EP 3
オルウェル、ポポロ村へ。交渉の切り札『RCIR型(宮廷糧食)』
ルナミス帝国の内務卿オルウェルは、護衛もつけず単身でポポロ村を訪れていた。
彼の目は、村に足を踏み入れた瞬間から、驚愕に見開かれていた。
(……なんだ、この異常なまでの清浄さは)
道端に落ち葉一つなく、建物の窓ガラスは恐ろしいほどの透明度を保ち、用水路からはヘドロの臭いが一切しない。
極めつけは、村の広場に足を踏み入れた兵士たちが「靴の泥を落とさねばならない」という謎の強迫観念に駆られ、設置された泥落としマットで靴底をゴシゴシと擦っていることだ。
(完璧なシステムだ。暴力ではなく『環境』によって、他者の行動を強制的に統制している。……やはり、九条湊という男、底が知れない)
オルウェルは眼鏡を中指で押し上げ、広場に面した一軒の建物――『株式会社・九条清掃 アナステシア出張所』の暖簾をくぐった。
「いらっしゃい。悪いな、今は昼休憩中なんだ。不用品の回収依頼か?」
建物の奥から、エプロン姿の男――九条湊が現れた。
帝国の最新鋭兵器を指先一つで(モップで)解体した怪物。だが、目の前にいるのは、どこからどう見てもただの「掃除好きの青年」である。
(この自然体……。自らの力を微塵もひけらかさない、真の強者の余裕というわけか)
オルウェルは優雅に一礼した。
「初めまして、九条殿。私はルナミス帝国・内務卿のオルウェルと申します。本日は貴方に、帝国の名において『極めて有益な契約』を持ち掛けに参りました」
「帝国? ああ、こないだのポイ捨て集団の親玉か」
俺が怪訝な顔をすると、オルウェルは苦笑し、手にしたアタッシュケースを机に置いた。
「部下の非礼は謝罪いたします。しかし、貴方ほどの才覚を持つ方が、このような寒村で埃を掃いているのは世界の損失だ。……帝国は貴方を、破格の待遇で国賓としてお迎えしたい」
パカッ。
アタッシュケースが開かれる。中には、ポポロ村の通貨である『PG』の金貨が、眩いばかりに敷き詰められていた。
「契約金として、金貨一万枚。さらに帝都のタワーマンション最上階と、生涯の身の安全をお約束しましょう」
金貨一万枚。日本円にして一億円のキャッシュだ。
だが、俺は腕を組んだまま首を傾げた。
「いや、こないだ粗大ゴミ(アーマーの残骸)の回収で金貨は貰ったしな……。住み込みの従業員も雇ったばかりだし、ここを離れる気はないぞ」
「……なるほど。金銭だけでは動かないと」
オルウェルは少しも慌てず、口元に不敵な笑みを浮かべた。
マキアヴェッリの『君主論』によれば、人間を支配するのは金だけではない。より根源的な欲求――『衣食住の圧倒的な格差』を見せつけることこそが、真の文化侵略なのだ。
「では、交渉の前に……まずは共に食事でもいかがですか? 帝国の『真の力』を、その舌で味わっていただきたい」
オルウェルは、アタッシュケースの底から、黒と金色に彩られた高級感あふれる薄型の箱を取り出した。
ルナミス帝国が誇る最高峰の戦闘糧食――『RCIR型(宮廷糧食)』である。
彼は流れるような手つきで、箱から折りたたみ式の『魔導コンロ』と『魔導固形燃料』を取り出し、火魔石に微かな魔力を流し込んだ。
シュボッ。
音もなく青い炎が立ち上がり、上に置かれたレトルトパウチを静かに温め始める。
やがて、部屋中に『極上のフレンチ』の香りが立ち込めた。
「本日のメインは『ロックバイソン肩肉の太陽芋酒煮込み』。そして前菜に『トライバードと肉椎茸の極上テリーヌ』をご用意しました」
オルウェルがパウチを開封し、持参した純白の陶器に盛り付ける。
ホロホロに煮込まれた分厚い肉塊。芳醇なバターと、ソーリーフ(ソース味の葉)が織りなす濃厚なデミグラスの香り。
それは、最前線の塹壕であっても、将校たちに「帝都の高級レストラン」の錯覚を引き起こさせる、魔法科学と美食の結晶だった。
「す、すんごい匂いですぅ……!」
「わたくしめ、こんな輝かしいお肉、見たことありませんわ……!」
奥の部屋から、匂いに釣られたリリスとリーザが這い出してきて、ヨダレを滝のように流している。
(フッ……勝ったな)
オルウェルは内心で勝利を確信した。
「いかがですか、九条殿。これがルナミス帝国の『日常』です。帝国に下れば、このような美食が毎日約束される。さあ、冷めないうちにどうぞ」
オルウェルは優雅にスプーンを差し出した。
俺は、目の前でグツグツと煮え滾る、極限まで旨味と『脂』が凝縮された高級肉の塊と、バターたっぷりのテリーヌをじっと見つめた。
「…………」
帝国の最高頭脳が仕掛けた、完璧な胃袋への包囲網。
しかし、俺の『オカンの本能』は、この極上の宮廷料理に対して、全く別の評価を下そうとしていた。




