第九章 オカン清掃員、異世界に立つ。~害虫駆除から始まる村おこし~
コタツの芋ジャージおばさん(女神)にケツを蹴られて異世界へ
「よし! 今年のフローリングのワックスがけは、これで完璧だな!」
12月のよく晴れた昼下がり。
俺、九条湊は、自社『株式会社・九条清掃』の事務所も兼ねているボロアパートの一室で、腰に手を当てて満足げに息をついた。
長年の汚れを『解体』し、丁寧にワックスを二度塗りした床は、まるで鏡のように冬の陽光を反射している。チリ一つない、完璧な仕上がりだ。
俺は元々、ダンジョンで魔物の素材を剥ぎ取るだけの地味な『解体』スキルを持つFランクの荷物持ち(ポーター)だった。だが、パーティーをクビになった後、そのスキルを「掃除」に応用した結果、どんなガンコな汚れも分子レベルで落とせる天職(清掃業)を見つけたのだ。
「あとは妹の未緒が帰ってくる前に、スーパーのタイムセールで夕飯の買い出しに行けば――」
俺が100円ショップで買った愛用の『ハンディモップ』と『重曹水入りの霧吹き』を片付けようとした、その瞬間だった。
――ピカァァァァァッ!!
「うおっ!? なんだ!?」
足元のフローリングが突如として眩い光を放ち、俺の視界は真っ白に染まった。
ワックスを磨きすぎた光沢の反射かと思ったが、違う。
光が収まると、俺はアパートの部屋ではなく、見渡す限りの『真っ白な空間』に立っていたのだ。
「……は? どこだここ?」
状況が全く飲み込めない。
だが、その神聖で神秘的な純白の空間のど真ん中に、とてつもなく生活感のある異物が存在していた。
真四角のコタツである。
しかも、天板の上には剥きかけのみかんと、安酒の空き缶、そして灰皿が乱雑に置かれている。
そのコタツで丸くなり、スマホをいじりながらピアニッシモ・メンソールをふかしているのは――上下ダルダルの芋ジャージを着た、健康サンダル履きの女だった。
「はぁーい。次の死人(死後転生者)さーん、ちょっとそこで待っててねー」
女はスマホの画面から目を離さず、気怠げな声で言った。
「推し(朝倉月人くん)のゲリラライブ配信が始まっちゃったのよ。スパチャ投げるからちょっと黙っててね」
「いや、ちょっと待て。死人ってなんだ? 俺は死んでないぞ! アパートの床にワックスをかけてただけだ!」
俺がツッコミを入れると、芋ジャージの女は「チッ」と舌打ちをして、面倒くさそうに顔を上げた。
年齢は……自称20代、実年齢は触れない方が良さそうな、見事な「休日のおばちゃん」の風貌だ。
「うるさいわねぇ。あのね、私は女神ルチアナ! 永遠の17歳! ここは地球とアナステシア世界を繋ぐ次元の狭間よ。手違いか何か知らないけど、ここに呼ばれたってことは、あなた異世界転生する運命なの!」
「異世界転生!? ふざけんな、未緒の夕飯作らなきゃいけないんだよ! さっさと帰せ!」
俺の抗議を完全に無視し、女神ルチアナは空中に半透明のステータスボードのようなものを呼び出した。
「えーっと、なになに? 九条湊。前職は……『荷物持ち(ポーター)』? で、持ってるスキルが『解体』ねぇ……」
ルチアナは、鼻で笑った。
「あー、はいはい。一番地味で使えないテンプレのやつね。戦力外通告受けてクビになったクチでしょ? まぁいいわ、わざわざチートスキルとか授けなくていいから手間が省けるわ~」
「人のスキルをバカにするな! 『解体』は汚れを落とすのに最高のスキルなんだよ!」
俺はブチギレて、ルチアナのコタツにズカズカと歩み寄った。
「だいたいなんだこのコタツの上は! みかんの皮はすぐにゴミ箱に捨てろ! 空き缶は水でゆすいで資源ゴミだろ! それに、こんな真っ白な部屋でタバコなんか吸ったら、壁紙がヤニで黄ばむだろうが!!」
俺は職業病(オカン気質)を爆発させ、持っていた100均のモップで、コタツの上の灰やみかんのカスを猛然と払い落とし始めた。
「こらっ! 何すんのよ! 私の神聖な部屋を勝手に掃除しないでよ!」
「神聖な部屋が聞いて呆れるわ! 万年床みたいな臭いがしてるぞ! ちょっとそこどけ、ファブリーズ代わりに重曹水撒いてやる!」
俺が霧吹きを構えた瞬間。
ルチアナは「あーもうっ! ウザいウザいウザい!!」と叫びながら、コタツからガバッと立ち上がった。
「月人君のライブに集中できないじゃない! あんたみたいな小姑オカン男は、さっさと異世界に行って魔物のウンコでも掃除してなさい!」
ルチアナは、健康サンダルを履いた右足を大きく振りかぶった。
「え? おい、やめっ――」
ドゴォォォォォォッ!!
「いっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!?」
女神(芋ジャージ)の健康サンダルのフルスイングが、俺の尻にクリーンヒットした。
神の力(理不尽な暴力)によって、俺の足元の真っ白な床がパカッと開き、底なしの暗闇の穴が出現する。
「あ、痛っ……! てめぇ、やりやがったなァァァッ!!」
「はい、行ってらっしゃーい。剣と魔法のアナステシア世界で、せいぜいゴミ拾いでもして生きてきなさいな。アデュー!」
ルチアナはニヤニヤと笑いながら、俺に向かってひらひらと手を振った。
重力に引かれ、俺の体は暗闇の底へと真っ逆さまに落下していく。
「ふざけんなァァァァッ!! お前、そのコタツ周り、次に会った時までに絶対に片付けとけよォォォォォッ!!!」
俺のオカン的断末魔の叫びは、次元の穴の奥深くへと吸い込まれていった。
かくして。
チート能力も、伝説の聖剣も、可愛い女神の加護も一切なし。
右手に100円ショップの『ハンディモップ』、左手に『重曹水入りの霧吹き』を握りしめただけの元・荷物持ち(清掃員)は。
魔法と闘気と魔物が支配する過酷な異世界へと、強引に蹴り落とされてしまったのであった。




