EP 8
氷血公爵へのカウンセリング命令と、コミュ障の真実
大理石のメインストリート。
かつて『氷血公爵』と恐れられ、ムーンキャピタルの乙女たちから絶大な人気を誇っていた帝国最強の魔剣士ヴァルター・フォン・アーデルハイトは、冷たい床に両膝をつき、顔を覆ってボロボロと泣き崩れていた。
「うぅ……ぐすっ……。俺は、俺はただ……」
彼の周囲には、感情の乱れから漏れ出した魔力によって、みぞれのような雪がパラパラと降り注いでいる。
その光景は、もはや『悲劇のヒーロー』などではない。
完全に「ネットで炎上し、元カノ(※付き合ってすらいない)に正論で詰められて心が折れた、ただのメンヘラ男」の哀れな末路であった。
「キュララ。カメラの配信、一旦ミュート(音声オフ)にしろ。……こいつの泣き顔をこれ以上全世界に晒すのは、あまりにも不憫だ」
九条湊が、URデッキブラシを片手にため息を吐く。
「はーいっ! リスナーのみんな、公爵様がガチ泣きしちゃったから、少しだけ休憩だよー☆」
キュララが魔導カメラのレンズを空へと向け、音声入力を切る。
それでもコメント欄には『オカン、アフターケアに移行』『公爵息してるかー?』と、草(w)が生え散らかしていた。
湊は、しゃがみ込んでヴァルターと視線を合わせた。
「おい、ヴァルターとか言ったな」
「……ひっ。な、なんだ、清掃員……。私を笑いにきたのか……」
ヴァルターが、涙で真っ赤になった青い瞳で湊を怯えたように見上げる。その姿は、完全に『怒られるのを待つ子供』である。
「笑うかよ。俺は掃除のプロだ。……お前みたいな『拗らせたゴミ(トラウマ)』を放置して帰るほど、仕事は雑じゃねェ」
湊は、懐からタローマンのポケットティッシュを取り出し、ヴァルターの顔面にポンッと投げつけた。
「鼻水拭け。……で、言ってみろ。お前、なんであんなエミリアに執着してたんだ? それと、なんで『氷血』なんて中二病全開のあだ名で呼ばれるようになった?」
「それは……」
ヴァルターはティッシュで鼻をチーンと噛み、ぽつりぽつりと、その『重い過去(笑)』を語り始めた。
「……私は、昔から人と話すのが致命的に苦手だったんだ。……挨拶をしようとしてもうまく言葉が出ず、無理に笑顔を作ろうとすると『殺される!』と相手に泣かれ……。親から紹介された令嬢たちも、私と一言二言交わしただけで、皆青ざめて逃げていった……」
「……」
「だから、私は傷つきたくなくて、喋るのをやめた。……無言で睨みつけ、適当に氷の魔力を漂わせていれば、周囲が勝手に『冷酷無比な氷血公爵』と勘違いして、無駄な会話を避けてくれたからだ。……それが、一番楽だったんだ……っ!」
その告白を聞いて、その場にいた全員の顔が『無』となった。
「……要するに」
エミリアが、呆れ果てた声で確認する。
「公爵様は、ただの『極度のコミュニケーション障害(コミュ障)』だったってことですか?」
「うぅっ……! は、はい……」
帝国最強の魔剣士が、元男爵令嬢の追及にビクッと肩を跳ねさせて肯定した。
「じゃあ……」
エミリアは、かつての記憶を辿りながら、半目になって問い詰めた。
「私が公爵様の屋敷にいた時。公爵様が私の顔の十センチ前まで近づいてきて、無言のまま十分間も見つめ続けてきた、あの『身の毛もよだつ恐怖の時間』は……?」
「あ、あれは……!」
ヴァルターが慌てて言い訳をする。
「エミリアの瞳が綺麗だなと思い……何か褒め言葉をかけようとしたのだが、語彙力が消失してしまい……。天気の話に切り替えようと、明日の降水確率を頭の中で思い出そうとしていたら、フリーズしてしまったんだ……っ」
「……」
「き、嫌がらせではないんだ! エミリアは、あの【絶対的愛玩対象】というスキルの影響もあってか、私がどれだけ無言でフリーズしていても、逃げ出さずに側にいてくれた……。私のこの欠落したコミュニケーション能力でも、一緒にいられる唯一の女性だったんだ!」
ヴァルターの悲痛な叫び。
乙女ゲーにおける「孤独なヒーローが、唯一自分を理解してくれるヒロインに心を開く」という感動的なシナリオの裏側。
それは、ただの『コミュ障男が、逃げない女を都合のいい精神安定剤にしていただけ』という、あまりにも生々しい現代の病理であった。
「……はぁ。だいたいの事情は分かった」
湊は、URデッキブラシを杖代わりに立ち上がり、ヴァルターを見下ろした。
「いいか、ヴァルター。お前はエミリアを愛してたわけじゃない。自分のコミュ障を治す努力から逃げて、スキルの影響で逃げない彼女に『依存』してただけだ。……それは共依存って言って、お互いを不幸にする最悪の呪いなんだよ」
「い、依存……」
「そうだ。自分の精神の安定を、他人に丸投げすんな。……大人なら、自分のメンタルくらい自分で管理しろ」
湊の容赦ないド正論が、ヴァルターの胸に深く突き刺さる。
だが、湊の顔は先ほどのような怒りに満ちたものではなかった。
彼はエプロンのポケットをガサゴソと探ると、一枚の『チラシ』を取り出し、ヴァルターの鼻先に突きつけた。
「……これを見ろ」
「こ、これは……?」
ヴァルターが震える手で受け取ったチラシ。
そこには、ルナミス帝国に本部を置く教会の紋章と共に、こう書かれていた。
『ルチアナ教会・心療内科のご案内。〜心の疲れ、一人で悩んでいませんか? 専門の天使(ヴァルキュリア等)が、認知行動療法を用いたカウンセリングであなたをサポートします〜』
「か、かうんせりんぐ……?」
未知の単語に、ヴァルターが目を白黒させる。
「そうだ。お前に必要なのは、恋愛でも、ヒロインの溺愛でもねェ。……まずは専門家による『メンタルケア』と、適切な『社会復帰プログラム(会話の練習)』だ」
湊は、ニヤリと笑った。
「まずは病院(教会)に行け。専門家のカウンセリングを受けて、トラウマを言語化し、他人と適切な距離を保つ方法を学べ。……エミリアを愛だのなんだの言うのは、テメェの心が健康になってからだ」
乙女ゲーのメインヒーローに対して、『お前は病んでるから、まずは精神科に行け』という前代未聞のカウンセリング命令。
これこそが、非合理なロマンスを許さない、オカン清掃員による完璧な『問題解決(お掃除)』であった。
「……私の心が、健康に……」
ヴァルターは、手の中のチラシと、湊の顔を交互に見つめた。
今まで、誰も彼にそんなことを言ってはくれなかった。「氷血」と恐れるか、「公爵」という地位に媚びるか。彼の内面にある『弱さ』に向き合い、具体的な解決策(病院の紹介)を提示してくれたのは、この見ず知らずの清掃員だけだった。
「……ああ」
ヴァルターの目から、憑き物が落ちたように、氷のような冷たさが消え去った。
「そうだな……。私は、領地の仕事からも、他人との関わりからも逃げていた。エミリアという都合のいい隠れ蓑(鳥籠)に依存して……。……私は、本当に愚かだった」
ヴァルターは、大理石の床に両手をつき、湊とエミリアに向かって深く、深く頭を下げた。
「エミリア……すまなかった。私の未熟さゆえに、君を苦しめてしまった。……そして清掃員殿。私に、現実を突きつけてくれて……感謝する」
「……」
エミリアは、土下座するかつての「最強の公爵」を見下ろしながら、小さく息を吐いた。
「公爵様。……お大事に。しっかりと治療に専念して、良い領主様になってくださいね。……さようなら」
エミリアの言葉には、もはや一片の未練も、恐怖もなかった。
ただ、退職した元職場の面倒な上司への、事務的で冷ややかなエールだけがあった。
「よし。これでムーンキャピタルのゴミ掃除(バグ修正)は完了だ」
湊は満足げに頷き、視察団(テンプレ破壊部隊)の面々を振り返った。
「帰るぞ、お前ら。……エミリアのポポロ村入村の手続きと、農作業用のツナギの買い出しに行かなきゃなんねェからな」
「はいっ! エミリアさん、タローマンのツナギはとっても丈夫で動きやすいんですよ!」
キャルルが笑顔でエミリアの手を引く。
「ちょっと湊さん! 私の『聖女の涙(塩水)』詐欺被害の慰謝料請求がまだ終わってませんわよ!」
リーザが純金バケツを叩きながら不満げに喚く。
「ふふっ、今日はとっても充実した視察でしたわね〜♡」
ルナが平和ボケした笑顔で空を仰ぐ。
「ミュート解除しまーす! リスナーのみんなー、公爵様は無事に心療内科へ通院することが決定しましたっ! 一件落着でーす☆」
キュララの明るい実況と共に、一行はムーンキャピタルの駅へと歩き出した。
大理石の広場に取り残されたヴァルター・フォン・アーデルハイト。
彼は、ルチアナ教会のチラシを胸に強く抱きしめながら、ポロポロと涙を流していた。
だが、その涙はもう凍ることはなかった。
氷血公爵という重い鎧を脱ぎ捨て、一人のコミュ障の青年として社会復帰を目指す、彼の新たな人生が、今ここから始まろうとしていたのである。
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