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第100話 魔皇公討伐――初めての「ありがとう」

セリナが、俺の前に立っていた。


二枚の盾を構え、魔皇公ゼルギウス=ゼディアの剣を弾いた。

自身も傷だらけで、立っているだけでも限界のはずなのに。

それでも、その背中は折れていなかった。


血に濡れた髪。

震える腕。


それでもなお前を向く姿は、痛々しいほどに気高かった。

その瞳は、もう以前のように虚ろではない。

まっすぐ前を向き、強い決意を宿している。


感謝しかなかった。

見ず知らずの俺を、そんな姿で庇ってくれた。


「ありがとう」


素直に、そう言った。

セリナの背中が、一瞬びくっと震える。


驚いているのか。


だが、背中の後ろで、尻尾がゆっくり左右に揺れていた。

少しだけ。

本当に少しだけ。

嬉しそうに見えた。



「ほう」


ゼルギウスが、低く笑った。


「そのような姿で、我が攻撃を止めるとは。なかなかやる」


セリナは答えない。

二枚盾を構えたまま、ただ前を見ている。


ゼルギウスは、楽しそうに口角を歪めた。


「しかし、もう限界のようだな。次の攻撃は止められまい」


その通りだった。

セリナは手も足も血に濡れている。

腕は震え、盾の縁は欠け、白いエプロンは赤黒く汚れていた。

立っているのもやっとのはずだ。

けれど、セリナが攻撃を防いでくれた。


そのわずかな時間があったから、俺の身体は少しだけ戻ってきている。


《キングはぐれミスリルスライムの鎧》。


HP自動回復、特大。

淡い緑の光が鎧からにじみ、焼けた傷を塞いでいく。

腕は動く。

剣も握れる。

上体も起こせる。


だが、左足を失ったままでは、大きく動けない。

跳べない。

踏み込めない。

避けられない。


なら、動かずに届かせるしかない。


しかし、俺には切り札があった。


浦安ダンジョンの魔皇爵ヴェルグにも使わなかった。

草津ダンジョンの深泉王ベルガルムにも使わなかった。

最後の切り札だ。


俺は息を整え、呪文を唱えた。


「《衣透視・クロス・スルー》」


視界が切り替わる。


ゼルギウスが身にまとっているプレートアーマーが、薄く透けていく。

黒い外殻。

分厚い装甲。

その奥。

胸の中心。


見えた。


まるで心臓そのものみたいに脈打つ、赤い宝石。


ヴェルグの父親だと言っていた。

なら、予想はしていた。

同じだ。

あれが核だ。


俺は膝立ちの姿勢になった。

左足はない。

だが、右足と膝と腰で、どうにか身体を支える。


《キングはぐれミスリルドラゴンの剣》を握り直した。


狙うのは、ゼルギウスの胸。

あの赤い核。


俺は剣を振りかぶった。


「セリナ、少しだけ退いてくれ」


セリナの耳がぴくりと動く。


彼女は、こちらを振り返らない。

それでも、ほんのわずかに身体をずらして、射線を開けてくれた。


ありがとう。

心の中でもう一度呟き、俺は腕を振り抜いた。


剣が手を離れる。

銀の軌跡が、一直線に黒い空間を裂いた。


飛んでいく剣身が、ふっと白く光る。


次の瞬間、さらに加速した。


白い光をまとった《キングはぐれミスリルドラゴンの剣》が、ゼルギウスへ向かって一直線に飛ぶ。


「そんな攻撃が効くものか!」


ゼルギウスが吠えた。


右中腕の盾。

左中腕の盾。

二枚の巨大な盾が、胸の前で重なる。


分厚い黒盾。

魔力を帯びた防御。


最後の壁。


「そうだよな。お前が最後の頼りにしているのは、その盾だ。さっき懐に飛び込んだ時に見せてもらった」


ゼルギウスは、攻撃を受ける瞬間、必ず盾を合わせる。

あの核を守るために。


「だからこそ、これでいく」


光を放つ剣が、ゼルギウスの盾にぶつかった。


そう見えた。


だが、次の瞬間。

剣は、盾を素通りした。

まるでそこに何もないかのように、黒盾の内側へ吸い込まれていく。


【銘:キングはぐれミスリルドラゴンの剣】

攻撃+255

器用+255

防御50%貫通

結界特効

投擲時防御無効

自動帰還


「投擲時防御無効」


二枚の盾をすり抜けた剣は、そのままゼルギウスの胸へ突き刺さった。

突き刺さった先には、赤い宝石がある。

心臓のように脈打つ核。


《キングはぐれミスリルドラゴンの剣》が、その威力を持って赤い宝石を貫いた。


次の瞬間。


核が砕けた。


胸の内側から、赤黒い光が破裂する。

鎧の裂け目から炎と衝撃が噴き上がり、六本腕の巨体が大きくのけぞった。


「グアァァァァァァッ!」


悲鳴が響く。

ゼルギウスが、六本の腕で胸を押さえる。


翼が痙攣する。

巨体が、ぐらりと傾いた。


「そんな技を、隠し持っていたとはな」


ゼルギウスの声は、さっきまでとは違っていた。

怒りではない。

憎しみでもない。

どこか、乾いた声だった。


「見事だ」


その瞳から、怒りの色が消えていく。

全身を走っていた赤黒い筋が、一斉に薄れていった。

巨体が、音もなく崩れ始める。


翼が萎れる。

角が砕ける。

六本の腕が灰になっていく。


魔皇公ゼルギウス=ゼディアの身体は、黒い灰と霧に変わっていった。

やがて、黒い空間に重く沈んでいた魔圧が、ふっと消える。


終わった。


魔皇公ゼルギウス=ゼディア。


討伐。



「シンゴさん! 大丈夫!?」


ノエルが叫びながら、こちらへ走ってきた。


「まずは、みんなの回復を頼む。セリナも」


「分かったわ!」


ノエルが両手を広げる。


「《負傷回復・キュア・ウーンズ》!」


白い光が広がった。

セリナを含め、倒れていたみんなを包んでいく。


ノエル。

フィーネ。

クロエ。

守田さん。

甲斐さん。

津詰さん。

副長さん。

山崎さん。

三好さん。

そして、セリナ。


白い光が傷を塞ぎ、痛みを少しずつ引かせていく。

俺の身体にも、柔らかな回復の熱が流れ込む。

痛かった節々から、少しずつ苦痛が薄れていった。


もちろん、左足は戻らない。

けれど、意識ははっきりしてきた。

皆が、少しずつ動けるようになっていく。


その時だった。


セリナが、俺たちの前で片膝をついた。

二枚盾を床へ置き、深々と頭を下げる。


「貴重な回復魔法を、このわたくしにまでかけていただきまして、ありがとうございます」


真剣な声だった。

本気で、そう思っているのが伝わる。


ノエルが目を丸くした。


「もー。そんなお礼なんていらないのよ。放っておけるわけないじゃない」


それから、ノエルは少し笑った。


「それに、あなたのおかげでシンゴさんも、私たちも助かったわ」


「その通りだ」


俺はセリナへ向き直る。


「セリナ、ありがとう。君のおかげで、みんなの命が助かった」


俺は深々と頭を下げた。


そんな俺を見てセリナはポカンとした。


まるで、何を言われたのか理解できていないような顔だった。

困惑した様子で、彼女は小さく首を傾げる。


「なぜ」


その声は、震えていた。


「なぜ、人間であるあなた様が、猫人族であるわたくしにお礼を言うのですか?」


本気で分かっていない。

そういう顔だった。


胸の奥が、少し痛くなる。

俺は、ゆっくりと言った。


「この世界では、受けた恩にはお礼を言う。それが当たり前なんだよ」


セリナの耳が、小さく揺れる。


「人間だろうが、それ以外だろうが関係ない」


「そのような世界が」


セリナが、信じられないものを見るように俺を見た。


「あるんだ」


俺は頷く。


「少なくとも、俺はそういう世界で生きてる」


セリナの瞳が揺れた。

さっきまで命令で曇っていた目ではない。

戸惑いと、驚きと、わずかな期待が混ざった目だった。


俺はもう一度、彼女へ頭を下げる。


「セリナ。君のおかげで、俺を含めて仲間の命が助かった。改めて、お礼を言わせてほしい」


そして、はっきりと言った。


「ありがとう」


その瞬間。


セリナの目から、涙があふれ出した。

大粒の涙が、ぽろぽろと頬を伝って落ちていく。


彼女は何かを言おうとした。

けれど、声にならなかった。

ただ、両手で胸元を押さえ、肩を震わせていた。

初めて聞いた感謝の言葉を、どう受け止めればいいのか分からないように。


けれど、その涙は、もう命令で流されたものではなかった。

セリナ自身の心から、こぼれたものだった。

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― 新着の感想 ―
こんばんは。累計100話到達おめでとうございます! どうにかこうにか勝てましたなぁ…。セリナさんだけ地球に連れて帰れないかな? まぁそうなると勇者ドブカス(名付けなう)が「人のもんパクんな」的なこと…
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