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第106話 鉄壁の二枚盾――砦砕きの大斧を受け止めた

鹿島ダンジョンの中へ足を踏み入れる。


入口から続く通路は、これまでのダンジョンと比べてもかなり広かった。


壁は灰色の石材。

床はところどころ削れていて、魔物の爪痕のような傷が残っている。

天井も高い。

狭い通路で圧迫してくるタイプではなく、むしろ大型の魔物が動き回るために作られたような構造だった。


「広いな」


思わず呟く。


「……大型の敵が多いのかもしれません……」


先頭を歩くフィーネが、小さく言った。


隊列は、フィーネ、俺、ノエル、クロエ、セリナ。


フィーネには、いつも通り罠感知と気配感知を任せている。

俺はそのすぐ後ろで、指示と近接戦闘。

ノエルとクロエは中央。

そしてセリナには、最後尾についてもらっていた。


理由は単純だ。


バックアタック対策である。


今までのダンジョンでも、後方から敵が来ることは何度もあった。

これまでは俺が跳んで対応するか、フィーネの感知で先に避けるか、ノエルの結界で押し返す形が多かった。


だが、今は違う。


後ろに、二枚盾の守護盾がいる。


もちろん、広場やボス戦では前へ出てもらう。

けれど通路移動中は、後方を任せられるだけでもかなり大きい。


「セリナ、最後尾は大丈夫か?」


俺が振り返ると、セリナは二枚の大盾を軽く構えたまま、丁寧に頷いた。


「はい。後方はこのセリナが確認いたします。皆様はどうか前方にご集中くださいませ」


言葉は穏やかだが、頼もしさがある。


コメント欄もさっそく反応していた。


『新タンク最後尾なのいいな』

『後ろから来ても安心感ある』

『猫耳メイドが大盾二枚持ってる絵面つよい』

『セリナちゃん真面目かわいい』


俺はスマホを一度確認し、昨日購入したマップアプリを立ち上げた。


【鹿島ダンジョン 一階~八階フルコンプリートマップ】


価格、百五十万円。


相変わらず高い。


いや、本当に高い。

高いが、命には代えられない。


「これ、百五十万した」


俺がぼそっと言うと、ノエルが横から画面を覗き込んだ。


「うわ、高っ。お酒何本分かしら」


「基準が酒なのやめろ」



俺はマップを見ながら、ルートを決める。


一階はほぼ一本道。

二階も分岐はあるが、攻略済みルートなら危険ポイントは少ない。

三階までは、確認しながら進めば問題ないはずだ。


「今日は、八階までのマップはあるけど、セリナの初実戦も兼ねてるから無理はしない」


「ふふん。いい判断ね」


ノエルがなぜか上から目線で頷く。


クロエはロッドを肩に担ぎながら、楽しそうに笑った。


「セリナの初戦闘、楽しみだね♪」


セリナの耳がぴくりと動く。


「ご期待に沿えるよう努めます」


「硬い硬い♪」


「……硬いでしょうか」


「うん、硬い。でもそこがいい」


セリナは困ったように瞬きをした。



一階は、拍子抜けするほど静かだった。


石造りの通路。

ところどころに開いた小部屋。

壁に刻まれた古い紋様。


マップには罠の位置も記録されていたが、フィーネはそのたびに立ち止まり、実際の魔力の流れを見て確認してくれた。


「……この先、床に圧力式の罠があります……。ただ、既に解除済みのようです……」


「マップ通りだな」


「……はい。ただ、少しだけ魔力の残滓があります……踏まない方がいいです」


「了解」


ただの地図と、フィーネの感知。

両方あると安心感が違う。


一階の階段を降り、二階へ進む。


二階は少しだけ空気が重かった。

壁の一部に黒い苔のようなものが生え、通路の角には古い骨が転がっている。

いかにも魔物が出そうな雰囲気だが、マップに記録された安全ルートを選んで進む。


右へ。

直進。

小部屋をひとつスルー。

斜めに折れた通路を抜け、階段へ。


「ずいぶん慎重ね」


ノエルが後ろから言う。


「新ダンジョンだからな。マップがあっても油断はしない」


「……大事です……」


フィーネが静かに頷く。


三階への階段が見えた。


そこまでは順調だった。


だが、階段を降りてすぐ。


フィーネの耳が、ぴくりと動いた。


「……後ろ……!」


その声と同時に、背後の暗がりから低い唸り声が響いた。


グルルルル……。


反射的に振り返る。


後方の通路に、二つの赤い光が灯っていた。


いや、二つじゃない。

四つ。


燃えるような赤い目。

筋肉質な黒い体。

小型の狼に近いが、普通の獣ではない。

牙は長く、口元からは黒い煙のような息が漏れている。


ブラックドッグが二頭。


完全なバックアタックだ。


「セリナ、ガード頼む!」


俺は即座に叫ぶ。


「承知いたしました」


セリナの返事は落ち着いていた。


同時に、俺も床を蹴る。


「俺も背面に出る!」


《跳空のブーツ》の反発で、身体が一気に浮き上がる。

天井すれすれまで跳び、隊列の上を越えるように最後尾へ向かった。


その間にも、ブラックドッグ二頭は地面を蹴って加速している。


速い。


低い姿勢で走り、床を滑るように距離を詰め、同時に跳びかかる。

一頭は喉元へ。

もう一頭は横から足を狙う角度。


普通なら厄介な連携だ。


けれど、そこにいたのはセリナだった。


彼女は逃げない。

慌てない。

二枚の大盾を、ほんの少しだけ角度を変えて構える。


受け止めるというより、待ち構える姿勢。


ブラックドッグが牙を剥く。


「ガードいたします」


セリナが静かに言った。


次の瞬間、二枚盾が前へ出た。


ドゴォッ!!


噛みつきに来たブラックドッグの頭部へ、盾の面がカウンター気味に叩き込まれる。

盾で受けたのではない。

攻撃の勢いに合わせ、真正面から押し返した。


「ギャインッ!」


一頭目が吹き飛ぶ。


二枚目の盾が、ほぼ同時に横から来たもう一頭へ合わせられる。

こちらも牙が届く寸前で、盾に弾かれた。


「ギャウッ!」


黒い体が床を転がり、壁へぶつかる。


俺はその後ろへ着地した。


剣を抜く。


「まかせろ!」


構える。


そして――止まった。


ブラックドッグ二頭は、既に床に倒れていた。

ぴくぴくと脚が震えている。

完全にダウンしている。


「えーと……」


抜いた剣のやり場に困った。


コメント欄が流れる。


『え?』

『終わった?』

『盾で殴った?』

『カウンターガード強すぎw』

『シンゴ剣抜いた意味w』


俺は少しだけ咳払いする。


「ナイスガード。セリナ」


とりあえず言ってみた。


セリナは大盾を下ろし、少しだけ頭を下げる。


「ありがとうございます」


ノエルが目を輝かせていた。


「すごいわ、セリナ! 鉄壁じゃない! このノエルの守りは任せたわよ!」


「みんなの守りな」


俺はすぐ訂正した。


クロエもにひひと笑う。


「でも凄いじゃん♪ ボス級の攻撃もガードできそう♪」


「……物理防御を任せられる分、シンゴさんが攻撃に専念できますね……」


フィーネも、感心したように言う。


確かにその通りだ。


これまで、俺は攻撃も防御も回避も、かなりの部分を自分でやってきた。

だが、セリナが物理攻撃を受けられるなら、俺は攻撃にもっと集中できる。


それはパーティ全体の形を変える。


皆から褒められたセリナは、少しだけ頬を赤くした。

猫耳がぴくぴくと動いている。


「皆様のお役に立てましたのなら、何よりでございます」


それから、両手の盾を胸元へ寄せるように構え、静かに続けた。


「どうぞ守りのことは、このセリナにお任せくださいませ。皆様の歩みを阻むものは、わたくしが受け止めてみせます」


コメント欄がまた騒ぐ。


『かっこいい』

『上品なのに盾性能がゴリラ』

『守護盾きた』

『シンゴパーティ完成度上がったな』


俺は小さく笑った。


「頼りにしてる」


「はい」


セリナの尻尾が、ほんの少しだけ嬉しそうに揺れた。



三階から五階までは、さらに慎重に進んだ。


ブラックドッグのような奇襲があるなら、マップに書かれているルートだけを信用しすぎるのも危ない。

フィーネが前方の気配を拾い、セリナが後方を見て、俺がマップと実際の地形を照らし合わせる。


三階の奥では、黒い小型ゴブリンが数体出た。

クロエの炎で殲滅した。

四階ではリザードマンが二体。

こちらはセリナが一度攻撃を受け、俺が横から切り込んだ。


動きが噛み合い始めていた。


「……右の通路、魔力反応があります……」


フィーネが足を止める。


「罠か?」


「……罠というより、魔力が溜まっている場所です……。小部屋の奥に、何か残っているかもしれません……」


俺はマップを確認する。

右の通路の先には小部屋がある。

ただし、八階まで攻略済みのマップだ。

もし宝箱や採取ポイントがあったとしても、普通ならとっくに回収されている。


残っているのは、魔力の残滓か。

あるいは、攻略後に新しく発生した何かか。


「今日は寄らない」


俺はそう判断した。


「えー、見に行かないの?」


ノエルが少し不満そうに言う。


「寄り道して、変な罠や再湧きに引っかかる方が面倒だろ」


「まあ、それはそうだけど」


コメント欄にも反応が流れる。


『寄り道しない判断えらい』

『こういうとこ慎重なの好き』

『気になるけど今じゃないな』

『シンゴ、探索者として堅実』

『ノエルは絶対見に行きたい顔』


ノエルは口を尖らせる。


「別に絶対見に行きたい顔なんてしてないわよ」


「してたぞ」


「してました♪」


「……少し……」


三人に言われて、ノエルがむっとする。


「うっさいわねー! 好奇心は天才の証なの!」


「天才なら我慢も覚えてくれ」


そう言いながら、俺たちは主ルートへ戻った。


五階へ降りる階段は、広い吹き抜けの先にあった。

降りた瞬間、空気が変わる。


湿っている。

重い。

そして、どこか獣臭い。


「……この階、何かいます……」


フィーネが小さく言った。


「近いか?」


「……まだ距離はあります。ただ、気配が大きいです……。この階全体に、圧のようなものが広がっています……」


俺はマップを確認する。


購入したマップに載っているのは、あくまで地形と通行ルート、階段の位置、確認済みの罠や注意ポイントだけだ。

敵が今どこにいるかまでは分からない。


けれど、五階の中央にはかなり大きな部屋がある。

構造的に見れば、そこに大型の敵がいてもおかしくない。


「この先に大部屋がある」


俺は画面を見ながら言った。


「敵の位置までは分からない。ただ、フィーネの感知と合わせるなら……たぶん、そこだな」


「……はい。奥の方から、強い気配がします……」


俺たちは、大きな扉の前で足を止める。


扉の向こうから、わずかに重い気配が漏れている。

息遣いのようなもの。

金属が擦れるような音。

床が、ほんのわずかに震えている。


フィーネが扉に手をかざし、目を閉じる。


「……中に敵がいます」


「数は?」


「……一体です」


一体。


それなのに、この圧か。


俺は全員を見た。


ここからは、さっきまでと違う。


「作戦を確認する」


セリナが一歩前へ出る。


「まずセリナが先頭。扉を開けたら、初撃を受けられる位置に入ってくれ」


「承知いたしました」


「俺はセリナの斜め後ろ。敵を確認しつつ横から入る。ノエルは必要に応じ、結界と回復。クロエは火力支援。フィーネは弱点と罠、地形を見てくれ」


「ふふん。任せなさい」


「了解♪」


「……分かりました……」


セリナは二枚盾を握り直した。


「シンゴ様」


「ん?」


「皆様の前は、わたくしが守ります」


その言葉に、迷いはなかった。


俺は頷く。


「頼む」


そして扉へ手をかけた。


重い。


ゆっくり押すと、低い音を立てて扉が開いていく。



中は、体育館ほどの広さがあった。


いや、それ以上かもしれない。


天井は高く、二十メートル近い。

床には巨大な爪痕と、何かを叩きつけたような陥没がいくつもある。

壁際には砕けた石柱が転がり、古い砦の内部を無理やりダンジョン化したような空間だった。


その中央に。


巨体が立っていた。


身長十メートル。


牛頭人身の魔物。


全身を黒鉄色の毛が覆い、筋肉は岩のように盛り上がっている。

赤く発光する両目。

大樹のように太い二本の角。

息を吐くたび、鼻孔から白い蒸気が漏れる。


そして、何より目を引くのは、その手に握られた武器だった。


全長六メートルはある超巨大戦斧。


刃だけで、人間の身長ほどもある。

あれをまともに受ければ、普通の探索者なら盾ごと潰れる。


コメント欄が一気にざわつく。


『でかっ!?』

『ミノタウロス!?』

『いやデカすぎるだろ』

『斧が建材じゃん』

『中ボスきた?』


俺はスマホの検索アプリを開き、モンスター照合をかける。


牛頭人身。

巨大戦斧。

十メートル級。

条件を自動で読み取り、すぐに候補が表示された。


魔断斧ギガントミノス。


過去に別ダンジョンでも、ごく少数の目撃例があるらしい。

異名は、『砦砕き』『城門喰らい』『一撃破城の魔獣』。


なるほど。


名前だけで嫌な予感がする。


防御力より、攻撃力特化。

ダンジョンの壁も、防衛拠点も、大型モンスターもまとめて叩き潰すタイプ。

つまり、一撃の威力がとにかく重い。


ギガントミノスがこちらを見た。


赤い目が細くなる。


「ゴォォォォォォ!!」


咆哮が部屋を震わせた。


空気が押し寄せる。

床の砂が跳ね、壁の欠片が落ちる。

それだけで、雑魚ではないと分かる。


「セリナ、前へ!」


「はい」


セリナが俺たちの前に出る。


ギガントミノスは、こちらを見下ろしながら巨大戦斧をゆっくり持ち上げた。


ただ振りかぶるだけじゃない。


斧の刃に、赤黒い魔力が集まっていく。

床が震える。

空気が重くなる。

斧を中心に、目に見えない圧力が広がっていく。


まずい。


ただの通常攻撃じゃない。


「来るぞ!」


俺が叫んだ瞬間、コメント欄にも悲鳴が走った。


『まずい!』

『離れろ!』

『逃げろ逃げろ!』

『セリナちゃん下がって!』

『これ受ける攻撃じゃない!』


ギガントミノスが戦斧を頭上まで持ち上げる。


赤黒い魔力が刃に集中する。

まるで斧そのものが巨大な破城槌になったようだった。


必殺技。


《断界斧》。


そんな単語が頭に浮かぶ。


受ければ地面ごと割られる。

避ければ後衛まで衝撃波が走る。

ただ逃げるだけでは、きっと間に合わない。


そのとき。


セリナが一歩、前へ出た。


逃げない。


二枚の盾を前へ出す。


「皆様」


静かな声だった。


「わたくしの後ろへ」


俺たちは即座に下がる。

ノエルが結界を張りかけるが、セリナがわずかに首を振った。


「正面は、わたくしが受けます」


セリナは二枚盾を重ねた。


ただ重ねるだけではない。

角度をつけ、片方で衝撃を受け、もう片方で流す構え。

足を開き、膝を沈め、全身で床を掴む。


守護盾術。


《巨壁守護》。


ギガントミノスの戦斧が、振り下ろされた。


ズガァァァァァァン!!!


世界が爆ぜた。


斧と盾がぶつかった瞬間、床が割れた。

空気が破裂し、衝撃波が円形に広がる。

土煙が吹き上がり、視界が白と灰色に塗りつぶされる。


耳が潰れそうな音。

足元を揺らす振動。

砕けた石片が飛び散り弾かれる。


コメント欄が一気に流れる。


『終わった』

『直撃だろ』

『無理無理無理』

『セリナぁぁぁぁ!』

『盾ごと潰れたんじゃ』


俺は歯を食いしばる。


煙が濃い。

見えない。


だが、衝撃は後ろまで届いていない。


俺たちは、吹き飛ばされていない。


つまり。


数秒後。


土煙が少しずつ晴れていく。


そこにいた。


二枚の盾を構えたまま、まっすぐ立つセリナが。


片膝どころか、一歩も退いていない。

床は彼女の足元から蜘蛛の巣状に割れている。

けれど、盾の表面には傷ひとつない。


巨大な戦斧を真正面から受け止めたはずなのに、盾は鈍く光を宿したまま、静かにその役目を果たしていた。


「問題ございません」


セリナが凛とした声で言う。


まるで当然のことを告げるように。


自分が守った。

だから無事である。


その事実だけを、静かに示す声だった。


コメント欄が爆発した。


『止めたぁぁぁぁ!!』

『うおおおおおおおお!!』

『マジで受けた!?』

『しかも立ったまま!?』

『盾に傷ないんだが!?』

『猫耳メイド強すぎるw』

『シンゴパーティの壁やべぇ』

『守護盾やばい』

『これは惚れる』

『セリナぁぁぁぁ!!』


ギガントミノスが、初めて動きを止めた。


「グォ……?」


赤い目が揺れる。


理解できないのだろう。


自分の斧を。

自分の必殺を。

正面から受け切った存在がいることを。


その一瞬の硬直。


俺は見逃さなかった。


セリナは振り返らない。


二枚盾を構えたまま、静かに言う。


「シンゴ様」


その声に迷いはない。


「今です」


床には大きな亀裂。

ギガントミノスの斧は、振り下ろした直後で戻りが遅い。

巨体の胸元が、ほんのわずかに開いている。


完全なチャンス。


《跳空のブーツ》を起動する。


身体が宙へ跳ね上がった。


コメント欄がさらに加速する。


『きたあああああ!』

『シンゴのターン!』

『セリナが作ったチャンスだ!』

『やれえええええ!!』

『連携やばすぎる!』


空中で剣を構える。


頼もしい仲間がいる。


攻撃を止める仲間がいる。


俺が前へ出るための道を、作ってくれる仲間がいる。


なら、遠慮はいらない。


「行くぞ、ギガントミノス」


俺は巨大な魔獣へ向かって、一直線に飛び込んだ。

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