「私も天才的に待つわ!」
待てると言いつつ、二人の視線は完全に宝石へ向いていた。
犬の前に肉を置いた時の「待て」より怪しい。
俺は足元にあった小石を拾い、広場の中央――宝石の山の手前へ投げた。
カツン。
小石が床を跳ねる。
何も起きない。
……ように見えた。
次の瞬間。
散らばっていた指輪の一つが、ほんのわずかに動いた。
「……動いたな」
俺が呟くのと同時に、ネックレスの鎖が蛇のようにうねった。
「ひっ」
ノエルが小さく声を漏らす。
宝石の粒が転がる。
金細工の台座の裏から、細い脚のようなものが伸びる。
指輪の内側に、小さな牙が並ぶ。
ブレスレットが円形の体を震わせながら立ち上がる。
カチャ。
カチャカチャ。
シャララララ。
美しい装飾品の山が、音を立てて起き上がっていく。
それは宝石ではなかった。
宝石や装飾品に擬態した、小型の魔物の群れだった。
「宝石が逃げた!?」
ノエルが叫ぶ。
「逃げたんじゃない。襲ってきてる」
「宝石なのに!?」
クロエがロッドを構える。
「宝石じゃないからな!」
『宝石に脚www』
『ジュエリー型モンスター!?』
『ミミック系かよ!』
『ノエルの夢が砕けた瞬間』
『クロエの顔w』
俺は剣の柄に手をかけた。
「全員、下がりすぎるな。広場の端に追い込まれると危ない」
「了解!」
ノエルが慌てて結界の準備に入る。
クロエはロッドを構えたまま、まだ少しだけ名残惜しそうに宝石型の魔物を見ていた。
「……あれ、倒したら本物の宝石に戻ったりしないかな?」
「今それを考えるな」
「ちょっとだけ思っただけだよ♪」
「ちょっとだけでも駄目だ」
フィーネが、広場の中央を見つめたまま小さく息を呑む。
「……数が、多いです……。床だけじゃありません……」
「壁もか?」
「……はい。壁際の装飾も……動きます……」
その言葉の直後。
広場の壁に飾られていたはずの銀細工が、ぎしりと音を立てた。
壁飾りだと思っていた鎖が垂れ下がる。
宝石をはめ込んだ小さな飾り板が、ぱきりと割れる。
その裏側から、細い脚が何本も伸びてくる。
壁も。
柱も。
広場の飾りそのものが、魔物だった。
『うわあああ増えた!』
『壁のやつも!?』
『宝飾品全部敵かよ』
『ノエル、拾わなくて正解w』
『クロエちゃん今でも欲しい?』
「欲しくないわけじゃないけど、今はちょっと嫌!」
「そこは欲しくないって言い切れ!」
その間にも、宝飾品型の魔物たちは、カチャカチャと金属音を鳴らしながらこちらへ向きを変えていく。
指輪が跳ねる。
ブレスレットが転がる。
ネックレスが床を這う。
イヤリングが羽虫みたいに宙へ浮く。
綺麗な光景だった。
赤。
青。
緑。
紫。
金色。
宝石の光が広場に散って、まるで舞踏会の照明みたいに瞬く。
ただし。
その全部が、こちらを狙っていた。
「……趣味が悪いな」
俺が呟くと、セリナが静かに二枚盾を構えた。
「シンゴ様。前方、受けます」
「頼む。ノエルは結界。クロエはまだ撃つな。フィーネ、動くやつを見てくれ」
「……はい……!」
「ちょっと待って。まだ撃っちゃ駄目なの?」
クロエがロッドを構えたまま聞いてくる。
「素材になるかもしれない。できれば燃やし尽くしたくない」
ノエルがこちらを見た。
「この状況で素材の心配するの、かなり探索者ね」
「拾いに行こうとしてた天使に言われたくない」
「私は授かる予定だったの!」
「まだ言うか」
その時だった。
広場の中央。
宝石の山の一番奥に置かれていた、小さな王冠が――ゆっくりと浮いた。
「……あれ」
クロエの声が低くなる。
王冠に見えた金細工が、ぎしりと歪む。
輪の部分が開き、赤い宝石が目のように光る。
小さな飾りだと思っていた金の突起が、一本、また一本と伸びていく。
脚だ。
王冠が、脚を生やしていた。
ノエルが、引きつった声で言う。
「……王冠って、普通、歩かないわよね?」
「普通はな」
王冠型の魔物が、こちらへ向いた。
周囲の小型たちが一斉に動きを止める。
まるで、その王冠を中心に命令を待っているみたいに。
フィーネが震える声で言った。
「……あれが、中心です……。他の魔物より、魔力が濃いです……」
カチャカチャと、広場中の宝飾品が音を立てる。
指輪が跳ねた。
鎖が伸びた。
宝石の群れが、一斉にこちらへ向かってくる。
「宝石に見えるものほど、信用するな」
俺は一歩前に出た。
【フォローで更新通知が届きます】
★評価・ハート・ブックマークで応援いただけると、めちゃくちゃ励みになります!




