第111話 待つのが前進――道が繋がる瞬間を狙え
九階は、地図にはできない。
けれど、盤面としてなら読める。
さっきまでただ不気味に聞こえていた石の駆動音も、今は少し違って聞こえていた。
角は方向。
目は順番。
床の溝はレール。
そして、道は一定の周期で繋がり直す。
だが、法則が分かっただけでは階段には辿り着けない。
必要なのは、今いる区画と階段に近い区画が、何番目の振動で接続されるかを読むことだ。
俺はスマホのメモを開き、確認済みの区画を簡単な図として並べていく。
T字路。
直線通路。
小部屋。
壁の向こうにある魔力の流れ。
まだ正確な地図ではない。
しかし、動く順番と方向を書き込めば、次にどう繋がるかは見えてくる。
「この階は、今見えている道じゃなくて、次に繋がる道を見るんだ」
俺がそう言うと、ノエルが呆れたように眉を寄せた。
「普通の探索じゃなくて、完全にパズルじゃない」
「ああ」
俺は頷いた。
「だから、面白い」
コメント欄が一気に流れる。
『シンゴ楽しそう』
『攻略者の顔してる』
『戦闘より頭使う階層だ』
『九階、シンゴ向きすぎる』
「楽しそうって言われてるわよ」
ノエルが横から言う。
「まあ、否定はしない」
「否定しないんだ」
「こういうのは、嫌いじゃない」
「ふふん。顔に出てるわよ」
クロエもにひひと笑った。
「お兄ちゃん、完全にゲームしてる時の顔だもんね♪」
「ここはゲームじゃないけどな」
そう返しながらも、自分でも分かっていた。
俺の頭は、完全に攻略モードに入っている。
◆
「フィーネ」
「……はい……」
「下へ向かう魔力の流れを追えるか?」
フィーネは静かに頷き、目を閉じた。
長い耳がわずかに揺れる。
彼女は壁の向こうへ意識を伸ばすように、ゆっくりと息を吐いた。
周囲の空気が、少しだけ静かになる。
「……この先です。ただ、今の通路では繋がっていません……」
フィーネは正面の壁の向こう側を指した。
「……壁の向こう側に、下へ流れる魔力があります……」
「近いのか?」
「……はい。距離は近いです。でも、道が繋がっていません……」
つまり、階段は近い。
だが、今は壁の向こう。
今見えている道をそのまま進んでも、階段には行けない。
ノエルが眉をひそめる。
「近いのに行けないって、すごく嫌な感じね」
「壁一枚向こうに目的地があるのに、通路が繋がっていないタイプだな」
「言い方がゲームっぽいのよ」
「実際、そういう構造なんだよ」
クロエが床の溝を見ながら言った。
「でも、道が動けば繋がるんだよね?」
「ああ。問題は、いつ繋がるかだ」
俺はスマホの図に、現在地と階段の気配がある方向を書き込んだ。
今の道では行けない。
だが、区画が動けば繋がる。
なら、狙うべきはその瞬間だ。
◆
目の前には、右へ向かう赤いスプレー矢印があった。
前にここを通った探索者が残したのだろう。
矢印ははっきりと右を示している。
コメント欄もすぐに反応する。
『矢印あるぞ』
『でも前回あれ信用できないって言ってた』
『書いた時は正解だったやつか』
ノエルも矢印を見る。
「普通なら右に行きたくなるわね」
「今は行かない」
俺は即答した。
ノエルが目を細める。
「言い切るわね」
「右側の通路は、フィーネが魔力の乱れを感じてる。さっき甲虫型モンスターの巣と繋がった方角にも近い」
「……ああ、あの壁から虫が吐き出されてきたやつね。思い出しただけで嫌だわ」
「この矢印は、過去の正解だ。今の正解とは限らない」
この階では、目印すら移動する。
だから、正しい情報が時間経過で間違った誘導に変わる。
探索者が嘘を書いたわけではない。
罠として残したわけでもない。
書いた時には正しかった。
だが、区画が動けば、その正解は別の場所へ運ばれる。
それがこの九階の厄介さだ。
「この階で信じるべきなのは、矢印じゃない」
俺は壁の紋章を見る。
「今、この瞬間の盤面だ」
コメント欄が流れる。
『過去の正解は今の正解じゃない』
『これめちゃくちゃ厄介だな』
『完全に動く迷宮』
◆
俺は周囲の紋章を順番に確認する。
現在地のT字路。
丸い目は二つ。
右角に微力な魔力。
床は横溝。
つまり、この区画は二番目の振動で右へ動く。
次に、右奥の直線通路。
丸い目は一つ。
両角に微力な魔力。
床は縦溝。
つまり、次の一番目の振動で前後入れ替えを起こす。
そして、左側の通路。
丸い目は三つ。
左角に微力な魔力。
床は横溝。
三番目の振動で左へ動く。
俺はスマホの図にそれぞれを書き込んだ。
「一番目で右奥の通路が入れ替わる。二番目で俺たちのいるT字路が右へずれる。三番目で左側の通路が外れる」
ノエルがスマホを覗き込む。
「つまり、どれが正解なの?」
「一番目では動かない。二番目で道が繋がる。三番目まで待つと、逆に切れる」
「……待って。今の一文、普通に怖いんだけど」
「だから、進むべきタイミングは二番目の振動直後だ」
ノエルが俺の顔を見る。
「二番目の振動直後?」
「ああ。その瞬間だけ、階段へ向かう道が繋がる」
「その瞬間だけって言った?」
「言った」
「嫌な言葉ね」
俺はスマホのタイマーを見る。
次の振動まで、そう長くはない。
◆
「今は進まない。二番目の振動が終わるまで待つ」
俺が言うと、ノエルは露骨に嫌そうな顔をした。
「また待つの?」
「待つ。今回は、待つのが前進だ」
ノエルが一瞬だけ黙った。
それから、ふっと笑う。
「……言い方だけは、ちょっとかっこいいじゃない」
「言い方だけか」
「中身は怖いのよ。動く通路の上で待つとか、普通はやりたくないもの」
コメント欄も反応する。
『待つのが前進、かっこいい』
『見えてる道に飛びつかないの良い』
『完全にタイミングゲー』
『九階はアクションパズルか』
セリナが静かに周囲を確認した。
「皆様、中央へ。壁際は避けてくださいませ」
その声は落ち着いていた。
通路が動くと分かっている状況でも、セリナがそう言うだけで場の空気が少し安定する。
クロエは後方を見て、壁の隙間や小部屋の接続を警戒している。
「変な部屋と繋がったら、すぐ言うね♪」
「頼む」
フィーネは現在地の紋章を見つめていた。
その目が、少し鋭くなる。
「……一番目、来ます」
◆
ゴゴゴゴゴ……。
一番目の振動。
床が低く震えた。
俺たちのいるT字路は動かない。
だが、右奥で重い石がずれる音が響く。
壁の向こう側で、巨大な区画が前後に入れ替わっているのが分かる。
さっきまで魔力が乱れていた右奥の通路が、前後入れ替えを起こしたのだ。
揺れが収まる。
フィーネはすぐに目を閉じ、魔力の流れを確認した。
「……右奥の乱れが薄くなりました。代わりに、下へ向かう魔力の流れが近づいています……」
ノエルが驚いたように目を開く。
「本当に変わった……!」
「予定通りだ」
俺はタイマーを見る。
「次で、ここが動く」
現在地の紋章を見る。
丸い目は二つ。
右角にともる微力な魔力が、さっきよりも強くなっていた。
フィーネが小さく言う。
「……二番目です。動きます」
◆
「全員、足元を固定。揺れが収まったら右へ進む。次の振動までに抜ける」
俺が指示を出すと、ノエルが顔をしかめた。
「次の振動までって、どれくらい?」
俺はタイマーを確認する。
「およそ五十秒」
「短っ!」
「だから迷わない。繋がったらすぐ進む」
「分かったわよ。天才天使、覚悟完了よ」
「準備だけでいい」
「こういう時くらい言わせなさいよ!」
クロエが楽しそうに笑う。
「ノエル、ちょっと緊張してる?」
「してるわよ! 動く床なんて嫌に決まってるでしょ!」
「ふふ、正直でかわいい♪」
「かわいいじゃなくて怖いの!」
そんなやり取りをしている間にも、次の振動は近づいていた。
フィーネが紋章を見つめる。
「……来ます……!」
ゴゴゴゴゴ……。
二番目の振動。
T字路が横へずれる。
足元が重く揺れ、壁の向こうで石材が擦れ合う。
視界の端で、壁と通路の位置関係が変わっていく。
ノエルがすぐに薄い結界を張った。
揺れで身体が流されないよう、光の膜が俺たちを包む。
セリナも盾を構えたまま、全員の立ち位置を確認している。
やがて、振動が収まった。
そして、右側に新しい一本道が現れた。
さっきまで壁だった場所に、奥へ続く道が開いている。
空気が変わった。
少し冷たい。
下へ流れる魔力が、はっきり近くなっている。
フィーネがすぐに頷いた。
「……この先です。階段の気配があります……!」
「今だ。行くぞ!」
◆
全員で一本道を進む。
できるだけ速く。
しかし慎重に。
通路の途中、床に十字溝の区画があった。
壁の紋章には丸い目が三つ。
左角に微力な魔力がともっている。
俺はそれを見て、すぐに判断した。
「ここは三番目で左へ動く。長居しない」
ノエルが叫ぶ。
「もう見ただけで分かるようになってるじゃない!」
「法則が分かれば読める」
「簡単そうに言わないで!」
コメント欄が流れる。
『読めるの早い』
『盤面として見えてるんだな』
『シンゴの脳内マップどうなってるんだ』
『これは元ゲームデザイナー』
「シンゴさん」
フィーネが前を見たまま言う。
「……階段の気配、近いです……」
「あと少しだな」
だが、タイマーは進んでいる。
次の振動まで、時間は少ない。
◆
あと十秒。
遠くで、またゴゴゴという音が低く響き始めた。
ノエルが焦ったように声を上げる。
「シンゴさん、次来るわよ!」
フィーネも、はっとした顔で壁を見る。
「……この区画、動きます……!」
俺は最後の数メートルを見る。
階段へ続く小部屋が、すぐ先にある。
「全員、そのまま抜ける!」
俺たちは足を速めた。
通路が揺れ始める。
床の下で、巨大な何かが噛み合うような音がした。
壁の奥から重い振動が迫ってくる。
ノエルが小さく悲鳴を上げる。
「もう来てるんですけど!?」
「止まるな!」
小部屋の入口が近づく。
セリナが最後尾で全員の動きを見ながら、静かに声をかけた。
「皆様、前へ。わたくしが後ろをお守りします」
その言葉に押されるように、全員が小部屋へ飛び込んだ。
三番目の振動が本格的に始まったのは、その直後だった。
背後の通路が、ゴゴゴと横へずれていく。
さっきまで通ってきた道が、壁に変わる。
一本道だった場所が、まるで最初から何もなかったかのように閉じていく。
ノエルが大きく息を吐いた。
「……今の、少し遅かったら閉じ込められてたわね」
「ああ」
俺は頷いた。
「だから、どのタイミングでどこにいるかが重要なんだ」
コメント欄もざわついている。
『ギリギリだった』
『怖すぎ』
『道が本当に消えた』
『タイミングミスったら終わりじゃん』
『でも読めば突破できるの熱い』
◆
小部屋の中央には、下へ続く階段があった。
古い石段。
黒く湿ったような影を落としながら、さらに下の階層へ伸びている。
壁には、角のある獣の紋章が刻まれていた。
ただし、そこには丸い目がない。
角にも魔力はともっていない。
床には溝もない。
動かない区画。
九階のゴールだ。
クロエが明るく笑う。
「お兄ちゃん、ゴールしちゃったね♪」
ノエルも感心したように階段を見る。
「戦わずに階層を突破するって、こういうこともあるのね」
フィーネが小さく頷く。
「……道を読む探索でした……」
セリナが丁寧に一礼する。
「お見事でございます、シンゴ様」
コメント欄が一気に流れる。
『階段きたあああ!』
『九階突破!』
『完全にパズル攻略回』
『シンゴの本領すぎる』
俺は階段の前で振り返った。
さっき通ってきた道は、もうない。
壁と通路の配置は変わり、俺たちが来た経路は完全に別の形になっている。
九階は、地図にはできない。
けれど、盤面としてなら読める。
目は順番。
角は方向。
溝はレール。
そして、道はただそこにあるものではない。
繋がる瞬間を狙うものだった。
◆
俺たちは、十階へ降りようとした。
その時。
階段の下から、低い風が吹き上がってきた。
九階のような石の擦れる音はしない。
あの重い駆動音も、遠ざかっている。
代わりに、下から上がってくるのは、冷たい空気だった。
フィーネの表情が、すっと真剣になる。
「……下から、強い魔力があります……」
俺は階段の奥を見る。
九階は盤面だった。
なら、十階は何だ。
通路が動く階層の次に、何が待っている。
ノエルが小さく息を呑む。
クロエはロッドを握り直し、セリナは静かに盾を構えた。
俺も剣の柄に手を添える。
「行こう」
そう言って、俺は十階へ足を踏み出した。
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