EP 9
管轄女神カグヤの悲鳴と、ルチアナの爆笑
氷血公爵のモラハラを論破し、エミリアを『農業ルート』へと引き抜いたムーンキャピタル視察から数時間後。
ポポロ村の村長邸、その広々としたリビングには、この世の終わりでも迎えたかのような絶望的な叫び声が響き渡っていた。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁっ!! わたくしの、わたくしの築き上げたムーンキャピタルがぁぁっ!!」
ハイブランドのドレスを泥だらけにした月の女神カグヤが、エンジェルすまーとふぉんの画面を両手で握りしめ、ソファーの上でゴロゴロとのたうち回っていた。
「わたくしのチャンネルの低評価が、過去最悪のペースで伸びてますわ! 『乙女のロマン(笑)』『ただのブラック企業とメンヘラ病棟じゃん』って、コメント欄が地獄のようですのよぉぉっ!」
「ギャハハハハハッ!! カグヤざまぁぁぁっ!!www」
そのカグヤの真横で、エンジ色の芋ジャージを着て、缶ビール片手に腹を抱えて大爆笑している女がいた。
永遠の17歳(自称)の駄女神にして、ポポロ村の管理神であるルチアナである。
「アッハッハ! 見たわよキュララの配信! 『無言の溺愛♡』じゃなくて『ただのコミュ障』! 『私にだけ懐くモフモフ♡』じゃなくて『発情したセクハラオヤジ』! おまけに大理石の道は排水溝なしのスリップトラップ!! アンタの作った乙女ゲー概念、ただのサイコホラー都市じゃないのよ!」
ルチアナは、ビールを吹き出しそうになりながら、カグヤの背中をバンバンと叩いた。
「うるさいですわ! アンタに言われたくありませんの!」
カグヤが涙目でルチアナを睨みつける。
「いいですか!? 乙女には、あぁいう『都合のいいフィクション』が必要なんですの! 現実の男がどいつもこいつも役に立たないから、夢を見るんですのよ! 無条件で愛してくれて、お金持ちで、自分だけを守ってくれる……そんな非現実を提供するのが、我々世界神の立派なシノギ(PV稼ぎ)でしょうが!!」
「いや、シノギって言っちゃってるし」
ルチアナが呆れ笑いをする。
「でもさー、いくらファンタジーだからって、婚約破棄の違約金も、バキュームカーの汲み取りも設定してないのは、完全に『神様の手抜き(設定ガバ)』でしょ? 湊に突っ込まれて当然よ。……あーあ、可哀想な氷血公爵(笑)ちゃん、今頃泣きながらルチアナ教会の心療内科に初診予約の電話入れてるんじゃない?」
「うぅぅぅっ……! スポンサーからのタイアップ契約が……打ち切られていきますわ……! 今月のクレジットカードの引き落とし(ギャラ飲み代)、どうやって払えばいいんですの……っ!」
カグヤは、ついにソファーから崩れ落ち、カーペットに突っ伏して号泣し始めた。
ゴッドチューブにおける「乙女ゲー特化チャンネル」としてのブランド力は、オカン清掃員の圧倒的なマジレスによって完全にへし折られてしまったのだ。
「フン。現実逃避も大概にしろよ、見栄っ張り女神」
そこへ、夕食の準備のために緑色のエプロンをつけた九条湊が、出刃包丁を研ぎながらリビングに顔を出した。
「ファンタジーだろうが何だろうがな、地に足のついてねェ世界は必ずどこかでボロが出るんだよ。人間が生きてりゃ、ウンコもするしゴミも出る。契約を破れば莫大な違約金が発生する。……そういう『生活の土台』から目を背けて、上辺だけのロマンスで着飾った街なんて、ただの欠陥住宅だ。お前の手抜き工事が、俺の【解体】スキルで明るみに出ただけの話だろ」
「み、湊ぁぁぁっ……! アンタのせいで、わたくしの人生(カード限度額)が破滅ですわーっ!」
カグヤが湊の足元にすがりつこうとするが、湊はそれをヒョイと躱した。
「ちょっと! カグヤ! 泣きたいのは私の方ですわよ!」
ドンッ!と。
今度は、強欲アイドル・リーザが、純金バケツと、何やら文字がびっしり書き込まれた『借用書(請求書)』をカグヤの目の前に突きつけた。
「なんですの、これ……?」
「決まってますわ! 『聖女の涙(ただの塩水)』に関する、優良誤認および景品表示法違反の損害賠償請求書ですの!」
リーザの瞳が、完全に『取り立て屋』のそれになっている。
「私は一瓶百万円のレアアイテムだと思って期待していたんですのよ! それがただのしょっぱい涙水だったなんて……私の逸失利益、慰謝料、そして精神的苦痛への損害賠償、しめて金貨一千枚! キッチリ払っていただきますわよ!」
「き、金貨一千枚!? そんなの払えるわけないでしょうが! わたくし、ただでさえ先月の『火鼠の裘』のリボ払いで首が回らないんですのよ!?」
「知ったこっちゃありませんわ! 払えないなら、マグローザ漁船(タコ部屋)に乗って、海の上で『本物の人魚の涙』を流すまで働いてもらいますわよ!」
リーザとカグヤの、醜い(しかし極めて現実的な)金銭トラブルがリビングで勃発する。
「アッハッハッハ! カグヤ、もう観念して、ウチのポポロ村で農業手伝って日銭稼いだら? 時給銅貨三枚くらいなら、湊が出してくれるわよwww」
ルチアナが、缶ビールを煽りながら最高に楽しそうに煽り倒す。
「嫌ですわぁぁっ!! わたくしは月の女神! 泥だらけになって働くなんて、絶対に嫌ですのォォッ!!」
カグヤが幼児のように手足をバタバタさせて抵抗していると。
「――湊さん! 言われた通り、太陽芋の泥落とし、ダンボール十箱分、全部終わらせました!」
バンッ!とリビングの扉が開き、一人の女性が元気よく入ってきた。
タローマンで買ってきた、丈夫で機能的な紺色の『作業用ツナギ』。足元には泥のついたゴム長靴。首にはタオルを巻き、金糸の美しい髪を後ろで無造作に束ねている。
かつてムーンキャピタルで、豪奢なドレスを着て「氷血公爵」に溺愛(束縛)されていたヒロイン――エミリア・シフォンヌ男爵令嬢、その人である。
「おっ、エミリア。早いじゃねェか。腰は痛くねェか?」
湊が、出刃包丁を置きながら労う。
「へっちゃらです! 前世で、連日徹夜でエクセルにデータ入力してた時の肩こりに比べたら、外で体を動かして汗を流すのなんて、最高のリフレッシュです!」
エミリアは、泥のついた手で額の汗を拭い、満面の『社畜スマイル(労働の喜び)』を浮かべた。
「あの公爵様のお屋敷(鳥籠)にいた時は、一日中やることがなくて息が詰まりそうでしたけど……自分で土をいじって、作物が綺麗になっていくのを見るのって、すごく『やりがい』がありますね! 次は何を切ればいいですか! 大根ですか!? ネギですか!?」
その瞳には、もはや乙女ゲーの「守られるヒロイン」の面影は微塵もない。
完全に、農協(JA)のポスターに載せても違和感のない、自立した『ガテン系農婦』の力強さがみなぎっていた。
「…………っ」
カグヤは、そのエミリアの姿を見て、完全に白目を剥いてソファーに倒れ込んだ。
「わたくしの……わたくしの作り上げた最高設定のヒロインが……完全に、農業(ガテン系)に染まってしまいましたわ……。もう、乙女ゲーのパッケージにすら使えませんの……」
「いいツラ構えになったじゃねェか、エミリア」
湊は、カグヤの絶望など完全に無視して、エミリアに『月見大根』の山を指差した。
「じゃあ次は、その大根の皮を剥いて、乱切りにしてくれ。今日の夕飯は、ウチの畑で採れた野菜と、お前が泥落としした太陽芋をたっぷり使った『特製ポポロ・豚汁』と『肉椎茸の混ぜご飯』だ。……お前のポポロ村入村(就職)祝いの宴会だからな」
「はいっ! ありがとうございます、湊部長!」
エミリアは、湊のことを完全に「理想の上司(部長)」として認識し、包丁を手に台所へと向かっていった。
「湊さ〜ん! お腹空きました! 今日の夕飯、私もいっぱい食べますっ♡」
村長仕事(ハンコ押し)を終えたキャルルが、ウサギ耳を揺らしながらリビングに入ってくる。
「はーいっ! 今日の配信は『乙女ゲーヒロイン、初出勤で豚汁を食らう』でーすっ☆」
キュララが、エミリアの包丁さばきを魔導カメラで追っている。
「アッハッハ! カグヤ、アンタも豚汁食ってくでしょ? あ、でもツケはダメよ。借用書の金額に上乗せしておくからねww」
ルチアナが、カグヤの肩をバンバンと叩いて笑う。
「うぅぅっ……。食べますわ……っ! こうなったら、ヤケ食いしてやりますの! 湊、豚汁大盛りでお願いしますわぁぁっ!!」
大理石の街の幻想は崩れ去り、PVとスポンサーを失った女神の悲鳴がこだまする。
だが、ポポロ村の夕暮れには、出汁の良い香りと、泥臭くも活気に満ちた『本物の生活の音』が溢れていた。
オカン清掃員と、新たに加わった元ヒロイン(農婦)。彼らのバカバカしくも温かい宴会が、今まさに始まろうとしていた。
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