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第110話 地図にならない九階――盤面としてなら読める

「面白いじゃないか」


俺は、そう呟いていた。


遠くで響く、ゴゴゴという重い音。

壁の奥で巨大な石が擦れ合うような音は、もうただの地震には聞こえない。


九階は、道そのものが動く。

しかも、通路が動くことで別の部屋と接続され、さっきみたいに魔物の巣と繋がることもある。


つまり、ここは普通の迷宮ではない。

地図を見ながら進む階層ではなく、動きを読んで進む階層だ。


「で、どうするの?」


ノエルが、少し不安そうに周囲を見回しながら言った。


「進むの?」


俺は首を振る。


「いや。まずは調べる」


「ここで?」


「ここで」


ノエルが、うへぇ、という顔をした。


「動くって分かってる通路の上で待機するの、普通に怖いんだけど」


「分からないまま進む方が怖い」


俺がそう返すと、ノエルは一瞬だけ黙った。


「……まあ、それはそうね」


コメント欄も反応していた。


『攻略モード入った』

『シンゴ、完全にゲームギミック解析の顔』

『元ゲームデザイナーの本領きた』


俺はスマホを取り出し、タイマーアプリを起動する。


「振動の間隔、紋章の変化、床の溝。全部見る」


「……分かりました……」


フィーネが壁の紋章へ近づく。


「……わたしは、魔力の流れを見ます……」


「頼む」


「じゃあ私は?」


ノエルが自分を指差す。


「念のため、いつでも結界を張る準備をしてくれ」


「ふふん。天才天使の出番ね」


「まだ張らなくていい。準備だけな」


「分かってるわよ。準備だけでも天才的にやるわ」


本当に準備だけでいいのだが、ノエルが少し得意げなので放っておく。


「クロエは、目印を置くのを手伝ってくれ」


「オッケー♪ 小石とか置けばいい?」


「ああ。あと、チョークで床に線を引く」


「なんか地味だけど、こういうの好き♪」


クロエは楽しそうにしゃがみ込んだ。


「セリナは、通路の移動に巻き込まれないか見ていてくれ」


「承知いたしました。皆様の立ち位置と退避の余地は、わたくしが確認いたします」


セリナは二枚盾を構えたまま、通路の中央寄りへ立つ。

ただ立っているだけで、安心感がある。



俺たちは、さっき戻ってきたT字路の手前に残ることにした。


正面の壁には、角のある獣の紋章。


牛にも山羊にも見える、二本角の獣。

その下には、丸い目のような模様がある。


最初に見た時は、ただの装飾だと思っていた。

だが、今は違う。


これは、たぶんこの階のルールを示すヒントだ。


まず俺が注目したのは、丸い目の模様だった。

最初のT字路にある目は、一つ。


「フィーネ。この目の部分、魔力はどうだ?」


フィーネは壁に手をかざし、目を閉じた。


「……この丸い部分に、魔力が集まっています……。さっきの振動の前より、少し濃いです……」


「目が一つ。さっきの振動で、このT字路は動いた。なら、この目は“この周期の一番目に動く区画”という意味かもしれない」


ノエルが眉をひそめる。


「一番目?」


「ああ。通路の移動には順番がある。目が一つなら一番目、二つなら二番目、三つなら三番目。そういうカウントを示している可能性がある」


「目の数で、動く順番を示してるってこと?」


「まだ仮説だ。でも試す価値はある」


俺はT字路の中央に小石を置いた。

さらに、床にチョークで短い線を引く。


チョークの線は、移動前の区画の向きと位置を確認するためだ。

線を床の溝と平行に引いておけば、揺れたあとに区画が横へずれたのか、向きまで変わったのかが分かる。


動いた距離も、ある程度は見えるはずだ。


確認することは多い。


「来ます……」


フィーネが小さく言った。


次の瞬間。


ゴゴゴゴゴ……。


低い振動が通路全体に広がった。


床が揺れる。

壁の奥から、重い石材が動く音が響く。


今回は慌てない。


全員、その場で動かずに待つ。

やがて、音が遠ざかり、揺れが収まった。


俺はすぐに周囲を確認する。


まず、T字路の見え方が変わっていた。


さっきまで左へ続いていた通路の位置がずれている。

壁の継ぎ目と床の溝の噛み合い方も変わっていた。

右壁にあった赤いスプレー矢印の位置も、正面の紋章との距離が移動前と違う。


チョークで引いた線は、床の溝と同じ向きのままだ。

つまり、区画が回転したわけではない。

向きはそのまま、横へ滑るように移動した。


小石も、T字路の中央に置いたまま一緒にずれている。


「この区画全体が、向きを変えずに横へ移動したな」


俺はスマホに詳細に記録する。


コメント欄が流れる。


『ちゃんと検証してる』

『攻略配信っぽい』

『地味だけど面白い』


「地味って言われてるわよ」


ノエルが笑う。


「地味でいい。こういう地味な確認を飛ばすと、だいたい死ぬ」


「言い方が重いのよ」


「ダンジョンだからな」


俺はそう言って、次の区画へ視線を向けた。



次に見つけたのは、丸い目が二つある紋章だった。


通路の途中。

右の壁に刻まれている獣の紋章の下に、丸い目が二つ並んでいる。


「今度は二つか」


俺は足を止める。


「これが法則通りなら、一回目の振動では動かず、二回目で動くはずだ」


「また待つの?」


ノエルが露骨に嫌そうな顔をする。


「待つ」


「探索してるのか、観察会してるのか分からなくなってきたわね」


「観察しないと探索にならない階なんだよ」


クロエがにひひと笑う。


「お兄ちゃん、すごく楽しそう♪」


「そんなことは……」


否定しようとして、やめた。


まあ、少し楽しい。

いや、かなり楽しい。


もちろん危険ではある。

だが、仕組みがあるなら読み解ける。作った側がヒントを残しているなら、そこには攻略の意図がある。


ゲームでもダンジョンでも、完全なランダムはただの理不尽だ。

面白い仕掛けには、必ず読める手がかりがある。


「……来ます」


フィーネの声。


一回目の振動が来た。


ゴゴゴゴゴ……。


遠くで何かが動く音がする。

だが、俺たちのいる区画は動かない。


ノエルが目を丸くした。


「動いてない?」


「一回目では動かない。仮説通りなら、次だ」


コメント欄もざわつく。


『本当にカウント式?』

『二回目待ちか』

『これ当たったら熱い』


そして二回目。


ゴゴゴゴゴ……。


壁の紋章に魔力が集まっていく。


俺の目には、彫り込まれた丸い目がわずかに淡く見える程度だった。

だが、フィーネにはもっとはっきりと流れが見えているらしい。


彼女の耳がぴくりと揺れ、視線が紋章に固定される。


「……動きます……!」


その声と同時に、足元が重く揺れた。


通路の区画が、横へずれる。

揺れが収まったあと、そこにあった通路の位置は変わっていた。


俺はスマホに記録する。


さらに、目が三つある区画も確認した。


一回目、動かない。

二回目、動かない。

三回目、動く。


ここまで来れば、ほぼ確定だ。


「目の数は、何番目の振動で動くかを示してる」


俺が言うと、コメント欄が一気に流れた。


『法則きた!』

『カウント式か』

『目が一つなら一番目、二つなら二番目』

『これ普通に面白い』


ノエルも少し感心したように、壁の紋章を見上げる。


「なるほどね。目の数で動くタイミングを教えてるわけだ」


「ああ。問題は、どっちへ動くかだ」


「それが角?」


「たぶんな」


俺は獣の紋章の角へ視線を移した。



次の検証は、角だった。


壁に刻まれた獣の紋章。

二本の角は大きく左右に広がっている。


フィーネが近づき、じっと見つめた。


「……右の角に、微力な魔力がともっています……」


俺は床を見る。


その区画の床には、横方向に細い溝が走っていた。

まるで巨大なレールだ。


「右角に魔力。床は横溝。なら、次に動く方向は右だ」


「本当にそんな単純かしら?」


ノエルが言う。


「単純に見せているなら、最初のルールとしてはあり得る」


「作った側の気持ちで考えてるわけ?」


「そうだな」


俺は少しだけ笑う。


「初見では分からない。でも、気づけば読める。そういう仕掛けなら、最初の法則は分かりやすくする」


「なんか、急に製作者目線になったわね」


「元ゲームデザイナーだからな」


コメント欄が流れる。


『出た、製作者目線』

『ギミックを作る側で読むの強い』

『シンゴ向きすぎる階』


フィーネが小さく言う。


「……来ます」


ゴゴゴゴゴ……。


振動。


右の角にともっていた魔力が、わずかに強くなる。

次の瞬間、区画は横溝に沿って右へずれた。


「当たりだ」


俺は記録する。


次は、左の角に微力な魔力がともる紋章。

床は同じく横溝。


「これは左だ」


結果は、予想通り左へ移動。


さらに進むと、両方の角に微力な魔力がともる紋章があった。

ノエルが首を傾げる。


「両方光ってるわよ。左右どっちなの?」


俺は床を見る。


そこだけは、縦方向に溝が走っている。

左右ではなく、前後に動けるレール。


「左右じゃない。前後の入れ替えだ」


「入れ替え?」


「ああ。前にある区画と、後ろ側の区画が入れ替わる」


しばらく待つと、予想通りだった。

ゴゴゴという振動とともに、前方にあった直線通路と、後ろ側の小部屋区画が入れ替わる。


ノエルの顔が少し青くなった。


「今の、小部屋にいたらどうなってたの?」


「たぶん、別の場所へ運ばれてた」


「嫌すぎるんだけど!」


コメント欄も騒ぐ。


『怖っ』

『迷子確定じゃん』

『両角は前後入れ替えか』

『これ分からず進んだら終わる』


俺はスマホに入力する。


これで角の意味も見えた。


右角なら右。

左角なら左。

両角なら前後入れ替え。


そして床の溝は、その区画が動ける方向を示すレールだ。


横溝なら横移動。

縦溝なら前後移動。

十字溝なら、横にも縦にも動ける交差区画。


「これ、迷路っていうより、でっかいスライドパズルだね♪」


クロエが床の溝を覗き込みながら言った。


「そうだな。通路が勝手に動いてるんじゃない。レールの上を、決まった順番で動いてる」


九階の印象が変わった。


さっきまでは、ただ不気味な迷宮に見えていた。

しかし、法則が見え始めると違う。


これは読める。


少なくとも、ランダムではない。


俺はスマホのメモを開き、ここまで確認した区画を簡単な図にして並べていく。


一番目に動く区画。

二番目に動く区画。

三番目に動く区画。


それぞれの移動方向。

床の溝の向き。

動いた後の接続先。


まだ情報は少ない。

だが、点は増えてきた。


点が増えれば、線が見える。

線が見えれば、次にどこが繋がるかも予測できる。


「動くタイミングと方向が分かれば、位置関係の変化も読める」


俺はスマホの画面を見ながら呟いた。


ノエルが覗き込む。


「つまり?」


「どの区画が、何番目に、どっちへ動くのか。それをメモしていけば、次に道がどう繋がるかが分かる」


フィーネが小さく頷く。


「……どのタイミングで、どこにいればいいかも……分かる、ということですね……」


「ああ」


俺は顔を上げた。


遠くで、またゴゴゴ……と重い音が響く。


もう、ただの不気味な音には聞こえなかった。

盤面が動く音だ。


「この階は、地図にはできない」


俺は言った。


「でも、盤面としてなら読める」


コメント欄が一気に流れた。


『攻略法見えてきた』

『九階、完全にパズル階層だ』

『シンゴの目が完全に攻略者』


俺はスマホを握り直す。


九階は、ただ迷うだけの階層じゃない。


動く順番を読み、方向を読み、道が繋がる瞬間を狙う階層だ。


なら、やることは決まっている。


「次は、この法則で階段までの道を読む」


俺はそう言って、再び獣の紋章へ視線を向けた。

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