EP 2
白昼の婚約破棄イベントと、費用対効果の算出
ポポロ村から魔導列車に揺られること数時間。
九条湊たち視察団(テンプレ破壊部隊)は、月の女神カグヤが統治する大都市『ムーンキャピタル』へと足を踏み入れた。
「うおっ……。なんだこの街、目が痛ェ……」
駅を降りた瞬間、湊は思わず目を細め、手で日差しを遮った。
視界に飛び込んできたのは、見渡す限り純白の『大理石』で舗装された巨大なメインストリートである。両脇には白亜の洋館が立ち並び、街全体がレフ板のように太陽の光を反射して、無駄にキラキラと輝いていた。
「きゃっ!?」
ツルッ! スパーーーンッ!!
隣を歩いていた強欲アイドル・リーザが、見事に足を滑らせて空中で一回転し、後頭部から大理石の地面に叩きつけられた。
「い、痛いですわぁぁっ!! なんなんですのこの道! 摩擦係数がゼロですわよ!」
リーザが涙目で後頭部をさすりながら叫ぶ。
「ほら見ろ。言わんこっちゃねェ」
湊は、呆れ果てた顔で足元の大理石をURデッキブラシでコツンと叩いた。
「表面をツルツルに研磨しすぎだ。こんなもん、雨が降るどころか、朝露が降りただけでも殺人的なスリップトラップになるぞ。おまけに側溝(排水溝)が一つも見当たらねェ。……インフラ整備の基本を完全に無視した、ただの『見栄え全振り』の欠陥都市だ」
「はわわ……湊さん、いきなり街の構造にダメ出し全開ですね……」
キャルルが、滑らないように特注の安全靴で慎重に歩きながら苦笑する。
「うわぁ〜! でも、画面映えは最高ですっ! リスナーのみんな、ムーンキャピタル到着だよー☆」
キュララが魔導カメラを回しながらはしゃぎ、ルナも「お姫様になった気分ですわ〜♡」とクルクル回っている(そして派手に転んだ)。
そんなポンコツ一行が、街の中心部にある巨大な広場(もちろん大理石)へと差し掛かった、その時だった。
「――エミリア・シフォンヌ! 貴様のその悪逆非道な振る舞い、もはや目に余る!!」
広場の中央から、やけに響き渡る、芝居がかった男性の大声が聞こえてきた。
湊たちが野次馬の人だかりを掻き分けて覗き込むと、そこには『乙女ゲー』のパッケージからそのまま飛び出してきたような、金髪碧眼でキラキラしたオーラを纏う王太子(らしき男)が立っていた。
そして、彼の足元には。
「うぅぅ……っ。殿下、違います、私はそんなこと……っ」
豪奢なドレスを着た美しい令嬢が、両手で顔を覆い、大理石の床に崩れ落ちてシクシクと泣いていた。
彼女こそが、この理不尽な世界の被害者――エミリア・シフォンヌ男爵令嬢であった。
王太子の隣には、勝ち誇ったような笑みを浮かべる別の令嬢がぴったりと寄り添っている。
「言い逃れは許さん! 純真な彼女をいじめ抜いた罪、万死に値する! よって、私は今この場をもって……貴様との『婚約を破棄』し、国外追放とする!!」
バァァァァン!!(※どこからともなく幻聴の銅鑼の音が鳴る)
周囲を取り囲んでいた美男美女の貴族たちが、「まあ!」「なんて恐ろしい令嬢なの!」「殿下、素晴らしいご決断ですわ!」と、一斉にテンプレ通りのざわめきを上げる。
「……あーあ。またやってます。私が来た時と同じ光景です……」
キャルルが、ウサギ耳をペタンと寝かせてため息を吐いた。
「うわぁ……。これが噂の『婚約破棄イベント』ですか! スパチャの匂いがしますっ!」
キュララがカメラのズームを合わせる。
エミリアが「そんな……追放だなんて……」と絶望の底に突き落とされ、王太子が「フン、自業自得だ!」と高笑いを見せようとした、まさにその感動的(?)なクライマックス。
「…………おい」
広場の空気を、極低温の氷点下まで一瞬にして冷え込ませる、低く、ドス黒い声が響き渡った。
「「「「え?」」」」
王太子も、取り巻きの貴族たちも、泣いていたエミリアでさえも。
全員が一斉に声の主へと視線を向けた。
野次馬の最前列。
緑色のエプロンを身につけ、肩に青いURデッキブラシを担いだ男――九条湊が、信じられないほどの『オカンの殺気』を放ちながら、広場の中央へと歩み出てきたのである。
「な、なんだ貴様は! 下民の分際で、この神聖な断罪の場に立ち入るなど――」
「うるせェよ、金髪」
湊の冷ややかな一瞥に、王太子の言葉がピタリと止まる。
湊は、泣いているエミリアと王太子を交互に見比べ、心の底から呆れ果てたように、深く、重いため息を吐いた。
「……お前、バカなのか?」
「ば、馬鹿だと!? 一国の王太子たる私に向かって――」
「王太子だろうが何だろうが関係ねェ。お前のやってることは、経営戦略として完全に『破綻』してんだよ」
湊は、URデッキブラシの柄で、大理石の床をカンッ!と叩いた。
「いいか? その女は、将来の王族の伴侶として、幼い頃から国費をかけて莫大な教育を施されてきたはずだ。マナー、語学、政治、帝王学。……その長年の『教育投資費用』を、今日この場での追放で全部ドブに捨てる気か? 費用対効果(ROI)を考えたことがあるのか、お前は!」
「……は? ひ、費用対……サンク……?」
ファンタジー世界で突然振りかざされた『ゴリゴリの現代ビジネス用語』に、王太子が完全にフリーズした。
周囲の貴族たちも「な、何を言っているのあの下民は……?」「さんくこすと……新種の魔法陣かしら……?」とざわつき始める。
だが、湊のオカンの説教は止まらない。
「そもそもだ。王族と貴族の『婚約』ってのは、単なる男女の口約束じゃねェ。派閥、領地、そして国家間の利権が複雑に絡み合った『超重量級の事業契約』だ。それを、企業のトップ(王様)の決裁もなしに、役員(王太子)の一存で、しかもこんな公衆の面前で口頭で破棄できるわけがねェだろうが!!」
「あ、あ、いや、それは……私が王太子だから、私の権限で……」
「権限の乱用だ! コンプライアンスはどうなってんだコンプライアンスは! 正式な『婚約破棄の稟議書』は通したのか!? 法務部(司法)のリーガルチェックは受けたのか!? 一方的な契約不履行による『莫大な違約金』は、お前の小遣いから払うのか!? あぁ!?」
「ひぃっ!?」
凑の、一歩間違えればブラック企業のパワハラ上司にも似た圧倒的な『詰め』の連打。
剣でも魔法でもなく、ただの「現実社会のド正論」で殴りつけられた王太子は、完全に顔面蒼白となり、数歩後ずさった。
「す、凄い……。湊さん、魔法も使わずに王太子様を完全に圧倒してます……!」
キャルルが、ウサギ耳をピンと立てて感心している。
「違約金……! そうですわ、慰謝料と違約金をふんだくれば、この街の予算をガッポリ頂けますわよ!」
リーザが、純金バケツを鳴らしながら計算を始めている。
「リスナーのみんなー! これがポポロ村名物、湊さんの『論破(お掃除)』だよーっ☆」
キュララが、王太子の情けない顔をドアップで世界中に配信している。
「あ、あの……」
その時。
大理石の床に泣き崩れていたエミリアが、涙で濡れた顔を上げ、ぽかんと口を開けて湊を見上げていた。
(……え? 稟議書? コンプライアンス? 費用対効果……?)
エミリアの心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
彼女の前世は、日本の劣悪な労働環境で働き詰めだった『限界社畜OL』である。
転生してからというもの、この世界の「非合理的なドレス」「非効率的なお茶会」「中身のないイケメンたちのセリフ」に、心の奥底でずっとフラストレーションを溜め込んでいたのだ。
そんな彼女の耳に飛び込んできた、湊の放つ『圧倒的な実務の匂い』。
(この人……私が前世で、部長に詰められてた時と同じこと言ってる……っ! なんて、なんて理路整然としていて、説得力のある言葉なの……!?)
エミリアは、王太子に断罪された絶望など完全に吹き飛び、まるで『理想の上司(あるいは監査部のエース)』に出会ったような、キラキラとした尊敬の眼差しで湊を見つめ始めていた。
「……ッ、ええい、黙れ下民! 理屈などどうでもいい、私は王太子だ! 近衛兵、この無礼な男と、エミリアを捕らえ――」
王太子が、パニックになりながら自らの権力(暴力)を行使しようとした、まさにその時。
ピキッ……!!
広場の大理石が、突如として『絶対零度の冷気』によって凍りつき、真っ白な霜が音を立てて広がっていった。
周囲の空気が、息をするのも痛いほどの極寒へと急激に低下する。
「……騒々しい。私の前で、何を喚いている?」
凍りついた広場の奥から、一つの影がゆっくりと歩み出てきた。
漆黒の軍服に身を包み、銀色の髪と、氷のように冷たく鋭い青い瞳を持った、息を呑むほど美しい男。
ルナミス帝国北部を統治し、戦場では一切の情けを持たないと恐れられる帝国最強の魔剣士。
通称――『氷血公爵』ヴァルター・フォン・アーデルハイトの登場である。
「ひっ……! 氷血公爵……っ!」
王太子が、ガタガタと震えながら青ざめる。
「……チッ。乙女ゲーのテンプレのお出ましってわけか」
湊は、URデッキブラシを肩に担いだまま、微動だにせずその男を睨みつけた。
泣き崩れるヒロイン。断罪する王子。そして、ヒロインを救い出す冷酷にして最強の公爵。
舞台の役者はすべて揃った。
だが、この舞台の中央には、乙女ゲーの概念を真っ向から粉砕する『オカン清掃員』が仁王立ちしている。
ムーンキャピタルのテンプレ崩壊劇は、いよいよ予測不能なカオスへと突入していくのであった。
読んでいただきありがとうございます。
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