EP 10
労働の喜びと、保健所の檻の中のオヤジ
ポポロ村の夜。
村長邸のリビングには、出汁の香ばしい匂いと、食欲を極限までそそるごま油の香りが充満していた。
「よし、できたぞ。……エミリアのポポロ村就職祝い、『太陽芋と月見大根の特製・オカン豚汁』と、『肉椎茸の混ぜご飯』だ。冷めねェうちに食え」
緑色のエプロンをつけた九条湊が、湯気を立てる大きなお椀と、ツヤツヤに輝くご飯が盛られた茶碗をテーブルの上に並べていく。
豚の脂(シープピッグの肉)が溶け込んだ濃厚な味噌のスープに、エミリアが自ら泥を落としたホクホクの太陽芋と、味が染み込みまくった月見大根がゴロゴロと入っている。混ぜご飯には、ステーキ肉のような弾力と旨味を持つ『肉椎茸』がたっぷりと混ぜ込まれており、醤油草の風味が胃袋を直撃する。
「わぁぁっ……! すっごく美味しそうです!」
タローマンの作業用ツナギを着たエミリアが、目をキラキラと輝かせて箸を取った。
「いただきます!」
エミリアは、まずは豚汁のスープを一口すすり、続いて自分が泥を落として乱切りにした太陽芋を口に運んだ。
ホクッ……と、芋の甘みが口いっぱいに広がる。
「美味しい……っ! なにこれ、すっごく甘くて、ホクホクで……っ」
エミリアの目から、じんわりと感動の涙が滲んだ。
「公爵様のお屋敷で食べていた、一流シェフのフルコースも美味しかったです。でも……」
エミリアは、肉椎茸の混ぜご飯を口いっぱいに頬張りながら、最高の『社畜スマイル』を浮かべた。
「自分で土をいじって、泥だらけになって、汗を流して働いた後に食べるこのご飯……。今まで食べたどんな高級料理よりも、ずっとずっと美味しいですわ! 働くって、本当に楽しいですね!」
「……そうだろ」
湊は、自分の分の陽薬茶をすすりながら、満足げにニヤリと笑った。
「誰かに守られて、鳥籠の中で与えられるだけの飯は、腹は膨れても魂までは満たされねェ。……他人に依存せず、自分の足で立って、自分で働いて食う飯が一番美味いんだ」
「はいっ!」
エミリアは、力強く頷き、豚汁の二口目を豪快にかき込んだ。
ユニークスキル【絶対的愛玩対象】に甘んじ、思考停止のお人形になっていた彼女はもういない。そこにあるのは、自らの意志で労働の喜びを掴み取った、強く美しい一人の女性(ガテン系)の姿だった。
「エミリアさん、明日からは一緒に村の見回りや、野菜の収穫を頑張りましょうねっ♡」
キャルルが、ウサギ耳を嬉しそうに揺らしながら肉椎茸ご飯をおかわりする。
「私も、エミリアちゃんみたいに働いてお金を稼ぐ素晴らしさ、見習いたいですわ!」
リーザが、純金バケツを撫でながら宣言する。
「おっ、言うじゃねェかリーザ。じゃあ明日からお前も畑仕事――」
「あ、でも私、アイドルなんで! 泥仕事はお肌に悪いですし、やっぱり不労所得が一番ですわね!」
「このクソ人魚、叩き切るぞ」
湊が即座にURデッキブラシを構える。
「あーんっ♡ この豚汁、お野菜の甘みが溶け込んでて最高ですわ〜!」
ルナがふんわりと微笑みながら、太陽芋をモチャモチャと頬張る。
「リスナーのみんなー! エミリアちゃんの最高の笑顔、いただきましたーっ☆ これがポポロ村の労働者の特権だよー!」
キュララが魔導カメラを回し、ホログラムのコメント欄には『美味そう!』『スパチャ1万円! 豚汁の具にして!』『エミリアちゃん、完全に農協のポスターの顔』と、温かいコメントが溢れていた。
そんな和やかな宴会の中、ただ一人、世界の終わりを迎えたような顔で豚汁をすすっている者がいた。
「うぅぅ……っ。わたくしの、わたくしのシノギ(乙女ゲー都市)が……。今月のリボ払い、どうやって返せばいいんですの……っ」
カグヤが、泥だらけのハイブランドドレスのまま、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしてヤケ食いをしている。
「アッハッハ! カグヤ、泣いてないで食いなさいよ! ほら、芋のおかわりあるわよww」
ルチアナが、ビールジョッキを片手に最高に楽しそうにカグヤの背中をバンバンと叩く。
「アンタはいいですわね! 湊のタダ飯食って、こうやって酒飲んでればいいんですから! わたくしには、背負っているブランドとスポンサーというものがありますのよ!」
「うるさいわねぇ。そんな見栄っ張りの『ハリボテの街』なんか作ってるから、湊の【解体】スキルで粉砕されるのよ。ほら、リーザからの慰謝料請求(百万円)も待ってるわよ?」
「ひぃぃっ! リーザさん、どうか、どうか分割払いで……っ!」
「ダメですわ! 耳を揃えて金貨一千枚、キッチリ払っていただきますのよ! 払えないならマグローザ漁船行きですわ!!」
悲鳴を上げるカグヤ、爆笑するルチアナ、取り立てるリーザ。
バカバカしくも温かい、ポポロ村のいつもの騒がしい日常。
湊は、空になったどんぶりを重ねながら、その光景を呆れ半分、心地よさ半分で見つめていた。
――こうして、ムーンキャピタルを支配していた『乙女ゲーのテンプレ』は、オカン清掃員の徹底的な現実主義によって完全に論破・お掃除された。
エミリアは自立の道を歩み始め、氷血公爵ヴァルターはルチアナ教会の心療内科で己のコミュ障と向き合うための社会復帰プログラム(リハビリ)を開始した。
しかし。
この一連の騒動で、誰よりも『悲惨な末路』を辿った者が、ただ一人存在していた。
◇ ◇ ◇
一方その頃。
ムーンキャピタルの外れにある、暗く冷たい石造りの建物――『動物管理施設(保健所)』。
その最奥部にある、厳重な鉄格子の檻の中。
野良犬や野良猫たちが身を寄せ合う殺風景な空間の隅っこで、首輪をつけられた一匹の白銀の妖狐が、しょんぼりと丸まっていた。
「……きゅうぅぅ……」
かつて、エミリアの胸の谷間で甘え、高位の『モフモフ聖獣』としてふんぞり返っていた――コン太である。
彼は、湊のフライパンで壁に叩きつけられた後、ムーンキャピタルの衛生局によって「街中で人間に火を吹く狂暴な個体(狂犬病疑い)」として通報され、保健所の職員に容赦なく捕獲されていたのだ。
(チクショウ……っ。なんだってこんなことに……っ)
コン太――もとい、中身がスケベな中年親父の妖狐は、鉄格子の冷たい床で身を震わせながら、心の奥底でオッサン語りを始めていた。
(つい数日前までは、極上の美少女の胸の谷間に顔を埋めて、毎日おこぼれの高級肉を食って……まさにこの世の春だったってのに……! あの緑のエプロンの清掃員! 俺が中身オッサンだって見抜きやがって……許さねェ……っ!)
コン太は、鉄格子をガジガジと噛みながら恨み言を並べるが、どうすることもできない。
ユニークスキル【絶対的愛玩対象】を持つエミリアの側にいたからこそ「特別な聖獣」として扱われていただけで、彼女が去ってしまった今、彼はただの『火を吹く危険なキツネ』でしかない。
カチャリ。
その時、檻の前の扉が開き、クリップボードを持った保健所の職員二人がやってきた。
「おい、例の『狂暴ギツネ』の様子はどうだ?」
「ダメですね。さっきから唸り声を上げたり、隙あらば火を吹こうとしてきたりと、全く人間に懐く気配がありません。完全に野生化(オッサン化)してますよ」
職員の言葉に、コン太がビクッと耳を立てる。
(ち、違う! 俺は高貴な聖獣で……その、ちょっと若いチャンネーの匂いが好きなだけの、紳士的なキツネで……!)
「きゅ、きゅ〜んっ♡(可愛く甘える声)」
コン太は、必死に尻尾を振り、媚びを売るように檻の隙間から職員にすり寄ろうとした。
しかし。
「……うわっ、キモッ。なんかこのキツネ、動きが『キャバクラで女を口説いてる中年親父』みたいで薄気味悪いな」
「ですね。目つきが完全にセクハラオヤジのそれです。……やっぱり、狂犬病のウイルスが脳に回ってるんじゃないですか?」
職員たちは、コン太の渾身の「モフモフアピール」を、的確すぎる『直感(オッサン判定)』によって完全に拒絶した。
「仕方ないな。飼い主からの引き取り要請も『あんなセクハラ親父、二度と顔も見たくないです(事務的)』って完全に拒否されてるし……。この個体は危険性が高すぎる。……明日、予定通り『殺処分(お星さま)』だな」
「了解です。書類回しておきますね」
職員たちは、コン太の檻の前に『処分対象』と書かれた赤い札をかけ、冷たく背を向けて去っていった。
「…………きゅっ?」
鉄格子の檻の中。
自分が『殺処分(ガチの保健所送り)』になるという絶望的な宣告を理解したコン太の顔から、スーッと血の気が引いていく。
(お、お星さま……!? ちょっ、待て、待ってくれェェッ!! 俺はただ、ちょっと若い女の子の胸に挟まれていい思いをしたかっただけの、ただのしがないオッサンで……っ! こんな、こんな終わり方ってあるかよォォォォッ!!)
――きゅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!
ムーンキャピタルの暗い保健所に、エロオヤジ聖獣の悲壮な、そして一切の同情を誘わないシュールな叫び声が響き渡った。
乙女ゲーにおける「都合のいい設定」は、現実のコンプライアンスとインフラの前には無力である。
モラハラ公爵は心療内科へ。ヒロインは農業へ。そして、セクハラモフモフは保健所の檻の中へ。
かくして、オカン清掃員による『乙女ゲー概念都市の徹底解体』は、すべてのバグを修正し、あるべき場所へあるべき者を収めるという、完璧な結末をもって幕を下ろしたのであった。




