第二十三章 悪徳情報商材屋と霊感壺~オカン清掃員、情弱ビジネスを論破(おそうじ)する~
もやし炒めの絶望と、ヒレステーキの魔王
ポポロ村のメインストリートから少し外れた路地裏。
昼は小料理屋、夜はBARとして営業している名店『鬼龍』の店内には、J・S・バッハの『無伴奏チェロ組曲 第1番』が、魔導蓄音機から静かに、そして優雅に流れていた。
厨房に立つのは、身長190センチの巨躯に黒のタートルネックと赤いレザージャケットを着こなす男。
かつて地下格闘場で無敗を誇り、恐るべき殺人鬼『死を呼ぶ4番(DEATH4)』として暗黒社会を震撼させた伝説の処刑人――鬼神・龍魔呂である。
だが、今の彼の手にあるのは、命を奪う凶器ではない。カスタムレザーナイフロールから抜き出された、最高級の本焼き『牛刀』と『中華鍋』である。
「……フン」
龍魔呂が、強火で熱せられた中華鍋に、山盛りの『もやし』を放り込んだ。
ジャッ!! という小気味よい爆ぜる音と共に、シープピッグの背脂とガーリッ君(喋るニンニク)の香ばしい匂いが弾ける。そこに絶妙なタイミングで醤油草の絞り汁が回しかけられ、炎が鍋を包み込んだ。
たかが『もやし』。されど、一切の無駄を省いた鬼神流の化勁と発勁を応用した鍋振りにより、水分を完全に閉じ込められたシャキシャキの究極炒めが完成する。
「……お待ち遠。龍魔呂特製、もやし炒め定食だ」
カウンター席に、湯気を立てる山盛りのもやし炒めと、米麦草の白飯、そして味噌汁がコトリと置かれた。
本来なら、その極上の香りに歓喜の声が上がるはずなのだが――。
「うぅぅぅぅ……っ。もやしぃ……もやしぃ、くやしぃよぉぉ……っ」
カウンターに突っ伏していた人魚族のアイドル・リーザが、純金バケツ(お賽銭箱)を抱きしめながら、ポロポロと大粒の涙をこぼした。
「龍魔呂さんのお料理は、いつだって世界一美味しいですわ! 普段食べてるパンの耳や雑草サラダに比べたら、もやし炒めだって神の恵みですのよ! でも……でもぉっ! 私、今日こそは、今日こそはお肉が食べたかったですわぁぁっ!!」
「あぁんもうっ! 龍魔呂、生ビールもう一杯ちょうだい! ……うぅぅっ、確かにこのニンニクと胡椒の効いたもやしは、ビールのツマミには最高よ! 最高だけどねぇっ!」
隣の席では、エンジ色の芋ジャージを着た永遠の17歳(自称)の女神・ルチアナが、ジョッキをドンッ!とカウンターに叩きつけて咽び泣いていた。
「いくら美味しくても、一週間連続でもやし炒め定食ってどういうことよぉぉっ! アタシたち、育ち盛りの女神とアイドルなのよ!? タンパク質が、圧倒的に肉の脂が足りてないのよぉぉっ! うわぁぁぁんっ!!」
ビービーと泣き喚く二人。
龍魔呂は何も言わず、真鍮製のオイルライターを『カチッ、カチッ』と鳴らしてマルボロ赤に火をつけ、紫煙を細く吐き出した。同情する気も起きない、という冷ややかな目である。
「……やかましィぞ、お前ら」
そこへ、店の奥から緑色のエプロンを身につけた男――九条湊が、URデッキブラシで床の掃き掃除をしながら現れた。
湊は、涙と鼻水でグシャグシャになっているルチアナの頭を、丸めた『ルナミス新聞』でペチッ!と叩いた。
「痛っ! ちょっと湊、女神に向かって何すんのよ!」
「自業自得だ。てめェが一週間連続でもやしを食う羽目になってるのは、龍魔呂のせいでも俺のせいでもねェ。……お前が、今月の生活費を全部『ガチャ』で溶かしたからだろうが!!」
湊の容赦ないオカンのマジレス(正論)が、店内に響き渡る。
「うっ……そ、それは……っ」
ルチアナが、図星を突かれて分かりやすく視線を泳がせた。
「とぼけんな。エンジェルすまーとふぉんのクレジットカード機能、上限百万円を使い切って、今月も黒服の天使レスラーにドナドナされそうになってたじゃねェか」
湊は、ルチアナのスマホの画面を指差した。
「あのアイドルの……朝倉月人だっけか。そいつの『サマーライブ限定・水着SSRカード』を引くために、天井(確定枠)まで課金しやがって。たかが電子データの画像一枚に、俺たちが汗水垂らして稼いだ金貨を全額ぶち込みやがったのはどこのどいつだ!」
「だ、だってぇぇっ! 今回の月人君のイラスト、腹筋の割れ具合が神がかってたんだもん! しかも専用のボイス付きで『君の瞳に乾杯』とか言ってくれるのよ!? 引かない選択肢なんてないじゃない!!」
「推し活は自分の小遣いの範囲でやれ! おかげで今月の食費は、底値で買えるもやしと豆腐しか残ってねェんだよ!」
湊が、丸めた新聞紙で再びルチアナの頭をポカポカと叩く。
「理不尽ですわぁぁっ!!」
リーザが、もやしを口いっぱいに頬張りながら絶叫する。
「なんでルチアナ様の推し活のせいで、私の胃袋までとばっちりを受けなきゃいけないんですの! こんなの、連帯責任という名の経済的暴力ですわ! お肉! お肉が食べたいですわぁぁっ!!」
貧困アイドルと、借金まみれの駄女神。
ポポロ村における『底辺の経済格差』を象徴するような悲惨な光景。
――だが。
そんな地獄のような飢餓空間の、すぐ隣の席で。
「……あら? もう泣き止んだの? 龍魔呂の作ったこのもやし炒め、シャキシャキしててとっても美味しいじゃない」
圧倒的な余裕と、芳醇な肉の香りを漂わせながら、優雅にナイフとフォークを動かしている『勝者』がいた。
「「…………ッ!!」」
リーザとルチアナの視線が、凄まじい勢いでその人物――アバロン魔皇国の女帝、魔王ラスティアのテーブルへと釘付けになった。
「ジュワァァァァァァッ……!!」
ラスティアの目の前に置かれた、分厚い熱々の鉄板。
その上で踊るように音を立てているのは、超極厚にカットされた『ロックバイソンの特上ヒレステーキ』である。
表面にはカリッとした完璧な焼き色がつき、ナイフを入れると、中心部からは美しいルビー色をしたミディアムレアの肉汁が、滝のように溢れ出している。
龍魔呂特製の『シャリアピン風・ガーリック醤油草ソース』が肉の脂と絡み合い、店内を狂おしいほどの暴力的な匂いで支配していた。
「んんっ……♡ 最高ね。ロックバイソンの赤身は硬いっていうのが常識だけど、龍魔呂の完璧な火入れと隠し包丁のおかげで、舌の上でとろけるみたいだわ」
ラスティアが、艶やかな唇で赤ワイン(サケスキーの果実割り)をすすり、至福の吐息を漏らす。
「お、お肉……っ! しかも、ヒレ肉のステーキ定食……っ!!」
リーザが、純金バケツを落としそうになりながら、ヨダレを滝のように流して凝視する。
「ちょ、ちょっとラスティア! あんた、ずいぶんと羽振りがいいじゃないのよ!」
ルチアナが、血走った目でラスティアに詰め寄った。
「アタシたち、一応同じ世界神クラスの給料(月給二十五万)のはずでしょ!? それに、あんたも朝倉月人のファンクラブ会員第一号じゃない! アタシと同じようにガチャ引いて、グッズ買って、遠征費で国庫を横領しまくってるはずなのに、なんでそんな金貨数十枚もするヒレステーキを毎日食べてるのよ!」
「えっ? ああ、これ?」
ラスティアは、一切れのヒレ肉をフォークに刺し、リーザとルチアナの目の前でわざとらしくヒラヒラと揺らした。二人の顔が、まるで餌を待つ雛鳥のように肉の動きに合わせて右へ左へと揺れる。
「そうねぇ……。偶々(たまたま)よ♡」
ラスティアは、ウインクをしてヒレ肉をパクリと平らげた。
「たままた、街角でちょっとした『ビジネスチャンス』を見つけちゃって。最近、お小遣いに余裕があるのよね〜」
(……ふふっ。まさか、あの魔王軍の軍需倉庫で埃を被ってた『魔獣カプセル』が、あんなに高く売れるなんてね♡)
ラスティアは、優雅な笑顔の裏で、極めて腹黒いソロバンを弾いていた。
(先日、路地裏でコソコソしてる柄の悪い男二人組に、『ねぇ、これ投げたら凄いモンスターが出るわよ? 買わない?』って声をかけたら……金貨百枚で即金で買ってくれたのよね。おかげで月人君のSSRも天井まで引けたし、当分はステーキ三昧だわ♡)
世界神(魔王)でありながら、小遣い稼ぎのために自国の危険な軍事物資(魔獣カプセル)を、素性も知れないチンピラに横流しするという、あまりにも酷いコンプライアンス違反。
当然ながら、その横流しされたカプセルが、後にとんでもない騒動(キメラ出現)を引き起こすことなど、この時の彼女は微塵も考えていなかった。
「ずるいですわ! 抜け駆けですの! 私もそのビジネスチャンスに一枚噛ませてくださいませ!」
「そうよ! アタシにもそのシノギを教えなさいよ! 教えてくれないなら、そのステーキの端っこだけでも一口……っ!」
「ダメよ。これは私の労働(横流し)の正当な対価だもの。欲しけりゃ自分たちで稼ぐことね」
ラスティアが、意地悪く笑ってヒレ肉を独り占めする。
絶望の底に突き落とされたルチアナとリーザは、再びカウンターに突っ伏し、「もやしぃ……」「お肉ぅぅ……」と涙で顔を濡らしながら、もやし炒めをモシャモシャと噛み締めるしかなかった。
「……フン。貧乏人は黙って残さず食え。もやし一つ育てるのにも、農家の汗が染み込んでんだ」
龍魔呂が、真鍮のライターをカチリと鳴らし、静かに言い放つ。
「おいルチアナ、リーザ。あんまり食費食費と喚くなら、ポポロ村の清掃のシフトを増やしてやるぞ。便所掃除なら時給銅貨三枚だ」
湊が、URデッキブラシを構えて容赦なく告げる。
「便所掃除は嫌ぁぁぁっ! でもお肉は食べたいですわぁぁっ!」
「あぁもうっ! どっかに、楽してドカンと稼げる美味しい話でも転がってないのォォォッ!?」
神とアイドルが、己の欲望と金欠に悶え苦しむ小料理屋『鬼龍』の昼下がり。
だが、この世界において、「楽して稼げるうまい話」などというものは、九割九分九厘が『悪徳詐欺師』の仕掛けた罠に他ならない。
欲望に目を眩ませた駄女神と強欲アイドルは、この後、ポポロ村の路地裏で、最悪の『情弱ホイホイ』に自ら引っかかりに行くことになるのであった。
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