其の肆
この後も、野球部三馬鹿トリオと優子による愉快なコントはしばらくの間続いた。
校長の長話がダラダラと続く退屈な始業式やその他諸々《たもろもろ》色々あって迎えた放課後、教室は異様な雰囲気に包まれていた。
女子達は家まで送ってくれる男子を見つけなければならないのだが、当然、自分から言い出せる者などそう多くない。日頃から男子と付き合いのある、どちらかと言うとパリピ寄りの女子や、そこそこ以上の可愛さや美貌を持つ女子から次々に相手が決まっていき、その他のパッとしない一般女生徒は野球部らに回されるという、なんとも残酷無比な光景が、そこには広がっていた——まるで現代社会の縮図である。
しかし、そこに容姿もよく男女共に人気が高いにも関わらず未だに送ってくれる男子が決まらない女子がいた。柊結衣である。
「柊さん、よかったら僕が送って行くよ」
そう名乗り出るものも何人かはいた。
しかし、結衣に声をかけようとする男子に片っ端から睨みを効かす毒蛇のような女がそれを遠ざけていた。言わずもがな、雨宮優子である。
優子は、まるで蛇に睨まれた蛙のように怯んでしまった男子を追い払うと、結衣の手首を掴み、強引に義男の元へと連れていった。
「え? ええ? ダ、ダメだよ優子ちゃん。義男君はきっと川崎さんと……」
「関係ないわよ。まだ決まってないみたいだし」
「そんな……」
優子は結衣の気持ちなどまるでお構いなし、いや、構っているからこそ、その言葉に聞く耳を持たないのかもしれない。
優子は結衣を義男の前に突き出すと、恥ずかしそうな仕草も、悪びれた様子も一切なく、さも当然のように義男に声をかけた。
「九条くん。今日から私たち二人を送り迎えしてね」
「え? え? え? ちょ、ちょっと何言ってるの優子ちゃん、そんなこと言ったら九条く
——」
「——だまらっしゃい」
義男の顔を見ると結衣は顔を真っ赤に染め、優子を振り返り、あたふたと両手をばたつかせ、器用にも義男には聞こえないけど優子には聞こえる絶妙に小さな声で優子に抗ったが、抵抗虚しく、訴えを途中で遮られる形で口を両手で塞がれてしまった。
「いいわよね? 九条くん、ほら結衣も」
「え、え、え……く、九条くん、その……誰も一緒に帰ってくれる人がいないから、その……私を送っていってくれませんでしょうか?」
嘘である——
結衣は先ほどからこれでもかというほど男子達から猛アピールを受けている。野球部三馬鹿トリオなど、今でもハイエナのように結衣のことをピッタリとロックオンしている。
だが一歩間違えれば告白同然のこの誘いを、下心を隠したまま完成させるためには、モブ男子達を利用させてもらうしかなかったのだ。
義男には断る理由などなかった。
——マジかよ、柊が? あの柊が僕を誘ってくれてるのか? もしかして、まだ脈があったりするのか? このまま川崎を誘ってにゃんにゃんしながら帰れたらと思っていたけど、柊が脈ありなら……。
義男の心は揺れていた。
実のところ義男は結衣にずっと片思いをしていた。しかし、中学2年の夏の日に結衣にフラれたこともあり、脈なしの結衣から脈がありそうな英美里に乗り換えていたのだ。
しかし、この思いがけない結衣の行動で義男の心が再び動き始める。
——今ならいけるかもしれない。好意のない男子に家まで送り迎えを頼む女子などいないだろう。ここは自信を持っていい。フラれたのはなにかの勘違いだ。英美里は久松に任せればいい。あいつなら僕の意中の女子に手を出したりはしないはずだ。その上で僕の恋路を応援してくれるはず。今は柊に全振りだ。
なかなかに自分勝手で下衆な考えをする男だが、嫌いにならないでやってほしい。彼はまだ高二である。
「オーケー、分かったよ。まかせ——」
義男が承諾の言葉を言いかけたその時である。
義男の言葉を遮るようにしてある女が入ってきた。
「——ごーめーん。義男はさ、あーしが先に予約してたんだー。ねっ、よーしお」
そう言って割り込んできたのは裏原雅である。雅はすらっとしたモデル体型で、ゆるくうねったおしゃれな髪に猫目が印象的な美少女だ。少しキツめの性格と美麗な容姿から男女問わずファンも多く、いつも皆の中心にいる、いわゆる女子グループのリーダー格である。
いくら肝がすわっているとはいえ、優子もあまり関わりたくない女である。優子が雅と対立するかどうか考え始めたその時だった。
「ご……ごめんね……」
なんと、優子が答えを出すよりも先に結衣があっさり負けを認めてしまった。これには優子も驚いたが、今回ばかりは弱気になった結衣を責める気にはなれなかった。というより、何故リスクをとって雅と対立する道を選ばなかったのか、優子が自分の判断の遅さを呪った、まさにその時だった。
「いや、別に雅と帰るとか約束してないけど」
義男の声が割って入った。
義男はじとっとした目で雅を見つめ、優子にはその表情が、いかにも雅の介入を面倒くさがってるように見えて少しホッとした。
「なんでよ。約束してなくても約束してるのと同じじゃん」
「いや、意味わかんないし」
「いや、だって」
「だってなんだよ」
「あーしら、幼馴染だし」
「だからなんだよ」
「家だって隣同士だし、一緒に帰るのが自然じゃん?」
「まぁ、それはそうだけど……うーん、困ったなぁ……」
幼馴染——
それは恋愛において圧倒的優位を誇る存在。
共に過ごした日々、積み重ねた思い出、何人たりとも踏み込めない二人だけの世界がそこにはあり、中学校で一度クラスが同じになっただけの結衣に、ましてや一度義男をフッた経験のある結衣に、もはや勝ち目など微塵もありはしない。結衣が義男と距離を置いていたこの二年の間にも雅は義男と毎日のように顔を合わせ、毎日のように語らい、毎日のように笑い合い、多くのものを共有してきたであろう。その積み重ねの根拠が、結衣の目に雅を富士山よりも大きな存在に錯覚させていた。
——もう……ダメだよ……とほほ……。
——ダメだわ。これは流石に勝ち目がない。九条君とカラスが幼馴染だとは聞いたことがあったけれど、まさかお隣さんだったなんて……。
二人が諦めかけたその時だった。義男の隣の席に座る男子生徒が声を上げた。
「裏原なら俺が送って行くよ。一応こいつ、サッカー部のマネージャーだしな。サッカー部の者が送って行くのが『筋』というものだろう。お前にはその二人を任せたよ、義男」
「いやよ。なんで私があんたと」
「いいじゃないか。これは部長命令だ」
「あんた部長じゃないじゃん」
「部長も副部長も同じだろ? さ、文句を言わずに行くぞ。もし部員が誘拐されたら俺の責任になるんだ。それに義男とはいつでも会えるんだからいいだろ?」
「まぁ、そうだけど……しゃーないわね」
それはサッカー部でキーパーを務める男で義男の隣の席の生徒でもある久松祐希だった。久松はそう言うと、雅を義男から強引にひっ剥がし、むすっとした顔でイヤイヤ廊下へ向かう雅に付き添いながら義男を振り返ってウインクを投げ、そのまま教室を後にした。
「と……いうことみたいだから、僕らも帰ろうか」
「そうだね。じゃあ九条君、よろしくお願いします」
「うん、任せといてくれ」
こうして義男は、もう一人の意中の女である川崎英美里のことなどすっかり忘れて、かつての意中の女、柊結衣らと並んで学校を後にした。
かつての意中の女子が脈ありかもしれないと見るや否や、つい先日初デートをしたとアレだけはしゃいでいた現在の意中の女性のことをすんなり忘れてしまうなど、どうしようもないクズであるが、何度も言う、彼はまだ高校2年生である。多めに見てやってほしい。
義男は普段であれば同級生である須田健一郎の両親が営むスダーバックスなるいつ訴えられてもおかしくない名前の喫茶店でお茶をして帰るのだが、この日は女子の付き添い初日ということもあり、二人をまっすぐ家まで送り届けることにした。
帰宅後、夕食をとりシャワーを浴びた結衣はベッドの上で優子との電話に興じていた。
「優子ちゃん、今日はありがとうね。まさか、これから義男君と一緒に登下校できるなんて。わたし、今日、頑張ったよね!」
「そうね。及第点というところかしら。60点ね」
「60点?!!! アレで60点は流石に厳し過ぎると思う!」
「そうかしら。男子達に言い寄られてオドオドしてたし、カラスには九条くんを譲ろうとしちゃうし、結構ダメダメだったわよ?」
「そんな……。優子ちゃんは他人事だからそういうことが言えるんだよ……」
「他人事? じゃあ、もう応援するのやめようか?」
「ごめんなさい。私が間違ってました」
「よろしい」
「因みに、なんで優子ちゃんは浦原さんのことをカラスって呼ぶの?」
「雅って漢字が元々カラスって意味だからよ。それにあの女、なんかカラスっぽいじゃない。いつも遠くから他人のことを監視して、攻撃的だしナワバリ意識強いし」
「そうかな? 私には孔雀に見えるけど」
「あんたはお人好しすぎるのよ。そんなじゃ、カラスに九条君取られるよ? 幼馴染属性なんだし」
「幼馴染! 反省してます……」
「ところであなた、私には九条君のことを『義男君』って言うけど、九条君には苗字で呼ぶわよね? 本人にも『義男君』って呼んだら?」
「呼びませんっ! もう、優子ちゃんったら、無理だって分かってて言うんだから〜。いじわるだなぁ」
——あれ? 無理なんだ。いまひとつこの子の『できることできないことの基準』が分からないわ。
優子に、意地悪を言う気などさらさらなかった。結衣があまりにもチキンなだけである。
二人が電話で恋バナに興じている頃、ラーメン屋で晩飯を済ませ家路に着こうとする義男の前に大柄な男が現れた。
「よう、兄ちゃん。やっと見つけたぜ。手間かけさせやがって」
男の後ろには二つの黒い影が控えていた。
——危ない男にご用心——




