EP 10
終わらない日常と、男たちのグラス
月の女神カグヤが、泥だらけの芋ジャージ姿で月へと帰還した日の夜。
ポポロ村から少し離れた街道沿いにある、二十四時間営業の魔導ファミレス『ルナミスキング(通称・ルナキン)』の広々としたボックス席は、凄まじい喧騒に包まれていた。
「かんぱーい!! カグヤの強制送還回避と、ポポロ村の平和にーっ!」
永遠の17歳(自称)の駄女神・ルチアナが、ルナキン名物『メガ盛り生ジョッキ』を高く掲げて音頭をとる。
「「「かんぱーい!!」」」
グラスやジョッキがぶつかり合う小気味良い音が響き、ポポロ村の面々による盛大な打ち上げの幕が開けた。
「ぷはぁぁぁっ! やっぱ労働(主に他人が泥だらけになってるのを見物した後の)ビールは最高ねぇ!」
ルチアナがジョッキをテーブルにドンッと置き、枝豆をポイポイと口に放り込む。
「ルチアナ様ったら、結局最後まで芋掘りサボってましたわよね。……ま、今日くらいは許してあげますわ! 店員さーん、ドリンクバーのおかわりと、一番安いポテトフライ山盛りで!」
エンジ色の芋ジャージを着たリーザが、純金バケツを足元に隠しながら、慣れた手つきでタッチパネルを操作している。
「あーんっ、ルナキンの『特大・天使のストロベリーパフェ』、甘くて美味しいでふぅぅっ!」
見習い女神のリリスは、昼間の【強制お迎えシークエンス】の恐怖を完全に忘れ、顔中を生クリームだらけにしてパフェを無限にモッチャモッチャと頬張っていた。
「リリスちゃん、私の頼んだ『オーガニック野菜と自然の恵みスムージー(大盛り)』も半分どうぞ〜! とっても体にいいですわよ!」
ルナが善意100%で緑色の謎の液体を差し出すが、リリスは「野菜はいいでふ!」と全力で首を振って拒否している。
そして、そのボックス席の端っこでは。
「はいっ! 全世界のリスナーの皆さん、キュララだよー☆ 今日はポポロ村の最強オカンこと湊さんが、宇宙規模のブラック企業(牛舎)を布団叩きでボコボコにした記念の打ち上げ配信でーすっ!」
ゴッドチューバーのキュララが、魔導カメラを回しながら生配信を行っていた。
空中に投影されたコメント欄には、『布団叩きの威力エグすぎww』『カグヤ様の泥だらけ芋ジャージ、スクショ余裕でした』『三十万タダ食いのツケはどうなった?』と、天界からのスパチャとコメントが滝のように流れている。
「……おいキュララ。ウチの打ち上げを勝手に配信するなら、そのスパチャの収益からきっちり場所代と肖像権料を取るからな」
緑色のエプロンを着た九条湊が、陽薬茶をすすりながら冷ややかなツッコミを入れた。
「えぇ〜っ!? 湊さん、またそんなこと言って! でも大丈夫、今日のルナキンのお会計は、リスナーさんからの投げ銭で全額ペイできちゃいますから!」
「……チッ。相変わらず現代の錬金術はエグいぜ」
湊が呆れたようにため息を吐く。
ワイワイと騒がしい、いつものポポロ村の日常。
……しかし、湊にとっての『真の危機』は、宇宙の魔獣が去った後の、この宴会の中にこそ潜んでいた。
「……湊さん♡」
スッ、と。
完璧な営業スマイルを浮かべたウサギ耳の村長・キャルルが、湊の隣にピタリとすり寄ってきた。
彼女の手には、ルナキンの伝票……ではなく、小料理屋『鬼龍』の三十万円分の赤字伝票がしっかりと握られている。
「カグヤ様が無事に帰られたのは喜ばしいことですが……この三十万円の村の赤字。カグヤ様が『ツケ』にされた分は、帳簿上どう処理しましょうか? 湊さんが『ツケにしておいてやる』って、格好良く言っちゃいましたもんね……?」
ゴゴゴゴゴゴ……!
キャルルの背後に『絶対守護の夜叉』の幻影が浮かび上がり、足元の特注安全靴からチリチリと紫電の雷光が漏れ出し始めた。
ポポロ村の財政を預かる村長として、そして何より『湊の労働の結晶』をタダ食いされたことへの静かなるヤンデレの怒り。
「あー……いや、それは、次にあいつが来た時にきっちり耳を揃えて払わせるから……」
湊がタジタジになりながら後ずさる。
「三十万の赤字なんて、湊さんが私にスパチャしてくれれば一発で解決ですわよ!」
そこへ、リーザがポテトフライを咥えながら身を乗り出してきた。
「湊さんの愛で、私の純金バケツを満たしてくださいな! 今なら特別に、膝枕付きで『LOVE&MONEY』をフルコーラスで歌ってあげますわ!」
「なんで俺がお前に三十万払わなきゃなんねェんだよ! つーか膝枕なんていらねェ!」
「あ、あの! やっぱり私が石ころを純金に変えて――」
「ルナは黙ってろ! お前の錬金術はインフレを起こすから絶対禁止だっつってんだろ!」
「凑ふぁん、わたしにみたらし団子をひゃっぽん(100本)買ってくれれは、スマホで設定いじって赤字を消しましゅよ?」
「リリス、お前のそのスマホの請求で俺が破産するわ!」
キャルルのヤンデレ圧、リーザの強欲スパチャ要求、ルナの天然経済テロ、リリスの不正アクセス。
四方八方から押し寄せるヒロインたちの暴走(ラブコメ展開)に、湊のHPとSAN値はゴリゴリと削られていく。
底辺ポーター時代、数々のダンジョンの修羅場をくぐり抜けてきた湊の『生存本能』が、脳内でけたたましいアラートを鳴らしていた。
このままここに座っていれば、物理的にも経済的にも命はない。
「あーもう! ちょっと便所行ってくる!」
湊は、URデッキブラシも顔負けの神速の動きでボックス席から滑り出し、「あ、湊さん!?」「逃げましたわね!」というヒロインたちの制止を振り切って、ルナキンのテラス席へと全力で逃亡した。
◇ ◇ ◇
ガラッ。
夜風が吹き抜ける、ルナキンの屋外テラス席。
店内のにぎやかな喧騒から一転、そこには虫の音と、澄み切った星空が広がっていた。
「……ハァ、ハァ、ハァ……。あっぶねェ……。あいつら、祭りやら騒動やらが終わった後だってのに、どこからあんな体力が湧いてくるんだか……」
湊が、心臓をバクバクさせながらテラスの柵に手をついて息を整えていると。
「……おう、オカン。お前も逃げてきたのか」
テラスの暗がりから、低く渋い声がした。
見れば、一番奥のテーブル席で、大柄な男が一人、夜空を見上げながらグラスを傾けていた。
伝説の暗殺者にして『鬼龍』のマスター、龍魔呂である。
彼は、氷魔法で冷やしたグラスに、強烈な度数を誇る『サケスキー』を注ぎ、口には火のついたマルボロ赤をくわえていた。
彼もまた、女子たちの修羅場が本格化する前に「タバコ吸ってくる」と適当な理由をつけて、早々にこの安全地帯へと避難していたのだ。
「……大将か。自分だけさっさと逃げやがって。俺がどれだけ恐ろしい目に遭ったか分かってんのか」
湊は恨めしそうに睨みつけながら、龍魔呂の向かいの席にドカッと腰を下ろした。
そして、テラス席の呼び出しボタンを押し、店員に『冷たいブラックコーヒー』を注文した。
「……フン。暗殺者の勘というやつだ。あの空間が『キル・ゾーン(死地)』に変わった瞬間に、俺の身体が勝手に外へ動いていた。……女の金と執念ってのは、どんな魔獣よりも恐ろしいぜ」
龍魔呂が、サケスキーのグラスを揺らしながら、遠い目をして同意した。
コーヒーが運ばれてくると、湊はグラスの氷をカラカラと鳴らし、大きく息を吐き出した。
冷たい苦味が、一日の疲労を優しく洗い流していく。
「……それにしても」
龍魔呂が、煙草の紫煙を夜空に燻らせながら、ふと口角を上げた。
「……オカンの『布団叩き』、いい音だったぜ。まさか、月の魔獣のケツを引っ叩いて泣かすとはな。俺の暗殺術じゃ、あそこまで綺麗にしつけ(掃除)はできねェ」
「うるせェよ」
湊は、帽子を目深に被り直し、照れ隠しでそっぽを向いた。
「俺はただ、ウチの店で美味そうに飯食ってた客が、無理やり連れ戻されそうになってたから、少しだけ手伝っただけだ。……あのデカブツを村で暴れさせたら、被害総額が三十万どころじゃ済まなくなるしな。単なるリスク管理だ」
「へっ。出たぜ、オカンの強がり」
龍魔呂が、からかうように低く笑う。
「……まぁ、でも」
龍魔呂は、サケスキーのグラスを置き、星空を見上げた。
「血の匂いしか知らなかった俺が……今じゃ包丁を握って、神様相手に煮込みを作って、三十万のツケを取りっぱぐれてテラスで酒を飲んでる。……バカバカしいくらい騒がしいが、俺は今の、この泥臭ェ生活が嫌いじゃねェよ」
かつては『死を呼ぶ四番』として世界を震え上がらせ、絶望の中で生きていた男。
彼が今、しがないエプロン姿の清掃員に向かって、心からの信頼と、この日常への愛着を口にしている。
「……お前らなぁ。酒やタバコが入ると、急にポエムみたいなこと言い出す癖、直した方がいいぞ」
湊はブツブツと文句を言いながらも、自分のブラックコーヒーのグラスを、龍魔呂の前に差し出した。
「俺は、俺が平穏に、安全に暮らすために、お前らみたいなバケモノや、見栄っ張りの神様の手綱を握ってるだけだ。……ウチの村を汚す奴は、神様だろうが魔獣だろうが、等しく掃除してやる。それだけだ」
その言葉に、龍魔呂の顔がパッと明るくなった。
彼はグラスを手に取り、湊のグラスへと向けた。
「ああ。ポポロ村の平和と……最強のオカン清掃員に」
カチンッ。
テラスの静かな夜風の中、二つのグラスが重なる、小気味良い音が響いた。
「……乾杯」
湊が、コーヒーを喉に流し込む。
店内からは、いまだに「湊さんはどこですの!?」「スパチャ! スパチャを!」というヒロインたちの騒がしい声が聞こえてくるが、それすらも、今の彼らには心地よいBGMのように感じられた。
理不尽に満ちた異世界で、底辺から這い上がった一人の青年。
彼は無双する英雄ではない。ただ、自分の手の届く範囲の『日常』を磨き、仲間たちと共に汗を流す、しがない清掃員である。
見栄っ張りの月の女神が残していった三十万のツケと、泥だらけの芋ジャージの記憶。
それらすべてを笑い話に変えて、オカン清掃員と規格外の仲間たちの騒がしくも温かい日常は、明日からもずっと、ずっと続いていくのだ。
星降る夜のファミレスのテラス席。
男たちの静かな笑い声と共に、月の女神の逃避行を巡るドタバタ劇は、最高の余韻を残して幕を下ろした。
ここまで『月の女神はレンタカーでマウントを取る〜借金まみれの神様とブラック労働回避の布団叩き〜』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
見栄を張ってレンタカーと質屋のドレスで乗り込んできた月の女神カグヤ様でしたが、最後は泥だらけの芋ジャージでオカンのまかないに涙し、笑顔で帰っていくという、最高にダサくて最高に愛おしいエピソードになりました(笑)。
最強の暗殺者・龍魔呂の「出汁が出ねェ」というハードボイルドな大活躍や、湊の「UR布団叩き」による宇宙規模のお尻ペンペンなど、ポポロ村の面々は今日も絶好調です!
次回からは新章突入!
今度は一体どんな理不尽(汚れ)がポポロ村にやってくるのか……オカン清掃員・湊の【解体】スキルが火を噴きます!
【読者の皆様へのお願い!】
もし「カグヤ様ダサ可愛かった!」「布団叩きで笑った!」「龍魔呂カッコいい!」「続きが読みたい!」と少しでも思っていただけましたら……
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