EP 9
誰が俺の『死』を消した?
「あ、オイ。そこのあんた。夜中に変なところで立ち止まってないで、さっさと帰りなよ。風邪ひくぞ」
レオンハート王都の裏路地。
特売の半額肉がたっぷり詰まった保冷バッグを提げた九条湊が、無敵の処刑人・龍魔呂に呑気な声をかけた。
龍魔呂の背筋を、かつてないほどの凄まじい悪寒が駆け抜けた。
(バカな……! 一切の殺気がない! 魔力も、闘気も、完全に『ゼロ』だ……!)
龍魔呂は、血塗られた短剣を握る手に冷や汗をにじませた。
この世に魔力を持たない人間などいない。つまり、目の前の男は『己の気配を完全に、チリ一つ残さず消し去っている』ということだ。
さらに、男の足元に置かれたバケツと、先がわずかに濡れている巨大なモップを見て、龍魔呂は決定的な事実に気づいてしまった。
「貴様……。俺の作り上げた『死のアート(血の海)』を……たった一人で、しかも数分でこの世から消し去ったのか……?」
「ん? ああ、あの赤いペンキか」
湊はため息をつき、首をコキコキと鳴らした。
「まったく、誰のイタズラか知らないが、べっとりこびりついてて厄介だったぜ。おかげで俺の特製漂白剤をかなり使っちまった。お前、何か見てないか?」
「ぺ、ペンキだと……?」
龍魔呂は絶句した。
王都最凶の暗殺ギルドを一瞬で壊滅させた、血と臓物の地獄絵図。それを、この男は『赤いペンキのイタズラ』と認識しているというのか。
(俺の……『死』を……ただの『汚れ』として処理したというのか!?)
龍魔呂のプライドが、怒りとなって爆発した。
「舐めるなァッ!! 俺の『死』を愚弄する奴は、誰であろうと赤黒き嵐に――」
ゴゴゴゴゴォォォォッ!!
龍魔呂の全身から、憎悪と殺意に満ちた『赤黒い闘気』が凄まじい勢いで噴き出した。
周囲の空気が重く沈み、触れる者すべてを死に至らしめる処刑人のオーラ。
「うおっ、なんだなんだ。急にホコリを舞い上がらせて」
だが、湊は顔の前で手をパタパタと振り、エプロンのポケットから『100均の除菌・消臭スプレー(※フローラルブーケの香り)』を取り出した。
「お前、よく見たら服もボロボロだし、なんか鉄サビ(血)みたいな臭いがするぞ。おまけに顔色も悪い。風呂に入ってないのか? 不衛生なヤツだな」
シュッ、シュッ!
「なっ……!?」
湊がスプレーを吹きかけた瞬間。
龍魔呂の放っていた『赤黒い闘気(殺意)』が、フローラルブーケの爽やかな香りと共に、シュワァァァと音を立てて完全に中和(消臭)されてしまった。
「あ……ア……?」
自らの最大奥義すらも、ただの「体臭」としてファブリーズされた龍魔呂は、完全に戦意を喪失し、その場にガクンと膝をついた。
「よし、臭いは消えたな。ほら、夜は冷える。さっさと帰って、温かいモンでも食って寝ろ」
湊はそれだけ言うと、龍魔呂の手に『塩飴(熱中症対策用)』を一つ握らせ、再び保冷バッグを担いで歩き出した。
「ま……待て……! 貴様、一体何者だ……!?」
龍魔呂の震える声に、湊は振り返らずに答えた。
「俺か? 俺は九条。株式会社・九条清掃の、九条湊だ」
――ッ。
その名を聞いた瞬間、龍魔呂の瞳孔が極限まで見開かれた。
(九条……! 俺と同じ、忌まわしき『九条』の血族……!? いや、それだけではない……!)
龍魔呂は、遠ざかる湊の背中を、畏怖と狂信の入り混じった目で見つめた。
己の『死』すらも清掃し、殺意を『消臭』し、最後には『塩飴(慈悲)』を与えるという、絶対的な支配。
「そうか……。俺が『死』を呼ぶ四番なら……あの男は、死すらも無に還す『究極のゼロ』……!!」
王都の裏社会を震え上がらせる最強の暗殺者は、綺麗に磨き上げられた石畳に額をこすりつけ、夜の闇の中で深く、深く平伏した。
「完敗だ……アニキ(社長)。俺の『汚れ』、いつかアンタに……拭き取ってもらいてェ……!!」
かくして。
「タイムセールに間に合って最高の一日だった」とホクホク顔で帰路につくオカン清掃員の背後で、闇社会の頂点に立つ男が勝手に『忠誠』を誓うという、史上最大級のアンジャッシュ(勘違い)が完成したのである。
そして翌日の『九条清掃・アナステシア出張所』。
王家からの莫大な報奨金(放置された)と、冷凍庫いっぱいに詰まった最高級の半額肉、そしてヒロインたちの幸せそうな咀嚼音と共に。
世界を揺るがす「お掃除無双」、この上なく平和な食卓の風景で幕を閉じるのであった。




