EP 4
モフモフ妖狐(コン太)の凶行と、フライパンの逆襲
氷血公爵ヴァルターを「ただの情緒不安定なモラハラ男」として完全に論破し、その精神をへし折った九条湊たち。
彼らは、保護したエミリア・シフォンヌ男爵令嬢を連れて、ムーンキャピタルのメインストリートにあるお洒落なオープンカフェへと移動していた。
「……ふぅ。とりあえず、温かい紅茶でも飲んで落ち着け」
湊が、メニューも見ずに注文した『特製ハーブティー』をエミリアの前にコトリと置いた。
「あ、ありがとうございます……っ。その、先ほどは本当に助かりました」
エミリアは、両手でティーカップを包み込み、深く頭を下げた。
彼女の目には、未だに湊に対する『理想の上司(あるいは監査部のエース)』を見るような、キラキラとした尊敬の光が宿っている。
「気にするな。俺はただ、公共の場での迷惑行為(公然わいせつ)と、コンプライアンス違反を見過ごせなかっただけだ」
湊は、腕を組みながらテラス席の床を睨んだ。
「それにしても、このカフェも床が大理石かよ。雨の日にウェイターが転んで熱湯を客にぶちまけるリスクを考えてねェのか? 労災保険の掛け金が高くつくぞ」
「あはは……湊さん、まだインフラへのダメ出しが止まりませんね」
キャルルが苦笑しながら、お手製の人参クッキーをかじる。
「でもエミリアさん、あんな危ない公爵様に付きまとわれて、今まで大変だったんじゃないですか?」
キャルルの優しい問いかけに、エミリアはふっと寂しそうな顔をした。
「はい……。私、前世は日本のブラック企業で働く社畜OLだったんですけど、転生してからも、周りは見栄と陰謀ばかりの貴族社会で……。公爵様も、私の意見なんて一切聞いてくれなくて、ただ『俺の側にいろ』って威圧してくるだけで……」
「完全にパワハラ上司ですわね。労働基準監督署に駆け込むべきですわ!」
リーザが純金バケツを叩いて憤慨する。
「でも、私にはこの子がいるから、なんとか頑張ってこられたんです」
エミリアは、ふわりと柔らかい笑みを浮かべ、自分の胸元をポンポンと叩いた。
「出ておいで、コン太ちゃん」
ぽふっ。
エミリアの豊満な胸の谷間から、白銀の美しい毛並みを持った、子犬ほどの大きさの『多尾の妖狐』が顔を出した。
クリクリとした愛らしい瞳。ふわふわの尻尾。乙女ゲーにおけるヒロインの絶対的特権――『モフモフの聖獣』である。
「きゅんっ、きゅ〜〜んっ♡」
コン太と呼ばれた妖狐は、エミリアの胸元に顔をぐりぐりと押し付け、甘えるような愛らしい鳴き声を上げた。
「まぁ! とっても可愛いキツネさんですわ〜♡」
天然エルフのルナが目を輝かせる。
「わぁっ、リスナーのみんな! エミリアちゃんのペットのモフモフだよーっ☆ 映えるねぇ!」
キュララが魔導カメラのレンズを向ける。
「ふふっ。コン太ちゃんは、私にだけ特別に懐いてくれる聖獣なんです。私が落ち込んでいると、こうやって一生懸命慰めてくれて……」
エミリアが微笑ましくコン太の頭を撫でる。
――しかし。
九条湊の眼光は、またしても極低温の『現実主義』へと切り替わっていた。
「……おい、エミリア」
「はい?」
「そのキツネ……さっきから、お前の胸の谷間で『スーハースーハー』と異常に荒い呼吸をしてないか?」
「えっ?」
湊の指摘に、全員の視線がコン太に集中する。
確かに、コン太はエミリアの胸に顔を深く埋め、まるで限界まで酸素を取り込もうとするかのように、鼻の穴をヒクヒクと広げて「スゥーッ、ハァーッ」と深呼吸を繰り返していた。
「それに……」
湊は、URデッキブラシの柄でコン太の下半身を指差した。
「なんか、後ろ足で立って、お前の胸に押し付けながら『腰をカクカク』と小刻みに振ってねェか?」
「「「「…………あっ」」」」
その場にいた女性陣全員が、同時に察した。
エミリアの胸に顔を埋めて匂いを嗅ぎまくり、腰をカクカクと振る白銀の妖狐。
それは、どう見ても『甘えん坊のペット』の動きではない。
「……嘘を見抜く私の耳が、ハッキリと言ってます」
キャルルが、ウサギ耳をピーンと立てて、冷や汗を流しながら呟いた。
「このキツネ……今、心の中で『たまらん、若い姉ちゃんの匂い最高ォ! もっと寄せて!』って言ってます……」
「「「「キモッ!!?」」」」
ヒロインたちの顔が一斉に引きつった。
「そ、そんな!? コン太ちゃんがそんな変態なおじさんみたいだなんて……!」
エミリアが信じられないという顔でコン太を見つめる。
「エミリア、目を覚ませ。そいつはどう見ても、中身が『エロい中年親父』だぞ。お前のスキルのせいで懐いてるんじゃなくて、ただお前の胸目当てでセクハラしてるだけだ!」
湊の、あまりにも身も蓋もないド正論。
乙女ゲーにおける「私にだけ懐いてくれる可愛いモフモフ」というファンタジーの根幹が、ただの『セクハラ親父の受肉』という最悪の現実へと変換された瞬間である。
「チッ……!!」
図星を突かれたコン太は、エミリアの胸元から顔を上げると、先ほどの愛らしい表情から一転。
ヤクザのように眉間にシワを寄せ、湊に向かって「グルァァァァッ!!」と野太いオッサンの声で威嚇の咆哮を上げた。
「わっ! ほ、本当にオッサンの声が出ましたわ!」
リーザが純金バケツを構えて身構える。
「あらあら〜。発情期のオスギツネさんですのね。去勢手術をして差し上げましょうか?♡」
ルナが、ふんわりとした笑顔で世界樹の杖(※先端が鋭利)を構える。
「邪魔すんじゃねェェェッ!! せっかくの役得タイム(お触り)をォォォッ!!」
完全にブチギレたコン太は、口を大きく開け、湊に向けて数千度に達する『神聖火炎』のブレスを吐き出した。
乙女ゲーのテンプレ通り、「ヒロイン以外の男には容赦なく火炎を吐いて威嚇する聖獣」の姿である。
「きゃぁぁぁっ! 湊さん!!」
エミリアが悲鳴を上げる。
だが、オカン清掃員を前にして、火遊びなど通用するはずがない。
「……人の顔に向けて、火ィ吹いてんじゃねェ!!」
湊は、アイテムボックス(魔法袋)からタローマン特売の『URフライパン(焦げ付き防止テフロン加工)』を瞬時に取り出すと、テニスプレイヤーのような見事なフォームでフライパンを振り抜いた。
カィィィィィィンッ!!!!
まるでホームランを打ったかのような甲高い金属音が、ムーンキャピタルの空に響き渡った。
コン太の放った神聖火炎は、URフライパンの圧倒的な耐久力と【解体】スキルによって完璧に弾き返され、明後日の方向(無人の大理石の噴水)へと飛んでいき、シュゥゥッと音を立てて鎮火した。
「な、なんだとォォォッ!?」
コン太が、驚愕に狐の目をひん剥く。
「ほら見ろ! 図星を突かれて逆上したぞ! 間違いなく中身はオッサンだ!」
湊はフライパンを肩に担ぎ、エミリアに向かって厳しいオカンの説教を開始した。
「いいかエミリア! 人間(客)に向かって平気で火を吹くようなペットなんて、狂犬病疑いで即『保健所行き(殺処分)』だぞ! 万が一他人にケガでもさせたら、飼い主であるお前の管理責任が問われて、莫大な損害賠償を請求されるんだぞ! 自覚を持て!」
「ほ、保健所……損害賠償……っ!」
その言葉を聞いた瞬間。
エミリアの脳裏に、前世(社畜時代)のトラウマがフラッシュバックした。
満員電車での痴漢被害。上司からのセクハラ発言。そして、トラブルを起こした際の恐ろしい始末書と減給の恐怖。
「……私、また……セクハラ親父の餌食に……っ」
エミリアの瞳から、乙女ゲーのヒロインとしての「お花畑のフィルター」が完全に消え去り、現代社会で揉まれてきた『現実を生きる大人の女』の冷ややかな怒りが宿った。
「え、エミリアちゃん……? どうしたんだい? そんな怖い顔して……」
コン太が、慌てて「きゅ〜んっ♡」と可愛い声を出して誤魔化そうとする。
「……触るな、セクハラ親父!!」
「きゅぶぁっ!?」
エミリアは、胸元にいたコン太の首根っこをガシッと掴むと、一本背負いの要領で、カフェの大理石の壁に向かって全力で投げ飛ばした。
元社畜OLの、長年の怒りとストレスが込められたフルスイング・スローである。
ベチャァァァァァァッ!!
「きゅうううぅぅぅぅぅぅぅっ……!!」
コン太は、大理石の壁に見事なカエル潰れの形で激突し、白目を剥いてズルズルと床に崩れ落ちた。
「わーおっ! エミリアちゃんの豪快な投げ技が決まりましたーっ!」
キュララが、壁でピクピクしているコン太を魔導カメラでズームアップしながら実況する。
「リスナーのみんなー! 可愛いモフモフ聖獣の正体は、ただのエロ親父でしたーっ! 乙女の夢、完全崩壊でーす☆」
キュララの容赦ない生配信により、またしてもホログラムのコメント欄が滝のように流れていく。
『うわぁ……モフモフの中身おっさんはキツい』
『エミリアちゃんの投げ技ワロタww』
『フライパンで神聖火炎弾き返すオカン何者だよww』
『狂犬病・保健所のマジレスで草』
『飼い主の責任』
『乙女ゲーの世界観、湊さんにボコボコにされてて最高ww』
「ハァ、ハァ……っ。や、やってやりましたわ! 私、もう男に依存したり、セクハラを我慢したりしません!」
エミリアは、肩で息をしながら、晴れやかな顔でガッツポーズを取った。
「よくやった、エミリア。お前はもう立派な自立した女だ」
湊は、満足げに頷き、URフライパンをアイテムボックスへしまった。
「ペットは正しくしつけろ。そして、人間関係は対等に築け。……それが、社会で生きていくための基本だ」
氷血公爵のモラハラを論破し、モフモフ聖獣のセクハラを物理的に粉砕した九条湊。
ムーンキャピタルを覆っていた『甘く歪んだ乙女ゲーのテンプレ』は、オカン清掃員の圧倒的な現実主義によって、次々と消毒(お掃除)されていくのであった。
読んでいただきありがとうございます。
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